第49話 今を生きる。生き続ける。

 紘一の元カノこと久坂静祢。

 中学時代から交際していながら、父の逮捕で一方的に絶縁を告げ、後は汚物を見るような目と態度で紘一を拒絶した。

 手入れを欠かさぬご自慢の艶やかな長髪は今や乱れに乱れ、顔面覆う汗で肌に張りついている。

 紺と白のブレザー制服は走ったせいか、シワが走り、呼吸は乱れに乱れていた。

 何故、ここにとの疑問を紘一が口走るのを遮るように、静祢は矢継ぎ早に言葉を浴びせてくる。

「私が悪かったの! だからさ、もう一度やりなおさない! まだ私のこと好きなんでしょう! やったーなら私たち好き同士だよね? なら存分にやり直せるわね! あなたに酷いことをした分、私を好きにしていいから! ほら、これからデートに行きましょう! あなたが望むなら朝までホテ、痛った!」

「ていっ!」

 静祢の連投発言と紘一を掴む腕は美華より放たれるカラテチョップで断ち切られる。

 美華は、そのまま静祢に見せつけるように力強く紘一の腕を抱きしめ可憐な笑顔のまま、ほの暗い声で聞いてきた。

「もしかしなくても、以前言ってたコーイチを振った昔の女?」

「まあ、そんなところ」

 元カノはいた記憶があろうと、声を聞くまで、顔を見るまで存在を忘却の海に沈めていた。

 紘一はただ露骨にため息をつくしかない。

 今更、昔の女が何用だと不快に顔をしかめる。

が逮捕されるなり、一方的にコーイチを振るだけなく、散々弄んでおいて今更復縁とか、虫がいいわね」

 これ見よがしに美華は紘一の腕を抱きしめる力を強めてくる。

 一方で発言の一部のニュアンスに違和感を走らせていた。

「あ、あれは、間違いだったのよ! ねえ私が悪かったの! そんな女より私の方がいいでしょう!」

 紘一の記憶から引き出した静祢たる女。

 いいわけ見苦しく命乞いのような言動を繰り返す人柄ではない。

 常に胸を張り、窮地を好機と捉え、怯まず臆せず真っ直ぐな女。

 かつての紘一は、そこに惚れた、憧れた。

 だが今目の前にいる静祢は同一人物かと目を疑うほど無様だ。

 何より共に生死をくぐり抜けた美華をそんな女扱いが、どこかしゃくに障る。

「コーイチ、やーきーにーくー!」

 静祢の醜態と紘一の心境など知ったことかと美華が紘一の腕を引っ張り催促してきた。

 立っても歩いてもお腹は空くもの。

 相手にする義理も道理もないため、紘一は美華に腕を掴ませたまま静祢に背を向けて歩き出した。

「待ってよ! なんで待ってくれないの!」

 静祢は紘一と美華の前に立ちふさがってきた。

 観念したように紘一は口を開く。

「待つ義理なんてない。連れが腹空かせてるんだ。二人の時間を邪魔しないでくれ」

「私のこといらないの! 私がやりなおそうっていってるのに、なんでやりなおしてくれないの! あ~わかった! その女に何か弱みでも握られているのね! 酷い女、横から人の男ぶんどるなんて親の顔が見てみたいわ」

「うるさいわよ、おばさん」

「ぷっ!」

 だらだらと嫌みを並べてくる静祢に対して、美華の応射は苛烈だった。

 この一言は静祢を沈めるには充分すぎて紘一は思わず吹き出してしまう。

 ついで思い出す。

 一番小さないとこからいたずら心で、おじさんと言われた光景を。

 いずれ通る道ゆえ地味に心的ダメージがでかい。

「今日はコーイチのご両親に挨拶した帰りなの。聞くけど、コーイチのご両親が亡くなってから一度でもお墓参りしたことあるの? ないでしょ?」

 ないな、と美華の指摘に紘一は頷いた。

 腫れ物のように扱ってきた人間である。

 当然、死者の冒涜などざら。紘一当人は既に静祢に対して冷めている。今の今まで名前と顔を忘却の海に沈めていたのがその証拠だ。

「それは、今から」

 言いよどむ静祢に美華は口端に悪魔を宿して畳みかけてきた。

「今から? 亡くなった時点で哀悼を伝えるのが筋でしょう。ああ、ここにいるってことは今から行くのね。ほらいってらっしゃい。まあ霊園って結構広いし、似たり寄ったりのお墓だから探すの大変だけど、元カノならしっかりコーイチのご両親のお墓、知っているはずよね?」

 勝ち誇る美華に紘一はただ卑怯だなと目線を向ける。

 美華は一度見たものは絶対に忘れない記憶力を持つ。

 紘一の両親のお墓までのルートを記憶するなど児戯にも等しい。

「コーイチ、お肉!」

「わかったから腕引っ張るなっての」

 美華は唇と拳を振るわせる静祢など眼中に入れることなく再度、紘一に催促してきた。

 このままでは空腹のあまり腕から食われそうである。

 食うのは構わないが食われるのは勘弁して欲しい。二度と。

「なんでよ、なんで! わかってくれないのよ! なんで邪魔するのよ!」

 静祢は泣き脅しからついに実力行使へ移る。

 拳を振り上げ散々揺さぶってきた美華に牙を向く。

 当然、紘一は美華を守らんと静祢の前に一歩踏み出した時だ。

「静祢はいたか!」

「いや、いない!」

「どこに行ったんだ、静祢ちゃん!」

 複数の男の声が拳振り上げた静祢を止めた。

 見れば遠くから五人の男が静祢を探しているときた。

 遠目からでも制服から私服、スーツ姿が目視できた。

「う、嘘、もう見つかった! ど、どう、どうす! すれば!」

 静祢の目と言葉は泳ぎ、留まるか、離れかと目が強く語りかけてくる。

 そこで再度、悪魔を降臨させるのは美華だ。

「そこの五人組! 静祢ってこの人のことかな~!」

 透き通った声で美華は五人組を呼びかける。

 喧噪のない静かな霊園だからこそ、声は五人組に届き、雁首揃えて競うように急迫させる。

「な、なんてことしてくれたのよ!」

 顔を真っ青にした静祢はお約束の捨てぜりふすら出すことなく紘一と美華の前より走り去っていた。

「あの女、足、速いわね」

「故障で引退したとはいえ、元陸上部で長距離だ。国体だって出てる」

「ふ~ん、詳しいのね」

「……今思い出しただけさ」

 気まずそうに美華から目を逸らした紘一はすれ違う五人組を目で追いかける。

 五人は紘一と美華にわき目もくれず、静祢を追走していた。

 そして聞こえてくる声という声。

「僕が一番じゃなかったのか!」

「卒業したら結婚するって約束だったはずだ!」

「他に男がいるなんて聞いてないぞ!」

「俺があげたプレゼント、メッカルで売り払うとか酷いじゃないか!」

「誰が一番か決めてもらうよ!」

 紘一はただ遠い目しかできなかった。

「なにあの女、二股どころか五股してたの? いや下手したら六股か」

 美華の呆れた発言に紘一はただ背筋をゾッとさせるしかない。

 紘一としては純粋なまでの交際だったのだが、静祢からすれば遊び相手の一人という認識でしかなかったようだ。

「男を弄んだ女の報いは、複数の男から追い立てられるのか」

 結果としての因果か、それとも当然の報いか、今となっては分からない。

「あんたさ、キメているみたいだけど共感覚で浮気見破れなかったわけ?」

「……恋は盲目っていうだろう」

 交際中からか、破局後かは分からない。

 ただ一つだけ、元カレとして紘一が言えることがあった。

「ご愁傷様」

 当人に聞こえているか否かは、神のみが知る。

「さ~て邪魔者は消えたし、ごはんごはん♪」

 美華は口端に笑みを浮かべては鼻歌交じりで紘一の腕を引っ張る。

 女にグイグイ押されるのは男してどうかと、紘一に芽生えた疑問はこの際、置いておく。

 今はただ家族の無念を晴らせたこと、この瞬間を生きていることを噛みしめるべきだ。

「お腹がはちきれるまでお肉たらふく食べるわよ~♪」

 育ち盛りの美華の弾んだ声。

 太るぞなんて発言、男なら野暮だ。

「そう、だな、食べないとな」

 生きているからこそ、食べられる。食べることができる。

 今を噛みしめ、進んでいける。

 逆襲は終わった。与えるべき人間に相応の報いは与えた。

 当然のこと、逆恨みを抱く者も現れるだろう。

「もしかしなくても現実こそが過酷なデスゲームかもしれないな」

 社会の不条理なルールがあり、理不尽な生死がある。

 目的を至るために行動をし続ける。

 結果、得られるものと得られぬものがある。

 死ねばそこで終わり。次などない。

 事実は小説より奇なりだと痛感する。

「でも」

 それ故に、今を生きると、生き続けると、青空を見上げながら亡き両親に紘一は改めて誓うのであった。

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