終幕

第48話 最後のサバイバー

 アレル――阿加井紘一あかいこういちはただ静かに墓前に手を合わせる。

「父さん、母さん、今はゆっくりと眠っていて」

 優しく両親が眠る墓に紘一は語りかける。

 デスゲームの生還から早二週間。

 経理担当の社員が有罪判決を受けた巨額横領事件。

 刑務所に収監された後、病死された事件。

 それが今、横領から冤罪事件とへ裏返り世間を騒がしていた。

「おじさんたちがさ、敵討ちだってすんごく張り切っているんだ」

 両家の親戚一同、最後まで父の無実を信じていた。

 何度も再審請求をしようと却下され続けた中、差し込んだ光明。

 映像・写真・音声データなどネットワークに横領に関係するであろう情報が拡散した。

 流出元は誰か? 情報源は? 様々な憶測が飛び交う中、マスコミはこぞって冤罪事件だと大々的に取り上げる。

 警察・検察共に調査するも不明。

 不明だろうと嘘偽りのない確実な証拠に動かざるを得ないときた。

「ほんとマスコミって調子がいいよな」

 父親が犯人だと報道しておいて掌返しである。

 ただ今の紘一には怒りや怨みは出てこなかった。

「犯人は専務一派ときた。政治家に資金を流しては、その政治家の力で警察や裁判所動かして、父さんを犯人に仕立て上げたみたいなんだ」

 経理を担当する故、数字のおかしさに勘づく前に口封じとして罪をかぶせた。

「まあ誰もが因果応報の末路を辿っている」

 マスコミは政治と金の問題が大好物故に。

「ふう~」

 紘一は天を仰ぎ見ては、身体を微かに震えさせる。

 瞼の裏で溜まっていく涙を服の袖で拭う。

 父の無念を晴らすことができた。

 だが、父と母はこの世にもうおらず、失ったものが多かった。

 今一度、家族が揃うことを願おうと、それは二度とかなわぬ願いだ。

「アフターサービスは完璧か」

 スマートフォンを取り出せば、差出人不明のメッセージを展開させる。

 差出人は直感的に誰か分かる。

 内容は、学校、近所、職場、SNSと関係なく紘一の家族を一方的に犯罪者として侮蔑した者たちの末路。

 オウリョウだと紘一を侮蔑し、金銭を巻き上げては、盗難の冤罪を擦り付けていた生徒と、見て見ぬ振りの教師。

 他の生徒から金品の恫喝、自作自演で財布を通学鞄に入れる映像がネットワークに流出。また見て見ぬ振りをしていた教師に至れば、不倫、横領、体罰、買春、禁煙区での喫煙と教員生活として致命的なスキャンダルが露見する。

 一方的に紘一を解雇した数々のバイト先も同じだった。

 真犯人の物的証拠、店長と店員の不倫、パワハラモラハラ、帳簿を誤魔化した横領、強盗、中には店舗が物理的に一晩で倒壊もあった。

 ご近所もまた、こぞって誹謗中傷に明け暮れた結果は親族一同の訴訟だ。

 誰もが自分は悪くないと詭弁を発して責任逃れをしているが、確固たる証拠により逃げられない。

 観念して和解案に乗る者がいる一方で、頑なに認めぬ者もいた。

 後はもう法廷がステージである。

「これから、どうするかな」

 頭で先は分かっていようと、口に出さずに入られない。

 父親の無念は晴らせた。後は子供の出る幕はない。

 復讐の炎が燃えていた胸の内は虚が開いたような気分だ。

「お隣よろしいかしら?」

 記憶にある可憐な声が紘一の真横からした。

 顔を向ければセーラー服姿の少女が花束を手に立っていた。

「れ、レイン、お前、なんでここに……」

 予期せぬ参拝者に紘一は目を見開いてしまう。

「レインじゃない。乾美華いぬいみかよ」

 互いに本名も連絡先も教え合っていなかった。

 いや教え合う状況ではなかった、が正解だろう。

「なんでいるのかって、あんたの名前とご両親のお墓をパパに調べてもらったの」

 タネは案外単純だった。

 美華の父親は紘一の父親の上司にあたる常務。

 立場的に墓の位置など容易く把握できるだろう。

 紘一の心境を余所に美華は持参した花束を墓前に添えてはゆっくり両目を閉じ両手併せて拝む。

 ほんの一〇秒ほどで美華は立ち上がり、紘一と向き合った。

「お互い元気そうで何より」

「あ、ああ、記憶は、あるみたい、だな」

「みたいね。あ~もう今思い出すと腹立たしいわ。まさか私の拳銃奪えば、撃って回数ゼロに追い込むなんて!」

「……撃ち合いはルール違反で即脱落だからな。お前がクテスにやったことをやっただけさ」

 紘一は残弾四発、回数四回。

 美華は残弾五発、回数三回だった。

 本音は苦楽を乗り越えた相棒を殺したくなかったからだが、紘一は内に秘める。

「改めて失格者と脱落者の違いが、よ~く分かったわ」

 デスゲームで最後まで生き残った者同士。

 願いを叶えた勝者と叶えられなかった敗者。

 改めて向き合おうと、言葉が浮かばず両者の間に沈黙が降り注ぐ。

「会社、今大変だって」

 数秒の沈黙を破るように美華が口を開いた。

 ただ、どこか薄っぺらく、他人事に聞こえてしまう。

 紘一の記憶にある美華は誰かを優先する人間だったはずだ。

「専務があれこれやったせいで、株主は揃って激怒だし、社長は下手すれば責任問題で解任。パパは経営を巡って専務と対立していて横領とは無関係だったけど、立場的に責任は免れないみたい」

 常務とは一概に社長や専務を補佐する立場にある。

 経営陣の立場として巨額横領の件に一銭も関わっておらずとも責任は免れないだろう。

「まあパパはパパで、いい機会だから、このまま辞めて事業でも初めてみようとか前向きみたいよ」

「おまえ、大丈夫なのか?」

 どこか他人事な美華に、紘一は渋面を作る。

「至って健康ですけど?」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ」

 堂々と胸を張る美華に紘一は口を苦くするしかない。

 美華は合点が行かずただ小首を傾げているだけであった。

 だが、しばし上目で空を見上げていたのも束の間、納得するように口を開く。

「そうね、なんというかさーん~」

 美華はどこか歯切れ悪く返しながら胸、それも心臓の位置に右手を添えた。

「ほんの少し前まで、死んだ友達の分まで生きなきゃって、それが三つの命をもらった自分の使命で助けられたからこそ誰かを助けなきゃならないんだって言い聞かせてきたの。けど、あのゲームから生還したら、なんかこう胸にぽっかりと穴が開いた気持ちなの。誰かのことよりも自分のことを優先させちゃう。あ、そこに困っている人いるけど、どうせ誰かがしてくれるでしょ、なんて感覚が気づけば沸いているのよね」

 紘一が口を挟む間がないほど一方的に話している。

 記憶にある美華は自分本位な性格ではなかったはずだ。

「そういう、ことか」

 故に紘一は美華の言動に合点が行った。

 失格者は生きて日常に戻れるが、願いに反したペナルティが課せられる。

 一方で脱落者ゲームオーバーに次はない。

 願いの反転。

 つまりは美華の場合、誰かのためが、自分だけとなった。

「もし、俺だったら」

 もしもの光景を想像した紘一は身震いする。

 報いを晴らすことができず、ただ己の無力さと世を怨み続ける。

 絶望に慣れてしまい、復讐することすら空虚とする日々を送っていたに違いない。

「それで、あんた、これからどうすんのよ? ねえっ!」

 美華の強い語気に紘一は思慮から引き戻される。

 そして胸ぐらを掴まれ、不機嫌に染まった可憐な顔が紘一を上目遣いで睨んでいた。

「コーイチ、この私の話を聞かないなんていい度胸ね?」

 まつげの先端まではっきり把握できるほど距離が近い。

 ごく普通な一〇代の多感な年頃からすれば可憐な顔の肉薄に心拍をどぎまぎさせるだろうが、見慣れた顔に見知った相手。共に生死を越えた仲として紘一としては今更感があった。

「わるい、わるい、ちょっとな」

 非は思索にはまった紘一にある。

 よって素直に両手を上げて非礼を詫びるのであった。

「まあいいわ。それで、改めて聞くけど、あんたはこれからどうするの?」

 そうだな、と紘一は言葉を濁し、美華から視線を逸らしながらぽつぽつと話し出す。

「この街を離れようと思う」

「引っ越し?」

「前々から親戚から一緒に住まないかって誘われてたんだ。けどさ、父さんたちの無念を晴らすまで離れないって子供ながらの意地張ってさ、家奪われた後は小さなアパートで暮らしてたんだ。仮に引っ越ししても、親戚に迷惑かけるって思っていたのかもな」

 関東外に離れるだろう。

 父の無念を晴らせた以上、この地に留まる理由はない。

 ただ敵討ちよりも両親との思い出が詰まった地から離れたくない想いが強かったのも否定できない。

「たださ、驚いたことに、父さんの地元、昔なじみが多いせいか、誰も彼もが総出で父さんの無実を信じていたんだ。それどころか、署名集めとか動いていてさ、ほんとびっくりだよ」

 親戚に迷惑をかけぬため、父の地元とは距離を置いていた。

 今更ながら、子供の独りよがりでは何一つなせぬと痛感する。

 人は一人ではなにもなせない。なせぬ故、誰かと共になすのだと。

「学校も転校だけど、あんな学校、未練も執着もないし」

 学校での思い出など息苦しく重苦しい。

 ただいるだけで侮蔑の視線が無形の刃として突き刺さる。

 真相発覚から翌日、学校には通っていない。

 人が変わったように許しを願う生徒、校門前で待ちかまえるマスメディア、頑なに事実を否定し、なかったと強要してくる教師にうんざりした面があった。

 後は親戚がつけてくれた弁護士に対応を任せていた。

「それに顔も見なくて済む」

 一瞬だけ脳裏に<彼女>の顔がよぎるも、霧のように消え失せる。

 どんな髪だったか、その声音は、なんて忘却の霧に沈んだ。

「まあ問題は、誰の親戚の家に厄介になるか、だけど」

 紘一は困惑気味に苦笑する。

 父は三人兄弟の次男、母は四人兄妹の末っ子。

 両家同士の仲は良く、半年に一度は飲み会を開くほどの仲だ。

 紘一の希望として両親の墓が近い親戚宅が望ましい。

 望ましくも、どちらの家も関東外であった。

「ふ~ん、まあ、おいおい決めればいいんじゃないの?」

 美華は軽い言葉で他人事のように返す。

 そのまま掴んでいた手を紘一の胸元から離した。

「おなかすいた」

 前振りもなく唐突に美華は言った。

 空耳かと紘一は表情を緩めさせてしまう。

「はぁ?」

「だから、おなかすいた」

「なら帰りに適当に食べればいいだろう?」

 道ばたに寝転がってかんしゃく起こすお年頃ではない。

 乙女であるのは肯定するが、そこは問題ではない。

「あんたね、焼く肉食い放題、この私におごるって約束忘れてない?」

 男の筋を通せと美華は笑顔に青筋を浮かべながら心と財布を揺すってきた。

 しばし思考停止にて顔を呆けさせる紘一だが、三秒ほどで思考をリブートをさせ表情を引き締めた。

 次いで脳裏に過ぎるは亡き父の言葉。

<女のわがままを受け入れるのが男のわがまま>と。

「そう、だな。折角墓参りに来てくれたんだ。飯ぐらいおごるさ」

 ここで男を見せねば廃るというものだ。

「そうだ」

 二人揃って歩き出した時、紘一は思い立ったように言った。

「なあ、乾、今度さ、お前の――」

「あぁん、い・ぬ・い?」

 言い切るよりも鋭く素早い美華の眼光が紘一の発言を阻止してきた。

 肌にちらつく眼光はどの名工の力作よりも鋭利ときた。

「あ~美香、今度さ、友達の墓参り、同行いいか、な?」

「もちろん!」

 眼光は鋭いままだが美華の口端はどこか喜んでいるように見えた。

 今一度確かめようとも美華は紘一から背を背けて我先に進んでいく。

 美華に追いついた紘一は歩幅を合わせながら二人揃って霊園を出る。

「み、見つけた!」

 記憶に沈めた声が足を止めてきた。

 間髪入れず、声の主が足を止めた紘一の右腕を強く抱きしめた。

 左隣にいた美華の顔が一瞬で曇るのを気配だけで紘一は察知した。

「み、見つけたわよ、こ、紘一!」

「し、静祢しずね……」

 相手の名は久坂静祢くさかしずね、紘一の元恋人だった。

 

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