第44話 迷宮崩壊②~高鳴り~

 忘れたものは思い出せる。

 されど――

 亡くしたものは戻らない。


 アレルの目は血走っていた。

 動悸は収まらず、顔全体を不快な汗が覆う。

 その眼下には自身が押し倒したレインが瞳孔を揺らめかせている。

 抵抗はない。

 アレルは馬乗りとなる体勢でレインの額に黒鉄のリボルバーを突きつけていた。

 下手に抵抗すれば、即座に引き金が引かれるとレインは分かっているからだ。

 安全装置は既に解除され、引き金には人差し指が添えられている。

 ほんの少し引き金を引くだけでレインの命は消える。

 脳漿を炸裂させ死ぬ――殺せる。

 殺された友達を生き返らせる願いを叶えられることなくゲームオーバーとなる。

 だがアレルの中にある最後の理性が、憎悪の声に反発して引き金にかけた人差し指を引かせない。

「おまえが、おまえさ、いなければ……おまえなんて生まれていなければっ!」

 憎悪にまみれた声と拳銃持つ手の震えが止まらない。

 殺さぬ理由などない。生かす理由がない。

 理性では抑えきれない感情が、会社の常務の娘であるのを理由にレインを復讐の対象として認識する。

 例えルールで参加者同士の戦いが禁止されていようと、一発で仕留めれば戦いは起こらないし撃ち返される心配もない。

 押し倒した際、レインの拳銃は早々に蹴り飛ばし遠ざけている。

 だから結果として起こるのはアレルがレインを殺したという事実。

 そう戦いではなく、殺害であるためルール違反とならない。

「父さんも、母さんも、死ぬことなんてなかった!」

 アレルの震えた声に対しレインの瞳は死の恐怖に揺るがない。

 その気丈さが憎悪に火をくべる。

 家族を奪う要因となった人間たちが今なお生きている。

 許せない。容認できない。認められない。

 胸の奥底より猛り狂うこの感情をもう制御できない。

 二年間、抑えに抑え込んできた鮮烈な憎悪という狂気。

 もう止まらない。止められない。

「仇を討たせろ! 恨みを晴らさせろ!」

 心の奥底で沈めていた憎悪が爆発するのは時間の問題だった。

 レインの正体を知らなければ良かった。

 知らなければ良き共闘者としてゲームを進めていた。

 だが、知ってしまった。

 抑えに抑えていた感情はレインの一言で爆発した。

『……復讐したって亡くなった人は帰ってこないわよ』

 瞬間、憎悪の感情がアレルの身体を突き動かし、レインを押し倒しては額に銃口を突きつけていた。

 理性では分かっている。分かっていると何度も説き伏せようと、解放された憎悪が制止させない。

 女一人殺したところで家族は帰って来ない。

 例え両親を生き返らせる願いが叶おうと、両親を虐げた社会は健在――また家族を虐げる。虐げに来る!

 無意味と分かっている故、アレルは復讐を選んだ。

「おまえの存在が俺たち家族を殺したんだ!」

 アレルはまぶたを閉じる。レインを抑え込む力を込める。

 否応にも思い返される温かな家族との記憶。

 もう二度と帰ってくることのない記憶。

 不条理にも引き裂かれ、奪われた記憶。

 おかえりという母の声も、ただいまという父の声も二度と聞くことができない。

 家族の後を追わないのも、アレルたち家族を虐げ陥れた者たち全員を一人残らず生き地獄に落とすためだ。

 死など一瞬のこと、刑務所に叩き込むなど生温い。

 家族を引き裂き、奪ったことを後悔しながら一生苦しみ続けろ。

 それが、アレルのたったひとつの願い。

 この女が、レインが家族を引き裂いた根源を為すのなら殺さぬ理由などない。

 例え、幾度となく協力し合い、窮地を共に潜り抜けてこようとも――

「俺を助けたこと、あの世で詫び続けろ!」

 血と怨嗟を滲ませたアレルの声。

 レインは抵抗一つしない。ただじっとアレルを見つめ返している。

 恐怖に震えず、静かで落ち着いた眼差しだった。

「ああ、私、あんたに惚れてたんだな……」

 命乞いですらないレインの発言に、アレルは一瞬にして毒気を抜かれてしまった。


「ずっと入院してたから、元気になったら友達とカフェとか海とかカラオケに行きたいとやりたいことを夢見てきたわ。今まで送れなかった青春を存分に過ごしたいって……でも友達と過ごすだけが青春じゃないのよね」

 レインはアレルから目線を逸らさない。

 学園ドラマにあるような恋に恋焦がれた。

 未知なる出会いに心音を弾ませたい。

 握った手の平から相手の温もりを感じ取りたい。

 いやその腕で背後から抱きしめ、温もりを与えたい。

 ただ幼き頃より病院で育った娘は恋という感情が芽生える機会を喪失してきた。

「あんたにはさ、散々助けられたもの。そりゃ惚れるわな」

「わけの、わからないことを!」

 アレルは苦しそうに眉間を歪ませている。

「私だって、わけわからないわよ。この高鳴りは初めてだし。けど、今一度言えるわ。私、あんたに惚れてるわ」

 レインはただアレルの握る拳銃を見つめていた。

 恐怖はないといえば嘘になる。

 父親が横領に関わっているかどうか疑念がある。

 けれども命乞いはしない。

 レインにはゲームクリアせねばならぬ理由がある。

 一方でアレルが抱く怒りと憎しみも理解できてしまう。

 ただ撃てとは言わない。

 真に復讐すべき相手がいるとも言わなかった。

 静かに瞳を閉じ、アレルの心にレインは審判を委ねた。

「……ざけんなよ」

 腹部にかかる重みが消える。身体が軽くなる。アレルはレインの身体から離れては、力抜けるように両膝をついていた。

 

 

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