第10話 追いかけっこ④~女の勘~

「根拠は?」

 声と身を潜ませながらアレルはレインに問う。

 アレルからすればゾンビ犬から感じる色は灰、つまりは死だ。

 死んでいるからこそ色は変わらず、有機物無機物関係ない。

 この女はなにを感じた、なんて疑問は追跡されるサバイバーの声に遮られた。

「おい、足を出せ!」

 チワワゾンビの足枷を物ともせず走るサバイバーに、速度を合わせた同行者が叫ぶ。

 併走しながら拳銃を構えている。相手は噛みついたままのチワワゾンビを撃ち抜くのだろう。貴重な弾丸を救出のために使うなど、あのグループの仲間意は高いようだ。

「悪いな!」

 その言葉は拳銃構えた同行者からだった。

 一発の銃声が響いた時、チワワゾンビを引きずるサバイバーが横転していた。

 同行者が同じサバイバーに向けて発砲した。

「すまん、足に当たっちまったが、これは誤射だ!」

 白々しいまでの言い訳にしか聞こえない。

 弾丸はサバイバーの足に直撃せずともズボンを裂いている。

 距離があろうと裂けたズボンから太股に赤い線が走るのが覗き見えた。

「お、おまえっ!」

 痛みに呻く間もなくすぐさま撃たれたサバイバーは起きあがる。

 太股に痛みに苦悶しながらどうにか走り出すも、速力は落ち、ゾンビ犬との距離が縮まっていく。

「お、囮に、したの!」

「そういう、ことか!」

 顔面蒼白となって口元抑えるレインの横でアレルは忌々しく舌打ちをした。

 拳銃の安全装置が運営のミスでないなど、あからさますぎたが、これこそが運営の狙いだ。

 誤射には気をつけろという念押し。

 一発程度なら誤射。

 なら最後尾の同行者に命中してもルール違反にならない。

 意図した発砲ではない。これは誤射。運悪く同行者の足に当たってしまっただけと片づけられる。

「これが追いかけっこの真髄ってわけか」

 無意識がアレルの扉持つ手に力を込める。

 ゾンビ犬でサバイバーを減らし、誤射による切り捨てでさらに減らす。

 仲間や協力などこのゲームにない。

 共闘か、裏切りかの二つのみ。

 同行したら最後、いつどこで誰を蹴落とし、誰を囮にするか、腹の内を探り合いながら模索する。

 囮となるか、囮に落とすか。

 自ら囮となる愁傷なサバイバーはこのゲームにいない。

 死ねば終わりならば、自己犠牲論者は端からこのデスゲームに参加する資格などない。

「今のうちに離れるぞ」

 片足が不自由になろうとサバイバーから諦めの色はない。

 アレルはゾンビ犬の狙いがあちらに向いているのを好機とし、盾代わりの扉を持ち上げ、この場から離れようとした。

「え、た、助けない、の?」

「もう遅い」

 レインは基本的に根がいいのだろう。

 だが、今助けに行くのは、ゾンビ犬の群に自らむさぼり喰われるだけの自殺行為だ。

「俺も、お前も叶えたい願いがあるんだろう? なら、ライバルが一人減ったと思わなきゃ、これから先、生き残れないぞ」

 レインからの反論はない。ただ目の色から、わかっているという理性と助けねばならぬ本能で揺らめいている。

「くっ!」

(らしくないな。今ここで、こいつをそそのかして置き去りにしてもいいんだぞ)

 本当にらしくないとアレルは自身の心に苛立ちを覚える。

 他人など信用できない。いや、もうできなくなった。

 日頃から頼り頼られの信頼を構築して置いて、いざとなれば汚物として侮蔑し阻害する。

 昨日の友が今日の敵となる。

 父の逮捕で全てが裏返った。

 なのに心の奥底にこびりついた善意が、見捨てるなと強く訴えてくる。

 昔の女の色香に近い、という理由が見捨てぬ理由なのかとアレル自身、説明できずにいた。

「うっ、ご、ごめんなさい」

 広場が森の闇に飲まれた時、奥より銃声が響く。

 銃声は四回立て続けに起ころうと悲鳴は一切聞こえることはなかった。

 悲鳴もない。咀嚼音もない。不気味すぎた。

 それでも男女ふたりが薄暗き森の中を進む。

 歩幅の違いがあろうとレインを離すことなくアレルは進む。

 時折、アレルは目線を後ろに向けてはレインとの距離を維持している。

 道連れという言葉と、背負うように持った盾代わりの扉が重く感じてきた。

 弾丸の無駄使いを抑える自衛手段とはいえ文字通りのお荷物となっている。

(いや、現状、お荷物になっているだけマシなんだがな……両方とも)

 幸いなことにゾンビ犬の襲来も他のサバイバーとの邂逅もない。

 嵐の前の静けさのように、森は不気味なまでの静寂を保ち、ただ前へと進む靴音だけが否応にも鼓膜に響く。

「わんちゃんいないね」

「先に行った奴らを追いかけてんだろう。出遅れてなきゃ今頃追いかけ回されていたのは俺らだ」

 アレルは振り返ることなくレインに言葉を返す。

 会話はこれで終わり。続くことはない。

 静寂は舞い戻り、靴音と木々のせせらぎが鼓膜に響く。

「少し、ズレるか」

 アレルはふと立ち止まる。

 進行方向直線、木々の隙間から洋館の尖塔が覗き見える。

 このまま誰ともエンカウントすることなくゴールの洋館までたどり着ければ吉。

 だからこそ時折、洋館の姿が木々より覗き見えれば、意図的に進行方向をずらしながら進んでいた。

「ちょっと待った!」

「ぐえっ!」

 警戒しながらアレルが進みかけた時、背後からレインに襟首を掴まれた。

 突発的にしてやられたため、アレルは喉からカエルが車に挽き潰されたような情けない声を出してしまう。

「げほげほ、て、てめえ!」

 すぐさまレインの掴む手を振り払ったアレルは半眼で睨みつける。

「なんか声がしない?」

「声、だあ?」

 一瞬だけいぶかしむアレルであるが、森の喧噪に混じる確かな色を耳が掴む。

 その色は、激流に晒される木の葉のように小さく薄い色をしている。

 進むべきか、警戒が踏み出すのを躊躇させていた。

(真っ直ぐ、いや愚直なまでの色が、真っ直ぐ流れていやがる)

 警戒は高まる。暗がりの奥に発生源がある。

 急がば回れだ。回れだが、放置していてはいけないと人間の善性が訴えている。同時に、先ほど見捨てて置いて今更と人間の悪性がアレルを批判する。

「あ、お前っ!」

 アレルの葛藤を余所に、レインは我先にと駆けだしていた。

 呆れるのは一瞬、アレルもまた盾代わりの扉を抱えては追いかける。

「考えなしに突っ走るな、死にたいのか?」

 華奢な身体つきからは思えないレインの走り。

 薄暗かろうと、根の盛り上がりや倒木につまずくことなく軽やかに走る。

 荷物を抱えていたとはいえ、アレルは追いつくのにやや手間取った。

「し、仕方ないでしょう。なんか放っておけないのよ!」

「根拠は!」

「女の勘!」


 この女、実はバカじゃないのかと疑問をアレルは走らせた。

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