第2話 くすぐりの刑に処す
「ちょ!? おい! お前、近いって!」
「あらあら。失礼しました」
そう言いながら、エステルは笑顔のまま、後退した。
オリヴィアは心臓が止まりそうだった。
(ち、ちちち近すぎでは!? エステルさん、それはドキドキするのではー!?)
オリヴィアは完全にやられていた。
エステル・ウィザーワーズはいつも笑顔が素晴らしい。老若男女別け隔てなく接している彼女は、オリヴィアにとっては憧れだった。
(私だって、彼女ほどの愛嬌があればきっと……)
オリヴィアは彼女が羨ましかった。
いつも笑顔で、そして上品な言葉で周りに関わっていける人間。
(うぅ……弱い私が恨めしいです)
オリヴィアは
彼女は自分が世間を知るために行動をしている。いち早く民の暮らしを勉強するため、もっともメジャーな職業を選んで活動しているのだ。
舐められないように言葉遣いを変えた。立ち振る舞いも変えた。
オリヴィアにとって、非常に罪悪感を感じる言動だとしても、彼女は世間に紛れたかったのだ。
対するエステルは、オリヴィアに対してマイナスの感情を抱いていた。
(ちっ。チンピラのくせに妙に震えてやがる)
エステルは元々
彼女は自分が世間に溶け込めるように行動をしている。いち早く世間に紛れるため、もっともまともそうな職業を選んだのだ。
向上心が強いエステルは商売について、猛勉強をした。知識、振る舞い、技術。その努力が功を奏し、今の彼女を生み出している。
エステルにとって、気持ち悪くなる言動だとしても、彼女は世間に紛れたかったのだ。
「オリヴィアさん大丈夫ですか?」
「はぁ? お前誰に言ってんだ? 話を続けるが良いんだな?」
「はい。よろしくお願いします」
そこからオリヴィアは
顎に指を添え、ただただ聞き続けるエステル。
彼女の頭の中で考えていることは一つだ。
(やっぱりどう聞いても旨い話だ。いかに他を出し抜き、素材をぶんどるか、だな)
エステルの知性の土台は生の情報である。本で得た情報を下地にし、この店を訪れる客から聞いた様々な情報。それらをかけ合わせ、考える。
確実に
そして――思いついた。
「おいエステル。考えすぎてたら頭が馬鹿になるぞ」
「ふふ。そうですね。じゃあ少しお茶休憩にしましょうか」
「お茶休憩だぁ……?」
途端、オリヴィアが不機嫌そうな表情を浮かべる。
それもそうかとエステルは考えた。そもそもチンピラにお茶の味が分かるとは思えない。
適当に言いくるめ、今日は帰ってもらう。
そう思っていたエステルはオリヴィアの次の一言で、それが間違いだったと分からされる。
「どこの茶葉だ? あぁん?」
「ええと……クルコンサス国の季節の物ですね」
「そうか! なら飲んでやろう! 今の時期なら、風味が最高に良いからな!」
(は? こいつお茶の味分かるの? 泥水飲んでも『喉越し最高だぜ!』とか言いそうなのに?)
エステルは一瞬だけ硬直した。
まさかの展開だったので、彼女が持ち合わせる計算高さは発揮できなかった。
とはいえ、今の自分は
「今、淹れてきますね」
しばらくした後、エステルは二人分のティーカップを用意した。
すぐにオリヴィアはカップに手を伸ばした。
「おー! 手際が良いじゃねえか! それじゃ頂くぜ!」
カップに口をつけたオリヴィアは歓喜に打ち震えた。
(おいしー! これ、本当にクルコンサス国の銘柄だー! すごーい! エステルさんよく仕入れられましたね!)
鼻を突き抜ける独特の香りは間違いなくお茶の大国クルコンサス由来の物であった。
お茶と呼ばれる物体はだいたい飲んでいるオリヴィアだからこそ、確信を持って、そう言えた。
「オリヴィアさんって、すごくきれいにお茶を飲むんですね」
「!? は、はぁ!? 当たり前だろうがそんなの。まさかお前、お茶のマナー知らないの?」
「あはは。お出しする以上、最低限は心得ていますよ」
エステルは再び心の中で悪態をついた。
(こいつ調子に乗ってるな。……とは言え、
エステルはオリヴィアの所作をじっくり見つめた。
カップを持ち、口に運ぶまで、一切の隙がない。
言葉遣いはクソなのに、所作が美しすぎる。
近い内、身辺調査をしなくてはならないな、とエステルは考えた。
「ってぇ! エステル! 違う私はそんなことを言いたいんじゃねぇ! 行くぞオラ!」
オリヴィアはいきなり立ち上がり、エステルの手を掴んだ。
流石にいきなりの行動に、抗議の声をあげたエステル。
「ちょ、ちょっと待ってください! 一体、どうしてそんなに急いでいるのですか!?」
「そりゃ当たり前だろうが! だって――」
オリヴィアは握り拳を作り、目を輝かせた。
「だって後一時間後に、その
「えぇっ! そうなんですか!?」
返事と同時、エステルは内心でこう叫んだ。
(お前、早くその情報伝えろ!)
あまりにも唐突過ぎる展開。
しかし、エステルはそれを受け入れることにした。元々オリヴィアが自分にとって予想通りの行動をするとは思っていない。
今考えるべきは、この最大のチャンスをどう旨く掴めるか――それだけである。
「もしかしてお前、ビビってんの?」
「ビビってはいません。が、少し唐突過ぎますね」
「……お?」
オリヴィアは持ち合わせる剣士の本能で感じ取った。エステルが怒っていることに。
エステルは両手をワキワキさせ、オリヴィアに近づく。
「このまま貴方と一緒に行くのは
(え、エステルさん!? それ、どういうこと!? え、なんか怖いんですけど!?)
くすぐられた。あぁ、それはもうくすぐられた。
エステルの手技が卓越していたのもあり、オリヴィアは笑い死にしそうになったことを、ここに綴ろう。
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