第2話

 通学路の河川敷、神成川をまたぐ細っこい橋のそばで何やら出店の屋台みたいな荷車が斜めに傾いていた。


 恐らくその荷車の上に並べられていたと思われる寸胴が地面に転がっていて、その蓋がぐわんぐわんと回転してから倒れた。


 側に居たおじさんが何とかもう一つの寸胴が落ちるのを抱えながら死守している。ものすごい形相だから無茶苦茶重いんだと思う。


「大丈夫ですか?」


 しーちゃんを置いて屋台に駆け寄った私はおじさんの支えている銀色の寸胴に手を添えた。


 これでカレーを作ったらきっと一ヶ月くらいは持つんじゃないのかという大きさだ。


「えっ!? あ、ありがと――あ! ちょっとそのまま支えててくれるかい!?」


 おじさんは突然寸胴から手を放すと、転げ落ちた寸胴から私の視線を隠すように急いで移動し、身につけていたエプロンを外す。


 そうして地面にぶちまけた寸胴の中身を隠すようにエプロンを地面に広げた。はみ出ていた物は足で乱暴にエプロンの下に押し込んですぐさまその上で地団駄踏むような動きを取っている。あまりに変な行動にあっけを取られてしまったけど、寸胴の中身が何かビー玉くらいの黒いつぶのようなものだったのは解った。

 少し興味があったけど私が支えている寸胴は蓋がしてあるため中身が覗けないし、重すぎて蓋を開ける余裕なんてない。っていうかもうそろそろ無理。


「むぎぎぎぎぎ重い……!」


「あんた、大丈夫? めっちゃ良い子じゃ~ん」


 遅れてしーちゃんがのんびりやってくるけど、側に来ただけで全然手伝ってくれない。


「いやもう無理無理重すぎる……! しーちゃん手伝って……!」


「あー! ごめんよ、もう大丈夫だから!」


 おじさんは直ぐに戻ってきて私が支えていた寸胴を抱え直すと側に合ったプラスチック製のコンテナボックスの上に置いた。


「ふう……一つ分、駄目になっちゃったみたいですね。何かあったんですか」


 額の汗を拭いながらおじさんに声をかけた。

 おじさんは四十手前くらいの年齢だろうか。全体的に太めで妙に肌が白い。

 眉毛やヒゲが殆ど無くて、顎もあんまり出てない。何ていうか、こう空気抵抗が少なそうというか、マンボウみたいな顔をしていて失礼だけど奇妙な印象を覚えた。


「いやー、突然屋台の車輪が取れたみたいで……助けてくれて有り難う。もう一つも駄目にしてたらおじさんの上司に怒られるところだったよ」


 正直見た目から第一印象は良くなかったけど、おじさんはこれでもかという程の笑顔を見せて明るくしゃべり出す。


 良い意味でイメージが違ったので、見た目で判断しようとした事を少しだけ反省した。


「こんな場所で珍しいですね、屋台なんて。お祭りだってしばらくないのに。中身は何なんですか? さっきちらっと黒いつぶつぶしたタピオカみたいな――」


「――おい見たんか!? 中身見たんか!?」


 突然声を荒げて目を見開いたおじさんは私に詰め寄る。


「え……いや、見たって言うか……」


 おじさんのあまりの豹変ぶりに身を硬直させてしまい、答えに窮してしまう。


「はいすとーっぷ。おじさん、それ以上何かするならこれ鳴らすよ。警察にだって電話するし」


 しーちゃんは言いながらおじさんから距離を取りつつ防犯ブザーと録画モードのスマホをそれぞれ手に持って振っている。

 めちゃくちゃ心強い。持つべきものは友達だってのは本当だったんだと半ば感動すらしてしまう。


「い、いや、何もしないよ……驚かせたならごめん。でもおじさんにとってはすごく大事な事なんだ、中を見たか教えてくれるかい?」


 おじさんは優しい言い方に変えつつも私から見えない台車の反対側で手をごそごそさせている。さらに笑顔を浮かべながらも周囲にちらちらと視線をやってまるで答え次第では襲い掛かってくるかのような気がした。さすがに怖かったのですぐさましーちゃんのところに駆け寄った。


「なんかつぶつぶしたものは見えましたけど……でも何かはわかんなかったです。今たまたまタピオカの話してたから、そうなのかなって……何でそんなこと聞くんですか」


 いつでも逃げられるように足先に意識を向けつつしーちゃんの後ろからおじさんに向かって告げる。


「そうか、いや、それならいいんだ! ごめんね、助けてくれたのに!」


 何か誤魔化すかのように笑うおじさんがあまりに奇妙だったので私は地面にぶちまけられた寸胴の中身がなんだったのか気になって先ほどの地面を見てみる。

 おじさんの緑のエプロンが広げられ、その上から踏みしめたせいでいくつも足跡がついている。心なしか黒っぽい汁が浸みてきているようにも見えた。

 私がそれを見ていることに気がついたおじさんはすぐさま移動して視線を遮ろうとした。やっぱり何か怪しい。


「おじさーん、それなんかヤバい物なんじゃないのー? やっぱ電話しとこっか」


 しーちゃんはスマホをとんとんとつつきながらおじさんに声をかける。おじさんは目をぎょろぎょろさせて困っているようだった。


「待って! 解った、理由を話すよ……えっと、これはね……そう! 企業秘密の新製品なんだ。あー、そうタピオカのね!」


「……え、まじで?」


 今まで目を細めて完全におじさんに嫌悪感むき出しだったしーちゃんはタピオカの一言で目をきらきらさせだした。なんて安い女だ。ツボとか売りつけられないか心配だ。


「えっ、うん本当だよ! そのー、新製品のサンプルをお配りして市場試験……というか……まぁ評価を集めてね! そう! データを作って大々的に売りだそうっていう仕事なんだ! ただこういうのって東京とかでやるとすぐにインジェニとかSNSにあげられてしまうでしょ? だから全国からあまり栄えてない場所でごく小さい規模でモニター試験をすることになったんだよ!」


「栄えてないって……言い方ぁ。まぁそうだけどー。でもよりによってなんでこんなイケてない神成町みたいなど田舎を選んだの?」


「えっと、いや違うんだよ。全国に過疎地は多いけど、この町の女子中学生はとってもセンスがあるっていうデータがあってね。だから特別に選ばれたってわけさ! とにかく中身を見られてその情報を流されるとおじさんは本当に困ってしまう。それでつい声を荒げてしまったって事! ごめんね、怖がらせてしまったかな?」


 正直、最初はしどろもどろだったけど突然流暢に説明しだしたおじさんは相当怪しかった。っていうか普通に考えたら嘘だと思う。


「まじー!? そうなんだ、神成町がそんな評判だったなんて知らなかったなぁ」


「嘘だと思うよ」


「う、嘘なんかじゃ無い! 本当だ、証拠を見せることは出来ないけどおじさんの上司からこの地域が凄く良いって言われたんだから!」


 何かおじさんは必死だった。脂汗をだらだら流して微妙なテカリ方が乾きかけのカエルみたいで気持ち悪い。


「まぁまぁ、ちほはちょっと落ち着きなよ。じゃおじさんそれならタピオカ頂戴よ。新製品なんでしょ? それに地面に落ちたのを見られるだけで焦るって事は見た目とかも結構違うんでしょ? ねえねえ私にやらせてよ、モニター!」


 ちょ、しーちゃんは大丈夫なのかな。この状況でそんな怪しげな物欲しがるなんてどうかしてる。おじさんも唖然としてぽかんとした表情だ。


「やめときなよ、しーちゃん厚かましいよ。それも無茶苦茶ってつくくらい厚かましいよ。おじさんも困ってるじゃん。もう帰ろ」


「いやいや! 待って! そうだね、お詫びも兼ねてごちそうしようかな!」


 明らかに困っていたようなおじさんだったが突然ノリノリになってしまった。


「やった! これ東京でもまだなんですよね! めっちゃ嬉しいー! あ、でもお金無いからね? 中学生からお金とか取らないよね?」


 しーちゃん、あんた……。


「勿論お金なんていらないさ、その、モニターだからね! ただえーと、ちょっと君たちが思ってるような見た目じゃ無いかもしれないな……あと大事な事なんだけど、SNSには載せないでくれる?」


「えー、SNS駄目なの? じゃあ意味無いじゃん。やっぱ警察電話しとこっか」


「待って待って! 解った、えっとちょっと待ってよ……」


 焦ったおじさんはどこからかくしゃくしゃになったメモを取り出しページをめくって何かを確認している。黒い合皮の安っぽいメモだけど無茶苦茶年季が入っている感じだ。やっぱり怪しい。


「……よし、なら今日は水曜日だから……日曜日までSNS投稿は我慢してくれる? それから後は好きに自慢してくれて良い」


 おじさんは脛に傷でもあるのか妙に物わかりが良くすぐに折れた。私が言うのもなんだけどしーちゃんは将来絶対悪い女になると思う。


「んー? いちにいさん……つまり五日だけ我慢すれば良いって事ね。わかった、いいよ。じゃあ二つ頂戴」


 指を折って数えたしーちゃんはにかっと笑って二本指を見せつけておじさんにタピオカを要求した。


「いや、私はいいよ、いらない。しーちゃんだけ貰いなよ」


 なんか正直このおじさんから貰った物を口にしたいとは思わない。しーちゃんは全然気にしてないみたいだけど、本当はやめた方が良いと止めたかった。

 ただ流石におじさんの目の前では言いづらいので直接は言わないようにした。

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