サクラ

 颯理の父が選定したランチは、まさかの馬刺しであった。めったに食べられないとは言え、果たして上手くいくのか。割と大きな賭けに出たなぁ……。


 唐紅の赤身と脂の塊である希少部位、たてがみが黒い皿にのって運ばれてきた。遠足でこんなものを食べるという背徳感もあるが、それ以上に時雨の口に合うのか、気が気でない。


 時雨が真っ白なたてがみを、ねっとりとした醤油につけて、口に運んでいく。この瞬間を終了間際の試合を観戦しているかのように、信仰を手で作りながら見守った。


 よくそれを堪能したら、続いて赤身に手を伸ばす。また、その光景を睨みつけていたら、赤身を飲み込んでから、跳ね返された。


「何、通ならもっと上手く食べられるって言うの」

「えっ、いや全然そんなことありません……。てか、私は食べるの初めてだから、そんな偉そうなことは……」

「というか、私が馬刺し好きだなんて言ったっけ?そんなピンポイントで当ててくるなんて……。昔、仲良かったみたいな、そういう展開あったりする?」

「いえ、うちの父の趣味かと……。結構な飲兵衛ですから」

「でも、こんなところで最高の馬肉をいただけるとはなーっ。来て良かったぁー」


 時雨はマックのポテトぐらいのペースで、馬刺しを流し込んでいった。私も実食してみたが、まあ確かに、口に入れただけでとろけていくので、その速度でつまめなくはないが、もっとこう、旨味の余韻を感じようという気はないのか……。


 その後、馬肉の焼肉なんかも食べて、多幸感に包まれながら店を出た。軽く伸びをしていると、颯理に肩を叩かれた。


「見ましたか?時雨さんの瞳」

「え?そう言えばどうなってた……?」

「自分で確かめてきてください」


 少し前を歩く時雨を追い越し、私は彼女の顔をがっしり掴んで、頬をぐちゃぐちゃにした。


「あの、集合時間……」

「いーやっふぅーっ」


 私は嬉しさのあまり、時雨の腰に手を回して、真上に射出した。人は気分が高揚しているとき、きちんと舞い上がりたくなるんだなぁ。胴上げをする人の心理が、すんなりと理解された。


 時雨は、ちょっと引っ張っただけで、放物線を描いて飛んで行ってしまうぐらい軽いので、私は彼女を持ち上げて、また無秩序に回転した。


「ふっふーっ、良かった、良かった」

「何がっ?いいからさっさとおろせーっ」


 時雨が頭をぽかぽか殴ってくる。かわいいなぁと思っていたら、リボンをほどこうとしたので、慌てておろした。


「いったい何で私を抱き上げたの。そこの車に突っ込もうだなんて、考えてもないんだけど」

「そうじゃなくて、時雨の瞳に光が帰ってきたから、つい嬉しくて……」


 冴えない反応だったので、手鏡を渡して自分の姿を改めて見てもらった。しかし、いつになっても、眉間からしわが消えない。


「ていうか、私にはよくわからんのだよね、それ。ずっと比喩だと思ってた」

「えー……。まあいいや、いいんだよ。n=2だから。じゅーぶん、じゅーぶんー」


「あっ、今日はありがとねっ……」

「生きていればいいこともあるってことよー」

「な、何かお礼したいなぁ、なんて」

「そうだなぁ、私があげちゃった残りの人生、ちゃんと生きてくれる?」

「まあ、何もなければ」

「それでいいよ。よーし、帰るぞー!あー颯理―、ゲーセン寄ってかなーい?」

「えぇ……、元気ですね……。眺めるだけなら」


 整理された空気が残るのが嫌だったので、適当な話題を振ろうと思ったらこうなった。実際のところ、私にそんな元気はない。


 時雨の瞳に光は戻ったが、彼女は終始あまり表情を変えなかったし、食べ物で釣ってしまったし、升一杯ぐらいの不安が、私の中でうごめいている。他人の腹の内を根こそぎ覗けたら……そんな技術を作ったら自爆する。


「さつりー、どうしよー、三角コーン持ってないー?」

「使用用途を教えてください」

「え?まず現物を用意するのが先でしょ」

「まあ、どういう理由でも用意しないので……。永遠に三角コーンで宇宙には行けません」

「どうしてわかったの!?」

「形から、連想ゲーム?みたいなことをした」

「あー、時雨の本音も、そうやって導けたらいいのに」


「飴でも食べますか?」

「おー食べるー」


 バスの中で落ち着きのない私のために、颯理が一粒ののど飴をくれた。とても爽快感があって、少しは冷静になれた。


「ちなみに、毒入ってますよ」

「えっ、ちょっ、どどどどうしあらららら!?」


 言い方とかタイミングとか諸々のせいで、キャピラリーから垂らした試液ぐらいの危険が生まれ、私は飴玉を必死に浮かせた。颯理はこれを見て、今日一番笑っている。


「うっ嘘です……、嘘だから……、あーおなか痛い」

「もっと面白い嘘をつきなさいよ……」


 私は音を立てて、飴玉を噛み砕いた。

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