今日は遠足らしい。みんな浮かれている。私はこのバスの中で、最も心拍数が低い自信がある。しかし、生きて帰れる自信はない。


「まあ最悪、私が遺骨を拾ってあげるよ」

「え……。私、どこに骨を埋めてほしいっていうこだわり、ないんだよねー」

「くれぐれもその辺で野垂れ死なないでね」

「へいへい、努力しますー」


 楽しいはずのイベントを冷ややかな目で見たり、傍観者止まりでいいと願うようになったら、その人は必ず絶対に精神に問題を抱えている。あー、隣に座ってるのが莞日夏だったらなぁ。そこを中心にエデンの園ができあがるのに。


 窓の外の景色というよりは、残像を追いかけて上の空になっている私に、真朱帆は果敢に呼びかける。遠足らしく、トランプとか紅茶とか、そういうものを勧めてくるが、正直あんまりやりたくない。だが、無言が続くと、真朱帆の落ち着きがなくなるので、一回だけやってあげることにした。莞日夏とやっていたら、この何百倍も楽しかっただろうと思うと、余計に味がしなくなってくる。この駄菓子みたいに。


 かなり長い地獄の拘束時間を経て、バスは事故を起こすことなく長野駅に着いた。一台ぐらい欠けていたら……なんて想像を膨らませたりもした。そう、この国には思想・良心の自由があるのだ。他人の不幸を夢見る分には、お咎めなしなのである。


 駅前のロータリーでは、バスがひっきりなしにやってきて、蜘蛛手十字に飛び出していく。私はこの光景を眺めているだけで十分なので、大きな植木鉢に寄りかかる形で、地べたに座った。真朱帆も含めて、班員みんな地理に弱いようで、地図とにらめっこして、あっちでもないこっちでもないと言い争っている。思い立ったら、動いてみればいいのに、ここから離れたくないけど。


 すると、こんな駅前広場に、自転車が猛スピードで向かってきた。小さい子供やお年寄りもいるのに、とんでもない不届き者である。


 自転車に乗っている黒ずくめの人間は、真朱帆の横を通る時、片手をハンドルから放し、そして彼女の金属のアタッシュケースを持ち去って行った。あの中には、茶会をするために必要な食器が詰まっている。そんな大事な物をひったくられた真朱帆は、全力でその自転車を追いかけていった。しかし、自転車は見事に人混みをかいくぐり、ついでに車の間もかいくぐって、道路の反対側へ走り去っていった。


「ははっ、さっきの奴は何だか金目の物を狙ったようだけど、私の狙いは君だぜっ、嬢ちゃん」

「え……?嘉琳……?」

「おいでー、怪しくないよー」

「自分から怪しくしてどうするの……」

「いいからっ、急がないとバスが出ちゃうのっ!」


 嘉琳は私を無理やり立ち上がらせ、バス乗り場まで一直線、白を基調に虹のような斜線があしらわれた路線バスに連れ込んだ。


「何、これは」

「いやー、なんだろーねー」

「並大抵のサプライズじゃ、動揺しないよ?」

「あの、そんなこと言わないでよ……。まったく、どうしてそんなに棘のある空気を吸えるんだ……」


 嘉琳に通路側はぴったり塞がれているが、私に逃げ出す気力なんてないのに、必死だなーと思った。


 どこに向かうのかも知ろうとしないまま、長野駅を出発して三つぐらいのバス停で、さっき自転車に乗っていた黒ずくめの人間が、バスに乗ってくる。よく見たら、この間トライアングルの棒の部分を投げられていた人だ。何やら、息が上がっている。やはり、あの速度で自転車を漕ぐのに、余裕なんてあるわけないか。


 黒ずくめの少女は、私たちの後ろの席に座った。


「つ、疲れた……。あの子、足速くないですか、そんなもの事前情報になかったですよ……?」

「そもそも事前情報なんてあったっけ?まあお疲れー、颯理」

「わざわざ黒ずくめの服買ったんですからね!?絶対成功させてくださいよ」

「うーん、意外と似合ってるよっ」

「いや……、私、素材が無味乾燥なんで、あんまり地味な服装したくないんですよね……」


 友達と友達の友達が盛り上がっていると、全身をきゅっと締め付けられるような感覚になる。息も姿も消していられたら良かったのだが、実存する以上、目に入らないよう祈るしかない。


「紹介が遅れました。私は笹川 颯理、嘉琳さんと同じ1組で、あっこれ名刺です」

「ぁっ、ぅぅ……」

「どうしたー?時雨、人見知りなの?」

「そそんなわけないじゃん。ふっふーん、よろしくーっ」


 私は颯理の名刺を受け取った。名刺を受け取るなんて、職場体験以来な気がする。


「なんで動揺してるんだ?人見知りじゃないのに」

「あっ、だってさ、名刺渡してきたり、敬語の使い魔だったり、堅苦しいから……」

「大丈夫だよ、だいたいどんなこと言っても怒らないから」

「じゃあ……、やーいお前の母ちゃん、徳川埋蔵金信じてるーっ」

「夢を持ってるって、いいじゃないですか。人間として輝いてますよ」

「えー……、何も効かなさそう」

「ダメだなぁ、時雨は。こうやるんだよ、お前の母ちゃん、安い肉しか食えないーっ」

「何でそれを知ってるんですか!?私は馬鹿舌じゃないですよ!?」

「あれ、クリーンヒットした?」


 住宅街を抜けるとダムが出現して、さらにバスは川に沿って山奥へと進んでいく。片道一車線で結構細い道なので、対向車線のトラックや、反対側の家屋が迫ってきて、迫力ある車窓を楽しめた。一時間もバスに乗っていると、私たち以外には一人のおばあさんを除いて、みんな途中下車していた。


 二人は途中でボタンを押す気配もなく、終点に到着してしまった。いたって普通の、山間の村である。観光客らしき人もぼちぼちいる。颯理はいつの間にか、体に不釣り合いな大きさのレンズを突っ込まれているカメラを手に持っていた。


「ほら、これが私たちの答えだー」


 嘉琳が私たちの前に出て、くるくる回ってひとりでにはしゃいでいる。風が吹いて、降り注ぐ紅の桜の花びらが、彼女を覆い隠した。息の詰まるような生き方とは、こういう感覚なのかもしれない。私は躍動感溢れるこの一本桜を見て、明確に体が動かせない感覚が降ってくる。


「あの、どいてください。写真撮るんで」

「えーっ、写真だと視覚情報しか残らないよー?こういうのは五感を使って、心に牢記しないと。これだから生まれた時にはすでにデジカメがあって、テレビはカラーなデジタルネイティブは」

「うーん、しょうがないから、入れて撮ってあげますよ」

「おーっ、これは時雨と一緒に撮るしかないねぇー」


 青空と枝垂桜に抱かれている写真を、せっかくなので颯理も入れつつ、地元の人に撮ってもらった。碌に見てないけど、きっといい仕上がりなんだろう。颯理と嘉琳が、確認にしては長々と鑑賞していた。


 一本桜だけではなく、村のいたる場所に桜が植えられていて、小ぢんまりとした農村と、背景の北アルプスを含めれば、もうどこもかしこも写真映えする。大きなカメラを持った颯理はもちろん、嘉琳もスマホを取り出して、撮影に夢中になっている。


「最近のスマホは、やっぱりカメラ機能に力を入れてるだけあって、きれいに撮れるなぁ」

「あっちに棚田があるらしいですよ。行きましょ行きましょっ」


 私はぼんやりと、春の空気を眺めながら、二人に振り回されていた。でも、少しひんやりしてて刺激的な高原の風と、強烈な春の日差し、そしてこの絶景にしばらくは飽きそうもなかった。これを企画してくれた嘉琳たちには、ぜひともお礼ぐらい申し上げたいんだけど、すごいハイペースで進んでいくなぁ……。

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