第57話


 交換した連絡先からメッセージが届いて、閉店後に1人で店の外に出る。

 そこには変装した目白圭の姿があって、約束通りランチバックを渡していた。


 「これ、お願いします」

 「すみません。5000円で良いですか?」

 「いらないです。どうせ余ったやつ詰めただけだから」


 怪しまれるからさっさと帰って欲しいと伝えれば、すぐに彼の背中が見えなくなる。


 嘘をついた。

 あまり物ではなくて、わざわざ叶のために、叶が好きだったメニューをお弁当箱に詰めた。


 美味しいと言ってもらいたくて、せっせと作る姿は側から見るとどう映るのだろう。

 

 「……はあ」


 ため息を吐いてしまうのは、いまだにあの子に囚われている自分に呆れているからだ。


 だけどもう、諦めている。

 いまさら叶との関係を修復できるだなんて思っていない。

 だったらせめてどうか、あの子が幸せになりますようにと願うことしかできないのだ。

 




 翌日もあの人がやってきて、約束通りお弁当箱を渡せば、昨日渡した分が戻ってくる。

 暇だから受け取りに来れるなら毎日来いと言ったところ、目白圭は忙しいだろうに律儀に受け取りに訪れるのだ。


 ランチバックから出して、お弁当箱を洗おうとした時。


 「あれ……」


 一枚、付箋がくっついている。

 猫型の大型付箋を手に取って、思わずジッと見つめてしまっていた。


 「……ッ」


 そこには叶の文字で『美味しかった。ご馳走様でした』と書かれていた。


 もちろん夢実ということは気づいていないはずで、深い意味がないことは分かっている。

 だけど、そのメモ用紙をジッと見つめてしまうのだ。


 たった一切れの紙が、二人の間を繋いでいるような錯覚を起こしたのだ。


 それ以来、お弁当箱には毎回付箋がくっ付いてくるようになった。

 『ハンバーグのチーズが特に美味しかった』

 『炊き込みご飯の筍が最高』

 『明日は中華が良い』

 などと、あの子の文字で綴られる言葉を楽しみにしている自分がいる。

 

 今日も閉店間近にあの子のお弁当を作っていれば、過去にアルバイトスタッフとしてお世話になっていた青山一から連絡が入っていた。

 

 「もしもし、どうかしたんですか?」

 『夢実さん本当にすみません』


 どうやら夢実と一がご飯に行ったところを写真に撮られてしまったらしく、明日発売の週刊誌に記事が掲載すると連絡が入ったらしい。


 熱愛スクープ!などと好き勝手に書かれているらしく、彼の憔悴具合に心配してしまう。


 「私は全然平気です。それより奥さんは…?」

 『前にご飯行くことは話してたので…結婚式に余興を頼んでたことを言えば納得してました。サプライズじゃなくなっちゃいましたけど』


 新婚夫婦に水を刺すようなことはしたくないため、彼らの関係にヒビが入らなかったことにホッと胸を撫で下ろす。


 『それより、夢実さんは…』

 「私は大丈夫です。どうせ嫉妬してくれるような相手もいませんから」


 もう一般人に戻ったというのに、元芸能人という称号はなかなか大変だ。

 それから一言二言会話を交わして、通話を切る。


 あの子に囚われて前に進めていないだなんて、きっと世間は思いもしないのだろう。





 彼から受け取ったランチバッグの紐と解く瞬間が、最近の夢実のいちばんの楽しみだった。

 貼られている付箋の種類はいつも違って、大体が動物の形をしている。


 今日はなんの形だろうかとワクワクしながら開けば、思わず言葉を失ってしまう。


 「え……?」


 今日の付箋は動物の形はしていなくて、シンプルな四角形だった。

 そして、そこに書かれていたのは『ご馳走様でした。夢実ちゃんは、いまは好きな人いるの?』という文言。


 「なんで……ッ」


 一気に心拍数が早くなって、思わず両手で口元を覆っていた。


 どうしてあの子は気づいたのだろう。

 気づいていながら、ずっと夢実が作ったお弁当を食べてくれていのだろうか。


 初めての質問に、夢実は答えなかった。

 厳密には、なんと返せば良いか分からなかったのだ。


 好きな人はいるけれど、それを本人に伝えられるはずもない。


 一方的にあの子を遠ざけて、簡単には癒えないであろう深い傷を彼女に負わせた。

 『彼女を女優に戻すため』と最もらしい理由をこじつけていたけれど、今ならわかる。


 怖かったのだ。多くの人から求められるあの子の才能を奪って、後ろ指をさされることが怖かった。


 あいつさえいなければ眞原叶は女優を辞めずに済んだのにと、その重圧から逃れることに必死で、他の打開策を探す余裕もなかった。


 あの頃はまだ18歳の高校生で、他にも選択肢があるかもしれないことに気づかなかったのだ。

 未熟な子どもで、周囲に相談することも出来ずに一人で抱え込もうとしたけれど、結局は逃げ出した。


 どれだけ後悔しても、もう遅い。

 全ては自業自得で、どうすることもできない。

 自分勝手に彼女に傷をつけた夢実は、一生あの子に囚われる。


 この日以来、付箋は一切貼られなくなったのだ。

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