第52話


 寝ぼけ眼で友人を家に通せば、分かりやすく彼女が顔を歪めて見せる。

 急に連絡もせずにやってきて、そんなに露骨に嫌そうな顔をしないでほしい。


 インターホンの音で起こされたため、夢実はいますっぴんにパジャマの状態だ。


 「うわ、タバコ臭い」

 「どうかしたの?」

 「これ、おばさんが持っていけって」


 渡された紙袋には、おかずが詰められたタッパーが詰まれていた。

 母親の優しさを感じながら、わざわざ持ってきてくれた撫子にお礼を言う。

 

 彼女は去年、アイドルを辞めた。

 表向きは芸能界も引退したことになっているけれど、テレビ局のアナウンサーとして内定を貰っている。


 来年からはまた別の形でテレビに出ずっぱりになるのだろう。

 大学に通いながらアイドル活動を頑張ったからこそ、開いた道だ。


 冷凍ご飯を電子レンジで温めてから、母親の作ったおかずをお皿に移して食事を始める。

 撫子はご飯を食べてきたらしく、夢実の好きなカプチーノを飲んでいた。


 「……ありがとう。ごめんね、忙しいのに」

 「私は卒論も終わって暇してるから。夢実こそちゃんと休んでる?」

 「……私もあと半年だから、平気。ちょっとくらい無茶しても」


 ため息を吐いているのは、友人が見るからにやさぐれているからだろう。

 

 「……アイドル辞めたらどうするの?」

 「暫くは休む。疲れたし」

 「……眞原叶とは?連絡取らないの?」


 連絡を取れるはずがなかった。

 一体どの面下げて会えばいいのか。


 「……当たり前だよ。撫子は?最近どうなの」

 「私も色恋沙汰は全然だけど……あ、でも今度ココナさんと会う」

 「いいな、今留学中だよね?」

 「そう、来月日本に戻って来るらしいから。色々案内することになってるんだ」


 大崎ココナは高校卒業と同時に留学して、元気にしているそうだ。

 お世話になった先輩なため、夢実も久しぶりに会いたかった。


 「……私は夢実が心配だよ」

 「どうして?」

 「私と違って、前に進めてないから」

 「それ、どういう意味?」

 「そのまんまの意味」


 荷物を片し終えてから、撫子が席から立ち上がる。カプチーノはすでに飲み終えたようだった。


 「……気持ちはわかるけどね?」


 彼女がいなくなって、再び1人きりになった室内。

 ポカンと空っぽになった気分で、食事の途中だというのにまたタバコに逃げていた。


 吸うと気分がマシになる。

 体に悪いと分かっているけれど、吸わなければやってられないのだ、


 「……マッズ」


 まずいなら吸わなきゃいいのに、何がしたいのか自分でも分からない。


 時折脳裏に過る、過去の記憶。

 人生で一番輝いて、未来が輝いていると信じて疑わなかった。


 過去のことを思い出すと、あまりにも純粋で何も知らなかった自分が眩しすぎて、クラクラとめまいを起こしてしまいそうになるのだ。





 大切な友人の家を出た撫子は、スマートフォンを取り出してある人に電話をかけていた。

 これから大学へ向かわなければいけないため、歩きながら通話をする。

 時差があるため、あの人がいる国はいま夜だろう。


 数コールして通話が繋がる。


 「もしもし?」

 『撫子ちゃん、どうかしたの』

 「帰国もうすぐだから。どこか行きたいお店とかあるかなって」

 『……本当に優しいね、私あんなことしたのに』


 あれからたまに連絡は取っていた。

 1ヶ月、2ヶ月と連絡に間が開く時があっても、連絡が途切れることはなかったのだ。


 夢実のことは嫌いになったわけじゃない。

 かといって、好きじゃなくなったわけでもない。

 自分の中で宝物のように、大切にしようと思っただけだ。


 『……ネット記事見たよ?叶ちゃんと夢実ちゃん別れたんだから、チャンスじゃないの」

 「………ココナさんはそれで良いんですか?」

 『良いもの何も、私にチャンスなんてないでしょ』


 高校2年生の頃、屋上で彼女とキスをしたことを思い出す。

 初めてのキスは驚いたけれど、嫌じゃなかった。


 夢実のことは確かに好きで、大切だけど。

 いまはもう付き合いたいとは思わない。


 恋心は気付けば愛情に変わって、また別の何かとしてストンと腑に落ちたのかもしれない。


 彼女が恋をする姿を目の当たりにして、そっと身を引く決断をしたのだ。


 「……諦めないでくださいよ」

 『え……』

 「必死に口説いてくださいよ。本気で私のこと好きなら……もっと積極的になれば良いんじゃないですか」

 『撫子ちゃん、何言って…』

 「私と違って、まだ可能性はゼロじゃないんだから」


 自分の言いたいことだけを言って、一方的に通話を切る。

 すぐに折り返し掛かってくるけど、いま話したら変なことを口走ってしまいそうだった。


 頬が赤くなっている自覚がある。

 こんなに勇気を出したのはいつぶりだろう。


 だけど、後悔はない。


 「……早く帰ってきてください」


 べつに大崎ココナのことが好きになったわけではない。


 だけど、本当に少しだけ。

 あのキスの続きを知りたくなったのだ。

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