第50話
夜、眠りに落ちる前。
ベッドの上でお互いを求め合うようにキスを重ねていた。柔らかい舌先を絡ませあって、心地良さに目を細める。
「……ッ、んっ、ァッ」
自然と漏れていく声。
舞台を降りた後も熱が冷めないのか、叶はいつにもまして積極的だった。
「……ッ」
服の隙間から手を差し込まれて、ビクッと体を跳ねさせる。
これくらいのスキンシップは今までもしてきたことがある。
だけど今夜は、その先を知りたくなった。
きっとこれが最後の夜になるから。
そう考えているのはきっと夢実だけで、目の前にいる愛おしい恋人は何も知らないまま。
「……夢実さん」
「いいよ」
「え……」
「もっとたくさん、触って良いよ」
彼女が驚くのも無理はない。
付き合って一年記念日で訪れる予定の思い出の土地。
あの場所で、はじめて体を重ねる約束をしていたのだ。
だけど、きっと2人はその日を迎えられないから。
「でも……江ノ島に行った時にって約束じゃ」
「その日生理が被っちゃうかもしれないし……早く叶ちゃんに触れたい。我慢出来ない」
嘘をついた。
彼女の熱を知るために、嘘をついたのだ。
夢実の言葉に煽られるように、叶が耳にキスをしてくる。続いて首筋に移ったあと、いやらしく舌先でなぞられていた。
「ん…ンッ、ぅ」
心地良さに目を瞑りながら、あまりの愛おしさに涙が溢れてくる。
気持ち良くて、どんどん露わになっていく。
お互い何も纏わない姿になって、初めて肌を触れ合った。
心地良くて、幸せで。
涙が溢れてしまうのは、この先にある未来を知っているのは夢実だけだからだろう。
洗面所にて顔を洗っていれば、首筋に赤い斑点が付いていることに気づいた。
昨晩、叶に付けられたもの。
初めて叶とエッチをしたけれど、幸せだった。体が勝手に熱って、愛おしさで胸がはち切れそうだった。
別れが名残惜しくなってしまうから、しないほうが良かっただろうか。
いや、この先の人生に思い出した時。
きっとこの思い出が支えになる。
心の底から愛したあの子の熱を思い出すだけで、頑張れるような気がした。
パソコンを開けば予想通り、叶に対するスカウトメールがたくさんきていた。
きっと昨日の舞台を見た関係者だろう。
その中には夢実へのスカウトメールもいくつか混ざっていて、なんとも言えない気持ちで見つめていた。
憧れていたアイドルと同じ事務所から、新しく作るグループのメンバーにならないか、というスカウトだった。
「おはようございます」
やっぱり言うのをやめてしまおうか。
夢実さえ気付かぬふりをすれば、きっとこの先も変わらずにいられる。
叶の隣で、何も知らない顔をして、恋人として幸せな日々を送ることができるだろう。
「……おはよう、叶ちゃん」
自分勝手に恋ができる方がよっぽど楽だった。
だけど夢実は本当に彼女に恋をしてしまったから。
恋よりもよっぽど深い感情を抱いてしまったから、見て見ぬふりができなかった。
スキンケアや歯磨きを済ませて戻ってきたところで、はち切れそうな思いで声を掛ける。
「ねえ、叶ちゃん。話があるの」
昨夜はじめて体を重ねた相手から紡ぎ出される言葉。
嬉しそうに微笑む彼女に対して、いまから告げる言葉は酷く残酷なものだった。
「別れて欲しいの」
驚いたように、叶が持っていたコップを落とす。
プラスチックで良かったと思いながら、カーペットに広がるアイスコーヒーを見つめていた。
きっとシミになって、二度と落ちないのだろう。
「何言って……」
「昨日エッチして、やっぱり違うなと思って」
「……ッあんなに好きって言ってくれてたじゃないですか!」
「最中だもん。私だって空気くらい読む」
泣きそうな彼女を見ていられずに、目線を逸らしていた。
思ってもいないことだというのに、驚くほどスラスラと言葉が落ちていく。
もうこぼれ出してしまえば、取り消すことができないと言うのに。
「……だから別れて欲しいの」
「嘘だ」
「本当だよ」
「夢実さん、嘘つく時耳が赤くなる癖あるって気づいてないでしょ」
咄嗟に耳を手で覆えば、叶がやっぱりという表情を浮かべた。
そこで、かまをかけられたことに気づいた。
「……なんでそんな嘘つくんですか」
予想外の展開に焦ってしまう。
本来はここで、叶が泣きながら夢実を罵倒して別れる予定だった。
そうすれば、彼女は女優に戻るだろうと考えていたのだ。
どうしようと必死に思考を張り巡らせて、先程のパソコンの画面を思い出す。
まさかこんな形で、自分の夢が実るだなんて思いもしなかった。
「……アイドルになりたいから」
「……ッ」
「スカウトされてるの。受けようと思ってる……そのために別れて欲しい」
最低だと自分で思う。
そう言えば、叶が断らないことを知っていた。
叶は夢実の恋人で、同時に誰よりも夢実の夢を応援してくれていたから。
「……最初から踏み台だった。だから、さっさと別れて欲しいの」
両手で顔を覆った彼女が溢した声は、絶望感に満ち溢れていた。
「……そんなに私を女優に戻したいですか?」
一体この子はどこまで分かっているのだろう。
夢実のことを、夢実以上に理解している。
「夢実さんの考えていることは、なんとなくわかります……この一年誰よりもあなたのそばにいたから」
「……ッ私の憧れてる南ちゃんは、アイドル時代熱愛の噂だって一切なかったから、私だってアイドルになるならちゃんとケジメをつけたいの」
「……もう良いですから……もう、分かりましたから。お願いがあります」
夢実のことをよく分かっているからこそ、絶対にこちらが意見を曲げないことを理解しているのだ。
諦めたような眼差しでこちらをジッと見つめてくる。
彼女の最後のお願いは、なんとも残酷なものだった。
「ちゃんと声にして言って欲しいんです。私のことはもう好きじゃないって」
「……ッ」
「じゃないと諦められない。いつまでもあなたに縋ってしまう」
ハラハラと涙を流す彼女を強く抱きしめたい。
嘘だよ、本当は叶ちゃんと一緒にいたいんだよと、本音を話してしまいたい。
抱きしめたい。触れ合いたい。
だけどもう、彼女の熱を知ることもなくなる。
これから、この部屋にも来られなくなる。
一緒にアイスを食べることも、来月江ノ島にだって行けないだろう。
ユメカナ♡ちゃんねるを、やめないといけない。
叶の恋人をやめないといけない。
「……連絡きたら、嫌でしょう?元カノからしつこく」
「叶ちゃん……」
「あなたが振ったんだから、思いっきり拒絶してくださいよ。そうしないと……私は一生あなたに囚われ続ける」
囚われ続けて欲しい。
ずっと忘れないで欲しい。
いつまでの夢実のことを好きでいて欲しいけれど、それは、あまりにもわがまま過ぎる。
ゴクリと生唾を飲んでから、ヒリヒリと痛む喉から一生懸命に言葉を紡いでいた。
「……叶ちゃんのことなんて、全然好きじゃない」
「ッはい……」
「1ミリも好きじゃないから…もうどうでも良いから、だから別れてよ」
泣くなと必死に堪えようとするけれど、勝手に瞳から雫が溢れ出していく。
叶も大きな瞳から、ボロボロと涙を流していた。
この選択が正しいのか、間違っているのかわからない。
「……叶ちゃんのことは好きじゃない」
好きだよ、本当は大好きで仕方ないんだよと、必死に本音を押さえ込む。
少しでも気を抜けば、全てを溢れさせてしまいそうだから。
「これから先もう、好きになることもない」
ギュッと下唇を噛み締めながら、叶が頷いて見せる。納得はいかないけれど、必死に理解したフリをしているようだった。
「……今までありがとうございました」
付き合うのは双方の意志が必要なのに、別れるときは片方が申し出れば良いのだ。
好きで堪らない人と、好きなのに別れる選択をした。
それが彼女のためになると信じて選択したけれど、本当に叶のためだったのだろうか。
劣等感や、天才の才能を奪った責任から逃れようとしただけなのかもしれないと、涙で揺れる視界の中考えていた。
これでよかった。
そう思うためにも、これから先別々の道を必死に歩んでいくしかないのだ。
この日以来、およそ5年近くの間、二人の間でまともに会話が交わされることはなかった。
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