第49話
ここまで誰も来ないのであれば、夢実がいる必要はあるのだろうかと受付の椅子に座りながら考えていた。
文化祭の当日。
素人の作ったぬいぐるみ展なんて、ほとんどの人は興味がない。芸能科の生徒が作ったものとはいえ、安全のために誰が作ったか名前は伏せられている。
皆、縁日やお化け屋敷に足を運んでいるため、夢実の教室は閑散としているのだ。
早く受付当番が終わらないかなと、あくびを噛み殺す。
「夢実さん」
愛おしいあの子の声で名前を呼ばれて、眠気が一気に覚める。
案の定そこには、可愛くて仕方ないあの子の姿があった。
「あと30分ですよね?当番の交代」
「そうだよ。叶ちゃんの劇には間に合うから」
「夢実さんに見てもらえるの楽しみです……ところで、夢実さんが作ったぬいぐるみはどれですか?」
と聞かれて、黄色の布地で作ったウサギを渡してあげる。
青色の耳がチャームポイントだ。
真面目に作っている生徒はあまりおらず、既製品を展示している生徒も多い。
「可愛いです」
「え…本当?」
「さすが夢実さんですね」
弟に散々悪口を言われたため、自信を失っていたのだ。喜びでつい頬を緩ませてしまう。
「これ、展示が終わったら欲しいです」
「今あげるよ。どうせ誰も見に来ないし」
「本当ですか?」
ギュッと抱きしめながら、叶が嬉しそうに顔を綻ばせる。
「大切にしますね!」
その姿が可愛くて、ぬいぐるみごと叶を抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
こんな風に柔らかく笑う姿なんて、簡単に他の誰かに見せないでほしい。
独占欲が込み上げて、この子を誰も知らないところで閉じ込めてしまいたくなる時があるのだ。
暗い講堂はガヤガヤと賑わっていて、天才女優の復活を心待ちにしているのかもしれない。
一番良い席を取っておいたと言う叶のいうとおり、一番前の真ん中の席に夢実は座っていた。
ステージがよく見えて、早く始まらないかとソワソワしてしまう。
叶の演じるかぐや姫。
元天才女優の演技を一目見ようと、会場は満杯だ。
一気に室内が暗くなって、幕が上がる。
先程の喧騒が嘘のように、講堂は静寂で包まれていた。
スポットライトが舞台を照らして、最初に登場したのはおじいさん役の生徒だった。
現代風にリメイクしたという、かぐや姫。
竹を割ったらお姫様が現れて、かぐや姫と名付けられた彼女はおじいさんと共に暮らし始める。
「……よろしいのですか?ご迷惑なのでは……」
「気にしないで!好きなだけいて良いから」
「あぁ、なんとお優しい……私に出来ることがあればなんでもおっしゃってくださいね」
働き者で、現代を生きる女性らしさを反映させているらしい。
おじいさん役の生徒も決して下手ではないけれど、きっと皆同じことを思っていた。
たくさんの生徒が舞台には立っているのに、叶しか目に入らない。
レベルが違うのだ。
上手いとか、下手とかいう話ではなくて、彼女が纏う空気が違う。
「かぐや姫、どうぞ私と」
「ごめんなさい……私はあなたとは共に生きられないのです」
「何故でしょう?理由を教えて頂けませんか」
一言のセリフ。
息遣い。
目線のやり方。
所作から、全てが繊細で、本物のお姫様にしか見えない。
「……ッ」
思わず息を呑む。
いろんな男たちを交わして、かぐや姫は結局月へ帰る選択をしてしまう。
しかし、一番優しいけれど稼ぎの少ない男のもとへ、最後の言葉を渡していた。
「……忘れません、なにがあっても絶対に……ずっと待っております」
それだけ言い残して、かぐや姫は月へ帰っていく。
幕が閉じれは、拍手喝采。
夢実も拍手をしなければいけないのに、魂を奪われたように呆然と舞台を見つめていた。
天才を目の当たりにして、思うことは一つだった。
この才能は世に解き放たれるべきである、と。
今まで目を背け続けてきた。
しかし眞原叶の才能を目の当たりにして、自分が彼女の才能を潰したことに気づいたのだ。
この人の才能は絶対に摘まれてはいけない。
日の当たるところで輝かなくてはいけない。
それくらい彼女が持つ魅力と才能は凄まじかったのだ。
劇が終わってから、約束通り控え室へ足を運ぶ。舞台映えがするように、普段よりも濃いめの化粧を施されていて、そんな姿も可愛らしい。
「夢実さん!」
「凄かった……めちゃくちゃ感動したよ」
「本当ですか?最後のセリフは夢実さんを思いながら演じたんですよ」
瞳がキラキラしていて、本当に、演技が好きなことが伝わってくる。
天性の才能と、彼女の好きが合致しているのだ。
「叶ちゃん、本当に上手なんだね……女優さんに戻ることとか考えてないの?」
きょとんとしたあと、おかしそうに叶が笑って見せる。何を言いたいのだと、彼女の表情が語っていた。
「今はユメカナ♡ちゃんねるを盛り上げるのが一番ですから!」
もう、分かっているのだ。
この子は夢実のために女優を辞めた。
そして、今もなお夢実のために女優に戻ろうとしないのだ。
演技が大好きなことがひしひしと伝わってきて、もう、これ以上彼女の才能を潰す気にはなれなかった。
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