第48話
放課後に文化祭の準備をするといっても、夢実のクラスは展示会を行うのだから特にすることはない。
皆でそれぞれ、手作りのぬいぐるみを持ち寄ることは決定事項。
どんな風に展示するかを話し合ったけれど、結局はテーブルを並べるだけというシンプルなものに話は落ち着いた。
高校生活最後だというのに、随分あっけなく終わることは間違い無いだろう。
叶と待ち合わせして、帰り道に2人でコンビニに立ち寄る。
秋の訪れを感じる公園にて、ベンチに並んで座りながら肉まんを食べていた。
「肉まんを食べるには少し早くないですか?」
「去年食べて美味しかったから、待ちきれなかったの」
「どうせあと数ヶ月もすれば食べれるんだから待ったら良いのに」
その数ヶ月が待ちきれなくて、こうして放課後に買い食いをしているのだ。
夜ご飯が入らなくなってしまうと、母親が見たら困り顔で怒るだろう。
「あ、叶ちゃんのやつチーズ入ってる!」
「チーズ肉まんなので」
「私もそっちにすれば良かった…そういえば叶ちゃんのクラスは文化祭なにするの?」
「劇です。かぐや姫」
ゴクンと飲み込んでから、驚いて声を上げる。
「え、なんの役?」
「……かぐや姫です」
「主役ってこと!?」
渡された台本の表紙にはたしかに、かぐや姫役は眞原叶、と書かれていた。
パラパラと捲りながら、今から彼女の演技が見られることが楽しみで仕方ない。
「すごいね……!めちゃくちゃ楽しみ」
「演技経験者で暇だったのが私だけだったって話ですよ」
「でも、叶ちゃんは演技をすることは好きなんでしょ?」
「そうですね……得意というのを差し引いても、全く別の役になりきることはワクワクしますから」
「じゃあ、ここのセリフ読んでみてよ」
ジッと最後の一行を眺めた後、叶はそっと瞼を瞑った。
数秒だけ閉じられていた瞳が、再び開かれた時。
あまりにも優しげな眼差しに戸惑ってしまう。
「……忘れません、なにがあっても絶対に……ずっと待っております」
たった一行のセリフに、引き込まれた自分がいた。
今目の前にいるのは大好きな恋人だというのに、また別の誰かのような錯覚を起こしたのだ。
そうか。
すっかり忘れていた。
この子はかつて、誰もが認める天才女優だったのだ。
チクチクとなみ縫いをしながら、あまりの不器用さに自分でも驚いていた。
間隔はバラバラで、どこからどう見ても素人の縫い目にしかみえない。
久しぶりにお裁縫に取り掛かっているが、なかなかに難しいのだ。
「なにそれ」
「うさぎのぬいぐるみ」
「なんで黄色の布で耳は青色なんだよ。どんなセンス」
「可愛いでしょ」
「怖いし」
弟の可愛くない物言いに、唇を尖らせる。
そこまでハッキリ言わなくてもいいじゃないかと、心の中で悪態を吐いた。
嫌な気分を吹き去るために、気分転換に何かを見ることにする。
映画やドラマの見放題アプリを開いて、迷わずにお気に入りの映画をチョイスする。
叶が主演の映画で、大好きな五十鈴南も出ているのだ。
「……2人とも可愛いなあ」
夢実がずっと目で追ってしまうのは、憧れの人ではなくて自分の恋人だ。
あんなにアイドルのあの子に憧れていたのに、いまは叶が夢実の心を占めている。
夢実にとっての一番は叶で、推しと恋人は別だ。
「本当に可愛い…」
自分でポツリと溢した声に、クスリと笑ってしまう。いま無意識に溢した言葉は、どちらへ向けられたものなのか。
展示会に出すためのぬいぐるみを作る片手間で、じっと画面を見つめていた。
「上手だな……」
叶は演技が上手くて、見る人の目を奪うのだ。
ずっとそれが当たり前のことだと思っていた。
だけど、そうじゃない。
頭ひとつ抜きん出ている才能が、天才と称されるのは並大抵のことじゃない。
努力では追いつけない才能があるから、彼女は天才と呼ばれていたのだ。
ジュエリーショップをいくつか見て回りながら、彼女の喜ぶ顔を想像して頬を緩ませる。
もうすぐ付き合って一年の記念日だから、こっそりとプレゼントを買いに来たのだ。
叶は演技の練習があるため、放課後に居残りをしているようだった。
展示とは違って準備が色々と必要なため、なかなかに大変そうだ。
「……これ可愛いな」
夢実が足を止めたのは、有名なジュエリーブランド店だった。ショーケースの中に見えるハート型のチャームが付いたネックレスに心奪われる。
少し子供っぽいだろうかと、悩みながら見つめていた。
「……私、ダサいってみんなに言われるからな」
この前も夢実が一生懸命に作ったうさぎのぬいぐるみが、ダサいと弟に言われたばかりなのだ。
あんなに可愛いのに、一体どこを見てそう言ったのかちっともわからない。
「そちらオススメです。ずっと一緒にいられるようにという意味が込められたストーンが埋め込まれていて…」
「へえ……」
「記念日などにぴったりですよ」
本当はこれにしようと決まっていて、あとは誰かに背中を押して欲しかっただけなのかもしれない。
気づけば紙袋を二つぶら下げていて、早く渡したくて仕方なかった。
店員からのお墨付きなのだから、きっとダサくないはずだ。
喜んでくれるだろうか、なんと言って渡そうか。
いま小指に嵌められている指輪もペアリングで、二人にとってとても大切なもの。
「……いつか本物の指輪もあげたいな」
ひとりでポツリと呟く。
もちろんプレゼントは値段じゃないことくらい分かっているけれど、叶が驚くような素敵な指輪を渡してあげたい。
その時何と言って渡すべきか、まだ子供の夢実には決められないけれど。
「……ッあの!」
大きな女性の声に、一気に現実に引き戻される。
急に目の前に立ちはだかった女性のことを、夢実は知らなかった。
「……天口夢実よね?」
「え……」
マスクをしているため、普段はあまり声は掛けられない。
目元しか見えていないのに、良く夢実だと分かったものだ。
ファンの人だろうかと脳天気に考えていれば、彼女の強い物言いに危険を感じていた。
「叶様と別れなさいよ」
「何言って……」
「あんたなんかに叶様は釣り合わない!あんたさえ…あんたさえいなければ叶様は女優を辞めなかった!」
甲高い女性の声に、周囲の人々も驚いたように
こちらに視線をやっている。
しかし夢実に思いをぶつけることに必死な彼女は、それに気づいていないようだ。
「全然釣り合ってないし、さっさと解放して叶様を女優に戻して!あの人の演技を返してよ!」
今にも殴りかかってきそうなこの人から、距離を取らなければいけない。
丁度通りかかったタクシーを引き止めて、パニックになりかけながら転がり込む。
「どちらまで?」
「とにかくまっすぐ進んでください!」
心臓はバクバクと鳴っていて、しばらくしてから恐る恐る振り返る。
こちらを尾行していると思わしき車やバイクは付いてきておらず、安堵からため息を溢す。
危ない人に絡まれた時の対策を、叶から教えてもらって良かった。
とにかくタクシーに乗り込んで、相手から距離を取る。絶対に相手にしてはいけないと、口すっぱく言われていたのだ。
おそらく、あれは叶のファンだ。
叶は高校生活を謳歌するために、芸能界を引退すると表向きは発表している。
つまり、恋人の夢実とユメカナ♡ちゃんねるとして活動するために辞めたとファンは受け取るだろう。
「……ッ」
先程の彼女の言葉と表情が脳裏に焼き付いていた。
悔しいけれど、事実だと思ってしまったのだ。
眞原叶は着々とキャリアを積んでいた。
きっとあのままいけば、数々の賞を総なめしていたのは間違いないだろう。
その道を閉ざしたきっかけは、紛れもなく夢実なのだ。
渡されていた合鍵で帰宅して、購入したジュエリーショップの紙袋をこっそりと引き出しにしまう。
お泊まり用の下着や服などが仕舞えるように、夢実のために、叶が引き出しのスペースを開けてくれたのだ。
「……はあ」
これから叶と動画撮影をするというのに、気分は晴れないままだった。
今まで浮かれていた。
ユメカナ♡ちゃんねるがうまくいって、叶と付き合えて。
叶の才能を自分が奪っているかもしれないという事実に、目を向けることが出来ていなかったのだ。
温かいココアを淹れて飲んでいれば、あの子が帰宅する。
夢実とは正反対に、いつもより明るい表情だった。
「……おかえりなさい、叶ちゃん」
「ただいまです。疲れたので先にシャワー浴びちゃいますね」
「稽古どうだった?」
「楽しかった!」
キラキラとした表情で、可愛らしい唇から紡ぎ出された言葉。
「……演技がこんなに楽しいってこと、すっかり忘れてました!」
シャワールームへと彼女が入っていったのを確認して、その場にしゃがみ込む。
そこで初めて気づいた。
あの子につまらなかったと言って欲しかった。
やっぱり演技に未練はないと言って欲しかったことに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます