第40話


 デビューしたばかりのアイドルが太らないように、事務所からは基本的に水を飲むように言われていた。


 味気ないミネラルウォーターを飲んでいれば、トントンと楽屋の扉をノックされる。

 返事をすれば戸が開いて、中に入って来たのは大崎ココナだった。


 以前一緒に江ノ島へ行ったきりだったため、どこか懐かしさを感じてしまう。


 「撫子ちゃん、いま大丈夫?」

 「他の子達はまだ到着してないので」


 撫子は個人で青年雑誌の撮影があったため、早めに楽屋に到着していたのだ。


 誰もいないことを確認してから、ココナが本題に入る。


 「……記事見たよ。大変だったみたいだね」

 「まあ……おかげでメンバーからも煙たがられて散々ですよ」

 「時間が解決してくれるって」


 デビューして直後に問題を起こしたメンバーなんて、嫌がられて当然だ。

 メンバーとはギクシャクして、好きで堪らない夢実には、あれ以来連絡していない。


 事務所に会うなと言われたのはもちろんのこと、2人の釈明動画を見て、自分に入る余地がないことを思い知らされたからだ。


 相手を思い遣った言葉や、雰囲気。

 そしてお互いを見つめる目をみれば分かってしまう。


 「……わかってたんですよ。自分が入る隙間はないってことくらい……けど、考えちゃうんです」


 ふたりとも、お互いのことを本当に好きなのが伝わってくる。


 あの子は無意識だろうけど、夢実が撫子を見る目と、叶を見る目は全然違うのだ。


 「どうして私の隣には夢実がいないんだろうって……夢実と一緒にデビューしたくて一生懸命に頑張ってきて……だけど本当は私ッ」


 必死に見て見ぬふりをしてきた、自分の本音。あの子にぶつけるのは酷だから、必死に押さえ込んできたのだ。


 「眞原叶のポジションになりたかった……アイドルになるよりも、夢実と一緒にいたかったんです」


 涙を流せば、優しく背中を摩ってくれる。

 アイドルになりたいというのは紛れもない本音だったはずなのに、一体何をしたいのか自分でもわからない。


 「……私がどうにかするから」


 揺れる視界で、自分のことでいっぱいいっぱいになっていた。

 だからいま背中を撫でている大崎ココナが、歯痒そうな顔を浮かべていたことにも気づかなかったのだ。





 あの騒動以来、コメント欄は封鎖している。夢実に対する誹謗中傷がおさまってきたとはいえ、全くないわけではない。

 お互いの精神を考慮した結果、封鎖することにしたのだ。


 それも、もちろん叶の判断。

 本当に彼女には色々と迷惑をかけてばかりだ。


 スマートフォンのカメラを見つめながら、明るい声をあげる。


 「じゃあ、診断結果です!」


 今回の動画内容はお互いの嫉妬レベルを診断するというもの。


 叶のスマートフォンは撮影に使っているため、彼女はタブレットを使って専用サイトにアクセスしていた。


 いまは2人とも診断を終えて、結果を報告するところ。


 「じゃあ私は……レベルBだ!」


 SからEまでレベルがあって、もちろんSが一番嫉妬深いということになる。

Bということは、叶はかなり嫉妬レベルが高いだろう。


 「カナちゃん結構嫉妬深いんだね」

 「だって……ユメちゃんのこと大好きだもん」


 胸がキュンと鳴って、目の前にいる彼女のことが可愛くて仕方ない。

 叶が愛の言葉を囁くたびに、それが紛れもない本心に聞こえてくるのだ。


 「私はカナちゃんよりは嫉妬深くないと思う」

 「そう!いつも私ばっかり嫉妬して嫌になるもん」


 きっと高くてもCくらいだろうと、自分では結果を見ずにスマートフォンのカメラを画面のレンズへ向ける。


 続いて叶と共に結果を確認して、何とも間抜けな声が溢れた。


 「へ……?」

 「ユメちゃん、Sプラス……?」


 2人で顔を見合わせる。

 目をぱしぱしとさせていれば、叶が場を取り繕ってくれた。


 「え、ユメちゃんめっちゃ嫉妬深いじゃん!」

 「ちが……これはっ」

 「嬉しい〜ユメちゃん私のこと大好きだったんだね」


 一度撮影を止めてから、気まずい空気が流れる。

 正直に答えたけれど、まさなこんな結果になるなんて思いもしなかったのだ。


 カメラが回っていないため、叶がいつもの口調で話し出す。


 「……私は撮影用に少し抑えめにしたんですけど、夢実さんは盛ったんですか?」

 「盛ってないよ!全部正直に答えた……もしかしてこれ、Sが一番嫉妬深くないんじゃないの?」

 「……往生際が悪いですね」


 ニヤニヤしている叶は、間違いなく楽しんでいる。


 「夢実さんって私のこと結構好きなんじゃないですか?」


 はやく否定しないといけないのに、なにも言葉が出てこない。顔が赤くなるばかりで、言葉が咄嗟に思い浮かばないのだ。


 別に好きじゃない。

 好きじゃないはずだ、と自分の感情に自信を持つことができなかった。





 かつて一世を風靡したアイドルグループ『ラブミル』。

 デビューメンバーが全員卒業した今は全盛期の勢いは落ち着いているけれど、メンバーが入れ替わっても根強い人気があるのだ。


 そんな長く続いているグループにて、初代メンバーの中で絶対的エースだったのが五十鈴南だった。

 

 イメージカラーはピンク色。

 彼女に憧れて、夢実はアイドルの練習生になった。

 懐かしさと共に、じっとテレビの画面を見つめる。現在放送中の医療ドラマに、五十鈴南が出演しているのだ。


 今日は夢実が持ってきたお惣菜と、とろろとわかめ、豆腐を入れた簡単なお味噌汁。温かい夕飯とともに、憧れの存在に目を奪われる。


 「……やっぱり可愛いよね、南ちゃん」

 「プロ意識が高い人ですよね。本音があまり見えてこないですけど、人当たりが良くて同業者からの信頼も厚いです」

 「そっか、叶ちゃんは南ちゃんとドラマで共演してたもんね」


 五十鈴南はいまや大人気女優としての地位を確立していて、きっとこれから先、彼女と直接会えることはないだろう。


 どれだけ手を伸ばしても到底届かないような雲の上の存在と、叶はかつて共演していたのだ。


 本当に彼女は凄い人で、本来であれば気軽に話しかけることすら出来ない存在。


 「……私、ピンクになりたかったんだよね。南ちゃんみたいに……誰かを夢中にして元気付けられるような存在になりたかった」


 ポツリとこぼした言葉。

 口にしたら、叶えられなかった自分が惨めになるような気がして、中々溢れさせることができなかった。


 「……このお惣菜すごく美味しいです」

 「本当?良かった。隠し味でシナモン入れてるの」

 「それから……私にとってのピンク色はあなたです」


 言わんとしていることを察して、期待で胸が震えていた。


 「ピンクになりたかったじゃなくて、あなたはもうなれてるんですよ?」


 じんわりと涙が込み上げて来て、同時に胸の中に凄まじい勢いで温かい感情がなだれ込んできた。


 もし、この思いに名前をつけるとしたら。

 新しく込み上げる思いに名前を当てはめるとしたら、何が良いだろう。


 可愛く小首を傾げる姿を、愛おしい気持ちで見つめていた。

 本当はもう、自分でも分かっているのかもしれない。


 だけど臆病な夢実は確信がないから、もう一歩踏み出すことが出来ずにいるのだ。


 もしも今、彼女も夢実と同じ気持ちだったとしたらどれだけ幸せだろう。

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