第39話


 個人で活動しているこちらとは違って、あちらは事務所に所属している人間だ。


 まずは向こう方がどういう対応をするか知る必要があるため、夜の公園にて撫子に電話を掛ける。


 夏の蒸し暑さが失われた季節は、薄手のカーディガンを羽織らないと肌寒い。


 「もしもし?撫子……今から会えたりしない?」

 『あんな写真を撮られた後だよ。無理に決まってるでしょ』


 そっけない返事に、彼女が苛立っているのが伝わってくる。


 デビュー後すぐに騒動に巻き込まれて、彼女が怒るのも無理はない。


 『……事務所から、もう会うなって言われた』

 「え……」

 『夜の8時に公式から発表がある。2人は幼馴染で、あの日はデビュー曲の発表を聞いて、感極まって抱き合っていたところだって……2人はただの幼馴染で、親友で、恋人ではないって』


 最初、彼女は怒っているのかと思っていた。

 くだらない騒動に巻き込まれて辟易しているとばかり思っていたけれど、撫子の声がかすかに震えていることに気づいたのだ。


 「撫子……泣いてる?」

 『……ッ』

 「本当にごめんね、やっと夢が叶ってデビューしたばっかりなのに、こんなことに……」

 『あの日抱きしめたのは私だから……ねえ、夢実』


 機械越しに聞こえてくる友人の声。

 真剣さが滲んでいて、ジッと耳を傾ける。


 『……夢実は大切な人のためだったら、全てを捨てられる?』

 「え……」

 『眞原叶のためなら、他の大切なものを全部捨てることはできる?』


 突然の質問に、咄嗟に答えることができなかった。

 言葉を必死に探していれば、撫子はそれ以上夢実の答えを待ってくれない。


 『……とにかくもう、暫くは会えないから』


 通話が切られてしまって、ぼんやりと空を見上げる。

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 大切な人に迷惑を掛けて、大事な友人とも距離を取らないといけなくなった。


 これが有名になるということなのだとしたら、失うものがあまりにも大きすぎるような気がした。


 



 その後すぐに弁明動画をアップロードして、この騒動に巻き込まれた撫子も謝罪ブログを上げていた。

 

 幼少期にともにレッスンを受けていた写真も掲載して、本当に大切な友人だと書き連ねてくれたのだ。


 両者が事実無根だと訴えたところで、意見は半々といったところ。

 擁護が半分、まだ批判している人たちが半分ほどの割合だ。


 この騒動は何もネットの世界だけの話ではなくて、学校へ行けばヒソヒソと噂をされる。


 居心地が悪くて、視線を下げながら廊下を歩いた。


 「……あの子二股とかやばくない?」

 「けど違うって動画も上げてたじゃん」

 「そうしないと騒ぎが収まらないからでしょ?あの子に眞原さんと桃山さんを虜にする魅力があるとは思えないけど……」


 彼女達は登場人物全員の名前を知っているようだけど、夢実は誰1人として知らなかった。


 名前も顔も知らない人に、有る事無い事を吹聴されて面白おかしくネタにされる。

 芸能人を志すものとして割り切っていたつもりだけど、いざ目の当たりにすると怖くて仕方ない。


 こんな思いを、あの子は物心ついた時から味わっていたのだ。


 これが世間から見られているということ。


 良いことも、悪いことも。

 常人の何百倍も監視されて、その時に返ってくる反応も凄まじい。


 じんわりと視界がぼやけ始めて、咄嗟に下を向いた時だった。

 手が温もりに包まれて、まさかと振り返る。


 「……ッ」

 「ユメちゃん、おはよう」


 可愛らしい笑みと共に、夢実の恋人ということになっているあの子が声を掛けてくれる。


 驚いていれば、耳元で囁かれた。


 「騒動が治るまでは、いつにも増してイチャイチャしますからね」

 「え……」

 「スキンシップは10倍になると考えてください」


 これまでも距離は近かったというのに、10倍なんて、一体何をするつもりなのか。

 戸惑いながら、彼女が引っ張ってくれることが心強くて仕方ない。


 すごく怖いけれど、叶が付いているというだけで前を向く勇気が湧いてくるのだ。





 最初は狼狽えていた彼女だけど、こんな騒動には慣れっこなのだろう。

 気づけばケロッとした顔で、起きたことは仕方ないとでも言わんばかりだ。


 弁明動画は上げて、やるべきことはやったのだからあとはこれからの行動で弁解するしかないと考えているのだろう。


 息苦しい教室から解放されて、昼休みに2人で誰もいない屋上を訪れていた。


 「……気にしたらダメですよ。人の噂もなんとやらって言いますから」

 「けど……やっぱり凹むかな。人からとやかく言われるのってこんなに怖いんだ」

 「……こればっかりは慣れですからね。慣れるのもおかしな話ですけど」


 幼い頃から天才子役として活躍していた彼女だからこその言葉だ。


 「叶ちゃんもそういう経験あるの?」

 「沢山ありますよ。劣化したとか、裏で後輩子役を絞めているとか」

 「なにそれ、叶ちゃんがそんなことするはずない」

 「面白いからでしょう?幸せよりも不幸の方が面白いと思うのが人間です」


 叶が歳の割に達観しているのは、こういったところからきているのだろう。


 いろんな経験をしたからこそ、年齢よりも大人びている。


 「私が何があっても夢実さんを守りますから」


 横並びに並んでいる状態なため、少し近づけば彼女の肩に触れる。

 自分よりも背の低い彼女の肩に、コテンと頭を傾けて額を擦り付けた。


 「……今はイチャイチャする必要ないですよ?周囲には誰もいないんだから……」

 「落ち着くから…叶ちゃんって柔らかくて温かくて、ぽかぽかする」


 額をグリグリと押し付けていれば、頬に手を添えられる。

 顔をあげれば、思ったよりも近くに彼女の顔があった。


 「……夢実さんは、私を信用しすぎです」

 「たったいま守ってくれるって言ったのに」

 「そうじゃなくて……あぁ、もう!」


 言葉では足りないのか、優しく唇を奪われていた。


 驚くけれど、最近、叶とのキスは嫌じゃなくて。

 むしろ心地良くて、ドキドキする。


 「……今はイチャイチャする必要ないって言ったの叶ちゃんだよ」

 「向かいのビルから見られているかもしれません」

 「視力よすぎだよ……」


 クスクスと笑いながら、心臓はバクバクと高鳴っていた。

 いまだに近い距離にある、彼女の唇。


 「……口、またくっついちゃうよ」

 「またキスしちゃいますね」

 「……キスってそんなに簡単にしたらダメだよ」

 「あなたが言いますか?それ」


 今は誰にも見られていなくて、恋人らしい素振りをする必要なんてどこにもない。

 にも関わらず、再び吸い寄せられるように唇を重ねていた。


 吐息が熱くて、ドキドキしながら角度を変えてもう一度だけキスをする。


 「……ドキドキするね」


 こちらをジッと見つめる叶の目は、酷く熱い。

 その瞳に囚われてしまいそうになりながら、しばらくの間丸い瞳に視線を奪われていた。

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