第37話


 目白圭から渡されたルームキーを使って、叶の家の鍵を解錠する。


 『たぶん開けないだろうから、これ使って』と言っていた彼は、眞原叶のことをよくわかっている。


 当然だ。

 彼らは恋人同士ではなく、それよりも繋がりの深い家族だったのだから。

 何かあったときのために、互いの部屋のルームキーは交換し合っていたらしい。


 シトラスの香りがするルームフレグランスは、実家にいた頃から愛用していたもので兄弟のお気にいりだと教えてくれた。

 

 「叶ちゃん?」


 リビングに足を踏み入れれば、そこに彼女の姿はない。ということは、残された部屋は一つだけ。


 先ほども訪れた寝室の扉を開けば、ベッドの上にあの子の姿があった。


 布団に包まって、虚な目をしている。

 しゃがみ込んでから、ジッと彼女と視線を合わせる。


 「………あなたにだけは知られたくなかった」

 「……どうして?」

 「普通に気持ち悪いじゃないですか。知らない間に自分のガチオタと動画配信者としてカップル配信してたなんて」

 「カップル配信をやろうって提案したのは私なのに」

 「けど……っ」


 それ以上何も言わずに俯いてしまう叶に対して、優しく声をかける。


 「どこで知ったの?私のこと」

 「……圭のライブを見に行った時です。関係者席からステージを見ていて、踊っている姿に惹かれました」


 目線を下げて、不安げに言葉を続けてくれる。

 いつも自信に満ち溢れた、彼女らしさは失われていた。


 「圭のファンだから殆ど客席は女性しかいなくて……はっきり言って、誰もあなたを見てなかった。だけど、夢実さんは誰よりも笑顔で一生懸命に踊って…そんな姿に惹かれたんです」


 恐らく、彼が所属するアイドルグループのライブにて、バックダンサーとして踊った時だ。

 

 女性アイドルの練習生なんて、彼らを応援する同性の女の子はだれも興味がない。


 同じ事務所だからと駆り出されたけれど、誰も夢実の踊りなんて見ていなくて、踊っている最中不安だった。


 ここにいていいのだろうか。

 何のために踊っているのだろうか。


 だってメインは、アイドルである彼らだったから。


 「練習生のライブに足を運んだ時、夢実さんのグッズを買って……それからずっとあなたを応援してきた」


 バックダンサーなんて公表されない。

 いるか分からないライブに足を運んでは、夢実の姿を一目見ようとしてくれた。


 「けど、沢山いるでしょ?練習生なんて…どうして私を……」

 「残酷ですね、人の心を奪っておいて」


 ピストルを打つように人差し指をこちらにむけられる。

 そうして、バンっと打ち込むような仕草をしてみせた。


 「ファンサしたんですよ?夢実さんは私に。アイドルを推す理由なんてそれだけで十分じゃないですか」


 心臓が震えて、熱くなっていた。

 今度は夢実が俯く番だった。

 自分の心が射抜かれたように、胸が熱くて仕方ない。


 「……どこまでが本当で、どこからが嘘なの?目白さんは、叶ちゃんが私のために女優を辞めたって言ってた」

 「……あいつそこまで言っちゃったんですね」


 ぽつりぽつりと、話してくれる。

 今まで知らなかった真実を。


 「……事務所と揉めたと言うのは、嘘です。本当は円満退社で……あなたが事務所をクビになると圭に聞いたから、辞めました。スポンサー契約の違約金など色々と揉めたので、円満と言っていいのかあれですけど」

 「どうして……?」

 「夢実さんと圭の事務所は、辞めてから半年は他所の事務所に入れない契約だから」


 自分が所属する事務所にも関わらず、そんな取り決めがあったことを知らなかった。

 契約書を結んだのはだいぶ前だから、忘れていたのだ。


 「……あなたが芸能科に居続けて、夢を見るには時間がないと思ったから、誘ったんです。無所属でも芸能科に居続けられて、あなたの魅力を世間に広められる配信者に」

 「そのために?そのためだけに女優を辞めたの?」

 「そのためだけって酷いですね。私だって悩んだけど、あの日公園でお弁当をくれたじゃないですか」


 あの日、配達の帰り。

 公園で1人泣いている彼女にお弁当を渡した。


 「夢実さんがクビになると聞いてショックで泣いてたら、当の本人がお弁当をくれるんですから驚きましたよ?……けど、だからこそ、こんなにも優しくて魅力的な夢実さんを絶対に輝かせようと思った」


 手を取られて、彼女の温もりに包まれる。

 柔らかい手の甲に、じんわりと癒されていくのだ。


 「……こんな形になってしまったけど、今あなたの魅力に気づいている人は沢山いる。こんなに可愛くて魅力的な女の子がいるのかって、世間に知られていくのが嬉しくて仕方ない……だから女優を辞めたことは1ミリも後悔していません」

 「……ッ」

 「……けど、もし気持ち悪かったりしたら、この関係を続ける気は……」

 「……ったの」

 「え?」


 声が小さいあまり、彼女から聞き返される。

 勇気を振り絞って溢れさせた言葉。唇を震わせながら、必死に言葉を紡いでいた。


 「私のグッズ、売れ残ってたの」


 涙が零れ落ちるのは、過去を思い出して苦しくなっているのではない。

 今目の前にいる彼女が、愛おしくて仕方ないからだ。


 「………私だけじゃなくて、デビューもしていない練習生のグッズなんて基本売れなくて…完売したのなんて撫子くらい」


 みんな、それが当たり前だった。

 しょうがないよ、だってデビューしていないんだもんと、悔しいという思いすら込み上げなくなった。


 「ステージの上で踊っても、誰とも目が合わない……ファンサをしても喜ぶ人なんて殆どいないし、皆んな、私よりもっと向こうを見てた」


 ずっと考えていた。

 自分は何をしているのだろう。


 憧れたアイドルのようになりたかった。

 そのために頑張ったけれど、結局夢も叶わなくて。


 なんのために頑張って来たのだろうと、自分を見失いかけた。


 「……ずっと、ずっと私を見ていてくれてありがとう」


 泣いているのに、自然と口角は上がっていた。

 目の前にいる彼女に、そっと抱きつく。


 触れる胸元の間から伝わる、トクトクという心音。


 「………叶ちゃんのおかげだよ」

 「言っておきますけど、ユメカナちゃんねるの視聴者は夢実さんのファンも多いですからね?可愛いってコメント沢山あるじゃないですか。それを理解しています?」

 「……叶ちゃんがいれば十分だよ。どんなに遠くても、私のことを見つけてくれるんでしょう?」


 耳が赤くて、それが可愛くて仕方ない。

 引き寄せられるように、彼女の耳に軽く口付けをした。


 「ンッ……な、なにするんですか」

 「叶ちゃん耳弱いんだ?」

 「違います…っ耳元で喋らないで」


 もう一度耳にキスをすれば、ビクッと彼女の体が跳ねた。

 その様子を、どこかボーッとした思考の中で見つめてしまう。


 「……叶ちゃん可愛い」

 「夢実さんのほうが……もう、離れてください」

 「どうして?」

 「……私にとって夢実さんは推しで、パートナーで……それだけだったはずなのに、最近は……」


 その続きをジッと待つ。

 彼女のピンク色の唇から、何が紡ぎ出されるのか。


 期待するようにジッと口元を見つめていれば、今度は叶の方からキスを落とされていた。

 

 柔らかい唇の感触を知るのは、これで何度目だろう。


 「……早く離れないともっと凄いキスしますから」

 

 突き放すための嘘だと分かっているのに、ひどく狡い考えが脳裏をよぎっていた。


 このまま離れないでおこうか。

 そうしたら、この子はどんなキスをしてくれるのか。


 ああ、だめだ。

 間違いなく心の中で何かが溶けはじめている。

 甘くてすっぱい感情が、どんどんと夢実の心を侵食していくのだ。

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