第22話


 運動部に所属している彼は礼儀正しく、おまけに頑張り屋さんで一生懸命に働いてくれている。


 お客さんからの評判も良く、一人暮らしの彼には閉店後、余ったお弁当を幾つかあげていた。


 それでも今日はまだ2つ余っていて、どうしたものかと悩んでしまう。捨てるのは勿体無いが、夜ご飯はすでに準備してしまっているのだ。


 「……あ、叶ちゃんいるかな」


 あの子も天口屋の味が大好きなのだ。

 メッセージだと気づかないかもしれないから、電話をする。

 昼間怖がらせてしまったお詫びにも、持っていってあげようと思ったのだ。


 「もしもし?」

 『……なんですか?』

 「お弁当余ったけどいる?お詫びに持っていくよ」

 『いります!』


 嬉しそうな声を聞き届けて、ビニール袋にお弁当を詰める。

 自転車を引っ張り出してカゴに入れていれば、ちょうど帰宅する一と鉢合わせた。


 「天口さんどこか行くんですか」

 「叶ちゃんの家」

 「ラブラブっすね」


 側から見たら、そう思うのだ。

 大好きな彼女に会うために、夜遅いというのに理由をつけて自転車を飛ばしている。


 気にしなければ良いというのに、恥ずかしかった。これではまるで、夢実が叶のことを好きで堪らないみたいじゃないか。


 エプロンを付けたまま自転車を飛ばして、20分ほどで叶の家に到着する。

 下町を抜けて、高層マンションが立ち並ぶエリア。

 この街とは縁がないと思っていたため、最初はわずかに緊張していた。


 エントランスを抜けてから、インターホンを押す。

 ロックを解除してもらってエレベーターを待っていれば、一階のランプが点灯すると共に扉が開いた。


 「あ……」


 エレベーターから降りてきた男性のことを、夢実は知っていた。

 

 向こうはこちらなんて知らないと思っていたが、目が合うと同時に会釈をされる。


 「おひさしぶりですね、天口さん」


 先に挨拶をしてもらったことに恐縮しながら、深々とお辞儀をする。

 彼は以前所属していた事務所の元先輩。

 ボーイズアイドルグループに所属する人気メンバー、目白めじろけいだ。


 「どうも、元気してました?」

 「はい……」

 「じゃあ、オレはこれで」


 すれ違う瞬間、一瞬だけ香ったシトラスの香り。


 「え……」

 

 この香りを夢実は知っていた。

 胸がザワザワとざわめいて、嫌な気持ちになる。


 どこかで嗅いだことがあるけれど、一体どこでと気になって仕方ない。


 モヤを抱えたまま、叶の部屋へと到着していた。


 「お仕事お疲れ様です」

 「これ、お弁当」

 「ありがとうございます。せっかくだから入ってください」


 スリッパに履き替えて、長い廊下を通ってからリビングに入ってすぐに気づいた。


 この香りは、先ほど目白圭が纏っていたものと同じものだ。


 胸がザワザワとざわめいたのは、心のどこかでそれに気づいていたからかもしれない。


 「……ねえ、叶ちゃん」

 「なんですか」

 「さっきまでここに誰かいたりした?」


 合っていた視線が、不自然に逸らされる。

 聞かれたくないことだったのか、夢実から必死に逃れようとしているようだった。


 「……いませんけど、どうかしました?」

 「ううん、なんでもない」


 シンクにはお客様用に出すと言っていたマグカップがあった。

 間違いなく、夢実が来る前に誰か来ていただろうに、あえて触れなかった。


 眞原叶が話したくないことならば、それ以上聞く権利はない。

 所詮は二人はビジネスパートナーなのだから、立ち入ってはいけないラインがある。


 「……変なこと聞いてごめんね」


 きっと胸がざわめいているのは、驚いているからだ。


 叶は誰とも付き合ったことはないといっていた。

 恋愛経験はないと言っていたが、全て嘘だったのだろうか。


 色々と考えてしまう自分が嫌だ。

 叶は夢実に嘘をついていたのだろうか。

 話を合わせてくれていたのか。


 目白圭は叶と同い年で、アイドルとしてすごく人気がある。

 だけど相手はアイドルだから熱愛なんて御法度で、だからこそひたすらに隠していたのかもしれない。


 お似合いな二人だ。

 気づかなかったふりをしようと、お弁当を渡してそのまま玄関へ。


 「私、もう帰るね」

 「……そ、そうですか」


 スニーカーに履き替えていれば、グイッと服の裾を掴まれる。

 不思議に思って振り返れば、正面から勢いよく抱きつかれていた。


 「……か、叶ちゃん?」


 温かい体温と、布越しでも分かる柔らかい肌。

 抱きしめることもできないまま、戸惑いながら彼女を見下ろしていた。


 「帰らないでください」

 「何言って……」

 「夢実さんのせいです」


 力が込められて、より体が密着する。


 「夢実さんがあんな動画見せるから一人が怖いんです!」


 彼女の真意に気づいて、一気に体の力が抜ける。

 大人びている彼女の年相応の姿に、つい笑みを溢してしまっていた。


 柔らかい髪にそっと触れる。


 「そんなに怖いの?」


 いつも大人びていて、達観しているけれど。

 この子はまだ16歳の女の子だ。


 「……お母さんに連絡してみるね」


 途端にパッと表情が明るくなって、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 思ったよりもこの子は怖がりで、それが意外だけれど、可愛いと思ってしまうのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る