第18話


 天口屋と胸元に刺繍がされたエプロンを、家族以外の人が着けているのは初めてかもしれない。

 

 ラフなスウェット姿にエプロンをつけた大柄な男。


 夢実も女子の平均身長より少し高いけれど、彼は30センチ近く顔が遠くにあるような気がする


 新しくアルバイトとして雇った青山一という青年は、大学生にしては落ち着いた雰囲気で必死にメモを取っていた。

 

 「それで、ここのボタンを押したら支払いが完了します」


 古い型のレジは金額を手入力しなければいけないため、今となっては使っているお店はあまりないだろう。


 伝票もすべて手書きだというのに、彼は一つも嫌な顔をせずに一生懸命取り組んでくれていた。


 「うっす」

 「キッチンは私とお母さんが入るので、青山さんはレジがメインになると思います。在庫が少なくなったお弁当やお惣菜はチェックするようにしてください」


 見た目が迫力があるため、もっと怖い人かと思っていたがかなり真面目なのだ。

 他にも面接に来た人はいたが、彼を即決で選んだ母親の目に狂いはなかったのだろう。


 二人でレジの前に立ちながら、他愛もない話をする。


 「青山さんはどうしてバイトしようと思ったんですか?」

 「自分、最近彼女が出来て…デート代とか色々かかるじゃないっすか」

 「え、彼女さん!?同じ大学ですか?」


 同級生の友達はほとんどいないため、恋バナをあまりしたことがないのだ。

 ついつい声が弾んで、色々と質問してしまう。


 「そうです」

 「いいなー、キャンパスライフって感じで!」

 「天口さんもあと少しじゃないですか」

 「私はたぶん大学行かないですから」

 「そうなんですか?」

 「興味ないですし、早く働いてお金をバリバリ稼ぎたい」


 大学に行くにもお金が掛かるため、あまり母親に負担はかけたくない。


 今までアイドルになるためだけに頑張って生きてきたため、大学に行って叶えたい夢だって特にないのだ。


 だったら早く働いてお金を稼ぎたいというのが、夢実の考えだった。


 夕方の一番混む時間帯を乗り越えて、店内の締め作業をしてから一をロッカーに案内する。


 お疲れ様でしたと挨拶をして、夢実は1人でキッチンへ。

 何か新作のお惣菜メニューでも作ろうと考えていれば、突然バタバタと足音が聞こえてきた。


 そしてキッチンに現れたのは、先ほど挨拶を終えたばかりの青山一だ。


 「あの、天口さん!」

 「どうしたんですか?」

 「これって天口さんですよね」


 そう言いながら一が見せてきたのは、有名な動画配信サイト。

 急上昇ランキングのページには、夢実と叶の動画が表示されていた。


 叶の予想通り、多くの人が閲覧する時間にあげたのが吉と出たのかもしれない。


 「あ……そっか、日曜日だ」


 忙しいためあっという間に20時を迎えていたため、今日が動画の投稿日であることをすっかり忘れていた。


 彼が驚いているのは、夢実が動画投稿をしているからではない。

 その隣にあの有名女優だった眞原叶が映っているからだ。


 続いて、画面を操作した一はニュース記事を見せてくる。


 「これって……?」

 「ウェブニュースです。速報に上がってましたよ」


 早速誰かが記事にしたようで、『元天才若手女優!引退後恋人とカップルチャンネルを設立』と見出しに書かれている。


 「天口さんって眞原叶と付き合ってるんですか」

 「あー……そうですよ」

 「まじっすか…すげえ、世界って狭すぎ」


 驚いた様子の彼を見て、あることを思い出す。

 そうか。最近あまりにも彼女と距離が近すぎて忘れていた。


 青山一が帰ってから、ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出す。

 『ユメカナ♡ちゃんねる』と調べれば、すでに何個もウェブニュースが上がっていた。


 スクロールすれば、コメント欄にたどり着く。


 『二人とも可愛い〜』

 『叶ちゃんもこれまでよく頑張ったよね。高校生としても本分を忘れずに、恋人と楽しんでほしいな』

 『一生の黒歴史乙www』


色々と好き勝手書かれているが、殆どが叶のことばかり。

 あの天才が今何をしているか、皆気になって仕方ない。


 眞原叶は多くの人間に惜しまれつつ引退した、天才若手女優だったのだから。





 ヨーグルトと、ふわふわな食パンにサンドされたたまごサンド。

 耳はきちんとカットされていて、きっと余ったものは揚げておやつにでもするのだろう。


 十分に腹ごしらえをしてから、少しでも母親を手伝うためにキッチンへ。

 

 夢実に気づいた母親は、可愛らしいランチバックに入ったお弁当を渡してきた、


 「はい、これお昼の分」

 「ありがとう」

 「……この前の話だけどね」


 フライパンを煽る手を止めずに、母親が言葉を続ける。


 「……普通科に行きたいって思ったら、いつでもいっていいんだからね」

 「え……?」

 「大学だって行きたいなら行きなさい。自分の人生なんだから、悔いのないように好きなことをしてほしいの。それがお母さんの幸せだからね」


 なぜ、突然そんなことを言い出したのか。

 戸惑いながら、そのままに疑問をぶつけていた。


 「どうしたの急に」

 「だって夢実、頑張りすぎちゃう子だから」


 おまけと言いながら、チョコレートを二つカバンの中に入れてくれる。

 夢実が好きな、キャラメルナッツが入ったチョコレートだった。


 「……子供なんだから、もっとたくさん甘えなさい」


 分かったと頷きながら、素直に受け止められない自分がいた。

 母親の気持ちもわかるけれど、夢実よりももっと幼い弟もいるわけで。


 自分ばかりが我儘を言うことに躊躇してしまうのだ。

 きっと母親は、夢実と弟のためなら倒れるまで働いてしまうから。

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