第8話
どうするべきなのか、答えは決まっているはずなのに、すぐにそこまで辿り着くことが出来ずにいる。
カチャカチャと食器を洗いながら、先程の叶の言葉に支配されていた。
弟の大翔は友達の家でご飯を食べてくるらしく、珍しく母親と2人きり。
洗い物を終わらせてから、母親と緑茶を飲みながらホッと息を吐く。
「洗い物ありがとね」
「いいって。これくらいさせてよ」
「あのね……聞いたよ、事務所の人から。今までよく頑張ったね」
体を引き寄せられて、力強く抱きしめられる。
優しく頭を撫でられながら、母親の背中に腕を回すことが出来ずにいた。
「毎日遅くまでレッスンして、誰よりも頑張ってた。すごいなってずっと思ってたよ」
「……でも、ダメだったし……それに芸能科にもいられなくなったら…」
「大丈夫。お金はお母さんがなんとかするなら。気にしないで高校生活楽しみなさい」
そう言うと思った。
そう言うと思ったから、だから言いたくなかった。
この人は誰よりも子供のことを考えてくれる人だから、これ以上負担をかけたくなかったのだ。
優しい母親のことが大好きだからこそ、迷惑を掛けたくないのだ。
アイドルとしてデビューをすることが決まった彼女は、撮影やレッスンに忙しく度々学校を休むことが増えていた。
そうなれば当然、周囲も薄々察し始める。
恐らく桃山撫子はデビューが決まったのだろう、と。
その日も夢実は移動教室はもちろん、お弁当だって1人だった。
友達のいない学校は何とも味気なくつまらない。
放課後になればすぐに、カバンをもって賑やかな廊下へ。
靴箱まで向かう途中、ふとあるものがないことに気づく。
「あ……」
恐らく机の引き出しにいれたままにしてしまったのだろう。
スマートフォンがなければ誰とも連絡が取れずに困ってしまうと、駆け足で来た道を戻っていた。
教室に入ろうと扉に手を掛けたところで、室内から聞こえてくる声にピタリと動きを止める。
どうやら話をしているようで、数名の女子生徒の声が聞こえてくる。
「聞いた?桃山さん、今度デビューするっぽいよ」
「まじ?」
「詳しくは知らないけど……前にあの子と同じ事務所の子と飲んだときに、デビューするって言ってた」
「まじ?まあ桃山さんならね、可愛いし」
撫子を褒める言葉を誇らしく思いながら聞いていれば、続いて耳に入ってきたのは夢実の名前だ。
「天口さんは?」
「あの子クビになったんだって」
「え〜可哀想。でもまあ、分かるけどね」
少し小馬鹿にしたような声色。
決して褒めるわけではない、面白がっているようなニュアンスで会話を続けていた。
「だって桃山さんがいるんだもん」
「系統似てるからね。同じグループに似てるの二人もいらないだろうし」
「たしかに、ツいてないよね」
薄々自分でも思っていた。
夢実と撫子は似ているのだ。雰囲気から背格好と、似ている2人がいるとなれば、優れている方が選ばれるのは当然のことだろう。
結局選ばれなかったのは夢実の実力不足。
撫子の方が魅力があった、それだけの話だ。
「あの二人小学生から練習生でしょ?」
「そうそう、可哀想だよね。何年も費やしたのに」
「時間の無駄っていうか……ねえ」
「他のことしといた方が良かったんじゃない?」
スマートフォンを取りに来たことなんて、すっかり忘れていた。
ふらふらとした足取りで、無意識に辿り着いたのは1年D組の前。
「誰もいない……」
当然だ。今は放課後で、残っている生徒の方が少ない。
そこまで考える余裕がないほど、感情がグルグルと掻き乱されていた。
ローファーに履き替えてからは、急足であの場所へ向かっていた。
連絡先も、家も知らないからこそ、数少ない共通の場所へ向かったのだ。
「……ッ」
息を乱しながら公園に辿り着けば、あの日と同じ場所に彼女はいた。
その姿にホッとしながら、ふらふらとした足取りで眞原叶の側まで近づく。
読書を邪魔されたにも関わらず、叶は嫌な顔ひとつしなかった。
まるで夢実がこの場所に来ることを分かっていたかのように。
「……眞原さん」
「案外早く決心が付いたみたいですね」
「私……自分でもよくわかってないの」
動画配信者をやりたいと、胸を張って言えるわけではない。
アイドルの夢は諦めたと、大声で言うことだって出来ない。
ぐるぐるする心から、必死に言葉を紡ぎ出していた。
「慰められるのも、可哀想って思われるのも
どっちも嫌だ……励まされても悲しくて、自分でも何のために頑張ったんだろうって思っちゃって」
瞳から溢れ出した涙が、頬を伝っていく。
声を震わせながら、必死に紡いだ。
「……けど、でも……何かに繋げたい」
「……はい」
「あの時間が無駄だったって思いたくないの……見返したい。私を選ばないなんて見る目がないって…そう思われるような人間になりたい」
優しく頭を撫でてから、頬を伝う涙を拭ってくれる。
「……私に任せてください。絶対にあなたを輝かせて見せます…笑ってくださいよ?夢実さん、こんなに可愛いんだから」
安心させるように、叶が笑みを浮かべて見せる。
その笑みを見て、少しだけ心が軽くなっていた。
願っていた道ではなかった。
夢見ていた、未来ではなかったけれど、新たな風が吹くのを肌で感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます