第7話


 アイドルになる夢が完全に絶たれただけなら、まだマシだったかもしれないと、夕暮れ時の道を歩きながら考えていた。


 芸能科に所属できなくなるから、これからは学費まで掛かるようになる。


 ただでさえ裕福ではない家庭に負担を掛けることになってしまうのだ。


 沈んだ心で帰路についていれば、自分よりも頭ひとつ分小さい弟とすれ違う。


 練習着を身につけていて、これから汗を流しにいくのだろう。


 「ねーちゃん!」

 「おつかれ、いまから練習?」

 「そ!あのね、おれレギュラーに選ばれたんだ」


 7個年下の大翔はサッカークラブに所属していて、なかなか上手いのだと母親から聞いていた。


 いずれは中学、高校でたくさん試合に出たいと息巻いているそうだ。


 そうなれば間違いなくお金が掛かる。

 将来的に、大翔には大学にも行ってほしい。というよりも、いずれ進学したいと思った時にお金を理由に諦めてほしくなかった。


 「頑張ってシュート決めなよ〜」

 「あたりまえじゃん!」


 ぶんぶんと手を振りながら走り去っていく弟の背中を見つめながら、カバンの中にある普通科へ編入するための書類を破ってしまいたくなる。


 ため息を吐いてから、夢実は以前訪れた公園へと足を運んでいた。

 辛いことがあった時、いつもここに来ているかもしれない。


 「生きるってお金が掛かるんだな」


 ただ生きるだけでも、洋服代に食費。もちろん水道光熱費や、持ち家のため家賃は掛からないけれど維持費は掛かっている。


 「……学校、やめる?」


 一人で呟きながら、他の選択肢を思い浮かべる。

 通信制の高校や、もっと学費の安い高校に編入するのも良い。


 そうしたら、お店を手伝える。

 レッスンもないから、放課後は暇なのだから母親を精一杯支えることができるだろう。


 もし友達ができたら、放課後にどこかへ行ったりするのも楽しいかもしれない。


 「……オーディションを受ける、とか」


 だけど受かる保証なんてどこにもない。

 芸能界が甘くない世界だと言うことは、身をもって体験した。


 夢実は才能がないのだと、正面から宣告されたばかりじゃないか。


 ベンチに座りながらじっとローファーのつま先を見つめていたせいで、すぐ目の前まで誰かが近寄っていることに気づかなかった。


 「天口夢実さん」


 名前を呼ばれて、驚いて顔を上げる。

 突然フルネームで呼ばれたのだから当然だろう。


 練習生として、先輩アイドルのステージでバックダンサーとして踊っていたことはある。

 ほぼ無名に近いけれど、公式サイトに練習生として顔写真も載っていたのだ。


 まさか幻に近い自分のファンかと戸惑っていれば、夢実の名前を呼んだ女性が同じ制服を着ていることに気づいた。


 「昨日はご馳走様でした。めちゃくちゃ美味しかったです」


 そう言いながらマスクを外して、夢実のすぐ隣に腰を掛けてくる。


 同じ制服を着ていて、話したことはないはずの彼女のことを知っていた。


 「眞原叶……」


 名前だって知っているし、調べれば誕生日や身長だってすぐに出てくるだろう。

 だって彼女は今をときめく天才女優……だったのだ。


 「私のこと知っててくれたんですね」

 「だって有名人だし……ご馳走様ってなんのこと……?」

 「この前くれたじゃないですか。お弁当」


 まさかこの場所で泣いていた女子生徒が、誰もが知っている超有名女優だなんて思うはずがないだろう。


 何も知らずに、夢実は彼女にお弁当を渡していたのだ。


 「助かりましたよ。あんなに美味しいお弁当初めて食べました」

 「どうも……」

 「嘘だと思ってません?本当なのに」


 明るく話しかけられても、どう反応すれば良いのか分からない。


 彼女のことはみんな知っている。

 子役から活躍した天才女優。

 そんな彼女が急に引退を発表したと報道されたのが今朝のことだ。


 一つ年下で、大人っぽいわけではないのに、全てを見透かすような目をしている。

 きっと芸能界でいろんな思いをしてきたのだろう。


 「何の用ですか」

 「お願いがあって」


 肩をガシッと掴まれて、意外と力が強いのだなと考えていた。

 夢実より背も低いけれど、オーラがあるため存在感がある。


 「夢美さんって芸能事務所から契約切られたんですよね」

 「ど、どうしてそれを……」

 「夢実さんと同じ事務所に所属してる子から聞きました。いま困ってるんじゃないですか」


 自分よりも5センチほど背が低いであろう彼女から、肩を押さえつけられた状態で迫られている。


 噂通り瞳がぱっちりしていて可愛いだとか、今目の前にいる彼女の美貌に見惚れる余裕もない。


 「……芸能科に居続けるための条件は二つ。事務所に所属しているか、SNSで10万人以上の登録者を誇る人気インフルエンサーであるか」

 「……そ、そうだけど…」

 「だから協力して欲しいんです」


 顔をグッと近づけられる。

 毛先がふんわり巻かれていて可愛い。

 きっと毎朝手間暇かけてセットしているのだろう。


 「動画配信者として一緒に活動して欲しいんです」

 「……は?」


 何とも間抜けな声を夢実が発しても、叶は相変わらず真剣な表情を浮かべていた。

 一生懸命に理解しようとするけれど、そもそもどうしてそんな提案をしてきたのかちっとも分からない。


 「な、なんで私なの」

 「元々誰かを誘おうと思ってました。一人でやるより、可愛い女の子が二人並んでる方が見栄えが良いですから」


 眞原叶レベルの美少女でなければ許されない言葉だ。非の打ち所がない美少女でなければ、そんなことを言えば怒られてしまうだろう。


 「動画配信者って、どうして急に……」

 「事務所をクビになったもの同士協力しましょうよ」

 「クビってなんで知って……」

 「夢実さんと同じ事務所の後輩から聞きました。事務所のホームページから、写真も消えてましたし」


 そんなプライベートなことをペラペラと喋る後輩に呆れてしまう。

 だけど今はそれよりも、一つのことが引っ掛かっていた。


 「あれ、眞原さんはクビじゃないでしょう?契約を解除したってニュースで……」

 「表向きはそうですよ?実際はクビです。おじさんの接待を断ったら、干すぞって脅されて……殴ったら凄く偉い人だったらしくて、責任取らされた感じです」


 あまりに衝撃的な事実に開いた口が塞がらない。

 そんな都市伝説のような枕営業が本当にあるのかという衝撃と、怯えるどころか殴る彼女の強さ。


 「他の事務所に入ることも考えたんですけど、恐らく圧を掛けられて入所しても使ってもらえないだろうから……あちらが手の届かないネット配信に目を付けたって感じです」

 「でも動画配信者って……ネットドラマとか、いまたくさんあるのに」

 「好きなんです、動画配信。ずっと子供の頃から演技ばっかりさせられてたから、好きなことをしてみたい」

 「でも,なんで私なの……」

 「昨日のお礼です」


 そう言いながら笑った彼女は、テレビで見るよりも可愛かった。


 自然に微笑んでいるように見えるのは、夢実がそう思いたいだけなのだろうか。


 「困ってるんですよね?実は職員室でも話聞こえてました」

 「あの場にいたの……?」

 「理由は私も同じですよ?けど……私がいれば絶対に登録者はいずれ10万人は越えますよ。それどころか100万人だって夢じゃない」

 「そんなの……」

 「芸能科に所属し続けないとまずいのでは?」


 痛いところを突かれて、押し黙ってしまう。

 その隙に叶はさらに畳み掛けてきた。


 「私も好きなことができるし、権力の手が届かないところで伸び伸びとやっていける。人気が出れば、夢実さんも芸能科に所属し続けられてお互い利害関係は一致してるじゃないですか」

 「けど……」


 引っ掛かるのは一つ。

 動画配信者は知っている。いまはアイドルも生配信をやっているくらいで、その影響力や凄まじいのだ。


 だけどアイドルが片手間で生配信を行うのと、動画配信者をメインに活動するのは違う。


 「少しだけ、考えてもいい?」

 「もちろん。私、1年D組にいるので決まったらきてください」


 答えは一つだろうに、すぐに答えることが出来なかった。


 こんなに有難い話はない。

 あの大人気女優と一緒に活動が出来るなんて、これ以上の話はないだろうに。


 長年の夢が引っかかっている夢実は、本当に贅沢もので、自分の立場を理解できていないのだ。

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