第6話


 辛子明太子を少しだけフライパンで焼けば、皮がパリッとするため、母親は忙しい中でも必ず一手間を加えてくれる。

 表面も軽く焼いているため、中の柔らかい食感との違いが楽しいのだ。


 家族3人でテレビを囲みながら、彼らに隠し事をしている罪悪感で胸がちくりと痛んだ。


 結局、夢実は芸能事務所を退所したことを家族に話すことが出来ずにいるのだ。


 どう切り出そうかと悩んでいれば、テレビから聞こえてくるアナウンサーの声に顔を上げる。


 『大人気若手女優の眞原まばらかなさんが、芸能事務所との契約を終了したと発表しました』


 眞原叶のことを知らない人はいないのではないかと思うほど、彼女は多くの作品で結果を残した実力派女優だ。


 子役の頃からその名を轟かせて、成長してもその美貌が衰えることなく、国内の若手女優で彼女の右に出るものはいない。


 それくらい、美しさと演技の才能を持ち合わせているのが眞原叶という女優だった。


 『今まで芸能人として活躍していた分、これからは学生として自分の好きな選択をしていきたいと……』


 夢実が憧れていた世界を、あっさりと自分から手放す人がいる。

 簡単に入ることはできず、地位を脅かされないほどの人気を得ることは凡人では到底成し得ない。


 「すごいな……」


 その場所に行きたくて堪らない人がいることを、きっと持つべき人は一生分からないのだろう。


 話半分にキャスターの声を聞きながら、学校に遅れないように慌てて朝ごはんをかき込んでいた。





 何年一緒にいても、目の前にいる美人はいつ見ても美しいと思える。

 どの角度から見ても綺麗な顔を見つめながら、ふと気になった言葉を彼女へぶつけていた。


 以前、レッスン室にて撫子が何かを言いかけていたことを思い出したのだ。


 「撫子さ、この前レッスン室で何か言いかけてなかった?」

 「そうだっけ、覚えてないや」


 そう言われてしまえば、何も言うことは出来ない。

 まだ彼女がデビューすることは公に発表されていないため、声を小さくして言葉を続ける。


 いくら休み時間で騒がしいとはいえ、どこで誰に聞こえているか分からない。


 「レッスンどう?メンバーとは仲良くなれた?」

 「んー……どうだろう。私そんなに社交的じゃないし」

 「そんなことないでしょ」


 撫子は昔から男女ともに好かれるのだ。

 クールに見えるけれど、話をしているうちに彼女が優しい人間であることはすぐに分かってしまう。

 

 「夢実がいたらもっと楽しかったんだろうなって思うよ」


 ハッとしたように目を見開いた後、こちらの様子を伺うような視線を寄越してくる。


 きっと失言をしたと思っているのだ。


 優しいこの子が後悔に駆られないように、笑みを浮かべる。

 撫子だって夢実と同じくらい努力をしてきたのだから、夢を掴み取ったことに引け目を感じて欲しくなかった。


 「まちがいないね」


 安心させるように頭を撫でてあげれば、ジッと見つめられる。


 「……夢実」


 それ以上何も言わないけれど、必死に何かを伝えようとしている気がした。

 一体何なのだろうと、その目線から逸らすことが出来ない。


 どうしたの、と尋ねるよりも先に第三者の声で名前を呼ばれたことでタイミングを失ってしまう。


 「天口、すこしいいか」

 「あ……はい、今行きます。撫子、何か言いかけてた?」

 「名前呼んだだけ。先生待たせちゃダメだし、早く行ってきなよ」


 本当に名前を呼んだだけなのかと聞きたいけれど、撫子は頑固だからきっと答えてくれないだろう。


 後ろ髪を引かれながら、前を行く担任教師の後をついていく。

 そうして到着したのは、普段滅多に立ち寄らない職員室だった。


 昼休みなため、食事をしている先生ばかり。


 「昨日事務所の方から連絡を受けたんだけど……契約を解除したっていうのは本当?」

 「はい……」


 そんなにも早く連絡がいったのかと、戸惑いながら返事をする。


 「……わかってるよね?芸能科に在籍する条件」

 「え……条件?」

 「芸能事務所に所属をするか、SNSでフォロワーが10万人以上いるインフルエンサーであるか……どちらかが満たされてないと、退学か普通科に編入しないといけないの」


 当然といえば当然だろう。

 芸能科は芸能に携わる生徒が、普通科では学業との両立が難しいために所属しているのだ。


 事務所をクビになった夢実は、芸能科に所属する意味がない。


 そこでふと、あることに気づいた。

 芸能科の生徒は学費が無償だ。

 無償というよりも、事務所が肩代わりしているのだ。


 だからこそ、事務所からすぐに学校へ連絡が入った。もう、うちが抱えている練習生ではないから、学費の支払いが行われなくなる、と。


 その後ろ盾がなくなるということは、あることを指している。


 「普通科だと学費が掛かりますよね?」

 「そうね……」


 この学園は私立で、おまけにセキュリティが万全ないわゆる御坊ちゃま、お嬢様御用達の学園。


 芸能科の生徒は無償だから庶民でも在籍できるけれど、普通科は皆お金持ちばかりなのだ。


 「……けど今は私立でも学費の無償化もあるから」


 高校進学にあたって、自分で色々調べたのだ。

 学費の無償化にも上限があって、月に何万円と規定があるはず。


 うちの高校は間違いなく上限を越すため、不足分は各自で支払わなければいけない。


 いつも優しく包み込んでくれる母親の顔が浮かんで、ぎゅっと下唇を噛み締めていた。

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