第5話
渡された大きめの紙袋に、ロッカーに閉まっていた荷物を全て詰め込んでいた。
レッスンに関係のないぬいぐるみは、撫子と遊んだ時にUFOキャッチャーで取ったもの。
こうして遊んでいた暇を、全てレッスンに打ち込んでいれば、また違う未来を迎えられたのかもしれない。
制服に着替えて終わってから、ロッカールームの鍵を返却して、ぼんやりとした思考の中長い廊下を歩いていた。
途中で通りかかったレッスン室。
きっと撫子はいま、練習しているのだ。
アイドルという夢を叶えて、自分とは全く違う未来を歩もうとしている。2人の人生における分岐点は、間違いなく今だろう。
事務所を出てからは、一人でオフィスビルが立ち並ぶ道を歩いていた。
駅までは遠いため、大きな紙袋の紐が肩に食い込んで痛い。
「……なんだったんだろう、私の7年って」
全てを捧げてきたつもりだった。
勉強も運動も、全てを投げ打ってここまで頑張ってきたのだ。
放課後は遊ばずにレッスンに集中して、部活にだって所属していなかったから友達は撫子しかいない。
人生の半分近くを、この夢を叶えるためだけに頑張ってきたのだ。
重い足取りで電車を乗り継いで、最寄駅にて降りる。トボトボと足を進めるが、真っ直ぐに家に帰る気にはなれずに公園に寄り道していた。
ブランコに座ってから、足元に大きな紙袋を置く。
「……もうやだ」
どんな顔で母親と顔を合わせれば良いのかわからなかった。
夢実と同じくらい、いやそれ以上に応援してくれたのだ。
レッスンの日には頑張れと、お弁当を持たせてくれて、落ち込んでいれば優しい言葉で励ましてくれていた。
娘がアイドルの夢を絶たれたと聞かされたら、きっと夢実の心情を察して同じくらい胸を痛めるのだ。
「……あれ」
同じ制服を着ている女性の存在。向かい側のベンチに座っているその女子生徒は、マスクを付けているため顔はよく見えなかった。
苦しそうに眉間に皺を寄せている。
まだ19時ごろだけど、夜の公園で何をしているのだろうと気になるのは当然だ。
もしかしたら同じような理由で落ち込んでいるのだろうかと、1人で想像を膨らませていれば、スカートのポケットに入れていたスマートホンが通話を知らせる着信音を奏で始めた。
「お母さん、どうかしたの?」
『もしもし?いまレッスン中?」
「もう終わって帰るところだよ」
『ほんとう?申し訳ないんだけど、帰ったら宅配の注文配達をお願い出来たりする?』
「わかった、すぐ帰るね」
父親が亡くなって以来、注文配達は近距離に限定している。以前は大口の注文や遠方の出張も行っていたそうだが、母親だけでは手が回らないのだ。
ブランコから降りて、紙袋を抱え直す。
「よし」と一言呟いてから、温かい家族が待つ家へと足を進めた。
制服姿に「天口屋」と胸元に刺繍が施されたエプロン。着替える時間が勿体無くて、帰ってすぐに配達へ向かったのだ。
配達帰りは急ぐ必要がないため、行きよりもゆったりとした足取りでペダルを回す。
自転車かごには一つだけ余ったお弁当箱が入っていた。
「お母さんもうっかりだよなぁ」
お弁当がひとつ多かったのだ。サービスであげると配達先にて伝えたが、そんなに食べきれないからと返されてしまった。
もうお店は閉店なため、これは廃棄か夢実の夜ご飯になるだろう。
「……帰ったらなんて言おうかな」
事務所をクビになって、アイドルには絶対になれないよと告げなければいけないのだ。
憂鬱な気持ちで夜風を浴びていれば、見慣れた制服を見つけてブレーキを掛ける。
「あ……」
先ほど夢実が時間を潰していた公園に、まだあの女子生徒がいるのだ。
目元にはハンカチが添えられていて、泣いているのがひと目でわかる。
何かあったのだろうかと、気づけば自転車を降りていた。
「……だいじょうぶ?」
少し遠いところから声を掛ければ、彼女が驚いたように顔を上げる。
自分でもお節介だと思いながら、一歩前に進んでいた。
「2時間くらいここにいるでしょ。お腹空いてないの?」
「……空いてるけど…」
名前どころか顔も知らない彼女に、夢実がしてやれることなんてほとんどないだろう。
だけど何もしてやれないわけではない。
ビニール袋に入ったお弁当を、彼女が座っているベンチの上に置いた。
「これ、あげる。危ないから早く帰った方がいいよ」
もうすぐ、高校生が歩いていれば補導される時間になる。
そう言い残して立ち去ろうとすれば、ぱっちりとした瞳と目が合う。
「いいんですか?」
「どうせ廃棄になるだろうし……」
「ありがとうございます」
こぼれ落ちそうなくらい瞳が大きくて、まつげパーマをしているのかぱっちりとしていた。涙袋はぷっくりしているわけではないけれど、バランスが良いためそれがプラスになっている。
マスクをしているけれど、小顔であることが十分に分かる。
もしかしたら同じ芸能科の生徒なのかもしれない。
だとしたら、ここで泣いている理由は夢実と同じようなものだろうと、何も知らない夢実は何とも見当違いなことを考えていた。
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