第10話 再演のサイエンス
――赤く、燃えるように、染まる学校。電車から降りた僕は斜陽が見せるそのおどろおどろしい光景に、尻込みする。とりあえず校門の改札を乗り越え、閉校中の学校を見渡す。日中清涼な雰囲気を醸し出す下駄箱は、本来の黒系の色も相まってか、斜陽の中で地獄の一室の様を見せ、その奥に繋がる廊下は、今にも魔物がはい出てきそうなくらいには暗い。
「来なきゃよかったかな」自分からこの場を選んだくせに。そんな自嘲も束の間。廊下の奥から這いよる一撃を間一髪、躱す。振り返れば見覚えのある姿。当然、僕がこの場に呼んだ鏡AZその人だ。いきなり僕の命を取りにきたところを見ると、どうやら勘は当たっていたみたいだ。
「リアルな殺陣はやめて、話し合いたいなッ」話しかけても返事はなく、代わりにローのキックが僕の右腿に炸裂する――あくまで少量の痛み。それは二十センチの体格差からも歴然としている。だが相手は本気だし、身体は十六歳の少女。このままではお互いの体が危ない。だからここは一旦。僕は走り出す。無論、AZを誘うのを忘れずに。
灼鉄の廊下を走り抜け、教室棟へ。旧時代の木製の駅を再現した教室棟は暗闇が続くこの空間にコツコツと小気味良いアクセントを加えた。廊下を疾走する僕に「二」の字が視界に映る――なるほど、いい舞台だ。そう思って、僕は扉に体当たりし、教室に転がり込む――ここだけ強い消臭剤の匂い。狙いは間違いないらしい。僕はすぐさま体制を立て直し、持ってきた学生鞄を開ける。鉄縄に、スタンガンに楔、その他いろいろ。工事現場以外で使うと事案になりそうな特殊工具。廊下の方から近づいてくる音を気にしながら、簡易的なスタントラップを仕掛ける。鉄縄で足を引っ掛けたところに電流を流す、そういう類。
「誘ったとはいえ、暗闇なんだけどな」そうぼやいたのも束の間。音が止まる。仕掛けは二割弱。本来ならこちらから待ち構える予定だったのだが。立ち上がり
「これが両思いってやつなのかな」はじめてだけどさ、と扉の前のAZに向かって言う。AZは答えない。言葉を話せ、と命令されていないみたいには暴。だから彼女の行動は、より戦闘的で、より複雑で、僕の浅薄な知恵を越えて本当に暴振り。言えることは、冗談を試みた僕はバカだったということだ。彼女が取った行動は、ただその大きな目を見開いたまま、裸足のままの足で、少し後ろに下がり、助走をつけたその勢いで、僕の罠を飛び越えて、僕の胴体にドロップキック。そのまま馬乗りになって殴られ続ける。さっきも言ったように、一発一発のダメージは大きくない。ただそれは単発の場合。連続で喰らえばその分ダメージは大きい。
「うぐっ」細い拳が顎に入り、脳が揺れる。視界が霞む。抜け出そうと足掻くも、身を捩る度に電流が走ったみたいな痛みが走り、力が入らない――これでおしまいか。僕は目を閉じる。とどめを刺すなら早くしろ。その方が楽でいい。死の直前には走馬灯が流れるというけど、僕の思考には何も浮かばない。なんて空虚な日常か。いや、推しに殺されるのは本望か。
だが、いつまでたっても次の一撃は来ない。痛みの走る暗闇に、温かいものが伝わる。不思議に思って腫れ上がった瞼を開ければ、そこには僕とは違う要因でその瞳を赤くする少女――ああ、君がこんな風に涙を流すなら、最初から僕に相談すればよかったんだ。だって僕らは、だって親友、なのだから。
「マコトォォォ!」AZを押しのけ、トラップ用のスタンガンを投げつける。AZにではなく、その向こうに座す真犯人へと。暗闇から叫び声が上がり、目の前のAZが人形のように動かなくなる。僕はAZに安全な体勢を取らせると、声の方に向かう。教室の外の暗闇には、真っ黒なジャージの少女が倒れ込んでいた――予想は当たるものだな。声を上げる。
「僕の電話帳には家族とお前くらいしか登録されていない。それで電話をしたらこの待ち伏せ。これはお前が犯人ってことでいいのかな、マコト」
「死人に電話する奴がいるかよ。探偵」微かに声をあげる。
「出る君も君だ。まぁもし出なかったら不法侵入するつもりだったから」そうか、と溜息を吐くマコト。お決まりな「いつから?」とは聞かない。幾つか聞こえないことを呟いてそれで問う。
「じゃあ聞かせてくれよ。死すら打ち消す、ご自慢の推理って奴をさ」僕は無言でうなずく。
「この聖アントニウスの遺骨にまつわる事件。その全てをまとめると大きく分けて三つのカテゴリがあった。一つ目は、リヨン聖堂内で起こり、その後遺物が盗まれた、少女による無差別焼失事件。二つ目はVtuber鏡AZによる『炎の病』の事件。そして三つ目の、同じくAZによる人体焼失事件。これらは一見同一人物による、同一犯行のように思える。勿論どれも大量に人が死んでいることに変わりはないし、最後の事件を除いてはそこを否定する理由もない」僕はマコトを見る。
「だが、当然、僕がわざわざ三つのカテゴリに区分したのには、理由がある。それは、後者二つの日本で起きた事件は、フランスで起きた事件の模倣に過ぎないからだ」
「ほぉ。AZの犯行が全部パクリってか。コイツは驚きだぜ」僕を嘲笑う目。
「なんなら、一個目の事件は事件ですらない。本来なら、それは事故に過ぎないものだったはずだ。犯人は、それを模倣しようとした、だから、三つ目の事件が起きた。だろ?」見つめ返す。
マコトは反応しない。体の痺れもあるだろうが、僕に全て見抜かれていると知っているからだろう。それはある種気恥ずかしさの発露。だから目を合わせず僕に聞く。
「……続けろよ。結論だけ話そうとするのはお前の悪い癖だ」言われるまでもない。
「最初に疑問に思ったのは一個目の事件のことだ。少女が起こしたとされる、聖遺物を狙った無差別人体焼失事件。教会になかにいると、少女がどこからともなく現れて、そのまま立ち去ると、教会内のあらゆるものが突如燃やし尽くされ、人間までもが形も残らず燃え尽きた。そして気がつけば、聖堂の遺骨は盗まれていた、そういうふうに生き残りの少女が語ったらしい。警察が実際に調べても遺物は盗まれた形跡があったし、人間が燃え尽きた後もあった。だから彼女の証言は正しいようだ。しかし肝心の犯人は未だ見つからず、迷走。そういう話。だが、よくよく聞けば、彼女の話には二つの不可解な点がある。一つは、全ての人間が燃え尽きているはずなのに、何故彼女だけ無事なのかという点。二つ目は、単に燃え尽きたかもしれないのに、なぜ彼女が遺物について『盗まれ た』なんて表現したのかという点だ。僕はここに少女の意図を感じた。例えば、そう、それはアブダクションみたいな。確認できる現状と相違ないから彼女は正しいことを言っている、そう勘違いさせるための。そうわかったなら、後は、その意を反転させればいい。全てが燃え尽きたことが噓なら、他にも生き残りがいるということになり、『盗まれた』と表現するのが嘘なら、犯人は立ち去ったのではなく、まだここにいる誰か、ということを示す」
「では、そうして噓をついてまで存在を隠し、かばいたかったのは何か」僕は床に転がるAZのところまで歩いて行き、彼女の神をたくし上げて後頭部を見せる。そこには本来柔らかな肌に覆われているはずの頸部が飛び出し、古い骨のようなものと融合している様が見えた。
「それは鏡AZこと、
僕はエイムスから聞いたことをそのまま話す。
「聖遺物と人間の融合。名前だけ聞けばカッコイイけれど、その実態は、生者を元になった聖人の入れ物にする神卸の儀式。適合する人間と聖遺物が巡り合わないと起こらない、確率は物凄い低いことなんだが、実際にそれは起こり、巻き込まれた。しかし、リヨン聖堂の炎上は、聖人が顕現する際の副次効果なんだ。所謂単なる演出。本来は俗性の浄化、古き関係を捨て去るためのイニシエーションにすぎなかった」だからこそ、と続ける。
「これからの事件は、その炎を模倣した事件なんだ。持つはずのない能力を持っていると勘違いした」僕はマコトを見る。呼吸が荒く、華奢な肩を上下させている。
「俺の弁明は特にない。どうしてやったのかなんて最後でいい。早く俺を犯人だと突き止めてくれよ。探偵さん」マコトは僕と目を合わせない。僕も、同じ気持ちだ。だから、話す。
「第二第三の事件。それはアンチを燃やす炎上配信。この事件で、僕が二つのカテゴリに区分したのは、実際に人が燃えているか否か。その違いによるもの。前者は燃えず、後者は実際に人が燃えた。当然、突っ込むべきはそこしかない。これには、犯人が手に入れた『炎の病』がそもそもどういう類のものか理解する必要がある。『炎の病』とは、そもそもが麦角菌に感染したパンを食べることで発症する、麦角中毒の中世期の名称にすぎない。だが、いつかの時代、日頃より聖アントニウスの中傷を行っていた男が麦角中毒で死ぬと、この病は聖アントニウスへの中傷と結びつけられ、いつしか聖アントニウスは『炎の病』の聖人として祀られることになった。そうして使えるようになった能力こそが、他者の悪意に反応する『炎の病』という能力」
「だが、この能力は、フランスから逃亡している意識のある犯人にとっては非常に使いづらいものだった。だって、他人から悪意を受けることでしか発動できないんだから。能力を発動しようとするたびに直接人と関わりを持っていたら、それこそ足がついて捕まってしまう。だから犯人は匿名で足のつかない方法を探した。その答えが動画配信。流れるコメントの中から、アンチのものを見つけてやれば、それだけで能力発動だ」
「それだけ聞けば順当にAZが犯人ってことになるんじゃないのか。なぜ俺だと考えた」
「その時は犯人はマコトだってわからなかったさ。犯人はAZじゃないって思ったのは、ちょうど朝の配信をみた時のことさ。配信の時の同接者数、そしてそのコメントの物量。君もいつも見てるからわかるだろう? あの量はパッと見でアンチかなんか判断つかないし、そんな余裕もないだろう。そうして考えていると配信の管理をしようと巡回してる自分がいることに気が付いた。そして自身の持つ役割と、同等のものを持つもう一人がいることに思いあたった。そう、モデレーターだ。モデレーターならば、その権限でコメントを巡回することができるし、さらに関係ない視聴者でも、ブロックさえしてしまえば、それは配信者に害を成すものとして記憶される。正に『炎の病』を流すには効率的な地位だ。だが、犯人はここで根本的な勘違いをしていたんだ」
「それは『炎の病』には人を燃やす作用がないこと。犯人はそれを知らなかった。なまじアンチが麦角中毒になって配信どころじゃなくなるから、勘違いしたんだろう。でも、ある時知った。自身がまるで検討違いのことをしていたと」
「マコト」僕は問う。あんだよ、とマコト。
「そういう時、犯人はどうすると思う?」僕はマコトが口を出す前に答える。
「今度は間違わないように実験する。例えば、修正が効きやすい、手近な所で」
「それが僕。第三の事件のきっかけさ」
「お前が何をしたっていうのさ。結局、お前は何もせず、その目の前で人は燃えたじゃないか」
「そうだよ。僕は傍観者であり、観測者に過ぎない。だけど、この事件は観測者であることこそが意味を成す」
「ところでさ」と僕は話題を変える。
「都市伝説って知ってるか」
「こっくりさんとか、そういう奴だろ。てか関係あんのかよ」
「ああ。それが第三の事件で、あのデブが燃えた原因だよ」
「都市伝説とは、そもそも人々が一つの非現実を信じることで、実際に成り立ってしまう現象のことだ。君が挙げたこっくりさんだって、そうだ。狐狗狸神が自分たちの質問に答えてくれていると信じることで、十円玉が動き、答えを示す」
「そして、それは『炎の病』だって同じことだ。忘れたか?『炎の病』とは元々麦角中毒の名称に過ぎなかったことを。これも都市伝説そのものなんだ。そして、どうしてあのデブが燃えたのか、その『炎の病』が能力として発動ところを見ればすぐに思いつく」
「君はVtuber鏡AZの配信を使って新たな都市伝説を広めようとしたんだ。『炎の病』が人を燃やす能力であるように、な」
「と言ってもやり方は口で言うほど単純じゃない。現実を捻じ曲げるようなレベルの噂を流さないといけないからな。さらに噂を正確に伝えるのだって難しい。だから、その噂の文字通りの火付け役が必要だった。実際に体験させることが、正しい伝達の基礎だからな。そしてそういう人材をそれとなく探した。AZのことなら何でも信じて、コミュニティの中で発信力のあり、自分がコントロールしやすい人間――そうして行き当たったのが僕だ」
「適当な人間を見つけ出したなら、後は簡単。あの手この手で僕に情報をすり込めばいい。AZからも君からも。例えば、朝のニュースコーナー。例えば、君との登校。そうして僕にAZは炎を使ってアンチを裁くという認識を植え付け、とどめのスパチャボムでデブを燃やす。そうして僕の無意識下のことを実現させて信じ込ませ、ついでに周りの連中にも見せつけて噂の拡大を図る。実に完璧な作戦。考えたのが本当に、脳筋の君かと疑うくらいに。でも、君はいい奴すぎた。君は、僕に絵画のヒントを与えてしまった。君は自らエイムスという、トリックの種を見せにいってしまった。それが君の敗因だ。そして」――僕は零れる体液を飲み込む。口が乾くくらいに。
「それが君の死因でもある」
凍り付いたように流れる空気。燃えるような時間は過ぎ、ただ三つの吐息が残る。定期的に陰から覗く息と、対峙する息と、もう消えそうな息。廊下の電気がついて明るくなる。目に映るのは、目の前の水膨れまみれの体、うっすらと光る偽物の手、つまりは今のマコトの今の姿だった。
「君はむちゃくちゃだよ。いくらネタが割れたからって自分を燃やすなんて」マコトは微笑む。
「その割には、謎は、解かれちまったけどな」
「時間帯だよ。あの時はAZの配信の時間帯じゃなかった。あんなに配信で燃やすことにこだわっていた奴が、その時間帯以外で人を燃やすはずがない。だから、模倣犯か、君が犯人かの二択だった。さらに言えば、再現度だって甘い。あの病がもたらす炎をは内側から湧き上がって来るものだ。でもコイツは外皮が燃える程度に過ぎなかった。それに君、あのメールボムを僕の妹に依頼したろ。僕のPCに開発履歴が残ってた。あいつは鍵盤ハーモニカで操作できるようにPCを改造してあるんだ」
「なんだよ。説教か。それならお前が俺のアドバイザーだったらよかったのに」
「無茶いうなよ、犯人」
「それもそうだ。探偵」僕らは笑い合う。事件なんかなかったみたいに、それはもう。それが最後の団欒だって思えないくらいには。そうしてひとしきり収まったころ、僕は問う。
「なぁ、そろそろ話してくれよ。事件のことを」マコトは偽物の笑顔を作る。その目を燃やして。
「言え、ないよ。言ったら、お前に嫌われる。こんな人殺しのことを」
「人殺しは嫌いだ。それは僕の中で変わりはない。だが、いつも君は誰かのために動く。そういう人間だった」そう言って、僕は最後に真実をマコトに伝える。
「……がとう」僕の耳に届くのは絞り出すような少女の声。それは僕にだけ告げた、等身大の人間の悲痛な叫び。泣いて笑って安堵して、最後に寂しそうな顔をして、また笑う。少女は結局のところ、最初から妹の、鏡AZの、大逆アンナのためにしか動いていなかった。そのために、何十人もの焼死体を捧げて、最終的に自分は死ぬつもりだった。逸話に照らし合わせれば、神のために妹を捨てたアントニウスとはまるで、逆。少女は聖人には、なれなかった。それは、最初の最後まで、笑顔の似合ういい奴だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます