第6話 遅すぎたメール
体育館。午後の授業の時間をぶった切って緊急全校集会が開かれる。件名はもちろん昼休みのあの火事のこと。実際に火はすぐに消し止められたから、事実火事というものは起こっていないに等しいのだけれど、一メータ強の炎がいきなり教室に現れれば、そりゃ緊急で全校集会が開かれる事案にもなる。それと、普通は、こんな人が一人死ぬ大事件、拷問並の答弁会が開かれて当然だが、このことに関して教師陣から詰められることは特になかった。あの後火事のことで教室にいた生徒全員に事情聴取があったらしいが、幸いにして、火の手が上がった教室はパニック状態だったから、僕とアイツが出火直前に何かあったと証言する人はいなかったようだ。
――なんて、冷静な判断を下してみたり。僕は体育座りをしながら考える。正直、こんなに冷静でいられるはずもない。人が一人、目の前で炎上し、ただ炎だけがそこに残る。ああ、コイツは死んだんだなって、それだけ。それぐらいしか感じない、一瞬の炎。シミすら残らないんだよ。火を扱っていた生徒がどこかにいたのだろう、って学校は言うけどさ。そんなものどこにだってありはしないんだ。僕やアイツはライターなんて持っていなかったし、そもそもあの一瞬の中で、人のカタチすら残さないほどの高温を、生徒が持ち込める器具程度のもので起こせるとは思えない。アイツの体に直に触れた僕しかわからないだろうが、あの火事の火元は明らかにアイツ自身なんだ。体から放たれる異質な高温。それが『なんで』起きたのかは――
……ちょっと深呼吸。人間が焼ける匂い。鼻の奥に未だにこびりついている。葬式ですらもう少しオブラートに包むというのに、現実は本当に生々しい。
「起立、「気をつけ、礼」校長が台の上から号令をかける。やっと全校集会終了の合図。
下校時刻になる。事件もあったし、今日はもう早く帰れということで、いつもより二時間くらい早く帰れることになった。一人上履きを脱いで、ヨロヨロと下駄箱を出る。普段ならマコトと一緒に帰るのだが、今日はどうも都合が悪いらしい。まだ高い太陽を見て疲れが増す。身体というより、心が疲れたという方が正しい。実際、今起こっている現実は、十六歳の平凡な高校生にはキャパオーバーなものだ。例えば動画に謎の絵画が出てきたり、例えば配信が攻撃を受けたり、例えば同級生が燃えたり……例えばAZが犯人扱いされてたり。しかもこれら全てが今日一日に一挙に起こっているのだからたちが悪い。どうすればよかったのか、なんて考えてもしょうがないし、これからどうすればいいのか、みたいな言葉は今は思い浮かばない単語だ。少なくとも、ここでは思考が働かない。慣習だけで体を動かす――つまりは、とりあえず、スマホで件のメールを再確認することにした。ピロリと短い電子音が鳴ってアプリが起動する。件名『鏡AZは人殺しだ』相変わらず物騒な名前である。メールを開く。中身はさっきの件名と、同内容の本文が一つ。メールはきっかり僕宛になっている。絵画と違ってどこか引っかかるような、不可解なところはない。いつもの僕ならさっきみたいに、長ったらしい考察をして何もないなりに何か見つけ出すのだろう。例えば、どうして僕のメアドを知っているのか、とか、どうして悪口を言うためだけにこんな回りくどい方法を使うのか、とか。でも、さっき言ったように、この時の僕は単純に出来ていたようで、非常に単純なのだが僕はただメールを送り返すことにしたのだった。『お前は一体何者なのか』って。
メールは思っていたよりも早く帰ってきた。時間にして五分ほど。次の電車を待つ程度にはちょうどよかった。
『バチカンの者です』その一言だけ帰ってくる。バチカン? バチカンと言って思いつくのはカトリック教会最高権力の小国家ってとこくらいか。カトリックを導入していない国はあんまりないから、結果的におおよその機密情報を把握してしまうという、あの。しかし、なんでまたそんなところが。ネットの世界とは縁遠いだろうに。感じたことをそのままに文章に書き表す。
「返信ありがとうございます。いきなりで申し訳ないのですが、どうしてバチカンの方がこんな配信に悪戯するような真似をしたのでしょうか? それと、送ってきた絵画との関連は一体何なのでしょうか。さらにですね……」相手の返信に時間が掛かる。やがてめんどくさいと思ったのか、ただ一言返信が来る。
『習志野市の大旨町十三番地六番テーブルで待っています』これはどうやら待ち合わせのようだった。
地図を見ながら大旨町を歩く。大旨町は学校のある太凱町の隣に位置している、いわゆる繫華街だ。流石に東京みたいな都会ではないけれど、この町が習志野市と船橋市のちょうど境目にあることから、それぞれの市のハイカラな部分を集めているという感じだ。人の流動が激しいから、そこが賑わっているように見えるだけ、そういうことなのかもしれない。ちなみに僕はあんまり寄る機会がないけれど、マコトなんかはここでよく妹と服とか買ったりしていたらしい。僕たちの家は大旨町から二駅行ったさきだから、距離的にも行きやすい。
目的地に着く。場所は無草亭というファミレス。店の名前で言ってくれたらもっと早かったのに。そんなぼやきをしながら店に入る。店内は和風という感じで、ほんのりと薄暗い。
「六番テーブル、っと」案内してくれる店員がいないので自分で探していると、すぐに見つかった。六番のラベルが貼られたテーブルの上に和牛ステーキがところ狭しと並び、大柄な男がモグモグと頬張りながら粘土をこねている。黒髪で碧眼、どう見ても日本人ではない顔つき。コイツが無走か? AZのことで何か知ってるという。とりあえず失礼します、と小声で呟いて男の目の前に座る。男は目線を手元に向けたままこちらに話しかける。
「前提として一つ 。お前さんは都市伝説を信じるか?」男は僕が何か言う前に立て続けに言う。
「それってどういう意味が」言い終わらない内に顔の横にナイフが突き刺さる。なんて奴だ。一瞬でも隣にいたら死んでたぞ。男は不機嫌そうに言う。
「前提の質問に答えろ」自分の言葉優先かよ。やべぇな。にしても都市伝説か、人が自然発火するくらいだから関係ありそうだと思っていたが、こうして切り出されると不思議なものがある。僕は少し考えて答える。
「信じます」男は愛想なく、あ、そ、と言ってまた問いかける。
「じゃあイタコは?」容量を得ない質問だったが、さっきのが起こると嫌なので「はい」とだけ答える。男は僕の答えに満足したようで、ステーキを食べる手を止め、僕の方を真っ直ぐ見る。
黒髪で蒼い目。信念を抱えたその瞳は見ているだけで吸い込まれそうで、何でも肯定したくなる。「それじゃあ、お前さんの遭遇してる事件は、そういう都市伝説とイタコみたいなことが関係する事件ということだ」僕のさっきまでのイメージとはわりかし逆のフランクな口調。今から結構重そうな話が始まるんじゃなかったのか。思わず聞き返す。
「え、どういうことですか」それを聞くと、何かを察したのかは知らないが、男は少し頭をポリポリと書きながら謝る。
「すまない。先走るのは俺の悪い癖だ。段取りを追って説明しよう。俺の名はエイムス・イドル。バチカンで考古学研究探究を行っている」名詞を渡されて疑問に思ったことを言う。
「芸術家の無走さんじゃないんですね」それを聞くと男はまた何か察したようで
「その質問は今日で二回目だ。君と女の子。このデッサンを見ればわかると思うが、俺は素人。メールに来たからここで待ってるだけさ」確かにこの絵を見る限り、この男にあれを書くのは無理そうだ。しかし女の子というのは一体。そう考えこむ僕に男に視線が刺さる。どうぞ、と示す。
「実はフランスのリヨン聖堂で大規模な火災が起きたものでね、その際弾みにそこに祀られていたとある聖遺物が流出してしまったもので、その調査に来たのだよ」
「それは大変な事件ですな」
「他人ごとみたいに言っているが、俺はその事件がAZの起こした事件だと言いたいのだ」
「な、なんで? AZは日本人のVでしょ。そんなおフランスは関係ないはず」
「お前さんは火災と聞いて何とも思わなかったのか」そういわれてもな、と僕は苦い顔をして考え込むと、以外にすぐに思い出せた。
「もしかして昼の配信のことですか」男は深く頷く。
「リヨンで盗まれたのは聖アントニウスという聖人の遺骨でな。生き残った少女以外の聖堂の全員が自然発火して燃え尽きたのさ。その少女曰く、遺骨は少女の姿をした奴に盗まれた、と」
「その犯人が、AZだと?」
「ああ。最初の事件が起きてから音沙汰なしだったのが、日本で突如として『炎の病』が多発し始めたからな。しかも同一発信元から」エイムスが言ったその言葉に僕は反応する。
「その『炎の病』というのは」
「簡単に言えば、他人の悪意を感知して発動する能力さ。奪われた遺骨に関連する能力なもんで、日本で多発すれば、すぐに関連性があるなとわかったよ」悪意を感知する「炎の病」、名前とあの昼の事件から察するに人を燃やす人体発火のことを指しているのだろう……ん? というか
「能力っていわゆるサイキックみたいな力ってことですかね。なんか胡散臭いんですけど」
「俺たちは『奇跡』と呼んでるがね。学者に言わせればさっき言った都市伝説のような人の集合的無意識が生み出す現実改変の一種だ。それこそ世界の七不思議の原因というのはまんま『奇跡』の産物だ」そしてと続ける。
「俺たちが恐れているのは、そんなやべぇ遺物と犯人が融合してしまうことにある」
「一体どうなるんですか」
「人が大勢死ぬんだよ。それこそ聖堂みたいにな。聖遺物との融合は事実、死人を蘇らす行為。イタコみたいに一時的にやるのではなく、それこそ永続的にだ。だから生贄として莫大な死人が出る。そうなったらもうおしまいだ」だからさっき都市伝説とイタコについての質問をしたのか。俄かに信じ難い話だが、お昼の事件を経験している僕は納得してしまうところがあった。だとすれば答えは一つ。
「そこでだ」「受けます」男が何か依頼する前に僕は答える。
「早いな。条件を確認しなくていいのか」
「わかってます。状況から察するに僕は囮調査染みたことをやるのでしょう」
「間違いないが、いいのか?」
「推しが困ってるなら助ける、推しが殺人をしそうなら自分で殺されて止める。常識ですよ」
「なるほど」不敵な笑いを浮かべて僕に紙切れと鞄を渡す。
「AZの住所、そして本名だ」俺のメアドは教えんと付け加えるが、それよりも与えられた情報の内容に僕は内心驚く。
「この名前って」
「ああ」僕の質問に男は笑う――食えない男だ。だけど僕は言った。
「じゃあ僕はAZに殺されてきます。それが僕の恩返しみたいですから」
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