第4話 伝聞と考察
気づけば、僕は電車に乗っていた。背中にゾクリと感じて後ろを振り向くと、そこには婦人方の怪訝な視線。今にも通報しそうな勢いだ。不思議に思って自分の姿を見直すと、ベルトが適当にまかれ、トランクスとシャツが制服の下からまる見えになっている。なるほどね。こりゃまるで不審者みたいじゃないか。不思議と一つ合点。僕は急いで服を着る。最低限注意されない分だけ着ていたのが幸いした。それすらなかったら、僕は学校にたどり着く前に死んでいただろう。よかった、よかった。ホッと一息を漏らす。
「ふふふふふふ」口から漏らすような笑い声が一つ。眉を潜めて声の方を向くと、人塊から制服が一つ、くっくっくっと笑いながら僕の前に出てくる。……なるほど、視界に入ってきたソイツの姿を見て大体理解した。いくら僕でも半脱ぎの状態で外に出ることはない。
「マコト、これは君の仕業だろう」
「やっぱりそう思っちゃう?」マコトは肯定の笑みで返した。
コイツは
「一応聞くが、どうしてこんなことを?」マコトにため息混じりに問いかける。マコトは全く悪びれる様子もなく、
「そりゃ、俺がお前ぇに話しかけても、終始ボーっとしてたからだろうが」とサラっと言ってのける。ハラ立つなぁ。至極当たり前みたいに言うせいか、なんとも言い返しづらい。僕がマコトの圧に言い負けていると、それよりさ、とマコトが目をキラキラさせながら続ける。
「お前がそんなに考えこむなんて、よっぽど面白いことを見つけたんだろ? いつもは脳死で
「というわけで、お前のその面白ろそうなことを俺に教えなさい。教えろ」といつものジャイアニズム。もっともこの場合は、誰かの悩みをぶん取ろうとする、正義のジャイアニズムか。大逆マコトはこう言う人物だ。人の懸案などすっ飛ばして、『面白そう』で肩代わりする。たとえその懸案がいいことでも悪いことでも。今回も僕があのスパチャに熱を上げているのを見かねたのだろう。……それだけ、僕がこの謎解きに毒されてるってことかもしれないが。ま、言うても人生に関わるようなものじゃなさそうだし、コイツに教えてもいいか。例の画像のスクショを見せる。マコトは最初のほうは興味を見せた様子だったが、次第に困惑した表情を浮かべた。
「な? なんかありそうな画像だろ?AZの配信後に流れてきたんだけどさ!」いつのまにか僕の方が熱くなっている。一方のマコトは、それを聞くとさらにげんなりした様子で
「まぁ、そう言う荒らしの事はわかんないけどさ」と手を引く姿勢を見せる。ふむ、やりすぎたか。僕はAZのことになると喋りすぎるからな。それに脳筋のマコトにハナから謎解きの答えは求めてなかったから、別に話題程度でいいか。旅行のことも聞きたかったし。
そうこうしていると、電車が学校の駅に着いた。普通はこっからある程度コイツとの登校シーンが続くのだろうが、我が学園はその点特殊で、学校から駅までの時間距離はまさに瞬である。何せ駅そのものが学校の一部なのだから。電車から降りれば、すぐに下駄箱が出迎え、そのまま教室に直行できる。あいにく、下駄箱からは徒歩だが、それでも廊下は動く床だったり、階段の一部はエスカレーターだったりする。勿論他の高校と比べて異色を放っている。なんでも学園の母体となる法人が鉄道公社だからというのがあるらしい。その証拠にまだ市井に出回っていない施設がモデルケースとして学園に設置されている。一部の学生はそれを目当てに入学してきているようだが、僕は興味がない。
電車を降りてマコトと別れる。電車の時は元気いっぱいでいたずらしてきたアイツが、降りる時にはげっそりしているのは、なんだか少し申し訳ない。罰のつもりはなかったのだけれど。まぁ、アイツにはいいお灸だろう。驚くほど短い通学路を進みながらそう考える。……もっともアイツが最後の最後であの耳打ちをしなきゃ、心の底からそう思えたんだがな。本当にいい奴だよ。
HRと一限を飛ばして二限の授業へ。退屈な授業風景は流す価値もない。謎解きの答えに至る部分は簡潔に示すべきだ。それこそ、専門家に直接答えを教えてもらうみたいに。というわけで、二限目の美術の時間、僕はマコトの助言のまま、例の画像を美術の先生に見せることにした。『荒らしのことは知らないけど、聞くべき人は知っている』――本当に頼りになる。
「先生、ちょっといいですか、少し相談があって」授業の片付けをしていた老人に話しかける。先生と呼ばれた男性は一旦手を止めるも、僕の顔を見て怪訝そうな顔をした。
「獅童くん、君ねぇ、私の授業を丸々寝ておきながら私に質問とはいい度胸だねぇ。今日のプリントの内容は教えないよ」睨まれる。ちなみに言い忘れていたが獅童とは僕の名前のことである。
「いや、まぁ先生。そんなことは今日はいいんすよ」ああ、先生の元から細い目がさらに細くなる。メガネクイクイもいいから。話を続けたい。
「それより、今回質問したのは、この絵についての質問があったからなんですよ」件の絵を見せる。ついでに僕は今までの経緯を語った。
「ああ、大逆さんからなんとなく聞いたよ。なんでも奇妙な『すぱちゃ』?というものらしいね」話をすると先生の態度が柔らかくなった。ここまで手を回していたのか、マコト。ありがたい。
「そうなんです。だからこの画像の謎を解いてもらいたくて」
「謎、ねぇ」禿頭の老人はため息をつく。
「君は、どうしてこの画像、もとい絵画が謎かけをしていると思うのかな?」
「どうして、というのは単純に自分がそう思ったからですが」奇妙な質問をといかけるなぁ。単純な返答に老人は。そうかそうかという感じでこちらを見る。なんだか感慨深げだ。そして急に厳しい表情になって告げる。
「実を言うとな、この謎は私には解けないのだよ」
「そうですか。先生さよならー」よし帰ろう。次だ次。
「わわわ、待て待て!まだ話には続きがあるんだよ!」すぐさま帰ろうとする僕を引き留める。
「何です?」一応返答を促す。名誉挽回のチャンスくらいはあげようか。
よし、となぜか嬉しそうである。老人は息を整え、もう一度語る。
「この絵の謎は私には解けない。なにせ、この絵には謎が存在しないからな」老人はお手上げという様子で豪胆に笑う。
地味にショックだった。この絵に対する数行分数時間分の僕の思考は完全に無駄だったということになる。それならそうで、案外気が楽というものかもしれない。でもやっぱり、こうして荒らしの仕業だとわかった以上、モデレーターである、この僕が荒らしに踊らされたという感じでちょっと悔しい。それだから一応という感じでもう一度尋ねる。
「え、それってこの絵が単なる荒らしの落書きってことですか」
だがこの禿茶瓶の返答は僕の予想に反するものであった。
「そう。あくまで私には、な」
「?」僕の反応を見て、老人は続ける。
「この絵画はいわゆる『手紙絵画』と呼ばれるものでね。普通、一般に公開するための絵画というものは自身の作品が見られる環境を織り込んで、その展示場所に通る大衆に絵の意を体感させるように描くものだ。それこそ芸術に疎い人々とコミュニケーションするように」
「はぁ」わかったようなわからないような。僕の反応を見て先生が続ける。
「ただ『手紙』というものはそれとは異なる。目的がそもそも違うんだ。大衆に公開するための絵画の真逆。いわゆる私的な絵画だね。特定の人物にのみその真意を伝える」
「つまり、先生が謎を発見できないというのは」老人は頷く。
「この絵画の謎はアズの視聴者である君たちにしかわからない、ということだ」ここにきて謎解きが振り出しに戻った。
僕たちにしか解けない絵画。あくまで僕たちにしかわからない何かがある、ってだけなんだけれど、謎の存在すら何とも疑わしい。『他者による観測のできない謎は存在しないのと同じ』というのは誰の言葉だったか。僕、いや僕たちはこの絵画によって、そんな出口のないファンタジーな世界にいざなわれてしまった。コイツの作者によって。
「というかどうして先生はさっきから感慨深げなんですか? もしかしてコイツの作者とか?」いや作者いるかわからんけど。
「いやぁ。私も昔、こうやって『手紙絵画』を書いて友達と謎かけをしあったものでな。まさに昔を思い出してしまったのだよ」無論作者ではないけどね、とかぶりを振る。
「本当に懐かしい。ほら、ここのアズの隣にいるのとかはオリゲネスだろう。それにほら、この絵、かなりアニメティックにデフォルメされてるけど、全体の構成としては、まさにヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』だろう! アイツよく、こうゆうのを描いていたなぁ」かなり熱を持って語っているが、先生「アズ」じゃなくて「アン」です。いや、そういうんじゃなくて――
「先生が言ってるその、アイツって誰です?」
「いやぁ、気にせんでもいいよ。アイツ、
「その、
「むぅ、気にせんでいいと言うのに」やはり不快か。
「そこをなんとかお願いしますよ、授業ちゃんと受けますから」なんという条件か。
「はぁ」僕の無遠慮さに負けてようやく口を開く。
「そうさね、アイツはジャンルで言ってもまさに『
「具体的には、彼はどんな作風だったんです?」僕の質問に、少し考える素振りをする。
「アイツは基本的にはなんでも描けた。それこそ、フレスコ画だろうと、彫刻だろうと、なんでも、な。だがアイツが好んで描いていたのは、さっき言ったように、むしろ時代に逆行した宗教画だった。『神無き世界がこの現実なら、神ある世界を創り出すのが空想、即ち俺ってもんだ』と言っていたな。ちなみにアイツが使うスタイルは本当になんでもだ。中世画の時もあれば、ポップアートみたいに描く時もある。今回はアニメ調だな。ただ、テイストや手法は自由なんだが、アイツは描く時に一つの縛りを設けていたように思えるな」
「それは?」
「それは神を描かないこと。神の奇跡を讃える宗教画でありながら、神そのものを決して描かない」
「それは単純に信仰心とかからではなく?」崇拝という気があるならそれもあり得るが。
「いや、そういうのじゃない。むしろ不敬も不敬、美大中の神像に落書きをして回っていたものだ。そういうのではなくて、アイツは単純に人が好きなのだろうな。だから人の作った作法を好むし、技術もあらゆる方法を用いる」人間関係を厭う癖にカリスマで、神望む社会を嘲笑う癖に人間好きか。人間的に矛盾している。いや、人間なんて矛盾の塊なのだろうけど。しかし、こんなキャラの立った人間をどうして僕が知らない? そりゃ僕だって全ての知識を網羅しているわけじゃないけど、仮にも自分の流派を創ったカリスマが、単なる死なんかで、存在が忘れ去られるわけない。教科書までとはいかないまでも、せめてネットの世界にくらいは情報が載っているはずだ。でも知らない。この先生に教えてもらうまで、全く存在を知らなかった。
「なぜだ。という顔をしているな。だから深入りするなと言ったのに」思考を見透かされる。
「そりゃ気になりますよ。先生がうっかり漏らさなきゃ、気にもならなかったんですから」むぅとむくれる。
「あいつはな、死刑になったんだよ。『無走派』のほとんどをアートにした罪でな」
教室に戻る。話を聞いて後悔してしまったからではなく、もうこれ以上なんの情報も引き出せないと感じたためだ。……正直それもないではないが。結局作者から攻めてみる路線は空振りもいいところだった。わかったのは、彼は死刑執行済みの死刑囚であること、宗教画家であること、なんでもできること、手法を選ばないこと、先生の知人であること、等々だ。美術鑑賞においては作者の背景を理解することが大事とされるけれど、正直無走に関してそれを見い出すのは難しい。何せ過去例が存在しない。犯罪者の作品だからか、作品の全てが現存しないのもそうだし、知人の先生すら、無走の作品の癖みたいなものを知らない(神を描かないくらいか)。知らないというよりかは癖がないのかも、ピカソをピカソたらしめる癖やゴッホをゴッホにする偏執が。多分街中で無走の作品があったとしても、それが彼の作品だとは誰も気づかない。それくらい、透明な絵画。だからこそ魅了される、匿名の絵画。
改めてこの絵に向き合う。絵画に描かれているのは、三面の鏡とそれに映る三つの世界。三様のAZが冒険を繰り広げる。先生が言うには、ヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』の構図らしい。一応調べてみる。ネットによると、ボスの『聖アントニウスの誘惑』は三枚のパネルから成る油絵であり、それぞれのパネルが聖アントニウスの物語を描いている、とのことだった。こういうのは普通、構図が同じなら、ネットの画像と比べつつ、変更点から意味を類推していくものなのだが、正直変更点が多すぎて元々の絵の原型をとどめていない。むしろ原画より悪魔やらなんやらが増えているし、別の生き物に置き換わっているのもある。……先生、よくわかったな。これ。
先生と言えばで思い出したのが、オリゲネスの存在である。確か先生の話によると、AZの隣にいるという(といっても思い出した程度ではわからないから、AZの周りを集中的に調べる)いた! この左側の絵のAZを支えている男たちのうちの一人だ。原画と符合するところによれば、この位置の人物はボス自身と目される人物であるらしい。ということは、このオリゲネスは正しく作者である無走空奏のことを指しているのだろう(まぁ制作者が無走という仮定での話だが)しかしオリゲネスと言って調べても、特にこの絵画との関連性はない。主題である聖アントニウスと関連付けても、時代が微妙にずれているから、直接どうのこうのというのはなさそうだ。
……詰まった、か。僕は天井を仰ぐ。保健室の藍色のカーテンが光を遮り、幾何学的な図形に見える。美術の授業の後、なんとなく授業に手がつかなかったので、美術の先生に無理言って保健室待機にしてもらったのだった。
「――どうしたものか」上を向いた勢いでそのままベッドに倒れる、案の定マットが固くて背骨を痛める。……勉学は得意じゃない、謎解きなんてなおさらだ。聖書のことや、絵画知識が物凄くあるとかないとかで人生が決まる、そういうわけじゃないけれど、こんなことで僕の人生が転換するわけじゃないのだけれども、この絵画については何とも悔しい。画面の向こう側の誰かさんに「お前はふさわしくない」って言われているようで。何としても『手紙絵画』の受け取り手にならなければと考える自分がいる。らしくもない――そういえば、最初の頃の僕はこの絵画を画像であると感じていたんだっけ。どっちにも詳しくないのに。僕は微笑する。絵画と画像の違いなんて、それこそ芸術の要素を見分けられるか、られないか、だろ。こんなアーティスティックな絵画を画像と認識してしまう僕は、専門家から見ても、明らかに不適格な人間だろう。それこそ先生がAZのことを「アズ」、「アズ」と読んでいるみたいな、勘違い。そもそもあれは「アン」と読むのであって、由来は最高峰から最底辺へ全てを繋ぐVtuberとの肩書きから。即ちアルファベット始まりの「A」と最後となる「Z」{ここはちょっと意訳して「End」}の発音をそれぞれ取って[A=End]、「アン」と読むようになっている。正直ファンからすれば、常識だが、マコトから聞きかじっただけの一般人である先生には難しい――
その時、思考の電流が切り替わった音がした。ささやかな低圧から、大いなる閃きへと。
「そうだよ! これこそが、ファンだけしか知らないことだよ」ベットの上に立って喜ぶ僕。僕は、スマホを取り出して、例の「画像」を開く。そう、コイツは「画像」なんだ。聖アントニウスとか、オリゲネスはダミーに過ぎない。聖書の知識なんて必要ない、必要なことはAZの名の下、全てを繋ぐことにあった! タッチペンを懐から取出し、AZの周りを四角形で囲む――ずっと気になっていた。どうして、前の絵から変わっていないものがあったり、消されたり、無理な位置に追加されたものがあるんだろうと。だが、答えはここにある。理由は単純明快。この無秩序なオブジェたちは、皆、アルファベットの数だけ、ここに登場しているのだ。全てはAZに繋がるため、AからZを繋げるために。そんなわけでAZからAZへと、アルファベットの順序を通りながら線を引く。一部、余計なAZ(この言い方はどうなのか)がいたが、そこは無視していいのかもしれない。何せ、もはやそれが無しでも形が出来上がりつつある。よし、出来た。上から見下ろすと、出来上がった形は少しいびつだが、三つの四角形と周りに展開する幾何学模様はいかにも、僕たちがよく利用している、あの形を彷彿させる。
「QRコードか!」
早速もう一台のスマホで読み取らせる。もう心臓バクバクである。そりゃ自分の考えがここまでバチクリ的中したの、初めてだもの。手汗もすごい――一旦ハンカチで全身の汗を拭う。
ロック解除に大分てこずり、画面を開いて、……ようやくカメラアプリが起動した。画面がベタベタである。肝心のQRコードだが、だいぶ画像判定がクルクルしていて、かなり迷っているようだ。
「うーん、ダメか、ダメか、やっぱりダメか? おっ読み込んだ」カメラアプリからリンクへと飛ぶ催促が来る。勿論ここから来る僕の行動は決まっていた。指をタッチパネル上方に向ける。
……あとから思えば僕は、もう少しこのサイトを怪しむべきだったかと思う。無走とか、『手紙絵画』の謎とかに浮かれてないで、危なそうだからプロキシサーバーを経由しようとか、学校で開くのは身元割れそうだから止めようとか、どうしてこの画像がこんな風にスパチャの形で送られてきたのかとか、もっとそういうものに意識を向けるべきだった。そうすれば、あんなことは起こらなかった。少なくとも今はそう言える。とりあえず、未来の展開はこう、コイツはリンクを踏んだ。それで序章は終わり。さぁここから始まりますは、第二章。狂おしくて、愛しくて、僕史上では、一番酷い毎日だったけれども、ただここから言えることは一つ。燃えるような自傷をどうぞ。あ、中章だったかも。
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