第4話 目を奪われる
ヒューバートが生まれたレイナード侯爵家は、曽祖父の代から領政が上手くいっていなかった。
領地は冷涼な気候の影響で農作物が育ちにくく、特産と言える産業もない。
運任せの自転車操業にも限界がきて、ヒューバートの父が侯爵位に就いた頃には売れる資産は全て売ってしまった状態だった。
ヒューバートの父オリバーは楽天家というか、自分をとことん甘やかすタイプの人間で、「父上もどうにかなったのだから僕も大丈夫」という根拠なき理論で毎年借金を積み重ね続けた。
もちろん大丈夫はなずはなく、大丈夫ではないことを自覚したのは銀行に追加の融資を断れたときだった。
成長して物事が分かるようになるとヒューバートはオリバーを当てにすることをやめ、領地にいる母カトレアと領政の立て直しを図った。しかしその日の暮らしを維持するのがやっとで、借金を返す目途がつかなかった。
オリバーから「婚約者が決まった」と突然言われたのは、借金の返済を急かす銀行の対応に悩んでいる時だった。
十四歳の自分が頭を抱えているのに楽しそうな顔をしているオリバーに怒りが湧くのが先だったため、『婚約者』を理解するのが遅れた。
今まで縁談の影も形もなかったため誰が『婚約者』になったのか見当も付かず、素直にオリバーにどこの誰かと尋ねたらコールドウェル子爵の娘だと言われた。ついでに今日このあと顔合わせだと言われて、気づいたらスーツを着せられ馬車に乗せられていた。
ヒューバートも自分の結婚が借金返済の目処となるだろうと予測はしていた。
しかし侯爵家という高位にありながら借金漬けのレイナード家の嫡男の嫁という立場は貴族令嬢たちが忌避するもので、彼女たちから堂々と『ハズレ』と嗤われる自分に婚約者が決まるとは思っていなかった。
まるで身売りだ。
そう思ったとき、ヒューバートの胸に沸いたのは怒りだった。
自分を『ハズレ』と笑った者たちは、身売りされる形となった自分をさらに笑うだろう。それに怒りを感じるが、それを受け入れるしか術のない自分が一番許せなかった。
絶対に許さない。
社交界で悪名しかないコールドウェル子爵にさえあざ笑われる、そんな自分が嫌だった。
ヒューバートとアリシアの婚約はレイナード当主とコールドウェル当主が望んだもの。
庭の散歩である程度頭を冷やしたヒューバートが執事長の案内で応接室に行き、かなり酒が進んでいるらしく赤ら顔で満足している二人の当主の姿に確信した。
もともと禄に期待していなかったが、自分が売った息子を一切顧みる様子のない父親に期待は完全にゼロになった。
自分も遅れたが、婚約者もいない顔合わせ。
大人たちだけが楽しそうなそれはひどく滑稽で、それと同時に『婚約者』も『ハズレ』の自分との婚約を嘆いているのだと思った。
「そういえば、ご令嬢が遅いですね」
「……準備に時間がかかっているのでしょう」
子爵の目に苛立ちが浮かび、ヒューバートは顔も知らない『婚約者』に少し同情した。母親が説得に行けばいいのにとも思ったが、「それよりも侯爵様」とオリバーに縋りつかんばかりに詰め寄る夫人の姿に無駄だと察した。
大人たちと離れたイスに座り、ヒューバートはまだ見ぬ婚約者を思った。
侯爵家嫡男として跡継ぎを作る義務も理解しているため結婚はするであろうとは思っていた。しかしこうして予想通り借金の形となった以上、『幸せな結婚』は諦めている。
しかし周囲が惨めなヒューバートを見ようと目論んでいると思うと、不幸であると思われたくないという気持ちから意地でも幸せであるように見せようとヒューバートは思った。
(暴力になら耐えられるし、愛せと言うならば愛する振りもしてみせる)
資金援助する側の家の娘なのだからと無理難題を吹っかけてくる可能性も覚悟していた。
だから、部屋に入っていたアリシアに息をのむほど驚いた。
金色の髪に萌黄色の瞳をしたアリシアは、ヒューバートの知る令嬢の誰よりも『貴族のご令嬢』らしかったけれど、目の前にいる自分という人間を品定めするような堂々とした萌黄色の瞳は貴族のご令嬢らしくなくとても美しかった。
「アリシア・メルト・コールドウェルです。初めまして、侯爵令息様」
ペコリと頭を下げる姿は全く貴族らしくなかったがとても可愛かった。
挨拶の順番が侯爵である父より自分が先だというのはマナー違反だがそれを咎める気持ちは全くわかず、それに気づいたらしい使用人の一人が口を開くのを目にしてとっさに割り込んだ。
「ヒューバート・クリフ・レイナードです」
ヒューバートはこのとき初めて進んでエスコートするため自分の手を差し出した。その手も意味が分からず、キョトンとしていたアリシアをやはり可愛いと思った。
***
(一目惚れ、だったんだよな)
ヒューバートは自分に母子証明書を突きつけたアリシアの目を思い返す。
母子証明書の法的効力を過信せずに、ヒューバートがどんな考えを持ち、どんな行動をするか探るような目。噂や推測で相手を勝手に判断せずに知ろうとするその目は、婚約した日に初めて見た目と同じだった。
(あれから七年……二十五歳か)
普段のヒューバートならば相手の年齢はもちろん、相手について情報を集めるだけ集めて対応する。この街についてからだってアリシアに関する情報を集めることもできたのに、その間も惜しんでアリシアの店に来たことをヒューバートは今になって後悔していた。
(アリシア・メルト・シーヴァス……『シーヴァス』か)
ヒューバートは指輪のはまっていないアリシアの左手の薬指から目が離せなかった。
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