第5話 悪意が蔓延る

 金で婚約者を買った女と、婚約者に変われた男。

 社交界でそう蔑まれた二人の婚約は、アリシアが成人を迎えるまでの七年間ですっかり様相を変えた。


 コールドウェル子爵家はレイナード侯爵家の威光を手に入れたが、それは当主夫妻が社交界で威張るだけに使われて利益を生まず、子爵家は財産を減らし続けた。

 逆にレイナード侯爵家は次期侯爵のヒューバートが学生時代に立ち上げた商会がうなぎ上りで成長し、コールドウェル子爵家に借りた金も完済した侯爵家は資産家になりつつあった。


 この状況に、社交界では二人の婚約話が白紙になるのではないかと噂されたが、二人の結婚式は予定通り執り行われることになった。

 これについて理由は色々と噂されたが、ただ子爵が婚約の白紙を拒否したというだけだ。


 二人の婚約はレイナード家とコールドウェル家が神殿で交わした神殿契約で、この神殿契約は「両家当主の同意がないと破棄できない」となっている。これにコールドウェル子爵が同意しなかったため、二人の結婚式は予定通り行われた。


 しかし結婚式の参列者に『祝福』など微塵もなかった。


「ご成婚おめでとうございます。それで、娘もぜひお祝いを言いたいと」


 聖堂に入ったヒューバートは大勢の貴族に囲まれた。押し寄せてくる彼らの後ろにはこちらをチラチラ見る妙齢の令嬢たちがいて、彼らはヒューバートの結婚を言祝ぎながらも自身の娘や姪をヒューバートの近くに寄せようとした。


(俺はこれからここで結婚する花婿なんだぞ?)


 あまりの図々しさにヒューバートの眉間にしわが寄ると、ヒューバートの不機嫌を察した友人のステファンが割り込んできた。ステファンは学院時代にできたヒューバートの友だ。


「これから結婚する新郎が、ずいぶんと不機嫌だねえ」


 周囲に都合のいい解釈をさせないよう、ズバッとしたステファンの物言いは小気味いい。

 図々しいと感じられるほど周囲を押し退けてヒューバートに近づいてくるステファンを見ていたら、ヒューバートは彼に最初に会ったときのことを思い出した。

 

 ステファンは初対面のときから馴れ馴れしい男だった。

 他人ひととの距離感はヒューバートの三分の一以下であるこの男との交流は戸惑いしかなく、どうしたものかと藁にも縋る思いでアリシアに手紙で相談したのだった。


(離れで暮らして、人と碌に交流することがないアリシアに相談するとは)


 当時の自分がよほど困っていたのだということが分かる。

 しかしその返事には『円滑な人間関係の構築方法』という新聞の特集が同封されていて、それはとても役に立った。


(生真面目なのか、律儀なのか)


 ヒューバートは遠巻きに自分を見ている令嬢たちに視線を向ける。

 彼女たちに同じことを聞いたらどんな返事が返ってくるかと考えて、父親に紹介されるまでただ待つだけの彼女たちは「小侯爵様なら大丈夫ですわ」と言うだけだろうとヒューバートは思ってしまった。


 アリシアとは不仲だと噂されているがそんなことはなかった。

 学院に行く前も後も定期的に会っているし、学院にいる間は定期的な手紙のやりとりもあった。そこら辺の婚約者たちより仲良くやっているという自負があるため、不仲だという噂が蔓延する社交界には不信感しかない。


「さあさあ、君たちは下がって。僕は花婿付添人として花婿のご機嫌取りをしないといけないんだ」


 ステファンの言葉に貴族たちは渋々ながらも下がらざるを得ない。

 ステファンは『国王の資産管理人』と言われるティルズ公爵家の嫡男で、母親が国王の妹と並の貴族では太刀打ちできない肩書きを持っている。


(あの馴れ馴れしい奴が花婿付添人とは)


 一緒に過ごすうちにヒューバートもステファンの距離感に慣れ、寮の部屋が隣同士なので話す機会は多く最初の季節が終わる頃には友だちに、一年後には親友になっていた。

 ステファンと友だちになってからの時間はヒューバートにとって子ども時代のやり直しのようなものだった。良いことも悪いことも彼と共に学び、経験していった。


「これから結婚する花婿に再婚を勧めているのか?」

「お妾さんかもしれないけれど……二番で満足するような、殊勝なタイプじゃないよね」


 「正妻を毒殺するタイプ」とステファンが指さしたのは、学院の卒業式に「ずっと好きでした」と告白してきた令嬢だった。ちなみにヒューバートは入学当初彼女が自分を『ハズレ』だと嗤っていたことを覚えており、そんな手の平返しが卒業式で大量発生したためヒューバートは記憶を失う奇病が流行しているのではないかと本気で疑った。


「男も女もギラギラと欲深い、面白いよね」

「やられたほうは恨みしかない」


 ヒューバートとステファンが通ったノーザン王立学院は規律がとても厳しく、学生たちは溜まった憂さを晴らすために生贄を選んで苛める。こんな伝統的な生贄に、貧乏なのに顔がいいヒューバートが選ばれないわけがなかった。

 ヒューバートも黙って生贄になるタイプではないが、多勢に無勢は否めなかったので、面倒を避けるために授業中と就寝時間以外はほとんど図書館で過ごした。勉強や読書もできるし、私語厳禁の図書館は煩くさえずる者がいないのでヒューバートには好都合だった。


 ステファンと友人になったあとは、平日は今まで通り図書館で過ごし、休日はステファンと一緒にティルズ公爵家のタウンハウスで過ごしていた。『王家の資産管理人』とも言われるだけあってティルズ公爵は金儲けが上手だった。

 実家の困窮に悩んでいるヒューバートはここで金儲けを学び、三人の息子よりも金儲けに貪欲なヒューバートを面白がったティルズ公爵はヒューバートを様々な場所に連れ回した。公爵の周りにいる友人たちも面白がってヒューバートに己の知識を分け与え、長期休暇は公爵に紹介された商人と一緒に国中を回って商いを肌で学んだ。




「お、花嫁さんの登場だ。ヒューバート君、頑張るんだよ」


 パイプオルガンが音を奏で始めたところで、ステファンは花嫁付添人の控える場所に戻る。隣が静かになると、会場のあちこちで漏れる嘲笑がヒューバートの耳に障った。


 アリシアが登場すると嘲笑はさらに大きくなる。


「金で花婿を買わなきゃいけない醜女しこめの登場よ」

「やだあ」


 女の声にアリシアの歩みが乱れ、それがまた嘲笑を誘う。醜い悪意がアリシアに向けられることに耐えかねたヒューバートは神官の制止を聞かずに祭壇を下りた。ヒューバートが式を取りやめると勘違いした者の顔に喜色が浮かぶ。


(祝福する気がないなら来なければいいのに)


 ため息を吐きながらヒューバートが手を差し出すと、アリシアが首を傾げた。

 ヴェールで見えなかったが、その顔は初めて会ったときに見せたキョトンとした顔な気がしてヒューバートの口元が緩んだ。



「今日の良き日に」


 祭壇に戻ってアリシアと並んで立つと、神官が大きな声を上げた。彼もこの雰囲気を不快に思っているのだと思うと、ヒューバートは少し気分がよくなった。


「それでは誓いの口付けを」


 誓いの言葉が終わり、ヒューバートはアリシアと向かい合ってヴェールを持ち上げた。ヴェールに隠されていたアリシアの顔が露になった瞬間、聖堂の中は水を打ったように静かになる。ヒューバートが目だけでアリシアを醜女と嘲笑った女のほうを見れば、女たちは恥ずかしそうに顔を伏せていた。


(ふん、顔も知らずに醜女などと言うからだ)


 噂を鵜呑みにするほどの愚行はない。その見本だと思っていたら思ったより時間が経過していたようで、神官の咳払いにヒューバートはハッとしてアリシアと改めて向き合う。アリシアは戸惑ったような顔をしていたが「いいかい?」とヒューバートが尋ねると花が咲くようにふわりと微笑んだ。


 アリシアの笑顔と言えば少し表情を緩める程度だったから、初めて見た少しの陰りもない笑顔は可愛くて、とても神々しかった。

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