第6話 泡沫を夢見る

 結婚式が終わると新たに夫婦になった二人を祝うための宴に移る。アリシアはヒューバートから贈られたドレスに着替え、ヒューバートと共に会場を回っていた。


 アリシアの社交経験は例の茶会だけ。

 ヒューバートの婚約者になってからは茶会が開かれていないので、ほぼ社交経験がないアリシアはヒューバートにくっついて祝辞に謝辞を返すことが精一杯だった。


「すまない、少し離れる」


 式の途中からヒューバートがどこか余所余所しいとアリシアは感じていた。

 ヒューバートが顔を見ることなく離れていくと、余所余所しいのは気のせいではないとアリシアは理解できてしまった。



(離縁、することになるかしら)


 両当主の同意がなければ婚約は破棄できないが、離縁は神殿契約の範疇ではない。

 一度結婚してしまえば、ヒューバートはいつでも離縁できる。


(それなのに、どうしてこの方々は『私』を責めるのかしら)


 ヒューバートが離れたと見るや自分を取り囲んだ人たちをアリシアに内心呆れる。

 彼らの言葉はそれぞれ違うが「にアリシアが計画を盾にヒューバートに結婚を迫った」と責めている。しかし盾にしたのは子爵である。

 当主ではないアリシアに盾はないため「責めるなら子爵にしてほしい」と思うのだが、アリシアは口を挟むタイミングが掴めずひたすら聞き役となってしまった。


 ヒューバートはアリシアにとって初恋の君であり、彼の妻になれたことは本当に嬉しい。

 ヒューバートが望んでくれるならばアリシアは喜んで妻として尽くそうと思っているので離縁の決定権はヒューバートが持っていることになる。


(ヒューバート様の様子を見れば離縁の線は濃厚。私を責め立てるよりも再婚を考えてヒューバート様に『お近づき』をしたほうがよいと思うのだけれど)


 レイナード侯爵家の当主はまだヒューバートの父親だが、実権はヒューバートが握っている。

 アリシアと離縁したあとのヒューバートは再婚相手を自分で決めるだろうとアリシアは思っているが、アリシアから見る限りヒューバートは結婚そのものに乗り気ではないように思えた。


 結婚を控えた婚約者としてヒューバートにドレスの好みなどを聞いてみたが、「お好きなように」と言われるだけ、更にいつもどこか上の空で目の前のアリシアのことなど大して気にしていないようだった。


(貴族家の嫡男として跡取りを残すことだけを考えれば私が妻のままということもあり得るけれど、私を妻のままにしていることはデメリットのほうが大きいでしょうね)


 レイナード侯爵家がコールドウェル子爵家との縁を望んだのは財政支援のため。

 資産家となった今はコールドウェル子爵家との縁は必要ないし、貴族社会において格下の貴族家の妻を娶るメリットは特にない。


(私が妻のままでは家族や親戚の苦情が後をたたないでしょうし)


 アリシアは自分のことについて「男にだらしない女で、夜な夜な社交場で男を漁っている」という噂が流れていることは知っている。社交場への出入りは愚か、屋敷のそのまた離れからも碌に出ない自分にそんな噂が立つことがアリシアは心底不思議だった。


(噂は改悪されるというものね)


 『花婿を金で買った令嬢』から『花婿を金で買わなければいけない醜女』となったように、『花婿を金で買った令嬢』から『男を金で買う女』とでもなったのだろうか。

 ご令嬢人気の高いヒューバートの婚約者として、アリシア自身が社交場にいかなくてもその噂で場は盛り上がったことは容易に想像できた。


(ああ、そうか) 


 アリシアを囲んで責め立てる者たちが望むのはアリシアが『悪役』であること。

 アリシアが悪役ならば、ヒューバートの怒りは全てアリシアに向くと思っているのだとアリシアは気がついた。


––誰にも『ハズレ』などとは言わせない。


 まだ少年だったヒューバートが「許さない」と言っていた強い目をアリシアは思い出す。

 あの少年に『ハズレ』と言った者がこの中にもいるのかもしれない、そう思うとアリシアは彼らが滑稽でならなかった。


(どうして私が怒られれば自分たちは怒られないと思っているのかしら)


 物語の中ではよく誰かの代わりに恨みを引き受けるような表現はあるが、基本的に怒りも恨みも誰かが肩代わりをすることはできない。

 できてせいぜい連帯責任で、その人の罪はその人のものだとアリシアは思っている。


「な、何がおかしいの?」


 思考に割り込んできた声にアリシアは顔を向ける。

 自分が黙っていても何も気にせずずっと文句をまくしたてていたのに、そう思って首を傾げると目の前の令嬢の顔が赤くなった。


「突然笑い出したじゃない、無礼だわ!」

「申しわけありません」


 大して申しわけなく思っているが、変な理屈で怒りだす女性の相手はコールドウェル子爵夫人で慣れていた。異論どころか正論も認めないこのようなタイプには謝罪するのが手っ取り早い。


「あなたみたいな薄気味悪い人をどうして妻になさったのかしら。同じ子爵令嬢でもメリッサ・ドーソン子爵令嬢と大違い、彼女のほうがヒューバート様によほど相応しいわ」


 メリッサの名前にアリシアはヒューバートの妹のミシェルのことを思い出した。


 ミシェルと会う機会をヒューバートは何度も設けようとしてくれたようだが都合が合わず、結局ミシェルに会えたのはこの結婚式で、話ができたのはこの宴が始まる前だった。


 ミシェルは数人の令嬢と一緒にアリシアの控室に来てくれた。

 その令嬢の中にメリッサがいて、メリッサはヒューバートとミシェルとは幼馴染で兄妹のように仲良くしていると言っていた。


(ミシェル様……)


 思わずアリシアは心臓に手を当てた。

 ケガをしているわけではない。さきほど『事故』でウエディングドレスにミシェルがワインを零してしまったことをアリシアは思い出していた。

 ヒューバートとの結婚。初恋の男性との結婚であることも嬉しかったが、自分に夫だけではなく義妹ができることも嬉しかった。


 ヒューバートは感情を顔に出さないため分かりにくいが、ミシェルは好きや嫌いを口に出すタイプ。

 笑顔で悪感情を向けるタイプよりもアリシアはよほど好感を抱けるのだが、ミシェルに『嫌い』を向けられるのはショックだった。


(「義姉になってほしかった」とミシェル様に言われるメリッサ様が羨ましい)


 アリシアの目が思わず会場にいるメリッサに向かってしまう。

 しかもタイミングが悪く、メリッサはヒューバートと何かを話していた。ヒューバートの顔は見えないが、メリッサの顔を見る限り楽しそうだった。


(あ……)


 アリシアがヒューバートたちに目を向けていたのがいけなかったのか、アリシアと目が合ったミシェルがギクリと体を強張らせて怯えた目線をヒューバートに向けた。

 ヒューバートに嫌われたくない。

 その感情を隠さないミシェルの素直さをアリシアは残酷だと思いながら、ワインことは自分の胸にしまって消化しなければいけないとアリシアは思った。



「大丈夫かい? ずいぶんと顔が青い」


 ぼうっとしていたこともあったが、近くから聞こえた男性の声にアリシアはビクッと体が震えた。

 慌てて振り返り、ヒューバートから紹介されたステファンだと気づいてホッとはしたが、『近い』と感じて二歩後ろに下がる。そんなアリシアに男性は楽しそうに笑い声をあげる。


「ヒューバート君と反応がそっくりだ。申しわけありません、夫人。どうやら僕は人との距離が近すぎるようで」

「い、いいえ……確かに吃驚しましたが、大丈夫です」


 ステファンのことは親しい友人だと聞いているし、彼が過去にヒューバートが馴れ馴れしい奴と言っていたこともアリシアは覚えていた。そんなステファンはアリシアにニッコリと笑いかけると大きな声を出す。


「ヒューバート君! 奥さんの、新妻の顔色が真っ青だよ!」


 ステファンの言葉に、まだミシェルたちと一緒にいたヒューバートがこちらに向かってきた。メリッサが引き止めたが、聞こえなかったのかヒューバートは振り返らない。


「ヒューバート君が来たら退場しちゃいなよ」

「公子様?」

「あとは僕に任せておいて。煩くさえずる鳥を締めるのは得意なんだ」


 ステファンの言葉に周囲の人たちの顔が青くなり、アリシアは溜飲が下がった気がした。


「新妻に尽くす僕。うん、なんかそそる」


 同時にステファンの評価も下がった。アリシアはステファンの妙な独り言は聞かなかったことにした。


「アリシア、すまない。疲れたよな」


 最終的に疲れさせたのはあなたのご友人です、とヒューバートに言うわけにはいかずアリシアは曖昧な笑みで誤魔化すことにした。


「行こう」

「ご挨拶は?」

「礼をすべき人にはした」


 ヒューバートに肩を抱かれて会場の出口に促される。

 こういう場では新郎新婦は長居しないと聞いて、社交はやはり得意じゃないと思いながら無事に終えたことにアリシアは安堵した。



「アリシア様」


 名前を呼ばれて振り返ると、決死の表情をしたミシェルがいた。


「先ほどは……」

「ミシェル様」


 『先ほど』とはワインのことだろうとアリシアは察し、先ほどのミシェルの怯えた目を思い出す。アリシアは自分のせいで仲のいい兄妹が諍うようなことは避けたかった。


(ミシェル様はヒューバート様に嫌われる覚悟で謝ろうとしてくださった。その気持ちで十分だわ)


「ヒューバート様、少しミシェル様とお話してよろしいですか?」


 頷いたヒューバートがアリシアの肩から手を離すと、アリシアはミシェルを促してヒューバートから離れた。


「アリシア様、私……」  

「お忘れください。私は離縁することになるでしょう。ミシェル様の願いが叶うことを願っております」


 それだけ言うとアリシアはミシェルに背を向けた。

 背後でミシェルが「アリシア様!?」と驚いた声を上げているが、怪訝な顔をしているヒューバートにミシェルのしたことを知られるわけにはいかないと思う気持ちのほうが大きかった。


「アリシア?」

 

 やはり何かミシェルとのやりとりに不自然なところがあったのか。何かを探るような目を向けるヒューバートにアリシアは微笑み返す。


「ヒューバート様の妻になれて嬉しかった、そう言っただけですわ」

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