奇公子の花嫁はダメ皇女 後編
「皇弟殿下も愚かよね、陛下相手に謀反を起こそうだなんて」
「僕って見た目で侮られやすいから」
垂れ目で気の弱そうな雰囲気を活用し、一人称も『僕』にして、そういう皇帝を演じているイグニス。
「それにあいつは昔から英雄になりたい願望が強かったからね。金髪美女の姫を助ける英雄になるってよく言っていたよ」
「金髪美女限定の英雄……限定している時点で最低でふが、武器商人の手を借りて他国を侵略しようとするのはどう転んでも悪役、救いようがありませんわ」
己の手で武器を持ったならまだ褒められた……かもしれない。
しかし皇弟は奴隷の子どもを鍛えて暗殺者に仕立て上げようとした。
暗殺者に向かわせる最終標的はイグニスだっただろうが、皇弟は活動資金を得るために隣国を狙った。
隣のレイナード領を治めるレイナード侯爵は国一番の金持ちだった。
彼を襲ってお金を奪おうとして、暗殺者を何人も送り込んだが、誰一人として帰ってくることはなかった。
「送り込んだ刺客を全てあちらに搦めとられるなんて喜劇ですわ。計画からして荒唐無稽過ぎて『まさか』の連続でしたし。それを見破ったレイナード侯爵様は本当に素晴らしいですわ」
「その謀略を暴いたのは彼の息子らしいよ」
イグニスの言葉にローズアンナは驚き、次の瞬間には目を輝かせる。
先ほどイグニスは言ったのだ、彼の息子は十歳を過ぎていると。
ローズアンナは十五歳。
年上妻になる可能性はあるが、なっても数歳差、目をつぶれる範囲だ(相手の拠標範囲については未確認だが)
「私は包容力のある年上が好みですが、贅沢は言いません。陛下、結婚相手をレイナード侯爵様のご子息にできないか提案を。侯爵様の息子ならば容姿も期待できますし」
「デイム・アリシアもヴァル・シータを連想させる儚げな美女だしな」
「なぜデイム・アリシアの名前が……まさか、レイナード侯爵様の元妻で現婚約者はデイム・アリシアなんですの!?」
端がすりきれるほど眺めた『ミセス・クロース』の版画。
最新作が出ると聞くたびに、隣国の王都と帝都が馬車で一カ月以上かかる距離をそれはもう恨んだものだ。
ローズアンナの目がキラキラと輝く。
「絶対、侯爵様のご子息がいいです!どちらに転んでも、どのように混ざろうとイケメンですわ!その方のお名前は?」
「えっと、確か……あれ、何だっけ?」
「まあ、もう健忘症ですか?やはり男は三十を過ぎるといろいろガタがきてしまいますわね。やはり結婚相手は侯爵様のご子息で。名前などもう気にしませんわ、例え『ポチ』でも『コロ』でも私はその方に嫁ぎます」
「いやいや、娘よ……」
困った振りをする父王の姿にローズアンナは微笑み、
「陛下、何ごとも交渉ですわ」
「いや、お前の結婚をエサに賠償金を値引きしてもらっただけでも儲けもの……」
イグニスにローズアンナは人差し指を一本突き立ててみせる。
「ダメ元でワンスモアですわ!レイナード侯爵のご子息をティルズ公爵様の養子にする手もありますし」
「……ローズアンナ、それは僕に死ねと言っているということだよ?最愛の女性の産んでくれた息子をそんな道具のように扱ったら、水公爵が怒って明日にはこの帝国は干からびるよ」
はあ、とため息を吐いて俯いたイグニスが顔を上げると、そこには皇帝がいた。
ローズアンナにも分かっていた、これは決定事項なのだ。
「ここまでか」とローズアンナは内心ため息を吐き、両手でスカートの端を摘まみ、頭を下げて、
「ティルズ公子様に嫁ぎます」
末娘のこういう敏いところをイグニスはとても気に入っており、彼はとてもいい笑顔で、
「よかった。三日後、ティルズ公子一行がこの国に来る予定だ。丁重にもてなすように」
(キツネ親父め)
***
「それではお父様、お嫁にいってまいります」
「違う、まだだから。公子とも話しただろう、王太子の子が五歳になり、お披露目が終わるまでは結婚しないと」
事情はさておき、帝国の皇女が嫁ぐのは時機が重要になる。
相手が公爵家ならばなおさらで、王位継承権に関わる問題があるからだ。
「今回は嫁にいくんじゃない、留学だ。三年間は学院の寮で暮らし、その後の二年はレイナード侯爵邸で世話になる。いいね」
「最高ですわ!皇帝陛下、レイナード侯爵に後見役をごり押ししてくださってありがとうございます。私としては彼の養女となっても全く問題はなかったのですが」
「レイナード侯爵とティルズ公子は親友の間柄、義理の親子にはなりたくなかったのだろうね。しかし、君の変わり身の早さにはついていけないよ。ティルズ公子のことを『オジサン』と言っていたのに」
「実物にお逢いし、男性がその魅力の真骨頂を発揮するのは三十を過ぎてからだと知りました」
「気持ちのいい手の平返し!やっぱり彼がイケメンだからか?」
「あら、陛下が『父親』みたいなことを言っていますわ。私のお婿様に嫉妬ですか?」
「これが俗にいう『お前みたいな男に娘はやらん』という心境なのかもね。うーん、世の父親はみな大変だなあ」
すでに二人の娘を嫁にやっているのに、初めて父性を感じたようなイグニスの言葉にローズアンナは少しだけ心がくすぐったくなる。
「向こうの要求ですし、私も若いから全く構いませんが、結婚する頃には公子様は四十歳に近くなりますわね。本当によろしいのでしょうか」
「本人の気持ちより国の安寧なのだろうね。子どものことだって、親友のレイナード侯爵夫妻に子どもが産まれるから、その出産準備で忙しいと言ってぼやかされたし」
レイナード侯爵が今回の公子御一行様にいないのは、元妻でいまは新妻の妊娠が分かったからだった。
「親戚の小父様状態ですわね。うちは殺伐しているから、そんな親戚付き合いが羨ましいですわ」
「殺伐しすぎて、陰謀と謀殺で親戚はろくにいないし……君たちは兄妹で仲良くするんだぞ」
六人の兄と姉、特に二人の姉たちの顔が浮かんだローズアンナは「無理です」と父親の願いを悩まず突っぱねる。
「お姉様たち、私を焼き殺すかのような視線で見ていましたし。イケメンの旦那様が羨ましくってたまらないのですわ」
ローズアンナは知らないことだが、その姉二人は妹の婚約者であるティルズ公子に火遊びを提案し、きっぱりと振られているのだ。
まだ未成年の幼い婚約者に操を立てるのかと嘲笑いもしたが、そんな二人に彼は「選び放題なのに、なぜ君たちを選ばなければいけないのか」と答えた。
姉二人に対して「自分の眼鏡にかなわないレベルの女」と貶めたのか、それとも「婚約者の姉という一番面倒な相手」と言って断ったのか。
判断に迷う表現だと、報告を受けたイグニスは思ったのだった。
「君がいなくなると寂しくなるよ」
イグニスの言葉にローズアンナは黙って、「またそんな心にもないことを」といった表情を返したが、それはイグニスの本心だった。
イグニス自身も、そんなことを言ったことを信じられなかったが。
イグニスには親や子が分からない。
もちろん『言葉』としてその意味を知っているが、最初の子から七人の子どもの誕生を見てきたが、情緒教育の一環で読んだ道徳の本にあるように子に対する無条件の愛情はいまだに分からなかった。
分からないなりに努力はしているつもりで、自分の父親が長子である自分をとにかく優先するタイプだったから、それを反面教師にして、イグニスは『平等』を心がけた。
イグニス自身も自覚もしているが、その『平等』に異様なほど固執している。
子ども一人につき毎週十分ずつ会う時間を作った、相手が赤子でもきっちり十分。
母親の同席は自由。
三人の妃たちはこの十分間を自分の魅力を振りまく時間に、次の渡りを求めるために使ったが、アンだけは同席せずローズアンナとイグニスを二人きりにした。
寝返りもできずに仰向けでうごめく赤子を十分間ただ観察し続けたのは、ローズアンナが初めてだった。
何をするでもない十分間に先に飽きたのは子どもたちのほうだった。
母と子の熱意の差を見慣れてきたとき、イグニスは子どもたちに『予定ややりたいことがあったらその日は断ってくれて構わない』といった。
それでもローズアンナを除く六人はイグニスと会い続けた。
「今日は大事な予定があったのですが」という子もいたが、イグニスに言えたのは「そうか」の一言。
本心をいえば「予定を優先して構わない」と言いたかったが、皇帝が言うと命令になりかねないから黙っていた。
ローズアンナだけは来たくないときは来ない。
そんなローズアンナを権力競争に参加できない『ダメ皇女』は気軽でいいと蔑む者の多いこと、多いこと。
イグニスはそれでいいと思っていた。
親子と言えど距離感はいろいろで、自分の距離感を示してくれるローズアンナはイグニスにとって付き合いやすい子どもだった。
だから、寂しいのだ。
馴染んでいたものがなくなることに、イグニスは胸にポッカリ穴が空いた気分になった。
「幸せになりなさい」
「もちろんです。一度きりの人生ですもの、楽しまなくては!まずはデイム・アリシアに弟子入りしてきます」
口実七割だが、今回の目的はあくまでも留学である。
「勉強を疎かにしてはいけないよ。思いきり学んで、それを活かして、あの人たちみたいに誰かの役に立つことをしなさい」
「陛下……『父親』みたいなことを言っていますわ」
「父親、だからね」
「そうでしたね。でも、大丈夫です。私にはできます」
「その自信はどこから来るんだい?」
苦笑したイグニスにローズアンナはにっこり笑い、
「私もなかなかよい背中をみて育ってきましたので」
イグニスは初めて、心の底から、目の前で楽しそうに笑うこの娘を嫁にやりたくないと思ったのだった。
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