番外編・後日談

ステファンの花嫁

奇公子の花嫁はダメ皇女 前編

「ぜーったいイヤです!」


 十代の末娘の金切り声に、五十歳を過ぎた帝国のイグニス皇帝は痛む頭を押さえたが、何も言わずに耐えることを選んだ。


 彼も娘の叫ぶ気持ちは分からなくもないのだ。

 もし自分が末娘の立場で、十五歳の自分が三十歳を過ぎた男に嫁げと言われたら「イヤだ」と喚き散らしたであろうと。


 しかしイグニスは皇帝で、国のために判断しなければならない。

 そしてその責務は、十五歳でも王族として生を受けた以上は皇女である娘にもあると思っていた。


「もう決まったことだ、ローズアンナ。あきらめて、国のために嫁ぎなさい」

「陛下!」


 ローズアンナが目を吊り上げてキッと睨むと、皇帝の目は十数秒間それを静かに受け止めたが、ふにゃりと目を垂らす。


「ローズアンナ~」


 普段垂れている目がさらに垂れると、そこにいるのは一国の皇帝ではなく気のいいオジサンにしか見えない。

 これがイグニスの戦法であることは分かっていた。

 こうして頼りない雰囲気を作り、相手に「仕方ないな」と思わせて、結局はイグニスの願うままに操られるのだ。


(キツネ親父め)


 ローズアンナは七兄弟の末っ子で、姉が二人と兄が四人いる。

 これだけ子がいれば帝国の次代は安泰とはならないのは、兄や姉を産んだ三人の皇妃はしのぎを削って権力争いをしている。


 ローズアンナがその権力争いを第三者目線で見ているのは権力争いに参加する権利がないからだ。

 皇后は公爵家出身、二人いる皇妃はそれぞれ侯爵家出身という高い身分であるのに対し、ローズアンナの生母は城で働いていた下女で数年前に亡くなった。


「お父様はなぜお母様に手を出したのです?」

「突然だね、とりあえず皇女の言葉遣いではないから直しなさい」


 そう言いつつもイグニスが少し宙をみながら思案するから、妻にもしなかった母を思い出している父親の様子にローズアンナの心が絆される。


 皇帝としての責務で複数の妻を持ち、『来る者拒まず』精神から寝床に勝手に上がってきた女性でも利害が合えば懇ろの仲になってきた父親。

 関係をもった女性など数えきれないほどいるのに、こうしてローズアンナの母親を忘れないのは珍しく自分からアプローチをしたからだろうか。


「アンはね、格好よかったんだ。気風がいいというか。裏表がなくてね、アンといるときは息をするのが楽だったんだ。そういう意味ではローズといるのも普通に楽しい。アンによく似ているよ、君は」


 継母でもある三人の皇帝の妻の丁々発止を思い出し、ローズアンナは苦笑する。

 あの三人の、扇子で表情を隠しながら穏やかに発せられる口撃。

 優雅な見た目の茶会は息を継ぐ間もない戦場だった。


「陛下が楽なほうに逃げてお茶の相手に私を指名するから、お継母様たちから私のもとに贈り物がくるんですよ」

「最近は減っただろう?」

「陛下のおかげでは微塵もありませんけどね。強いていうなら叔父様のおかげ、『帝国に必要なもの』になれましたから。叔父様も反乱を起こすなら陛下を直接狙えばいいのに」


 皇弟が企てた反乱は隣国を巻き込み、巻き込まれてそれなりの被害を受けた隣国は帝国に対して賠償金を請求した。

 お金ですませてくれる点はありがたかったが、その請求金額がえげつなかった。


「使者としてきたレイナード侯爵様の提示した賠償金は『払えるけれど……』という金額、侯爵様の態度が『もしかして値引いてもらえるかも』という期待をさせるものだったので、皇女である私を賠償金の添え物にしたのですよね」

「……すまない」


 謝罪するイグニスにローズアンナは口を噤み、シュンとした様子に苦笑する。

 八割は演技であると思うが、二割くらいは本当に「すまない」と思っている様だったからだ。


 イグニスが政略の末に生まれた上の六人には大して関心を示さないが、好奇心であれ自分から手を伸ばした女性が産んだローズアンナとは皇帝と皇女の関係のほかに父娘であろうとしているのだ。

 不器用だから「情けない父親」を装ってローズアンナから歩み寄るのを待っているのだが、その不器用さがイグニスなりの父性の証しのように思えた。


 絆されて、他の子どもと違う父娘の関係を楽しむことが皇帝の三人の妻の悋気を煽るのだが、こればかりは「どちらをとるか」でしかない。

 父の不器用な愛を取るか、報復を恐れてその愛を拒むか。


「私はやっぱりお母様に似たようです」

「僕を憐れんで受け入れてくれるところなんてそっくりだよね」

「やっぱり計算でしたか」


 計算だと分かっている。

 だって皇帝は「そうなる」と分かっていてローズアンナに、自分の手の内で優秀な毒見役と護衛をローズアンナにつけているのだから。


「守る意志があることだけは認めてあげます……今回も、私を守ろうとしてくれているって分かってます。私だって死ぬくらいなら三十過ぎの男に嫁いだほうがいいですもの」

「三十過ぎといっても、相手はティルズ公爵家の嫡男だよ。文句のない優良物件だと思うけれど」


 ローズアンナはイグニスを白い目で見る。


「そんな条件の殿方が三十過ぎても未婚、婚約者なし。絶対に優良じゃありません、ワケアリ物件です。ワケアリになる要因として考えられるのは……顔、ですか?」

「イケメン」

「他人の言うことは信じませんわ」

「それなら何で聞いたの?」

「よく考えてみたら、陛下は私を嫁に行かせるためならギルファでも美人猫と言いそうで」


 ローズアンナがスッと指さした先。

 ぶちゃむくれた顔をした、立派な体格の猫が振り返る。

 その姿は皇帝よりも貫禄たっぷりで、イグニスの演技に気づかない者は「猫のほうがよほど威厳がある」と比較対象にする皇帝の愛猫である。


「どうしても私をオジサンの嫁にする気ですのね」

「お願い」

「それならレイナード侯爵がいいですわ」

「あのね、ティルズ公子に嫁げと言っているのであって、三十過ぎの王国の男に嫁げといっているわけではないよ」


 相手のことを調べるのは交渉の鉄則で、イグニスはレイナード侯爵に関する調査票を端から端まで記憶している。


「レイナード侯爵は確かに『独身』ではあるがバツイチ、そして侯爵はそのバツをつけた元妻と婚約しているし、侯爵は婚約者を溺愛している。さらに彼女との間には十歳を過ぎた子どもがいるんだ」


「やはり優良物件はすぐに売れるから『優良』なのですね。三十過ぎまで売れ残ったのはやはり、そういうことでは?」

「僕だって婚約したのは十五歳。結婚したのは十八で、二十二で父親になっているからね」

「陛下のことは聞いておりません」


 そうはいっても、ローズアンナは皇帝である父のことが嫌いじゃないし、皇女としての務めも分かっている。

 しかし素直に受け入れたくないのが皇弟の、自分を『下賤の血』と蔑んだ目で見ていたあの男の愚行の尻拭いだからだ。


「先代皇帝は優し過ぎました。私だったら領地なんて与えず、城に住まわせて適当なエサをあげて満足させておきましたわ」

「そうだねー」


 後に皇弟となる第三皇子の野心の強さについて危惧していた先代皇帝は、彼を貧しい領地の領主に封じて反乱などを起こせない状態にしたが、ローズアンナからしてみれば中途半端な措置だった。

 彼は領政の立て直し、領民の生活改善など全く考えなかった。

 彼の頭の中にあるのは兄である皇帝を退けて自分が中央に立つことだけで、そのために彼は一攫千金を狙って鉱物の採掘にのりだした。

 

 与えられた領地は貧しかったが、それは作物が育ちにくいという農業的な見識であって、鉱物はそれなりに採れて彼はそれなりの資金を得た。


 皇弟はこれまでの領主たちの無能を嘲笑った。

 宝の山を毎日目にしておいて、何もできなかった愚か者だと。


 しかしこれまでの領主や領官たちが鉱物の採掘に手を出さなかったのには意味があって、鉱物の採掘は難しい上に、鉱物を採掘する山は領地唯一の水源だったのだ。 

 鉱物には毒性のあるものもある。

 これが水源を汚染すると領地一帯が死の大地になりかねなかったのだ。


 そして彼の無計画な採掘は領地を流れる水を鉱物毒で汚染させ、皇弟はここで二つの選択を迫られることになる。


 一つ目の選択は皇帝に頭を下げて援助してもらうこと。

 もう一つは隣の領地、他国だけれど水が豊富にあるレイナード領から水を輸入すること。


 兄を引きずり下ろすことが第一目標である皇弟は後者を選んだ。

 「たかが水」と思っていた節もあり、これが失敗のもとだった。


 水は生物が生きる上での必需品である。

 その水が領地にはない、輸入しても輸入しても需要に追いつかないのだ。


 さらに隣の領地といっても他国。

 水の輸送費は関税もかかって高く、需要が高まったことでレイナード侯爵が水の価格そのものも値上げしたので、採掘で得た潤沢な資金は瞬く間に底をついた。


 彼は思った。

 黙って何もせず、ただお金がなくなるのを見ているなんて『自分』ではない。

 『自分』にはもっと大きなことができるはず。

 そうだ、やっぱり皇帝になろう。


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