最終話 まだまだ、これから

せわしいなあ」


 ここで大人しくしているように言い残し、騎士たちに指示を出したヒューバートに付き添われてながら休憩室に向かう母に苦笑する。

 アリシアの妊娠が分かってからはヒューバートの過保護に輪がかかり、


「当分の間は靴がいらなさそうだな」


 まだ平らな腹をしたアリシアを抱き上げるヒューバートの姿に、隣にいたロイドに頷いたパーシヴァルは顔を見合わせ同時に吹き出す。


 今日はハレの日。

 パーシヴァルもロイドも、正礼装のモーニングコートを着用している。


 袖口を留めるカフスボタンは、パーシヴァルがヒューバートと初めて食事をするときに贈られたもの。

 今回も、今までも、正装する機会があるたびにヒューバートからは「もっと上等なものを誂えよう」と言われるが、パーシヴァルは毎回それを断って想い出深いこの、父親の瞳によく似たカフスボタンを使っている。


 ちなみに、このカフスボタンは決して安物ではなく、王宮の晩餐会で身に着けていても恥ずかしくない高級品。

 ただ単に、ヒューバートが息子に何かしたくて堪らないだけなのだ。


「貴族の結婚式とは思えないくらい家庭的だよな」


 新郎と新婦が、家族以外は『友だち』だけを選んで招かれているこの場は、ロイドの言う通り家庭的だ。

 異国の民族衣装で参加している者もいて、幼い頃から母の傍で多くのデザインに触れてきたパーシヴァルの好奇心を刺激する。


 赤ひとつとっても様々。

 レイナード領の特産品となったアカネ染めの赤もあれば、黄色味の強い赤色もある。


「世界って、本当に広いね」

「大海があると分かったんだから、目いっぱい泳ぎまくろうぜ」

「どや顔で言っているけれどさ、それってプリムさんの受け売りだよね」


 パーシヴァルにとって母のアリシアと父のヒューバートは偉業を成し得たすごい存在。

 幼い頃はそんな両親がただただ誇らしかったが、いまは自分にその力がないことが悔しい。


 でも、隣にいる親友は『まだまだこれから』と肩を叩いてくれるし、相談相手と思えば父や母やその周りにいる人ほど頼りになる人たちはいない。


「まだまだ、これからこれから」

「そうさ」


 ***


「パーシヴァル、ちゃんと食べている?育ち盛りだからしっかり食べなくてはダメよ」


 身重のアリシアの代わりに自分がパーシヴァルの面倒をみるのだと言わんばかりに、大量の肉が乗った皿を持ってきたミシェルにパーシヴァルは苦笑する。

 身内に対して際限のないところは、彼女の兄であるヒューバートにそっくりだ。


「ありがとうございます、ミシェル叔母様」

「きちんとお礼が言えるパーシヴァルはお義姉様に似ていい子ね」


 実の兄よりも常にアリシアを優先するミシェルしか知らないため、この叔母がかつて母と父の結婚に反対していたなどパーシヴァルにはまだに信じられないことだった。


 それについては他人から憶測込みで聞くよりも自分で説明すると言ったミシェル自身から聞いている。

 そして話の最後にミシェルはパーシヴァルに謝罪したのだが、一番の被害者であろうアリシアが気にしていないということとやかく言うつもりはパーシヴァルには一切ない。


「ご家族は?」

「リオはエリックとお得意様へのご挨拶に行っているわ。これを機にコルボー家の跡継ぎとしての仕事をさせてみようって夫と話したの。娘たちは……あっちね」


 そう言ってミシェルが指したのは、賑やかな声が時折聞こえるチョコレートファウンテンの一角。姉妹で仲良くチョコレートを付けたマシュマロを頬張っていた。


「汚さないといいけれど……お義母様が用意した一張羅なのだし」


 アンティーク大好き集団『ラヴァンティーヌ』の重鎮が用意した一張羅。袖口に使われているレースが積み重ねて来た歴史の上にチョコレートを塗ることを想像したミシェルは顔を青くしつつも、娘たちが頑張っている淑女教育の成果を信じることにした。


「人肌より少し温かいお湯につけてから石けんで洗うとチョコレートの汚れは落ちやすいですよ」

「……ありがとう、パーシヴァル」


 本当によくできた甥っ子だと思いながら、口の周りにべったりチョコレートを付けた娘たちにミシェルが向けた苦笑はとても優しいものだった。


 ***


「パーシヴァル、ロイド君。ここの席は空いているかな?」


 やや疲れた顔をしてそう訊ねた祖父、オリバーにパーシヴァルは頷き、傍にいた使用人に紅茶の準備を頼む。

 自分の好きな銘柄の紅茶を頼んでくれた孫に感謝の目を向ける。


 先ほどまでオリバーは同年代の貴族の御夫人たちに囲まれていた。

 『ほほほ』と笑い合いながらも剣呑な視線が飛び交い、そんな彼女たちの中央で飄々としていたオリバーにパーシヴァルたちは呆れつつも感心していた。


「あー、疲れたあ」


 今でこそ妻一筋のオリバーだが、王都で典型的な遊び人をやっていたときは二股、三股当たり前の最低男。「来る者拒まず、飽きたら立ち去る」三昧だった最低男が別れた女性に気を配るわけもない。そして女性のほうも、誰かと幸せになっていたとしても、オリバーに対する恨みつらみは残っている状態。


「今回はこの式に来るって分かってるから、元カノの女性たちも捕獲が楽ですね」


 妻に惚れ込んで領地に引っ込んだオリバーだが、今回のように王都に出てくることもある。

 そしてその情報が元カノの誰かの耳に入ると、どういうネットワークかは不明だが多くの元カノがオリバーの行く先々に現れては彼に恨み、つらみをぶちまける……前に、女たちの争いになってオリバーは比較的軽症でその場を乗り切っている。


「おじい様、僕たち家族に迷惑かけないでくださいね」

「そういうところ、ヒューバートにそっくりだよ」


 身内と言えど特別扱いはしない。悪いものは悪いのだ。


 そして大事なものの優先順位は間違えない。


「パーシヴァル」


 呼ばれたパーシヴァルは顔をそちらに向け、カトレアの右手と左手をそれぞれとる幼女たちに相好を崩す。そして視線も表情もそのままに、護衛騎士として傍にいたミロに祖父の隔離を命じる。


「ちょっとちょっと。少しは休ませてよ」

「遠く離れたテーブルでお休みください。紅茶もそっちに持っていくように言いますから」

「本当にヒューバートにそっくり過ぎる」


 後ろ髪をひかれまくって嫌々退散させられた前侯爵を苦笑いでロイドは見送る。そんなことをしている間に幼女たちは目と鼻の先。カトレアが頷くのを確認すると、その手を放してトテトテと音がしそうな足取りでパーシヴァルの元に来る。


 マーガレット・テレス・レイナード。

 アンジェラ・ローズ・レイナード。


 金髪に赤い瞳の少女たちはアリシアによく似た顔立ちの一卵性双生児。少しつり目のほうがマーガレットで通称『メグ』、少したれ目な方がアンジェラで通称『アン』である。 


「「お兄ちゃま」」

「メグ、アン、とてもかわいかったよ」


 五年前の両親の結婚式の日に伝えられた母の懐妊。

 祝いごとに祝いごとが重なってパーシヴァルは気が遠くなるほど嬉しかったが、自分以上に冷静さを失って喜ぶ父の姿にかえって冷静になったことを思い出してパーシヴァルは笑う。

 あの日から、父は母と移動するたびに抱っこしていた。多少は動かないと出産が大変になると周囲に怒られつつも、隙を見ては母を抱っこして大事にしていた。


 右と左からきゅうっと抱き着いてきた幼い妹たちをパーシヴァルも抱きしめ返す。

 あの頃は母を溺愛する父を笑ったが、こうして守ってあげたい存在ができて父の気持ちを理解した。


 大切な妹たちに醜いものは見せたくないし、この世の暴力全てから守ってあげたい。

 パーシヴァルは妹たちを抱き抱えながら姿勢を変えて、祖父が見知らぬ女性に平手打ちされるシーンが見えないように隠した。


「「お兄ちゃま?」」

「なんでもないよ。さあ、ステフ小父様に『結婚おめでとう』って言いに行こうか」

「王女しゃま、きれいよ」

「ステフ小父しゃまも、王子しゃまみたいよ」


 三十代半ばを過ぎたステファンを『王子様』と表現するのはいかがと思ったが、年齢を知らなければ十八歳の花嫁である帝国の王女と一回り以上離れているようには見えなかった。


 ***


 花園を抜けて、石畳を歩く。


「お兄ちゃま、どうしてここにはお花がないの?」

「ここは特別な場所だからだよ」

 石造りの四阿は父と母の思い出の場所だと聞いている。それを聞いたとき、自分が結婚式を挙げるならここがいいなと思った。


「メグ、ここ好き」

「アンも好き。アンもここで結婚式すりゅ」

「じゅるい、メグもしゅる」


 兄妹だなと微笑ましい気持ち半分、相手は誰だと詰め寄りたくなる気持ち半分。こんな感情は妹ができて初めて知った。

 母だけだったパーシヴァルの世界は父親の登場と共にどんどん広がった。

 家族ができて、友だちができて、妹たちができた。

 そしてまた妹か弟が増える予定。


「今度は……恋をしようかな」

 好きな人ができるってどんな感じだろう。


「まだまだ、これからこれから」

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