第二章

第1話 花が香る

(贅沢な旅になったわね)


 レイナード侯爵家の家紋が付いた馬車の中は三人乗っても窮屈さを感じないくらい広く、クッションの効いたイスは柔らかくて快適。馬に乗った五人の騎士に守られながらの旅は安心しかなく、さらに連れてきた侍女はもう一台の馬車で数名の騎士と先行して宿の準備を整えていると聞いたときには驚きしかなかった。


 こんな豪華な旅ができるレイナード家が十数年前まで財政難に喘いでいたなど、ましてやコールドウェル子爵家の援助を受けていたなど誰も信じられないだろうとアリシアは思う。



 王都までは六つの宿場町を経由する。

 この街道は歴史が長いため、どの宿場町も栄えているし、特に王都に近い二つの街は人口も多くて町というより都市に近い。



「侯爵様、侯爵様」


 軽い休憩をとって馬車が再び動き出すと、さっきまで寝ていたパーシヴァルは元気一杯だった。

 窓にかじりついて外を観察し、知らないものがあればヒューバートを呼んで説明を求め、ヒューバートも楽しそうにパーシヴァルに応えている。


「侯爵様、あの方たちは騎士様……ですか?」

「あの服は街道の警備隊だな。彼らと国境の警備についている騎士たちのおかげでこの街道は比較的治安が良いんだ」


 パーシヴァルと向かい合うヒューバートの顔は穏やかで、見た目がそっくりなこともあって仲のいい父子にしか見えない。そんな二人をジッと見過ぎたのだろう、ヒューバートの目がアリシアに向く。


「どうかしたか?」


 視線を感じるほど見てしまった自分が悪いのだが、自分に向けらえる赤い瞳に籠るものに複雑な気持ちにさせられる。


(いつから?)


 ヒューバートの目に灯る甘い熱、そわりと落ち着かない気持ちにさせるそれに気づいたのはパーシヴァルの寝息につられてアリシアも寝てしまい、何かの振動で目が覚めたときだった。

 懺悔や後悔の気持ちまでは想像がついたし、優しさまでならば理解もできたが、こんなことは予想もしていなかった。


「パーシヴァルが楽しそうだと思いまして」


 でも、アリシアはそれには気づかないふりをする。


「ああ、そうだな。冒険はワクワクするものだからな」


(パーシヴァルと同じことを言っている、やっぱり親子なのね」


 そう思った瞬間、心にジリッと走った熱を無視するためにアリシアはカバンから裁縫道具を取り出して刺繍を始めた。

 ヒューバートも書類に目を落として仕事を再開し、時折パーシヴァルの質問にどちらかが応えながら表面上は穏やかな時間を過ごしていた。


 ***


 太陽が西の山の頂に触れた頃、一行は最初の宿場町に着いた。

 ウルミ湖に面して点々と家が建つ長閑のどかな風景の宿場町で、街道を行く人はここを『湖畔の街』と呼んでいる。


「大きな池!」


 騎士の手を借りて馬車から降りたパーシヴァルが歓声を上げて走り出し、それを追いかける護衛騎士とパーシヴァルは短い追いかけっこをしたあとアリシアに抱きついた。


「これは湖、ウルミ湖というのよ。この湖の周りは小さな村がいくつもあるの」

「お母さん、この花は何?」


 小さな男の子の好奇心は留まるところを知らない。


「ガーデニアね。この地方の漁師はこの実で染めた黄色の服を着て漁に出るのよ。実は生薬にもなるから、この辺りの人にとって生活に密着した花なのでしょうね」


 しゃがみこんでいたため、「詳しいな」と感心したヒューバートの声が上から降ってきた。


「ここに住む女性から婚礼衣装の修復を依頼されたときにこの辺りのことを調べたのです」

「真面目な君らしいな」


 ヒューバートの感心する声に、アリシアは今までのことが認められたようで誇らしい気分になった。


「この地域の花嫁は母から娘へと代々伝わってきた婚礼衣装を着ます」


 何となくの流れで、花嫁衣裳の修復の話をする。


「手直しを重ねながら歴史を積み重ねた婚礼衣装は個性的で美しく、彼女も幼い頃に亡くなった母君が着た婚礼衣装の手直ししようとしたのですが」


 彼女がアリシアに依頼した理由は二つあった。一つは中央にある大きなシミを隠すことが難しかったこと、もう一つは彼女は裁縫が苦手だったこと。


「本来、花嫁は母親と二人で花嫁衣裳を修復します。一針一針丁寧に、想い出を紡ぎながら娘は母親に感謝を伝え、母親は娘の幸せを願って言祝いでいくそうです」


「なるほど、それで困って彼女は君に依頼を」

「もともと衣裳のを修復ができないことで困っていたのですが、新郎の都合で結婚式の予定が大幅に前倒しになってしまったためパニック状態に……しかも『冬の結婚式』だと泣かれてしまって」


 その日は仕事にならず、アリシアは店を閉めて彼女の愚痴を夜遅くまで聞いていた。


「冬の結婚式、か」



 このノーザン王国で冬の結婚式は珍しい。

 四季があるが北に位置しているノーザン王国の夏は短く、冬は長い。雪深い地域は外出も大変なので冬は社交が減り、葬式は仕方がないが結婚式をあげるなどは稀だ。


 特に貴族は冬に結婚式はしない。

 豪華さが家門の権勢を表すため、ほとんどの貴族は花の種類や色が豊富な春に結婚式をあげる。逆に貴族が冬に結婚式を挙げる場合は『財政難』や『訳あり』と判断される。


(私たちの訳ありの結婚式も冬でしたしね)


 華やかさのない自分の結婚式を思い出していたアリシアの耳に、ヒューバートが「冬でもいいから早く結婚したいと考えることもできるのに」と呟く声が届いた。

 アリシアの心臓が大きく弾む。


「状況はさておき、彼女は正しい選択をしたな。君のことだ、見事に衣装を修復してみせたのだろう?」

「ガーデニアを沢山刺繍しましたわ、花言葉も『喜びを運ぶ』で丁度良かったですし」

「君の刺繍は綺麗だから喜ばれただろう。君のドレスの刺繍も素晴らしかった。草の刺繍は珍しいと思ったが独特の美しさがあった」


(……もしかして、覚えている?)


 子爵にとってアリシアは由緒ある侯爵家との縁を繋ぐ金の卵だったが、父としての愛情がなかった彼はアリシアの結婚式に費用をかけることを嫌がった。


 彼は会場の装飾費を低く抑えるために生花の少ない冬を選び、アリシアのウエディングドレスも使用人に命じて中古の『それらしいドレス』を探させた。「古着屋でウエディングドレスを探す使用人」の噂は直ぐに拡がり、アリシアが聞いた話では今でも貴族の『笑い話』の一つとしてあげられるらしい。


 そして見つかった『それらしいドレス』は黄ばんではいるが一応白の、二枚の布を縫い合わせただけの飾り気のないドレスだった。


 これにはさすがに子爵家の使用人も同情したのだろう。

 侍女たちがこっそり離れに手持ちの刺繍糸を持ってきてくれたので、アリシアはアイビーをドレスに刺繍したのだ。草の刺繍は珍しいが十分な量があったのが緑色で、アイビーの花言葉なら『永遠の愛』で良い言い訳になると思った。


(刺繍まで覚えて……意外だわ)


 胸にじわりと感じる甘さはガーデニアの花の香りだと、アリシアは自分に言い聞かせた。

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