第16話 旅に出る

 ミロとの散歩から戻ってきたパーシヴァルにアリシアが子爵のことを伏せて事情を説明すると、パーシヴァルは「自分も行く」と言った。

 アリシアもパーシヴァルを一人で残すつもりはなかったのだろう、パーシヴァルの要求をアリシアは受け入れた。



「王都にはどうやって行くの?」

「辻馬車を乗り継いで行くことになるわね」


 アリシアの答えにヒューバートは慌てて待ったをかける。


「女性と子どもだけでの移動は危険だ。俺も王都に戻るから、うちの馬車に二人とも乗って行けばいい。君だけではパーシヴァルを守れないだろう?」

「そうですね。よろしくお願いします」


 危険を全面に出したのが良かったらしい。

 アリシアが同意してくれたことにヒューバートは安堵する。


「うん、任せて欲しい。あと、今回のことで必要な費用は俺に負担させてほしい。もちろん宿の手配などもこちらでする。旅支度に必要な、準備にかかる費用も払わせてほしい……このくらいはさせてもらえないか?」


 ヒューバートの提案にアリシアは躊躇したが、また受け入れてくれた。

 パーシヴァルのことについては負担させてくれるアリシアに、パーシヴァルの父親が自分であることを認めてもらえているようでヒューバートは嬉しかった。


「よかった。明日、ミロを店に行かせるので必要なものを準備してくれ。遠慮する必要はないし、俺の荷物にしておけば万が一のときに保険の補償対象にもなるから」


 レイナード商会長として商品の輸送経験は多いヒューバート。過去にこの街道で盗賊などが出たことはないが、保険を言い訳に自分が出費することを正当化した。

 早速パーシヴァルが旅に必要なものをヒューバートやミロに尋ねる。楽しみで仕方がないパーシヴァルの様子にアリシアと共に苦笑した。



「野営もするんですか?」


 好奇心に満ち溢れたパーシヴァルの質問にヒューバートは首を横に振る。


「夜は安全のために宿に泊まる。この街道は古くからあるから、適当な距離に宿場町があるからな」


 もちろん急ぎの移動や、移動中にトラブルが発生したときは野営になるが日が暮れたら町の中にいたほうが安全だ。しかし、野宿に心を弾ませていたパーシヴァルの落ち込みようにヒューバートは狼狽えてしまった。そんなヒューバートにミロが助け船を出してくれる。


「坊ちゃん、俺たち護衛もしっかり寝ないと、万が一のとき戦えませんので」

「そうよ、無理を言ってはいけないわ」


 貴族の馬車を護衛する騎士たちは基本的に騎馬で移動しているため、彼らの体力回復は安全確保のためには欠かせない。特に今のアリシアは悪徳な金貸し業者に狙われている。


「できるだけ早く出発したほうがいいがいい」

「三日ほど時間をもらえれば出発できます」


 一週間後を想定していたが、思ったより早く王都に行けることにヒューバートは安堵した。

 もちろん安全面を考慮して一緒に行くことを提案したが、ヒューバートとしてはアリシア母子と一緒に過ごせる時間がもてたことも重要だった。


(順調にいって、王都まで七日間か)


 奇しくも自分たちの結婚期間と同じ七日間、この旅が終わって王都で別れたらアリシアにはヒューバートと会う理由がなくなる。

 アリシアが希望すれば帰りの馬車も護衛も無償で提供するつもりだが、その馬車にヒューバートが乗る理由がない。婚約者でも夫婦でもない。パーシヴァルの両親といういまの関係には会うための理由が必要だった。


「ミロさん以外に護衛の騎士さんはがたくさんいるんですか?」

「とち狂った野盗も襲わないくらい数の護衛をつけるから安心しなさい」


 ヒューバートの言葉に騎士を呼びよせると思ったらしいアリシアは「お手数をおかけして」と恐縮した。すでに十分な数の騎士が揃っていることをヒューバートは言わなかった。ましてや彼らが常にアリシアたちを護衛していることなど。


「楽しみだね、お母さん」

「そうね。侯爵様、よろしくお願いします」


 ヒューバートを見る二人の萌黄色の瞳に灯るのは信頼。


(君たちに傍にいてほしいなんていったら、この緑色はどう変わるだろう)


 怒り、拒絶、軽蔑、嫌悪。アリシアの瞳に浮かぶ可能性のある感情を思い浮かべて、ヒューバートは切なくなった。


 ***


「うん、いい天気。僕の日頃の行いがいいおかげだね」


 パーシヴァルの自画自賛の声を聴きながら、アリシアは荷物を騎士たちの手を借りて馬車に乗せる。

 自宅周辺に集まってひそひそと何かを話しながらこちらを見る住民たち。

 その中にはこの家の貸し主である老婦人もいて、軽蔑に染まるその目にアリシアは苦笑する。


(私が貴族の愛人になったとでも考えているのでしょうね)


 王都についてすぐに必要となるものは全て馬車に積み込んだ。

 その他のものは、店にある物と合わせて梱包から運搬手続きまでルークが「任せろ」と請け負ってくれたので甘えることにした。



「お母さん、出発するって」


 一足先に馬車に乗り込んで手を振っているパーシヴァルは見るからに嬉しそうだ。

 王都での再スタートは苦労するだろうが、パーシヴァルが笑顔でいられれば大丈夫だとアリシアは確信しながら、裁縫道具をいれた鞄を持ち直す。


「馬車の荷台にも布類が多くあったが、仕事道具も持っていくのか?」

「はい……空き時間に作業できたらと」

「そうか」


(私たちが王都に住むことを侯爵様はどう思うかしら)


 パーシヴァルや仕事の今後を考えて王都に移住しようと思っているということはルーク以外には言っていない。家の中には処分する家具や不用品があるから、ヒューバートはアリシアの考えに気づいている様子はない。


 ヒューバートにはいずれ言うことになると分かっているが、今はまだ黙っていることにした。

 アリシアはヒューバートに迷惑をかけるつもりはないが、今回のように『つもりはなかった』で結局は迷惑をかける可能性が高い。


(まずは子爵と縁を切って、それから家や仕事、そしてパーシヴァルの学校についてやらなきゃ)


 あの食事会のあと、アリシアはパーシヴァルと学校について話した。

 いまは擁護院に併設された学び舎で勉強を教えてもらっているパーシヴァルだが、ヒューバートも通ったノーザン王立学院の話をすると興味を持ったため王都に着いて子爵との縁が切れたらできるだけ早く学校見学に連れていってあげたいとアリシアは思っている。

 学院は平民にも門戸が開かれているがそれは表向きで実際は狭き門。そのためアリシアはパーシヴァルが入学を望んだらヒューバートに頼んで『レイナード侯爵の推薦』をしてもらおうと思っている。


(パーシヴァルの未来に関わることだから……でも、こういう『協力』がずっと続くと思われたら嫌だわ) 


 グルグルと悩みながらアリシアが馬車に乗りこむと、馬車の中ではパーシヴァルが座席に座って置いてあったクッションを抱きしめていた。


「ふかふか……眠くなりそう」


 パーシヴァルの夢心地の言葉と同時に馬車が走り出し、しばらくするとアリシアの予想通りパーシヴァルは舟をこぎだした。


 初めての旅に興奮して昨夜は寝つきが悪く、朝から眠そうだったパーシヴァルの寝顔にアリシアの顔には自然と微笑みが浮かぶ。

 ぐらぐら揺れるパーシヴァルの頭に膝枕をしようかと思ったとき、馬車が街を出たことに気づいてアリシアは馬車を止めてもらった。アリシアは後ろについた窓から街の門を見る。


「何か忘れ物か?それなら騎士の誰かに」

「いいえ、ちょっと感傷的な気持ちになって」


 何年たっても、何をしても、アリシアたちを『よそ者』以外の目で見ることはなかった街。ここはアリシアのいる場所ではなかった。それに気づいていただろうルークはアリシアが「王都に引っ越す」と」言うと寂しそうではあったが、どこか安堵しているようだった。


(でも……アレってお祖父様じいさまの仕業よね)


 外の風景から車内のヒューバートに視線を移す。ヒューバートの頬は赤黒く腫れ、とても痛々しい。


「どうした? もういいのか?」

「……はい、ありがとうございます」


 騎士たちが何も言わず、手当てもされていないそれは『なかったこと』になっているらしいと察した アリシアがのが礼を言うと、ヒューバートが頷き、再び御者側の窓を叩き、馬車はゆっくりと再び走り出した。


 馬車の速度が安定したところでアリシアはパーシヴァルの頭を自分の脚の上に乗せた。

 旅の始まりにワクワクするし、子爵との縁が切れるまでの不安もある。


(それよりも、やっぱり気になる)


 アリシアはどうしてもヒューバートの顔が気になってしまい、気づくとヒューバートの横顔を見てしまっていた。そんなアリシアの視線にヒューバートが気づかないわけはなく、「どうした?」と聞いてくれたが、その短い言葉を発するのさえ痛みがあるらしくヒューバートは顔を顰めた。


(お祖父さま~)


 この国境に近い街は荒くれ者が多く、直情型のルークの場合は言葉での仲裁よりも腕に任せた力業での仲裁のほうが遥かに多い。


「あの、お祖父様が申しわけありません」

「……ああ。いや、その……気にしないでくれ」


 アリシアの謝罪にヒューバートは苦笑し、首を横に振る。


「まさか侯爵様に手をあげるなんて」

「彼からしてみれば激励の気持ちなのだろう」


(激励?)


 意味が分からないというふうに首を傾げるアリシアにヒューバートは何も応えず、笑顔だけを向けた。

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