第3話 売国奴に俺はなる

 ジュラ王国王都。

 煌びやかに光る都市の影のように存在するスラム街。

 その薄暗いスラム街のより深く、奥にあるスラム街の住人ですら寄り付かない場所。

 ジークハルトがセーフルームと呼称するその部屋には、十人の人影があった。


 長机を囲むように座る九人の視線は、唯一の男性――ジークハルトへと注がれていた。


「単刀直入に言おう。俺は解雇された」


 その言葉を受けてもなお、彼らの間に流れる雰囲気には一切の変動が無かった。

 話が終わるまで冷静な対応を取れるようジークハルトが訓練した賜物だった。


「それだけでない。俺は王直々に死刑の宣告をされた。情報機関の長として知ってはいけない情報をも知っている俺だ。きっと今頃近衛兵や衛兵たちが血眼になって俺の事を探しているだろう」


 九人の表情は変わらない。ただひたすらに主の命を待つ従者のようだ。


「だが、別に俺は死にたい訳ではない。さっさとこの国を抜け出して、別の国へと亡命する。そこで俺が使える奴だと認めさせることができれば、俺を守ってくれるやつも現れるだろう」


 その言葉に、九人の姿勢が僅かに前のめりになる。もっとも、常人には分からない違いではあるが。

 ジークハルトは人差し指を立てる。


「そこで、お前たちには二つの選択肢がある。一つ、ここで俺と縁を切りこの国でもしくは別の国で好きに生きること。お前たちは皆優秀だ。きっといい働き先が見つかるだろう。冒険者なんかもいいかもしれない。お前たちの名と顔はこの国の王侯貴族は知らない。平穏な生活を送れるはずだ」


 次いで、ジークハルトは中指を立てた。

 

「二つ目は、俺に付いてくること。お前たちを拾ったのは俺だ。この選択をするというのなら出来るだけ最後まで面倒を見よう。だが、俺は死刑宣告を受けている身。命の保証は出来ず、平穏な生活など待っていないかもしれない。俺嫌いのラーリュ侯爵がきっとしつこく刺客を送ってくるだろうからな」


 ジークハルトは薄く笑う。この世全ての人間を下に見るような、残酷な笑みだ。


「俺はすぐにでも発つ。だから、今ここでお前たちの判断を聞こう。……判断は即座に下すように訓練をしてやったお前たちだ。出来るだろう?」


 ジークハルトの言葉に異を唱える者はいない。何人かが首を縦に振るだけだった。


「それじゃ……ディートリンデ」

「おう! 俺はもちろんジーク様について行くぜ! 貴方のいない人生なんて考えられないからな!」


 緋の双剣使いは、勝気な笑みで宣言する。

 それ以外の選択肢などあり得ない、そんな表情だった。


「……ベラルダ」

「君について行くさ。なに、心配することはない。近衛兵だろうが何者だろうが、僕が君を守るとも、ジーク。その前に、この斧で彼らが両断される方が先かもしれないけどね」


 銀の番犬は、全身を覆う鎧を彼女の小さい背丈ほどある斧で軽く叩く。

 だるそうな声色だが、腰から生える尻尾はブンブンと振られていた。


「……フリーダ」

「どちらを選べと申されても……わたくし、あなたの奴隷ですので。ま、まぁ? 奴隷を解雇だと言われてもついて行って差し上げないこともないですわよ?」


 金の鞭使いは、艶やかな金髪を手で弄ぶ。

 それが彼女の照れ隠しの合図だと、その場にいる全員は知っていた。


「……フィア」

「私は我が主のためにあります。私が受けた恩を返すまで貴方の元を離れる訳にはいきません。いえ、例えこの返しきれない恩を返したのだとしても」

 

 白の隠密者は、その褐色の体を慈しむように抱く。

 まるでこの身体は貴方のものと囁くように。


「……ヴァミリ」

「あら~もちろん、私も貴方について行くわ? 行く当てなんかないし……こんな私を重用してくれた貴方だもの。きっと私、貴方の側じゃないと生きていけないわ~」


 紫の竜騎兵は、愛情のみがこもった視線でジークハルトを見つめる。

 その視線は、包容力のある彼女の雰囲気とは裏腹に、非常に重い印象を受けた。


「……ホーリィ」

「私もジーク君について行くよ? 影の薄い弓兵として生きていくだけの灰色の人生に彩りを与えてくれた君の下から、そんな簡単に離れると思うかい?」


 緑の狙撃手は、背丈ほどある長弓を手入れしながらそう言った。

 彼女が座る場所は、ちょうど松明の灯りがぎりぎり届かなく、表情は窺い知れなかったが。


「……シリアス」

「ああ、きっとこれが神のお導きなのでしょう。さすれば、私も勿論あなたについて行きましょう。あなたの道が我らが神の祝福に照らされるよう」


 黄金の聖女は、信仰する教えの象徴である逆三角形のエムブレムに口づけをする。

 その表情からは、慈愛の感情以外のものを感じ取ることが出来なかった。


「……ナラーシャ」

「……ふん。我は其方以外の人物にとっては手に余ろう。それに、眠っていた我を起こしたのは其方だ。最後まで責任を取れ」


 紺の魔女は、鋭い目付きでジークハルトを睨む。

 だが腰から生える魔族特有の尻尾が心配そうに揺れていたことは、誰もが気付いていた。


「……最後になるが、サリヤ」

「もちろん。私は生涯貴方の側へ。この身体、如何様にもお使いください。……あなたのことは、私が一番理解しています」


 黒の従者は、無感情のまま言葉を紡ぐ。

 慕う主に群がる者たちへの牽制も忘れない。


「はぁ……前々から思っていたが、お前たちは本当に馬鹿だな、最悪だ」


 全員の覚悟を聞いたジークハルトは右手で顔を覆う。

 それはうんざりさからくる無意識の行動か、それとも意図せず上がる口角を隠すための行動か。


「おいおい、馬鹿ってなんだよ。なぁ?」

「ディートリンデの言う通り。ジークこそ、僕たちを舐めすぎだよ。君が死刑になったからって簡単に僕たちが君を捨てるとも?」

「よく言いましたわベラルダ。むしろ、あなたを捨てた王と貴族を死刑に処すべきです」

「…………」

「フリーダ? あまりそう過激なことを言わないで~? 見て、フィアの顔がやる気満々になってしまったわ~?」

「仕方ないよ、ヴァミリ。私だってフリーダの気持ちは分かるし、君だってそうだろう?」

「あぁ、神よ! どうかかの者らの魂に救済を!」

「……死んだ前提で鎮魂するな、シリアス。そもそも、我はアイツとともに行くとは言ったが、これ以上の面倒ごとはごめんじゃぞ。サリヤ、其方も止めろ」

「……どうぞあなた達であの愚か者共を殺してきてください。私はその間にジークハルト様を安全な所へお連れします」

「おい! お前抜け駆けする気だろ!」


 あっという間に、部屋は喧騒に包まれる。

 一見喧嘩のように思える言葉の報酬だが、全員の表情は緩く楽しそうだ。


 その光景を見て、ジークハルトはフッと笑う。

 相変わらず、情報機関――諜報活動を司るものたちとは思えない煩わしさだ。

 だが、ジークハルトにとっては、その煩わしさこそ郷愁を覚えるもの。

 一度は突き放す選択を与えたが、やはりジークハルトにとっての帰るべき場所は彼女たちがいるべき場所だった。


(俺には、彼女たちを拾い、育てた責任がある。最後まで、俺がこいつらの面倒を見てやらないとな)


 ジークハルトは内心で密に覚悟を決め、机をこんこんと指で叩く。

 喧騒の中では小さく、消えてしまいそうな音だったがそれだけで全員口を閉じ、ジークハルトに注目した。


「さて、それではすぐにでも出発するぞ。この場所が魔道具で隠されているとはいえ、これ以上王都にいればいつ襲われるか分かったものじゃないからな」

「出発って言ってもよぉ……どこに行くんだ?」


 ディートリンから疑問の声が上がる。ジークハルトが見渡すと、全員が同じような顔をしていた。


「……以前から言っている通り、ジュラ王国はゲラリウス帝国への侵攻計画を画策している」

「そうだったね。そのせいで最近の君は王国と帝国を行ったり来たりで、僕寂しかったよ」

「そうだ。俺たちは陛下……ジュラ王の命で度々ゲラリウス帝国へ偵察に赴き、国境の兵力や兵站、指揮統制網などを調べてきたな」

「ええ。なにしろ相手は大陸の覇権国、ゲラリウス帝国。あんな強国での諜報など生きた心地がしませんでしたのよ? ……って、まさか」

「ああ」


 美しい金の髪を触る手を止め驚いた表情を見せるフリーダに、ジークハルトは人の悪い笑みを浮かべた。


「向かうは、ゲラリウス帝国。我々の情報を売りつけ帝国に寝返るぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女帝の影に潜む者~スパイはいらないと死刑宣告されたスパイマスター、九人の優秀な部下を引き連れ帝国入り~ 水本隼乃亮 @mizzu0720

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ