第1話 R.B.ブッコロー現る

雲ひとつない晴れ渡った空から、真夏の光が容赦なく降り注ぐ。

その強い光を遮る木々は1つもない。

まるで地球全体がゆっくりと焦がされているようだ。


高浜継琉(たかはまつぐる)は、競馬場付近にたむろしている人々をかきわけながら、足早に実家へと向かっていた。

空車のコインパーキングを見つけるのに、まさかこんなに時間がかかるとは。

しかも、やっとの思いで見つけた場所は、24時間で1200円と、この地域の相場からすると割高だ。

車の冷房の効きが悪く、運転をしている時から汗は吹き出し、着ていたTシャツにまだら模様のシミを作っていた。

そのシミは車を降りてからあっという間に大きくなり、今では体にベッタリとくっついている。

今日はこの夏一番の暑さで、気温は40度を超えるらしい。

このシミだらけのTシャツは、単純に猛暑のせいなのか、それとも父親から譲り受けた既に16万キロ以上走っているミニクーパーの冷房が何らかの不具合を起こしているからなのか。


「また修理に出すなんて事にならないといいけど…。」


ため息と一緒に独り言が漏れる。


久しぶりの実家とは言っても、継琉の通っている大学は、実家のある千葉県の船橋市からそう遠くない横浜だ。

夏休みで、やれ九州へ、やれ北海道へと帰省する同級生に比べれば、交通費も所要時間も大したものではない。

そうは言っても、実家から通える距離でもないので、アパートを借りての一人暮らしだ。

近すぎず・遠すぎずというこの距離感が絶妙で、継琉の大学生活は、概ね快適なものになっていた。


「横浜なら、実家から通えるんじゃなぁい?」という歩実(あゆみ)の言葉が脳内に再生される。大学の合格が決まって、両親と賃貸物件について話し合いをしている時に横から茶々を入れてきたのだ。


歩実は歳が4つ離れた妹で、当時は中学2年生。

サッカー部のマネージャーをしていた。

グラウンドを縦横無尽に走り回る上に、腕立てや腹筋、スクワットなどの筋力トレーニングも欠かせない。

そんな部員達を間近で見ているからか、歩実の発言は自然と体育会系のそれになり、しばしば継琉に住んでる世界が違うことを実感させた。


その傾向は、歩実が高校に進学してからも衰えることを知らない。

高校でもマネージャーとしてサッカー部に入部した歩実は、継琉が今年の正月に帰省した時には、家を留守にしていたのだ。

正月早々に地方へサッカーの遠征。

しかも、喜々として家を出ていったというのだから、もはや理解の範疇を超えている。

さて、今回はどんな名言が飛び出してくるのだろうか。

いや、それ以前に家にいるのか…。

正月に遠征に行くくらいだから、お盆にサッカーの練習があると言われても違和感はない。


「一体、どんな世界に住んでいるんだか」

生まれ育った近所の景色を懐かしむこともなく、独り言は何かの呪文のように途絶えることなく続き、継琉の体だけが家路を急いでいた。


玄関の扉を開けると、その歩実がちょうど2階への階段を上ろうとしている所だった。

「チィ~~~ス」

開口一番に出てきた言葉に耳を疑う。


「もしかして、この半年で我が家は、筋金入りの体育会系になったのかな?」

「いやぁ、パパとママの仕事から考えても、ウチは生粋のIT系でしょ。それよりも、何その髪。ヘルメットみたいになってるよ?」

「一時期のビートルズの人みたいな?」

「ビートルズの人って…。まぁ~たそんな適当な例えを使ってぇ。せめてビートルズの誰なのかくらいは言えるようにしておいた方がいいんじゃない?」


歩実は、兄妹の適当な会話を事務的にこなしてから、2階へとかけあがって行った。

そのステップは軽やかで、思いのほか上品さが感じられる。

ドスンドスンと下品な音を立てることもなく、階段に使用された木材をなるべく傷めないように。そんな気遣いの感じられる音だった。


真っ直ぐな黒髪に、パッチリとした大きな瞳。

体つきは食べても太らないスレンダーな体型で、周囲の友達からは羨ましがられているらしい。

程よく日焼けした肌も、歩実をより魅力的に見せる要因なのかもしれない。


「沈黙は金、雄弁は銀、黙っていれば…という言葉がピッタリの高校生は?」


頭に浮かんできた下らない言葉を振り払いながら廊下を進むと、その高校生を誕生させた両親が、二人揃って午後のコーヒータイムを満喫していた。

父は某大手企業のITエンジニア。

母も専門的な知識こそ持ちあわせていないが、一時期パートとして働いていた頃などは、パソコンを使ったちょっと難易度の高い事務仕事をこなしていたはずだ。

黙々とパソコンに向かう二人の姿を想像するのは容易い。

やはり我が家は体育会系ではないのだ。


こうしてコーヒーを楽しんでいる今も、口数こそ少ないが夫婦仲が良いことは明らかだ。雰囲気で仲の良さを醸し出す夫婦。

この二人から、どうしてあの高校生が誕生したのだろうか。


「遺伝子は不思議だ…突然変異か」


心の中でそんな思いを浮かべつつ、父親に茶色い紙袋を差し出す。

袋には、家紋のようにデザインされた風見茶房(かざみさぼう)という文字の入ったシールが貼られている。


「頼まれてたコーヒーを買ってきたよ」


風見茶房は、継琉が借りている横浜のアパートから車で20分くらいの所にある喫茶店だ。

大学に入学してから、近所で本格的なコーヒー豆を買えるお店を探していた時に偶然見つけた古びた喫茶店で、初めて訪れてから、継琉の行きつけのお店として定着していた。


客の出入りが激しい人気店ではなく、小高い丘の上にひっそりと佇む、知る人ぞ知るという印象の喫茶店だ。


「おっ…待ってたんだよ。さすがは継琉さんだ。」


いつもとは違う呼ばれ方をしたことに違和感を感じる。

しかし、当の父親はそんなことはどこ吹く風。

相撲で勝った力士が懸賞を受け取るときにする手刀の仕草を真似て、継琉の持っていた茶色い紙袋を手に取った。


そして、それまで飲んでいたコーヒーを捨てて、新しくコーヒーを淹れる準備を始めている。


「うん、やっぱりいい香りだ」


継琉が風見茶房を見つけてから通い続けているのは、ひとえに品質が高いからだ。

中でも継琉はこのお店のアイリッシュコーヒーが大好きだった。

アイリッシュコーヒーというのは、簡単に言うとアルコールを飛ばしたウイスキーを混ぜて、その上にホイップクリームをのせたコーヒーで、その辺のコーヒーショップではお目にかかることができない代物だ。


しかも、風見茶房のマスターは、どうやっているのかは知らないが、ウイスキーの風味を粉の段階のコーヒーに染み込ませる術を持っていた。


自宅で気軽にアイリッシュコーヒーを楽しめるという事で、継琉が車で20分かけてでも定期的に通うようになったのはこれが理由だ。

継琉のコーヒー好きは父親の影響なので、その父親が風見茶房のコーヒーを気に入るのは自明の理だ。


「いやぁ、継琉にあの車を譲ったのは正解だったなぁ。まさか、こんな名店を見つけてくるとは。私の新しい車も好調だし、世の中はうまく回ってるようだ。」


嬉しそうな父親を見て心が和む。

「貴方が待っていたのは息子の帰省ですか?それとも、その息子が持っているコーヒーですか?」というツッコミを入れようとしたがやめた。


その後、両親との適当な会話をする。

それほど距離は離れていないとしても、久しぶりの実家は悪くない。

今日は焼肉屋に予約を入れていて、18時頃に出発するとのことだ。



両親との会話を終え、久しぶりにまともな食事にありつけると思いながら階段を登っていると、スマートフォンの着信音が聞こえてきた。


「もしもし継琉ちゃん?レポートの準備進んでる?日程の前倒し、把握してくれてるよね?」


電話に出ると、声優をやっているのかと思わせるほどハキハキした声が聞こえてきた。

神野沙耶香(じんのさやか)だ。

普通に話しているはずなのに、まるで耳元で囁かれているような感覚に陥る。

男受けする声ではあるが、今はその声の魅力に浸っている暇はない。

優しい口調で語られる言葉の中に、「前倒し」という世にも不吉なモノが混ざっていたからだ。

その言葉に呼応するかのように、継琉の背筋を嫌な汗が伝っていく。


日本各地にリゾートホテル事業を展開する神野リゾート。

数年前から、関連する事業にも手を広げ、着実に業績を伸ばしている企業だ。

神野沙耶香は、その会社の令嬢で、継琉とは大学で同じ「宇都宮ゼミ」に所属している。

欧州域内の経済協力や国際貿易論をテーマにする、大学内では教授が厳しいことで有名なゼミだ。


夏休み明けに提出しなければならないレポートの作成に、最低限必要な欧州各国の基本情報を分担して作成しそれを共有。

それぞれのレポートに活かすという流れになっているのだ。


電話をハンズフリーの状態にしてメッセージを確認すると嫌な予感は的中。

彼女からのメッセージは3日前に届いていて、未読の状態になっている。


『締め切り8月25日→8月16日。イケるよね?』


全文を見るまでもない。

表示された冒頭部分だけでもメッセージの全容が容易に分かる、実に簡潔で分かりやすい文章だった。


「あぁ…ごめん。既読にするのを忘れてたんだ。もちろん大丈夫だよ。そんなに余裕があるって訳でもないけど、把握はしてるから。」


自分でも分かるほど上擦った声で返事をした。


「ふふ…そうだよねぇ。あっそれでさぁ、落ち合うのは翌日でも大丈夫?」


彼女は継琉の不安を全く気にしない様子で話を進める。


「うん、問題ないよ。返信してなくてごめんね。わざわざありがとう。」


そうやって、緊急事態を知らせる電話は日々の何気ない事務連絡として終わった。

電話を切ってから、改めてスマートフォンの画面を確認する。

期日は間違いなく8月16日と表示されていた。

つまり、8月17日に彼女と会うということだ。


「横浜のアパートに戻るのが16日で、それまでにレポートのほとんど終わらせておく必要があるから…」


継琉の頭の中で弾き出される計算が進めば進むほど、実家にいる内にレポートの準備をしなければならないという結論に達する。


「自由なはずの大学生が、お盆休みに帰省して、実家でレポート作成?」


久しぶりの実家で何をするか…。

頭の中に浮かべていた予定が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。


代わりに実家で過ごす日数と、レポート課題の項目を割り振った”時間割”が構築されていく。大学受験のときは、人生で初めて”勉強漬け”の生活を送った記憶があるが、今回はどうやらそれを上回りそうだ。


「もしかして徹夜?」

「パソコン持って帰っておいて良かった」

「教科書がないとできないのは16日にしかできないからこっち…っと」


頭の中に浮かんでくる様々な考えを整理しながら、継琉はメッセージを見逃した自分を呪う。


まぁいい。

それでもまだ…間に合うのだから。

”間に合わない”のはダメだ。

絶対に…。



8月17日の夕方、継琉が横浜のアパートに帰ってきた時、体は既に限界を迎えていた。

前日に実家から戻り、アパートでレポートの仕上げをして、そのまま彼女に会いに行ったのだ。


やっとの思いで、2階までの階段を登り切る。

エレベーターのないアパートを選んだことを、これほど後悔することになるとは思わなかった。

鍵を差し込んでドアをあけると、その勢いのまま倒れこみ、玄関先で2時間ほど寝てしまった。


仕方がない。

実家にいる間は、結局ほぼ毎日徹夜のような状態だったのだ。

ベッドで寝たのは1日だけで、その他の貴重な仮眠は椅子に座ったままとった。


「お兄ちゃん、良かったらこのわたしが手伝ってあげよっか?」


ふざけて絡んでくる歩美に対し、本気で手伝いをお願いしようかと思ったほどだ。


だが、そんな事態も乗り越えた。

ろくに寝てないのに、よく横浜まで帰ってこれたものだと感心する。

遺伝なのか体質なのか、はたまた若いからなのか…。

睡眠を十分にとっていなくても、継琉が運転中に車で眠気を感じることはなかった。

レポートの作成にしてもそうだが、集中しなければならない環境ではある程度無理がきくのだ。

しかし、その後に副作用のような疲れがくる。

「今がその時だ」と思いつつ、継琉は思いっきり背伸びをする。


とても静かな夜だった。

通りすがる人の話し声も、走り去る車のタイヤ音も聞こえない。

その静けさは、緊急事態を乗り越えた継琉の心とピッタリ合致し、継琉の達成感を倍増させた。


夜の涼しさを満喫できるような鈴虫も聞こえ、モザイクがかかった型版ガラスには、半分にかけた月の形が映っている。


「今日はいい夜だ」


独り言を口ずさみながら、直に月をみようと継琉が窓に近づいたその時、不審な気配を感じた。

よく見ると、窓の外にモノカゲを確認することができる。

丸い物体が窓の手すりに止まっているような…、見たことのないモノカゲだった。


「トリ…か?にしてはちょっと太いなぁ」


月の明かりに照らされたその物体は、欠けた月とは対照的な満月に近いフォルムで、ずっとその場にとどまっているように見える。

トリならば、何かしらの物音を立てれば逃げていくはずだ。

それに、トリにしてはちょっと太過ぎるのだ。


継琉の心臓が鼓動を速めた。

月を眺めて安らぎたいという気持ちと、モノカゲが何なのか確認しなければという気持ちが交錯する。

そして大きな深呼吸。


「よく考えてみれば、窓を開ければ両方とも解決じゃないか。それに、もし泥棒だとしたら、なおさら放っておくことはできない。いずれにしても確認しなければ…。」


継琉はいつも、その部屋の窓の鍵をかけずにいた。

まさか自分のような貧乏大学生の家を狙う人間なんていないと思っていたからだ。

つまり、取手を少し動かすだけで窓は開く。


「ちょっとだけ窓を開けて、そぉ~っと確認してみよう」


継琉はすり足で、窓までの距離を詰める。

まるで、映画に出てくるスパイが建物に侵入するときのように…。


そして、後少しで窓の取手に手が届くというところで、スゥーっという滑らかな音を立てて窓が開いた。


「ようっ…俺の名前はR.B.ブッコロー。

今お前の頭に浮かんでいる最大の疑問に答えてやってもいいが、その前に部屋の中に入れてくれ。このおちゃめなフォルムからも分かるように、人間に危害を加える存在ではない。

もちろん、お前には選ぶ権利がある。

疲労困憊の俺をもてなすか、締め出すか…。

おっと、前者の場合は、常温のミネラルウォーターを頼む。

後者の場合は、お前んちのベランダで、R.B.ブッコロー歌謡祭を開催する。

ちなみに、俺のオハコは「Bzのウルトラソウル」だ。

この俺の歌声を今すぐにでも聴きたい気持ちは尊重するが、今のコンディションは6割って所だ。

俺がベストな状態で歌った方が心が震えるはずだが…どうする?

さぁ、選べ!!

お前にとって、運命の分かれ道だ。」



続く

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輪廻転生とR.B.ブッコロー|前世の未練と現世の宿命 マダオゥ @pinto1719

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