第81話 呼吸

 その患者はシャマル・ルクレークという名の商人で、自宅は平民区の住宅街の一角にあった。

 到着するやいなや、リオはすぐに扉を叩いて呼びかけた。


「白魔術師のリオ・クラテスです!! 重症の患者がいると聞いて参りました!!」


 リオの呼びかけに応え、中から初老の女性が現れる。


「ああ……ありがとうございます!! どうぞ中へ」


 女性は急いでリオたちを家の中に招き入れ、患者の寝ている寝室へ案内した。

 寝室のベッドには女性と同年代と思しき男性が横たわり、ぜえぜえと息をついていた。


「私の夫のシャマルです!! どうか助けて下さい!!」


 そう言ってルクレール夫人はリオにすがりついた。

 リオはシャマルの様子を見て愕然とした。


 呼吸がかなり速い……

 これは危険だ……


 リオはすぐにライナに指示を出す。


「ライナ、点滴の準備を!!」


「はいよ」


 怠け者のライナも状況を察し、素早い動きで荷物から器材を取り出し準備していく。


 リオはベッドサイドにひざまずき、シャマルの耳元で呼びかけた。


「シャマルさん!! 私は白魔術師のリオ・クラテスと申します!! シャマルさんの症状が重いと聞いて伺いました!! 急を要する状況ですので、すぐに診察と処置を始めさせて頂きます!!」


 リオは自分の鞄から聴診器を取り出し、胸部の聴診を始めた。

 聴診器を通して、リオの耳にブツブツという断続的は音が響いてくる。


 両肺に水泡音……

 心不全を合併している……


 次に聴診器を左胸下部にあて心音を確認する。


 心音は早いけど、心雑音はほとんどない……


 次に唇、手足の指の先の色を確認する。

 いずれも紫色に変わってきていた。


 チアノーゼまで出てきてる……

 これ、もしかして、ARDS!?


 ARDSとは、急性呼吸窮迫症候群 Acute Respiratory Distress Syndromeの略称であり、肺炎や敗血症、外傷などの様々な疾患が原因となり重度の呼吸不全をきたす病態の総称である。

 原因疾患によって炎症性細胞が活性化し、肺の組織が傷害をされ、傷害された肺組織では水分の透過性が亢進し、肺全体に水がたまり肺水腫となる。

 リオの前世の世界でも根本治療法は未だになく、死亡率は30〜58%と高く、極めて予後が悪い疾患である。

 医学が発達した世界においてもその死亡率であり、この世界での生存は絶望的と言ってもよかった。


 どうする……

 もし、本当にARDSだったら、この世界では全く太刀打ちできない……


 リオは愕然としながらも絶望の一歩手前で心を押し留め、ある決心をする。


「ライナ、伯爵のところに行って挿管のセットとエーテルを取ってきて!!」


「え、アレをやるんスか!?」


「それしか方法はないの!! いいから行ってきて!!」


「りょ、了解っス……」


 切羽詰まったリオの声にたじろぎながらもライナは了承し、部屋を出ていった。


 ライナを行かせたあと、リオはルクレール夫人に話しかけた。


「すみません、ちょっとお話を……」



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