第33話 瘴気
「どなたか、家の外壁に絵や文字を書かせて頂いてもかまわないという方はおられませんか!? 伝染病が収束したら、洗い流すか、塗料で塗りつぶして元に戻すようにします!!」
リオの嘆願に、一人の老人が手を挙げた。
「私はこの地区の住民の長のような者です。私の家の壁で良ければお使いください。この地区から伝染病を一掃できるのであれば、どのようにして頂いてもかまいません」
リオはオラフの看護をライナに任せ、住人たちとともに老人の家へ向かった。
老人の家は2階建てで、周りの住宅とそこまで変わらないが、外壁のある面に窓のない広いスペースがあった。
リオは鞄から木炭を取り出し、そのスペースに大きく文字を書いた。
『伝染病の正体』
伝染病の治療も大事だが、人々が伝染病の予防法を知り予防に努めなければ、治療しても治療しても感染者は後から後から増えていく。
リオは住民たちに伝染病の正しい知識と感染対策を伝えることで、伝染病の拡散を食い止めようと考えたのだ。
いわば、感染症の市民公開講座である。
リオは公開講座のタイトルを書き終わったあと、住民たちに向き直りゆっくりと話し始めた。
「今回の伝染病の正体は、インフルエンザという目に見えないほど小さな生物です!!」
住民たちは「生物?」「生き物ってことか?」とどよめく。
その中で、住民の1人が手を挙げ、直接リオに疑問を投げかける。
「白魔術師さま、小さいっていったいどれくらい小さいんですか?」
リオは地面に屈んで、砂粒をひとつ拾い上げた。
「この砂粒の1万分の1ほどの小ささです」
住民たちは口々に「そんな馬鹿な!?」とさらにどよめく。
先ほどとは違う住民が凄まじい剣幕でリオを非難する。
「白魔術師さま、魔法省は此度の伝染病は王都全域に充満する
瘴気とは、リオの前世の世界でも大昔にあった考え方で、病気を引き起こす悪い空気や水のことである。
瘴気は気体または霧のようなエアロゾル状の物質で、沼地や湿地から発生し、人間がこれを吸うと体液のバランスを崩し病気になる。
病気になった人間の体からはさらに瘴気が放たれ、周囲の人間がその瘴気を吸い込み、病気はどんどんと広がっていく。
リオの前世の世界では、瘴気という考え方によって下水道が整備された歴史もあり、公衆衛生において一定の功績がある。
だが、1876年にロベルト・コッホが炭疽菌の培養に成功し、病原体の存在が証明され、その後も次々と感染症の病原体が発見されたことで、瘴気は否定された。
しかし、この世界ではまだ細菌もウイルスも発見されていないため、病気の原因は瘴気だと考えられているのだ。
リオを非難した住民の言葉に他の住民たちも「たしかに」「魔法省の言ってることと全然違う」「あんた、本当に白魔術師なのか!?」と、リオへの不信が広がっていく。
病気の原因が瘴気だと考えている人々に、病原体という存在を理解させることは容易ではない。
人類の数百年分の叡智をたった数分で飛び越える。
今リオがやろうとしていることはそういうことなのだ。
リオは表面上平静を保ちながら、内心ひるんでいた。
やっぱり、無理なのか.........
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