第7話 治療

「偽痛風.........」


 老人はその名を聞いたこともなかった。


 偽痛風とは、関節腔内に結晶化したピロリン酸カルシウムが出現し、関節に炎症を起こす疾患である。

 尿酸が結晶化しておこる痛風とよく似ているため、偽痛風という名前がついているが、原因物質が異なる。

 症状は罹患関節の疼痛、腫脹、熱感であり、病勢によっては全身の発熱がみられることもある。

 疾患の傾向としては、大きな関節、特に膝に好発し、高齢者に多く認められる。


 診断は、関節液を偏光顕微鏡という特殊な光源を用いた顕微鏡で観察し、ピロリン酸カルシウム結晶が見られれば確定となる。


 先程リオがかけた光の魔法は光の性質を変えることで、ただの光学顕微鏡を偏光顕微鏡と同じ能力を持たせたのだ。

 そうして観察した結果、結晶が見えたので偽痛風という診断に至ったわけだ。


 この世界には関節を穿刺する技術もなければ、顕微鏡もない。

 ゆえに、偽痛風はまだこの世界では確立していない疾患概念なのだ。


「平たく言えば、体内の余分な成分が関節の中に溜まって、熱と痛みを出しているといったところです。安心してください。治りやすい病気ですよ。さっきの液体を抜く処置だけでも、少しましになっていると思います。ゆっくり膝を動かしてみてください」


 老人は遅る遅る右膝を曲げた。


「痛みはまだありますが、かなり楽になりました.........」


 ずっと固かった老人の表情が緩んだ。


「それにしても、偽痛風にしてはだいぶ衰弱が強かったようです。ここ最近、水分や食事が十分に摂取できていなかったんじゃないですか?」


「おっしゃる通りです.........王都まで行商に行って帰ってきてかなり疲れていたところに、右膝が痛くなって動けなくなって.........なにぶん独り身なもので.........水汲みも食事の用意もままならなくて.........」


「なるほど、やはりそうでしたか.........ライナ! 水と食事の用意をしてあげて! 食事はできるだけ消化に良いものを!」


「へーい.........」


 ライナは室内にあった水汲み用のバケツを持って、部屋を出ていった。


「水と食事が摂れたら、この薬を飲んでください」


 リオは鞄の中から、折りたたんだ包み紙に入った粉薬を取り出した。


 薬は、柳の樹皮から抽出したサリチル酸だった。

 サリチル酸は、元の世界のロキソプロフェン等と同じ消炎鎮痛薬であり、その中でも最も原始的な薬である。

 古くは、古代ギリシャの文献にも登場し、一説にはネアンデルタール人が使用していたとも言われている。


「痛みと熱をとってくれる薬です。胃腸に負担のかかる薬なので、必ず食後に飲んでください。これを1日朝と夕の2回内服して、水分と食事をしっかりとれば、1週間もしないうちに良くなりますよ」


「本当ですか.........ああ.........何から何までありがとうございます.........」


「いえ、白魔術師として当然の役割を果たしただけです」


 そう言いながら、リオは使った器材を片付け始めた。


「それにしても.........王都の伝染病じゃなくて本当に良かった........一時は、このまま私の体は消えてしまうのかと、心底恐怖していました.........」


 老人の不可思議な言葉にリオは手を止めた。


 死ぬということを体が消えると比喩しているのか?

 いや、あまりにも不自然な表現だ.........


「体が消えるというのは、どういう意味ですか?」


「ええ........王都で耳にした伝染病の話です.........私もそれなりに長く生きてますので、疫病が流行った年は何度か経験がありますが..........こんな話は初めて聞きました.........」


 老人は身震いしながら、こう言った。


「あの病気で死んだ死体は........消えてなくなるんです.........」



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