石田さんが帰りの身支度をしていると、

「あ、石田さんちょっと待って」

 蘭さんはカウンターの奥へと消えていった。その場には僕と石田さんが取り残され、悲しげなBGMだけが僕らの隙間を埋める。さすがに初対面の女の人と二人きりになるのはなんだか落ち着かず、僕はちびちびと紅茶を口に含んだり、カップを回して砂糖の溶け残りがないかを執拗に確認することに集中した。

「あの…」

 横を見ると、石田さんは椅子に腰かけ直し僕の方へ顔を近づけてきていた。

 耳元で声がしたのと、予想以上に顔が近かったのとで僕は小さく飛び上がった。石田さんもそれを見て少しはびっくりしたようで少し身を引いて固まった。

「あ、はい…。なんですか」

 僕は少し駆け足になっている心臓を落ち着かせるため、ゆっくりとしゃべった。

「びっくりさせてごめんね。いや、特に、大した話じゃないんだけどね。実はね、ここのお店には何回か来てるんだけど、私以外にお客さんがいるのって見たことがなくって。気になったの。あんまり流行るような店じゃないのはまあ、わかるでしょ。お店の場所もすごく隠れ家的なとこだし」

 石田さんは矢継ぎ早に、そう捲し立てた。久しぶりに僕に向けられた言葉の量と勢いに面食らっていると、石田さんはハッとしてオロオロし始めた。

「ご、ごめんね。急に知らないおばさんにこんなに一気に話されたらびっくりするよね。でもごめんね、これだけはどうしても確認したかったの。もう三か月くらい週一で通ってるのに、全然蘭さんの人以外に会わないのよ?だから私、『あいつがあの店に行くなら、行くのやめよう』とか『また何かやらかすんだろ』とか思われて、だからここには誰も他のお客さんが近づかないのかなって思っててね…」

 どうやら、この石田さんという人は思い込みが激しい人のようだった。

 いくら何でも、全くの赤の他人が店に立ち寄る理由に、石田さん個人の要素が関係することはないだろうし、そもそも石田さんの関係者だけが立ち寄る喫茶店ならいざ知らず、無数の人が行きかう商店街の中にあるこの店にそんな個人的な理由が適応されているはずはない。

「え…と、石田さん、でしたっけ?ここのお客さんが少ないのは、少なくとも石田さんのせいじゃないと思います。

 僕小さい頃からこの商店街を利用してますけど、正直ここにこんなお店があるなんて初めて知りました。それに、初めましての僕が言うのもなんですが、石田さんは考えすぎだと思いますよ」

 僕は正直に感じたままを話した。すると石田さんは身を固くし、はは…と自嘲気味に笑った。

「そ、そうだよね…。私何言ってんだろ。自意識過剰だよね、うん。これ、私の悪い癖なんだよね。だからいろんな人に迷惑かかるの」

 さっきの勢いは嘘のように、石田さんは肩を落とし縮こまってしまった。

「そうですよ、誰も石田さんだけの理由で動いてないですって。相当力がある有名人ならまだしも、僕や石田さんみたいな一般人には身内でない限り、そこまで人を動かせる理由も権力もありません」

 僕は思ったことをそのまま伝えたが、石田さんはさらに俯き小さくなる。

 ひょっとして、僕は余計なことを言ってしまったのか。

 彼女の反応は良いものではなく、むしろアイアンメイデンの中に入れられ、その針から必死に逃げているようだった。

 僕がわからないのは、母さんの気持ちだけではないらしい。

 石田さんは他人だから身内よりは心の真意を掴みづらいとはいえ、ここまで人を針の筵に座らせてしまうのはさすがに申し訳なかった。


 「お待たせしました、ごめんなさいね時間かかっちゃって…って何かありました?」

 蘭さんはカウンターの奥から戻ってきて早々に僕らの異変に気付いたらしかった。石田さんは小さくなった身体を精一杯に伸ばし、蘭さんに顔を向けた。

「なんでもないんです。私がその子に変なこと言っちゃって…。私、空気を壊すのは得意なの相変わらずですね蘭さん」

 石田さんは困ったといった風に首をかしげた。蘭さんは特に何をするでもなく、石田さんの正面に来た。

「石田さん、そんなこと言わないで。少なくとも、私は石田さんと今までお話できて楽しかったし、空気が壊れたなんて、一度も思ったことはないですよ。大丈夫」

 蘭さんがふわっと笑うと、石田さんはつられて笑った。先ほどとは打って変わって、穏やかな笑みを取り戻していた。

 

 石田さんが会計を終えると、蘭さんはさっきカウンターの奥に取りに行ったものを差し出した。

「これは花束ですか?」

 蘭さんの両腕には大きめの花束が収まっていた。ふわっとしたラッピングの中に、紫、白、水色の多数の花が包み込まれている。

 その中で異彩を放つ存在があった。周囲の繊細で可愛い花の葉や茎を差し置いて、ひと際存在感のある隆々とした枝。その周囲にはこれでもかと紫の小さ目な花が無数に枝に群がるように咲いていた。花束としてはかなり違和感があったが、その存在は有無を言わせぬ雰囲気を持って花束の中心に鎮座していた。

「お祝い。私センスはあまり良くないから不格好になっちゃったけど。受け取ってもらえると嬉しいの」

「わぁ、良いんですか?こんな立派な花束を私なんかに…。この真ん中も枝、ハナズオウですね?庭木で見たことありましたけど、花束の中にあるとなんだかすごい存在感ですね」

 僕の花に関しての知識は皆無だったので、二人の会話は聞くだけにとどまった。

 石田さんはその花束を大層気に入ったらしく大事そうに抱え、店のドアへと足を向けた。

 蘭さんが石田さんの見送りのため後を追った。

 僕は席に座ったまま、一連のやり取りを無言で見ていた。

 

「あ、君!さっきは変なこと言ってごめんね!」

 石田さんは律儀に店の奥にいる僕にも別れを告げてくれた。僕は軽く会釈をし、残りの紅茶を片付けにかかった。

 僕ももう帰ろう。あまり遅くなると、また幸太郎を心配させてしまうかもしれない。財布を取り出そうと、僕は体をひねり椅子の後ろにかけたリュックに手を伸ばした。



「もう会えないけど、君も素敵なお別れができますように!」

 


 僕が顔を上げると石田さんの姿はなく、蘭さんがドアを閉めたところだった。

 石田さんの不可解な最後の言葉が、僕の頭に反響していた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る