9話:退治と空席の主



ーーパン


 蚊を殺すように、首元を叩く。


 するとしゅわっと靄が広がり消えていった。


 幽霊呼ばわりされていた女生徒の瞳に光が戻るのを確認して、俺は息を吐く。


「あ、れ? ここは?」

「大丈夫ですか? ぼうっとしてたみたいですけどーーっと」


 辺りを見回してふらりと倒れそうになった彼女を、慌てて支えた。


 感情を喰われることは、精神を蝕むのだ。 気力がなくなれば心棲虫しんせいちゅうを駆除したところで、廃人のままなんてこともある。


 故に彼女はまだ軽症な部類だ。


「足に力が」

「保健室まで連れていきますよ」

「ありがとうございます」


 俺は途中先生に声をかけて、彼女を保健室に連れていった。


「あー、疲れた」


ーー創作活動部連絡網


『生きてる?』


 部活のグループラインにふざけた絵文字と共に雪先輩からのメッセージが入っていた。


「この人、遠慮ねーな」


 俺が元ヒーローだったから良かったものの、一般人なら命に関わる事態である。


「ん? まだいたんすか?」


 正面玄関口に行くとソワソワしている様子の部長と雪先輩がいた。


「よ、良かった~生きてて良かったよ~」


 部長は目に涙を溜めて駆け寄ってきた。


「なんで返信しないの」


 雪先輩は不満そうに睨み付けてくる。


 さすがにイラっとしたが、彼女の怒りは心配の裏返しと思って飲み込んだ。


 ちなみに返信しなかったのは置いていったことへの小さな仕返しである。


「いや、もう帰ったと思ったんで」

「わざとでしょ」

「いえいえ、そんなとんでもない!」

「こら、雪ちゃん! 深紅くんになんてこと言うの!」

「……ごめんなさい」


 部長に叱られて凹んでいる雪先輩にだけ見える位置で俺は嫌らしく笑った。


「っ! っ!」

「ささ、先輩方。 もう暗いですし早く帰りましょう!」


 俺は二人とわいわいと話しながら下校する。


 顛末としては幽霊ではなく具合が悪くなった女生徒だった、ということにした。

 部長は素直に信じたが、雪先輩は怪しみつつも一応納得したようだ。


 問題はあるし、学校生活は上手くいかないことばかりだったけど、なんだかんだ思い描いていた理想に近くなってきている。


(ああ、やっぱりヒーロー辞めて良かった)


 俺は密かにそう思いながら、一見平和な生活に充実を感じるのだった。





 朝、登校すると校舎の前で誰かを探している様子の女生徒がいる。


「あ!」


 女生徒は俺を指差して声を上げた。


「昨日はありがとうございました!!」

「ん? 昨日……?」


 俺に女子の知り合いなぞほとんどいないし、クラスメイトでもない。 忘れているだけなのか見覚えが全くなかった。


「あれ? 昨日、夕方保健室まで運んでもらった者……なんですけど」


 不安そうな彼女の言葉で俺はようやく思い至る。 考えてみれば簡単なことだが、昨日の不気味な見た目のインパクトと目の前の彼女がどうしても結び付かなかった。


 というかすぐに分かった方が失礼だっかもしれない。


「ああ、分かります。 なんか雰囲気変わったから分かんなくて」

「いえいえ! いいんです! 夜でしたし!」

「もう調子は大丈夫ですか?」

「はい、お陰さまで!」

「それは良かった。 では」


 俺はそう言って校舎に向かう。

 密かに何かお礼とか、仲良くなるとか、そんなイベントを期待していたが何もなかった。


 まあ大したことをしていないし、こんなことでお礼を貰おうなんて下衆すぎる考えだ。


 世界を救ってもお礼も給金もないのだから、日常のちょっとしたならお礼を言って貰えれば十分だろう。


「……」

「……」


 しかし先ほどから教室に向かう俺の後を彼女が付けてくるのだが、これは一体なんなのか。


 もしかして、


(惚れたか?)


 俺はニヨニヨしそうになる表情を引き締める。


(ただ方向が同じなだけだろうけどさ……一年生なのかな?)


 そう思っていた。 しかし彼女は一組を通過し、俺に続いて二組の教室へ入った。


「え」

「ん?」


 二人で顔を見合わせて、首を傾げた。


「俺、二組」

「私も二組」


(あれぇ?)


 俺はクラスの面々の顔を思い浮かべてみるが、彼女は見たことがない。 そんなに影が薄い人にも見えないが、


「ああ! 私、教室にはいつもいないから!」

「というと……?」

「保健室登校なの、私」


 俺はようやくそこで思い至った。 いつも空席だったあの席の生徒が目の前の彼女であることに。


「なるほど。 ではどうして今日は教室に?」

「ずっとこのままってわけにもいかないからさ」

「確かに」


 理由がどうあれ教室に通えるようになったことは良いことなのだろう。 きっと。


 だからといって俺に感慨があるわけでもない。


「そっか。 良かったね」

「うん、ありがとう」


 それで会話は終わり、俺たちはそれぞれの席へと着席したーー


「だからお前はいつまで経っても友達ができないのだよ、コミュ障め」

「あんたにだけは言われたくないな」


 放課後、創活の部室にて俺は雪先輩から指導のような何かを受けていた。


「君は最初で最後のチャンスを逃したんだよ? 分かってる?」

「何のチャンスだよ」

「友達ができる! だよ!」

「そんな馬鹿な……ないよな?」


 雪先輩は俺の肩を叩いて首を振った。


「こちら側へようこそ、御酒草くん。 私はとても残念だよ」

「やめてください! それだけは絶対嫌だ!」

「……さすがに失礼」


 友達もできず学園生活を楽しめなければ、何のためにヒーローをやめたか分からない。 雪先輩は少し拗ねた様子だったが、部長が来るとすぐにいつも通りに戻った。


(明日から頑張ろう)


 そう心の中で意気込んでいると、部長が手を叩いて言った。


「はい、本日は紹介したい子がいます! 入ってきて~」


 部室の扉から現れたのは、今朝顔を合わせたクラスメイトの女生徒だった。












 



 


 

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