四国の黙示録(6-2)
「すみません、遅くなってしまって」明石は適当にヘラヘラしながら、部屋に戻ると、蒼井と末永がチェスを打っていた。古畑と後藤は盤面を立ちながら観戦している。
「なかなか手強いな」末永は言い、自信に満ち溢れた手つきで、ナイトを動かして、蒼井のポーンを取った。蒼井はすぐに次の一手を打つと、末永が難しい顔をして、パイプをふかし、長考を始めた。
明石は古畑に「どっちが勝ってるんですか?」と質問した。明石はチェスのことなど、ほとんど知らない。あまり娯楽に精通しているようには見えない蒼井がチェスのルールを知っていることが意外だった。
「知らねえ」古畑は肩を竦めて答えた。
「蒼井さんの方が優勢ですよ」と後藤は言った。
そして、「二人ともなかなかの名手ですね」と後藤が付け加えた。
蒼井が勝っているという事実に、自分の手柄ではないが、明石は得意げに古畑を見下ろした。古畑は明石のしたり顔を見て、「なんだその目は」と怪訝な顔で言うと、明石は、別に、と言って盤面に顔の向きを戻した。
「そういえば、亜人の女と、良い体の女の姿が見えないがどうした?」と次の一手を打って蒼井に訊いた。
「二人なら、加藤の足取りを追うために愛媛県警でデータの解析をしています」
「そうか、仕事は女に任せて。男はお楽しみ中ってわけか?」
蒼井が視界から消えた明石を探すと、明石は召使いの女を隣に座らせて、バーカウンターで二人で楽しげに話していた。
「まあ、そうなりますね」蒼井は内心、やれやれ、と思いながら、次の数十手を頭の中でいくつもシュミレーションしていた。
「サヨコはどうしている?」末永が次の一手を打つ。
「僕の部屋にいますよ」と言って、末永の白のナイトを取った。
「てっことは、君も愉しんだわけか、顔に似合わず。いや、良い男だから、それなりにそう言うことも好きなわけか」と末永は下品に笑った。口から漏れた煙が、盤面の上で揺蕩っている。
蒼井は片方の口角を上げて、「そんな風に他のことを考えている余裕が?」と言って、次の一手を打った。蒼井の一手を見て後藤が「なかなか面白い一手だ」と感心した。末永が眉間に皺をよせ、腕を組み、再び長考を始めた。
古畑だけは、状況がうまく飲み込めていないのか、わかったふりをしながら、何度も頷いて「うん、確かにいい手だ」と言って、盤面に集中している三人の様子を見た。
夜の静寂の中、ボートのエンジン音が響いていた。冷たい飛沫が肌に当たる。たまに強い風が吹き、不自然に背の高い小麦が揺れる。小麦が揺れるたびに、カナエとサヨコは音の鳴る方をふり向き、勘違いだった、と安堵しボートの操舵に意識を戻す。追手はいないようだ。
「どうして来てくれたの?」カナエはサヨコに質問する。
「蒼井様が、あなただけじゃ心配だからついて行って欲しいって。それに、土地勘がある人がいないと」
末永商事の急激な成長に伴った、四国地方の地下都市開発は企画が生まれるスピードに開発のスピードが追いつかず、四国には未開発のまま放置された空白の地下都市が多く存在する。末永商事はサッカークラブが若手選手を青田買いするように、新規事業や土地開発事業を乱立させている。その中で成果が出たものに注力し、そうでなかったものは途中で放棄される。そのようなやり方でも、増収させ続けられるほど末永商事の資金力は凄まじく、亜人を使ったビジネスモデルは強力だった。湯川は亜人捜査課の技術班と協力して、物、人の流れと、国土交通省が管理していた地下開発記録を使い、愛媛の肱川沿いのどこかに、不自然に物や人の流れが消える所に、いくつか開発途中で放棄された地下空間があることを見つけ出した。
カナエたちはそこに向かい、ボートに乗っている。
「蒼井様ってどんな方なのかしら?」
「えっ、今なんて」大きなエンジン音のせいで顔を近づけて大きな声で会話をしないと会話が成立しないため、カナエはサヨコに聞き返した。
「だから、蒼井様ってどんな方なの?」とサヨコはカナエに顔を近づけてもう一度質問した。
カナエは蒼井の人物像について、今一度考えてみた。
「そうね、蒼井さんは、無口でぶっきらぼうに見えるけど、意外と親切で、知的で冷静に見えるけど、どちらかというと感情的でかなり無茶な人?急にどうしたの?」
「結婚はしてなさそうだけど、彼女はいるのかしら」と質問してきた。
蒼井の私生活、交友関係はカナエにはわからない。蒼井は同期の職員と廊下ですれ違う時はたまに社交的な一面を見せる。彼女の一人くらいはいそうな気もするけど、蒼井が休日に女の子と二人きりでいる姿が想像できない。
「さあ?」と首を傾げながら言った。
「もしかして」とカナエはピンときた。
「そう、蒼井様、素敵だわ。あの端正な顔立ち、ミステリアスな瞳。おぶられたときに感じた筋肉質な背中。服の下はきっと彫刻のような体をしているに違いないわ」サヨコは目を輝かせ、夜空の星に祈るような手をして語り出した。カナエは、蒼井に恋をすると、あの濁った黒い瞳がミステリアスに見えるのか、と苦笑いをしながら聞いていた。自分はいまだにあの目つきに慣れないのに。
「あなたはずっとここで?」カナエはサヨコについて聞いてみた。
「ええ、私は強制交配で産まれたから、赤ん坊の頃からずっと四国で亜人として生活を強いられたわ。あなたは?」
「私は十歳の時から」カナエはサヨコの質問に答えた。
「管理区はどんなところ?」
「私の住んでいたところは、かなり待遇がいいところだったから酷い目にはあまり遭わなかったけど、酷いところはここと同じ」
「人間の世界にも行ったことあるのよね?」
カナエはここ一ヶ月くらいの生活を思い出して答えた。
「ええ仕事中はほとんど管理区の外で仕事しているから」
「やっぱり差別的な扱いを受けるの?」サヨコはカナエを心配するような面持ちで訊いた。
「周りはいい人ばかりだけど、それでもやっぱり差別的な扱いを受けるわ」
カナエは警察庁内で、時々差別的な扱いを受けることがある。亜人だとわかり、ジロジロ汚い物を見るような目つきで見る人間。女子トイレで、他の課の職員から嫌がらせを受けたり、エレベーターで男性職員に襲われそうになったりする。たまに本当に精神的に疲弊する時がある。捜査課にカナエに酷いことをする人間がいないのが救いだった。それに、柳や明石、下村、真田、そして、蒼井はカナエの行動にかなり気を遣っている。蒼井や真田に至っては、目上や、立場が上の人間でもカナエが困難な目に遭うと、平気で脅しにかかる時がある。あの二人の遠慮のなさは以上だった、真田に至っては亜人なのに、よくも堂々と人間相手にあんな態度取れるな、と思ってしまう。たまにカナエの方がヒヤヒヤする時があるくらい、大胆なことをする。カナエは自分は恵まれている、と考えていた。人間に生まれていたとしても、他人であるはずの自分を庇ってくれる人間なんてなかなか出会えない。
「あなたは何のために人間社会で仕事をしているの?」サヨコは核心に迫る質問をした。
「それは」と一度溜めて、「人間社会からこの間違った世界を変えたいと思ったから。革命やテロといった暴力的な解決策に頼らず、正当な方法で」と真剣な顔をして言った。
「大変じゃない?」
「確かに困難な道かもしれません。それでも私は諦めない」
「どうして?」
「私は人の良心を信じてる。人は失敗しながらも、より良い社会に向かって歩みを続けることができるって。私のもたらす一歩がどれだけ小さくても。それでも、前に進めるなら、私は歩みを止めたくない」と自分の意志を述べた。
サヨコは微笑んで、「あなた素敵よ」と言った。カナエは、少し恥ずかしい気持ちになって、視線を逸らして前髪を触った。
「あなたみたいな亜人は本当に素敵だと思うわ。ここじゃ、ほとんどが、現状に満足するか、諦めるかだもの」
「蒼井様のことは、素敵なあなたに預けておくわ」
「ちょっと私はそんなんじゃないって」
「でも、私が人間社会で生活できる世の中になったら、絶対渡さないから」
サヨコとカナエは見つめあい、少し沈黙した後、友達のように笑い合った。鳴り止まない大きなエンジン音のせいで、二人は身を寄せ合いながら語り合う事を余儀なくされた。内緒の逃亡劇。舞台と設定が二人の距離を一気に近づけた。
神妙な顔をして召使いの柴田はチェスを打っている末永に話しかけようとしていた。
「末永様」
「今、いいところなんだ、後にしてくれ」と末永は柴田を邪険に扱った。
「ですが、緊急の事態なのです」と蒼井に聞こえないように、耳打ちした。
「なんだ」と嫌そうな顔をしながら柴田の話を聞いた。
柴田は蒼井の方をチラチラ見ながら、末永に耳元で何か訴えかけていた。末永は初めのうちは、怪訝な顔をしながら聞いていたが、徐々に表情を変え、何か納得したような表情を湛えた。話が終わった柴田に外すように指示を出し、一度、パイプの煙を長く吸って、勿体ぶるように、ゆっくりと煙を吐いた。
「チェック」末永は駒を動かし、蒼井の顔を凝視した。
蒼井は次の最善手を考えていると、末永は「サヨコはどこだ?」と蒼井に質問した。
「僕の部屋にいるはずですが?」
「どうやらサヨコはお前の部屋にいなかったそうだ」
「さあ、また逃げ出したんじゃないでしょうか。彼女は常習犯なのでしょう」蒼井は適当にはぐらかした。そして、末永の気を逸らすために、末永が最も苦戦しそうな一手を打った。
「お前の連れの亜人の女はどこだ?」末永はもう盤面を見ていない。蒼井の仕草から目を離そうとしなかった。
「愛媛県警で、加藤の足取りを捜索中です」と言った。
末永は思いっきりチェス盤を叩いた。衝撃で駒は地面に落ち、末永の拳から血が流れている。
「亜人の女に連絡しろ」
「できないだろう。お前俺のことを甘く見ているな。俺が血族経営で末永商事の社長をやっていると。言っておくがな、俺は今の地位を受け継いだわけじゃない。勝ち取ったんだ。俺には得意なことがあるんだ。いいか。それは人の嘘を見抜くことだ。俺は経営者として、そいつが信用できるかどうかを判断する能力を先代に買われて今の地位についた。ずっと胡散臭いと思っていたんだ」
末永は体を震わせ、怒りを露わにした。そして、「俺は俺の土地で好き勝手されるのが一番癇に障るんだ」と言い、「柴田、捜索隊を出せ。そいつが連れてきた亜人の女を生かして、四国から出すな」と叫んだ。
「警察庁が所有している亜人を殺すのは犯罪だ」と蒼井は主張した。
「それがどうした。ここでは俺がルールだ。亜人が一人死ぬくらいなら、簡単に揉み消せる」
「もしかしたら、彼らは加藤がどこに潜伏しているのか特定しているのかも」と後藤は口を挟んだ。
「そうか、そうか、奴の口を封じるいい機会だ」末永は得意げな態度に変わった。
蒼井は立ち上がり、バーカウンターで口説くのに夢中になっている明石の襟を後ろから掴み、引っ張った。
「どうしたんですか?」
明石は状況が飲み込めておらず蒼井に質問した。蒼井は説明するのが面倒臭いのか、何も言わず明石を部屋の外まで引っ張っている。明石は口説いていた女の子に、またねー、と言うと、女は媚態な雰囲気で明石に手を振り返した。
「追わなくていいんですか」と末永に後藤は質問すると、
「追わなくてもいい。その代わりあいつには目に物見せてやる。俺をコケにしやがって。柴田、カメラを回せ」と言った。
「はい!かしこまりました」柴田は慌てて準備に取り掛かった。
蒼井と明石は、四国で聞き込みに使っていたブロンコに乗り、シートベルトもせずに発進させた。カナエが持っている携帯端末から、カナエの位置を特定し、カーナビに表示させた。
「出発地点からかなり進んでいますね」車は畑と畑の間を走り、黄色い砂埃をあげた。
「川まで道なりに行っていたら、追いつくのは夜明けだな」
「もしかして」と明石が言うと、蒼井はハンドルを思い切り、畑に突っ込んだ。植えられた小麦をタイヤが踏みつけ轍を作っていく。蒼井はカナエまで一直線で行くつもりだ。
「蒼井さん、一応、作物とは言え、所有物ですよ」
「人命優先だ。課長に連絡を」蒼井は明石に指示を出した。
「もうしてますよ」
明石は左手のスマートウォッチを口に近づけて、課長の応答を待っている。スマートウォッチから、ホログラムが投影された。
「どうしたの?」と課長がスマートウォッチを通して明石に話しかけた。
「こんな夜遅くにすみません。実は蒼井さんがまた無茶を・・・」
明石は申し訳なさそうに、加藤探索中にカナエの命が危機にさらされそうで、助けに行くために畑をつっきていることを伝えた。
「いいわ、後始末が私の仕事だから。思う存分やりなさい」と課長は言った。
「蒼井君にかわれる?」
ホログラムが蒼井のスマートウォッチに投影されて、「蒼井君聞こえてる?わかってると思うけど、あまり無茶しすぎちゃダメよ。あと望月を死なせたら、今回は謹慎程度じゃ済まさないから、覚悟してね」と言った。
「ありがとうございます」と蒼井は言って、通話を切った。
蒼井は車をさらに加速させると、背後からヘリコプターのプロペラ音が聞こえ、周囲が急に明るくなった。末永はカナエとサヨコの探索のために軍が使っているヘリコプターまで出動させていた。窓からヘリコプターを見上げると、亜人が機関銃を握っているのが見えた。
「そこまでやるのかよ」と明石は唖然としていた。
蒼井が出発する前の末永邸にて。
末永は室内を歩き回りながら、大きな声で、カメラとマイクに向かって話しかけている。室内では、召使いや屈強な亜人が後ろで手を組んで末永の話をじっと聞いていた。
「四国にいる亜人どもよーく聞け。今から、賞金稼ぎゲームを始める。今仕事しているやつは中断してもいい。対象はこの三人、うちの召使いのサヨコ、警察庁公安部の亜人捜査課の亜人の女、そして、お前らもよく知った顔だと思うが、この加藤という男。こいつらを殺した奴にはいつも通り褒美をくれてやる。いい女でもいい男でも、四国内での自由でも、金でも何でも構わん。何なら、俺が所有している子会社の一つでもいい。今まで好き放題使ってきた人間どもを顎で使ってやれ。一時的にお前らを拘束している腕輪の効力を無効化してやる。能力でもうちにあるヘリでも車でも何でも使ってもらって構わない。銃火器は俺の軍事会社から勝手に持ってけ」
そして思い切り息を吸い込んで、両手を握り、天井に向かって「スタートだ。お前らの力を見せつけてやれ」と咆哮するように叫んだ。末永の合図で、部屋の亜人たちは一斉に動き出した。各所で働いていた亜人の作業員は作業を止め、部屋で休んでいた亜人たちもカナエたちを抹殺しに行く目的で起き上がった。
「俺も出るぞ、血沸き肉踊る祭りの始まりだ。柴田、俺にも軍用輸送ヘリと愛用の機関銃を用意しろ」
「へい」と柴田はまた準備に取り掛かる。
「お前らも来るだろう」と後藤と古畑に声をかけた。
「特等席で観戦させてもらいますよ」と後藤は慇懃に言った。
「奴らに金の力を見せてやるよ。最高のショーの始まりだ」と言って、三人で屋敷の廊下を歩いて行った。
数十キロ続いていた畑をカナエたちは抜けようとしていた。畑の先には鬱屈とした怪しげな森が広がっており、地面は途中からせり上がり、急斜面になっている。山の頂点の真上の月は夜空の星の光を奪っていた。
「あの森を抜けて、山を越えた先に最初の目的地がある、そのままボートに乗っていれば辿り着くわ」とサヨコが言った。
「ねえ、なんかさっきから周りがうるさくない」とカナエはヘリコプターの音に気が付き、振り返ると、何台ものヘリがカナエたちに向かって飛んできた。
「もしかして、あれ?」
ヘリのライトは、カナエたちを照らした。そして、カネエたちに向かって、一斉射撃を始めた。
「そんな」サヨコは絶望を露わにした。ボートに追従するように、機関銃から放たれた銃弾が、川に着水しその場で飛沫をあげている。カナエはこのままでは、狙い撃ちにされると思い、ボートのハンドルを切った。ボートは、川縁の地面にぶつかって、畑に思い切り座礁した。勢いよく乗り上げたため、カナエたちは畑の中に投げ出された。うまく受け身を取れず、地面で何度か転がり、至るところを擦りむいた。勢いよく口に入ってきた土が苦く、身体中が痛んだ。
カナエはすぐに立ち上がり、サヨコの手をとり、起きあがらせて、二人で森に向かって走った。高さ三メートルある、小麦のおかげで捜索隊はカナエたちを見失い、射撃をやめた。ヘリコプターのライトがカナエたちを探すために、仕切りに、畑中を照らし回っている。
ライトの眩い光にカナエたちは何度も照らされているが、見つけられた様子はない。森に向かって足を止めることなくひた走り安堵したのも束の間。ヘリから何人かの亜人が飛び降り、犬や狼に変身した。亜人たちはカナエたちの匂いを嗅ぎ分け迷わず向かってきた。
犬型の追手の亜人たちは徐々にカナエたちと距離を詰めてくる。必死に逃げるものの、サヨコが小麦に足を引っ掛けその場に転んだ。カナエが振り返ると、サヨコは「私に構わず先に行って」と叫んだ。
そんな簡単にカナエはサヨコを見捨てることはできない。カナエはこの状況を切り抜ける策を探していた。カナエはこれは餞別だと言って明石に渡されたバッグの中身を取り出した。
「これは」
バッグの中から取り出されたのは使用用途のわからない、重厚な黒い頑丈な箱だった。どこから開ければいいのかわからない。初めて見るものだった。電子操作板と、取っ手以外何もない。カナエはこれをどう扱えばいいのかわからなかった。明石は適当だが、無意味にこんなものを渡すタイプじゃない。そして、自分の特徴をよく知っている。カナエは一縷の望みをかけて、この箱をサイコメトリーした。
「もう最初からちゃんと説明してよ」と嘆き、カナエは操作板を操作し、暗証番号を入力すると、解錠音が鳴り謎の箱がドライアイスが気化するときのような白い煙を出して、荘厳に開かれた。
箱の中身は、マイク付きのスマートレンズと、銃口が六つある巨大なレーザー銃が入っている。サイコメトリーで銃の使い方は理解していた。カナエはスマートレンズをかけ、マイクに向かって話しかけた。
「SAFEモードでリロード」
銃の横の画面にSAFEと点灯し、ガチャリと音を立てる。
「視界をサーモグラフィーモードに」と指示を出すと、犬型の亜人たちが赤色に光り、背の高い小麦のせいで見えなかった追手の亜人たちを炙り出した。
「温度が30度以上の犬型の動く対象物に照準を合わせて」
スマートレンズに五つの照準が現れ、追いかけてくる犬型の亜人たちをカーソルが捉えた。引き金を引くと、レーザー光線が発射された。レーザーは小麦を焼き切り亜人目掛けて飛んでいき、レーザーに当たると亜人たちは、体から電流を発し、くうん、と声をあげ、その場で気絶した。カナエは肩で息をしながら、とりあえず、何とか助かった、と心の中で思った。
スマートレンズから、骨伝導で「インターバルまで三十秒かかります」と告げられた。サヨコはすぐに立ち上がりカナエを追い抜き、「こっち、早く」と言って、初めて敵を撃退した余韻に浸っているカナエを急かした。
畑を抜け、森に入ると左右から武装した亜人の捜索隊がカナエたちに向かって迫ってきていた。この銃を持ってしても、両サイドからカナエたちに向かってくる数十人の亜人たちを撃退することはできない。斜面を登り切るまでには、確実に捕まってしまう。両サイドの亜人たちを退ける方法が見つからない二人は震えながら二人で寄り添っていた。
すると、大きな衝撃音が地面から放たれ、右側の亜人の集団の一部が爆散した。飛び散った肉片や、血液が暗い森を汚した。
「地雷?」とカナエがつぶやくと、サヨコは青ざめて、「ここは末永の遊技場よ」と深刻にカナエの手を握り、目の前の木と落ち葉しかない月明かりが照らす、地面を呆然と眺めていた。
そして、サヨコはここがどんな場所であるか語り始めた。
「末永は事業に失敗したり、酒や薬でハイになると亜人たちでここでよく遊ぶの。ここら一帯は至る所に地雷が仕込まれているの。褒美を餌に、ここで、亜人に斜面を登らせるの。逃げようとしたら、愛用のガトリングで滅多撃ちにして、亜人が必死に斜面を登っていく様を見て楽しむの」
「なんて悪趣味な」とカナエは言い、流石のカナエも末永の絵に描いたような亜人差別主義者ぶりに吐き気を催していた。生き残った亜人たちは、カナエたちを始末するために、地雷を恐れず突き進んでいく。隣で爆死していく仲間たちなど気にも留めない。後ろからは、気絶していた亜人たちが、起き上がり、遠吠えをあげ、仲間の亜人にカナエたちの存在を伝えた。四面楚歌の危機的状況だった。
カナエは窮地を脱するために、蒼井ならこういう時どうするだろう、と考えた。蒼井なら今の自分になんて声をかけるだろうか?蒼井ならこう言うだろう、望月ができることはなんだ、よく考えろ、アンタならきっとこの状況を切り抜けられる。
カナエにできることはサイコメトリーだけだった。蒼井や真田のような戦闘技術や、明石のようなハッタリ力と交渉術もない。カナエは意識を集中させて、この地面に触れ、サイコメトリーを始めた。ここら一帯を一つの物として捉え、末永の悪意が入り混じった土地から、思念を読み取ろうとしていた。
カナエは、絶体絶命の状況に陥り、必ず生き抜く、という強い意志が能力を一時的に開花させた。そして、この土地に眠っている残留思念を呼び起こした。
網膜には末永の部下たちが地雷を設置し、満足そうにその光景を眺めている末永の姿があった。地雷の位置を全て脳裏に焼き付け、息を呑んで、サヨコの手を引っ張って、山の頂上まで駆け登った。
周りからは、地雷が爆発する轟音だけでなく、銃の乱射音、ロケットランチャーの発射音などのさまざまな音が静かなはずの森を賑やかしている。頭上からヘリのライトでカナエたちは照らされた。ヘリに乗った亜人たちは、カナエたちだけでなく、追いかける亜人たちも射殺し始めた。亜人たちは褒美を得ることに必死だった。消せるライバルは今のうちに消しておいておいた方が良い。追手の亜人がロケットランチャーをヘリに向け発射すると、ヘリに当たって爆発した。ヘリは炎と煙を吐きながら、木に激突し、体が燃えている亜人の死体を地面に落とした。
「見ろ、殺し合いだ」ヘリで追いかけてきた末永が笑い声をあげながら、亜人たちが愚かに殺しあっている様子を観戦している。炎に照らされた後藤の表情は派手な狩場の様子を見てほくそ笑んでいた。古畑は末永に阿諛追従している。
「俺も出るぞ」と言うと、軍用のヘリの底が開き機関銃が取り付けられた座席をヘリの下にぶら下げた。座席には末永がメガホン携えて座っており、機関銃の銃口を狩場に向けている。
「これから俺もこのゲームに参加することにした。俺に先を越されるなよ」とメガホンで亜人たちに呼びかけ、しゃにむに狩場に向かって乱射を始めた。末永は自分の銃弾がカナエたちを追いかける亜人たちを撃ち抜き、その場に臥していく様子を見て大爆笑をしながら楽しんでいる。
カナエは後ろに目もくれず、必死に斜面を登った。サヨコはカナエの導きを頼りにするように、強く手を握っている。暗記した地雷の場所を的確に避けて、ひたすら前に進み、斜面を登り切った。登り切った先の目の前も急斜面になっているせいで、登り切ったその場で足を踏み外し、そのまま、向こう側に転がりながら二人で落ちた。サヨコから手を離さないようにするのに必死で、レーザーガンを落としてしまった。カナエたちは地雷原を抜けていた。転げ落ちたおかげで、追手をうまく巻くことができた。見上げると、地雷源を運よく抜けた亜人たちがカナエたちを仕切りに探している。
カナエは安堵し、握った手の方を見ると、サヨコは腕だけになっていた。逃げる途中、爆発に巻き込まれ、体が飛散してしまっていた。あまりにも必死に逃げたせいでカナエは気が付かなかった。サヨコのことを惜しむと、腕からサヨコの死に際の残留思念が頭に流れてきた。一抹の死への恐怖にカナエは激しい頭痛に見舞われた。その場で泣き出したかったが、そんな暇はなかった。捜索隊の亜人たちは、落ちた形跡を辿って、カナエの方に向かってきている。カナエは簡単にサヨコの腕を埋めて、暗い森の中を駆けて行った。
暗い森の中、地雷原を抜けた亜人たちが徐々に増えていっている。カナエは息を潜めながら、木の陰や、堀の中に身を隠しながら目的地へ進んで行っている。加藤という男は一体何者なのだろうか。加藤捜索に本格的に踏み切っただけで、ここまで執拗に追いかけてくるものだろうか?。それともただの末永の趣味か?。スマートウォッチは、もう時期日付が変わることを時刻で伝えている。明石と蒼井からの通知が何件も来ていたが、確認している暇はない。また、亜人がこちらに近づいてきている。カナエは、十メートル先の大きな根が地上に露わになっている木の陰を目指して、走った。なんとか見つからずに逃げることに成功したが、途中、木の枝を踏んだ音が鳴った。不審に思った亜人が一人、木の陰に近づいてきている。
カナエは亜人の男が落ち葉を踏み締める音が、徐々に大きくなってきていることに気がついた。あたりには、身を隠せそうな場所はない。緊張しながら息を潜めていると、勘違いだと思ったのか、男はカナエの隠れている木から遠ざかって行った。安堵し、胸を撫で下ろすと、木の上から、肩に何かが降ってきた。嫌な感触に思わず目を瞑った。落下物は首に巻きつき、シュルシュル言いながら、カナエの周囲を動いている。首から鱗状の冷たい感触が伝わってきた。カナエはゴクリと唾を飲み込み、おそるおそる目を開けると、蛇と目があった。目が合うと、蛇は牙を露わにして、思い切りカナエに威嚇してきた。カナエはおまわず叫びそうになったが、口を抑え、肩で息をして、なんとか持ち堪えた。蛇はカナエに敵意がないとわかると、カナエの体から器用に地面に降りて、暗闇に消えていった。周りには亜人の捜索隊はいなかった。位置情報を取得すると、目的の場所に確かに近づいていた。大きな疲労が襲ってきたが、なんとか力を振り絞り、目的地へ足を進めた。
目的地は、川を渡った先にあった。カナエは川に向かって斜面を登っている。そして、途中で斜面が切れ、視界が広がった。スマートフォンに表示された地図が平面図なせいで気が付かなかったが、目の前は崖になっている。数十メートル下にある川は大きな音を立てながら、凄まじい流速で底を流れている。向こう側に渡るには橋を探すしかないか、と崖沿いをトボトボと歩いていると、地中からモグラの形をした亜人が何体も銃を携えて現れた。モグラ型の亜人は、カナエに銃を向け、トランシーバーを使って、目標を補足した、と伝えている。ヘリが集まってきて、ライトがカナエを照らした。
絶体絶命だった。目の前には機関銃を携えた亜人、後ろには崖。少しずつ、カナエを崖の端に追いやるように、亜人たちは近づいてくる。カナエは崖の底を見ると、石が踵に当たり、崖から落下した。加速させながら落下していく石は、すぐに見えなくなり闇の中に消えて行った。もうダメだと思ったカナエは、崖の端で両手をあげながら、膝をついた。自分の人生もここまでか、と思った。亜人にしてはよく生きた方だ。よくやった。何かを諦めようとした時、昔どこかで読んだ一節を思い出した。
『お前は熊から、逃れようとしている。しかし、その途中で荒れ狂う大海に出会って、もう一度、獣の口の方へ引きかえすのか?』
カナエは、決死の表情を浮かべて、そのまま、一か八かの賭けに出た。思い切って崖から飛び降りて、川に飛び込んだ。
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