四国の黙示録(6-1)
GWが明けて、初夏の日差しがますます強くなってきた五月の二週目、蒼井とカナエと明石は、四国にある末永商事の亜人消失事件を調査していた公安の加藤広大の捜索のために愛媛行きの飛行機に乗っていた。内務省亜人管理課からの業務委託が一通り終わり、GWの休暇でリフレッシュした明石の顔は、先月の頭に出会った頃の血色を取り戻していた。今回はいつもの三人に加えて、技術班から湯川真美も帯同している。カナエは、程よく肉付きの良い湯川の体に座席のシートベルトが食い込み、肉感的だなあ、と思いながら右隣に座った湯川の下腹部を見ていた。視界に入る指輪が窓から入り込んだ日差しを反射し滑らかに銀色に光沢を放っている。カナエは少し痩せ型だった。女性っぽい体つきにちょっとだけ憧れがあった。
カナエの左隣に座っている蒼井は、いつも通りに窓の外を考え事をしているような表情で眺めている。窓から差し込む日差しは蒼井の顔の陰影を際立たせている。彫りに翳った切長の目はいつも何を見ているのだろうか、とカナエは考えている。濁った瞳は相変わらず憂鬱そうだった。
「蒼井さんは四国には行った事ありますか」カナエは思い切って蒼井に話しかけてみた。
蒼井は考え事をやめて、カナエの方を振り向いて、
「この仕事をしているが四国には行った事ないんだよな」と言った。
「やっぱり、亜人の中では、四国の末永商事のことは有名なのか」と蒼井はカナエに質問した。
「はい、あまり良い噂は聞かないですけど...」
末永商事は、亜人社会黎明期に亜人の能力を使った農業事業で大きく成長した財閥の一つだった。日本の食料自給率に大きく貢献し、末永商事のおかげで日本は食糧に関して、ほとんど輸入に頼る必要がなくなった。末永商事は日本国内に多くの農場を持っており、四国が最も大きく、末永商事とその子会社が四国の半分以上の土地を所有している。この土地では多くの亜人が働いており、第二の管理区とも呼ばれている。四国内で亜人は自由に生活でき、人間と共存している。管理区のような大きな壁はないが、腕輪の装着は義務付けられており、四国外に逃げ出そうとすると、腕輪から毒が注入され即死に至る。そして去年から四国内で亜人の消失事件が多発した。その調査に向かった加藤広大は調査中に失踪し、その加藤広大の捜索と、亜人消失事件の調査がカナエたちの今回の目的だった。
蒼井とカナエが業務以外の話も含めて雑談を続けていると、湯川が艶かしい声色で二人に話しかけてきた。
「あら、蒼井君がそんな風に談笑しているなんて珍しいじゃない。しかも年下の女の子と」
「どういう意味ですか?」と顔を顰めて蒼井は湯川に言った。
「珍しいな、と思って」湯川は蒼井が不機嫌な態度をとったことなど気にも留めない。
「カナエちゃんは蒼井さんのお気に入りなんですよ。優秀だから。その上可愛いし」と明石が会話に加わると、飛行機内で出発のアナウンスとともに、機体は大きな轟音を鳴らし激しく揺れ始めた。
カナエは緊張した顔をしはじめた。会話に加わった明石を無視して「蒼井さんこの鉄の塊本当に飛ぶんですよね。落っこちたりしないですよね」と言った。
「あんた何言ってるんだ。この時代に飛行機事故なんて起こらないだろ」今時自動車すら事故を起こさないのに、何言っているんだ、と思っていた。
「私、飛行機乗るの初めてで」
カナエは申し訳なさそうな顔をしながら「蒼井さん、湯川さん、すいません、手、握っても良いですか?」と懇願した。
二人は何も言わずシートの手すりに手のひらを上にして置くと、カナエは即座に二人の手を強く握った。
酷く疲れた顔をしたカナエは空港のロビーで「帰りも乗らなくちゃいけないんですよね」と明石に言うと、「今度は俺、カナエちゃんの隣に座ろ」と戯けた調子で言った。
「ちょっと揶揄わないでくださいよ」
カナエは頬を膨らませて、顔を赤らめた。
「いやー傑作、傑作」と腹を抱えて明石は飛行機のカナエの様子を思い出していた。
四人が荷物を持って、愛媛空港の入り口を目指していると、猫背のうやうやしい雰囲気の中年の男がこちらに歩み寄ってきた。
「警察庁の方ですね、私、柴田と申します。今日は末永様から案内を仰せつかっておりますゆえ」男の声は必要以上に慇懃で気色が悪かった。
男の両腕には、腕輪が装着されていた。おそらく四国の亜人なのだろう。片方が、カナエが装着しているものと同様に能力を抑える機能を兼ね備えた物で、もう一つは四国から一歩出たら毒が注入される物なのだろうと、カナエは推測した。本当に人間社会の中で亜人が普通に生活していることに、にわかに期待を膨らませた。
柴田に案内された車に乗って、末永の住まいに向かう途中、愛媛空港から離れるにつれ、徐々にビルの数が減り、広大な畑と田んぼだけの風景が、ひたすらに広がった。特徴的なのは、高さが三メートル近くある稲があることだ。これは、数十年前に、亜人の能力を使って品種改良が行われた小麦で、従来の穀物と違い、早いスパンで成長し、栄養価が高く、疫病にも強い。この小麦を加工した食品が今の日本の食糧自給を支えていると言っても過言ではない。この穀物を発明してから、末永商事はこの農業事業でものすごい早さで、食糧市場を支配し、さらなる成長を遂げ、今の地位についた。末永の住んでいる屋敷は、この畑のど真ん中にあるらしく、車はそこに向かっていた。
三時間近く景色の変わらない畑を抜けると、一坪の中西風の屋敷のような建物に到着した。茶色いスーツに蝶ネクタイをした、U字型の濃い顎髭が特徴的なガタイのいい男が、家の扉を開けて、力強い足取りでこちらに歩いてきた。柴田が車の扉を開け、蒼井たちが降りると、末永は「やあやあ、遠路はるばるようこそお越しいただきました」と丁寧に蒼井たちを出迎えた。末永の声は、見た目より高い声だったが、そこには経営者特有の説得力のようなものが感じられた。
「どうも」と蒼井は挨拶し、他の捜査課のメンバーも同じように挨拶をした。
末永が意味のない談笑を蒼井としていると、遠くの方から凄まじい女の悲鳴が聞こえた。蒼井は声の方を見て、「あれはなんですか」と末永に聞いた。
「柴田、あれはなんだ」と末永は柴田に聞いた。
「ああ、あの女のメイド、またここから逃げ出そうとしたんで少々お仕置きをしてやったんですよ」と慇懃に言った。
「今日は客人が来ているんだぞ、お客さまにあんな無様な姿を見せるな。失礼だろ」と注意すると、「へへ、すいません、きつく言っておきます」と手を擦り合わせながら、不気味に謝った。
女は裸の状態で両腕を木にロープで括り付けられて、吊るされている。女の体は傷だらけで、両腕には腕輪がされている。カナエは女の様子を見て、ここも同じか、と内心ガッカリし、憤りを感じていた。柴田が空港で平然と歩いていたことから、人間との共存が実現していると思っていたが、そんなことはなさそうだった。柴田のスーツの胸ポケットには、末永商事のマークの刺繍が施されている。このマークがあるのと、ないのとでは四国内での扱いが違うのかもしれない。末永が所有している亜人には一般人は手を出さないのかもしれない。
皆が苦虫を噛み潰したような顔をしているなか、蒼井だけ、肩で風を切りながら、スタスタと痛めつけられている亜人の女の元に向かった。亜人を痛めつけている二人の亜人の召使いに蒼井が指示を出すと、渋々、二人の召使いは痛めつけるのをやめて、その場を去った。蒼井は、亜人の女を丁寧におろし、担いでカナエたちの方に戻ってきた。
「この娘の手当を」と蒼井は末永に命令した。
末永は蒼井を不審な目で見ている。そして、垂れ下がった口元から蒼井の行動に好意的でないのが伺える。何もしようとしない末永に蒼井は濁った黒い瞳で威圧して、「早く」と末永に言った。
末永は「手当してやれ」と召使いと柴田に命令して、胡散臭い笑みを浮かべて「あの子が気に入りましたか」と蒼井に訊いた。
「後であの子を俺の部屋に呼んでほしい」と蒼井は言った。
「ええ、もちろん。顔に似合わず、お好きなようで。綺麗な格好させて接待させますよ」と必要以上に丁寧な口調で言った。
「暑いな、そろそろ中に案内してもらえませんか?」と蒼井はお願いした。
末永は、もちろん、と眉を吊り上げて言って、案内してやれ、と柴田に命令して屋敷に戻っていった。蒼井たちは案内する柴田について行った。カナエは、自分の部屋に女を呼ぶ、という蒼井らしくない行為に疑問を抱えながら、集団の最後尾を歩いた。
「どうぞ適当なところにお掛けください」
蒼井たちは末永に言われるがままに、客間にあるその辺のソファに腰掛けた。末永は、バーカウンターで適当にバーテンの亜人にカクテルを作らせ、グラス片手に葉巻を持ってドカリと座った。装飾用の暖炉に、バーカウンター、メイド服の亜人の女たち。末永邸の客間は道楽のかぎりを尽くしている。カナエは、派手な室内の雰囲気に圧倒され落ち着きがない。末永が、葉巻に火をつけ、煙を吐き出すと、蒼井は今回の調査について切り出した。
「この男が数ヶ月前に亜人消失事件を捜査中、失踪したのですが。心あたりはありませんか?」
末永はテーブルの上に蒼井が置いた何枚かの加藤広大の写真を手に取り、一枚一枚、じっくり確認すると、写真を無造作にテーブルの上に置いて、「心当たり?」と鼻で笑って、「そんなものはないね。もしかして、俺がこいつの失踪に関わっているとでも言いたいのか?」と言った。
「そういうわけじゃないのですが、最後に四国に来てから、警察庁に顔を出さなくなったと、彼の同僚が言うので」
「知らないね。こちらとしては、せいせいしているんだ。亜人の大量消失を名目にうちの会社について洗いざらい調べやがって。良い迷惑だったよ」
「そうですか。では、亜人の大量消失の方についてお聞きしたいのですが、何が原因でしょうか?四国から逃げ出している場合ですが、あなたも管理者としてそれなりの責任をとっていただくなくてはいけませんが」
「おい、柴田腕輪を見せてやれ」と柴田に末永は命令すると、へい、と言って、蒼井たちに見えるように、右腕の腕輪を見せつけた。前腕と二の腕に、腕輪が一つずつ装着されている。左腕には、カナエと同じタイプのものが装着されている。
「あんたらも知っているだろうけど、これは一度つけたら取り外せない仕組みになっている。それに前腕か上腕のどちらかの脈拍を確認できなければ、どちらか一方から致死性の毒が仕込まれる。肩から腕を切断すれば確かに、なんとか逃げ出せるかもしれないが、その状態で生きていける亜人がいるか?仮に奴らの能力でなんとか生き延びようとしても、もう片腕の腕輪が能力を制御している。どうやって生き延びる?」
「まあ無理でしょうね」と明石は末永の意見を肯定した。
「それに今、四国にどれだけ亜人が生息しているかわかるか?」と末永は蒼井に訊いた。
「一千人くらいでしたよね」と蒼井が言う。
「いいや、もっとだ。もちろん、腕輪で管理はしているが」
「どういう意味ですか?」と蒼井は聞いてみた。
「亜人の子供が亜人として生まれるのは知ってるよな」
「ええもちろん」
「簡単な話だ、俺の祖父の代から、亜人の女を強制的に妊娠させて、亜人を四国で量産しているんだ。ああ、もちろん生まれた時点で腕輪は装着させているぞ」と自慢げに語る。
末永は倫理観のないことを得意げに述べた。カナエが、不快な表情を示すと、
「亜人は、安く雇用できる優秀な労働者なんだ。そんな顔をするお嬢さん方、これはビジネスなんだ。じゃあ、俺が酪農家だとしよう。俺が牛を品種改良や、生産効率を上げるために繁殖させたらお前らは同じ顔をするか?。しないだろ。それと同じだ」
そのまま末永は
「奴らは確かに姿形が人間と同じなだけで、それ以外は家畜と同じだ。あんたら政府だって、同じくらい酷いことしているんだぜ。こいつらがいればいくらでも人件費が減らせる。それだけじゃない、とんでもないものを発明したりするしな」と言った。
蒼井は冷静を装いながらも、拳を強く握り締め震わせている。そんな蒼井の変化など気にせず、末永は話を続けた。
「これを見ろ」とテーブルがモニターに変わり、病棟の映像が流された。そこには、白く清潔な部屋で大量の亜人の妊婦がベッドで並べられている映像があった。
「これなんか傑作だぞ」と末永は映像を切り替えた。
映像が切り替わると、男が亜人の女をひたすら犯している映像に切り替わった。
「こいつらを見ろよ。動物の繁殖みたいだろ。肉体労働も多い関係で主に労働は男が担うからな、こうやって、ご褒美を与えるんだよ。いい仕事をした亜人の男には好みの亜人の女をあてがう。そうやって、亜人の中でも階級によって褒美を変えてやると、上昇志向が生まれて、クソみたいな仕事でも喜んで働くんだ。それでも、働く意欲がない奴は、いるが。そう言う奴は、こうやって、闘わせて客人の娯楽にしたり、貧民街行きにしたりするんだ。その上、知っているか?。仕事のできる亜人の男と、見た目のいい女の亜人を交配させると、決まって優秀なやつが生まれるんだ、なあ、柴田」
「ええ、その通りでございます」と当前のように主人の意見を支持した。
カナエや明石は途中から目を伏せて、映像を見るのをやめていた。蒼井は濁った瞳で、映像を凝視していると思いきや、思い切り立ち上がり、末永に殴りかかろうとした。
湯川が、蒼井君、と呼びかけたが、声は届かず、拳が末永に降りかかる一歩手前で二人の男に蒼井は止められた。映像のせいで誰も気がつかなかったが、スーツを着た男二人が、開けっぱなしにされていた入口の扉から入ってきていた。一人は、左目に大きな傷のある、坊主頭のスリムな男で、もう一人は、整髪料で整えられた髪がテカっている七三分けの神経質そうな小男だった。傷の男は、後ろから蒼井の腕を掴み、小男は上半身に腕を回している。蒼井は必死にその男たちを振り解こうとするが、なかなか、振り解けず、諦めてソファに座らせられた。末永は、驚いて、カクテルグラスを持ちながら震えている。
「古畑君」と久しぶりにあったのか目を丸くして小男に湯川が話しかけた。
「湯川さん、お久しぶりです。相変わらずお綺麗で、いい加減こんな野蛮な部署なんか見切りをつけて、うちに来ませんか」と湯川を誘った。
「やめておくわ」と言って、椅子に座り直して、落ち着いて座っている蒼井を見て胸を撫で下ろした。
「蒼井、今のは問題行動だぞ」と古畑が蒼井に注意すると、「古畑か、なんでお前がこんなところにいるんだ」とイライラしながら答えた。
「なんでって?仕事だよ。まあ、お前みたいなのが問題行動を起こさないように監視しに来たんだよ。同期で一番最初に左遷された蒼井君」と嫌味ったらしく言った。
蒼井は一呼吸置いて、
「そっちは?総務省の亜人管理課の新人には見えないが」ともう一人の男について聞いた。
「彼は、防衛省の後藤課長だ」と古畑は紹介した。
「防衛省の後藤一二三と申します。以後、お見知り置きを」と見た目に似合わず丁寧に自己紹介をした。
「なんだよ、場がしらけたな。客人を部屋に連れてけ。あと、そこの無礼な男にさっきの亜人の女を用意してやれ。そうすれば大人しくなるだろう」と立ち上がり、末永は部屋を後にした。
柴田は蒼井たちをそれぞれ今日宿泊する部屋に連れて行った。カナエは用意されていたふかふかのベットに座って、そのまま、仰向けで寝ると、蒼井から「三十分後に俺の部屋に一人で来い」とメッセージが来ていることに気がついた。
カナエは蒼井の部屋の扉をノックして、軽く髪と服を正して蒼井が出てくるのを待った。返事はない。こうやって二人きりで蒼井と会うのは初めてで、カナエは今までに味わったことのない、期待と緊張を感じていた。扉が開くと、スーツ姿の蒼井が出てきて、お疲れ、と言って部屋に案内した。何も言わずに、蒼井について行くと、先ほど痛めつけられていた亜人の女が、綺麗なメイド服を着て、蒼井の部屋に緊張した面持ちで立ち尽くしていた。カナエはその光景を見てなぜかガッカリしていた。
蒼井はベッドに端に座って、
「座って」と言って、二人に椅子を勧めた。
亜人の女はスカートをに皺がつかないように丁寧に座って、「先ほどはありがとうございます」と蒼井に感謝した。
「いいんだ」と簡単に返して、「彼女は警察庁が雇っている亜人なんだ。君も人間と二人きりより、そっちの方が話しやすいだろう」とカナエを紹介した。蒼井の紹介に応えて、カナエは袖をまくり、腕輪を見せて自分が仲間であることを示した。亜人の女が目を丸めて、カナエのことを見ると、カナエは女に微笑み返した。しかし、亜人の女は気まずそうな表情を浮かべ、俯いた。カナエは何か気に触る様なことでもしたのかなと思い、キョトンとした。
「そういえば君の名前を聞いていなかったね。なんて呼べばいい?」と蒼井が聞くと、表情をもとに戻して、「サヨコ、と呼んでください」と言った。
「それでは、サヨコさん。早速本題に入るんだけど、この四国で大量の亜人が消失した事件が起こっている。そこでこの男が調査をしに来たみたいなのだが、君はこの男に見覚えは?」蒼井は加藤広大の写真を胸ポケットから取り出して、サヨコに写真を何枚か見せた。
「ええ、去年の年始から今年の一月にパタリと姿を現さなくなるまで、定期的にこの屋敷に出入りしていました」
「政府の人間が来るのは彼が初めて?」
「ここで働いてまだ三年ほどなのですが、定期的に来るのはこの方が初めてです」
「俺には普通の男に見えるけど、印象に残る様な言動や行動はあった」
「ええ、この四国では亜人の消失なんてよく起こるので、亜人の消失を執拗に追っているこの方はとても珍しかったな、と言った印象があります」
「それ以外には?」
ここでサヨコは蒼井たちが知らされていない情報を持ちだした。
「この方が現れる前から、亜人の消失はよく起こっていました。ただ、この方が来て二ヶ月くらい経ってからでしょうか。亜人の消失する頻度が急激に増えて。亜人だけじゃなく、人間も消失するようになりました。特に貧民街に住んでいる人間の数は去年と比べて半分くらいになった気がします」
蒼井とカナエは顔を見合わせて、蒼井が「人間が消失した?その話について詳しく聞かせてくれないか?」と質問した。
「詳しくと言っても、私も詳しくは知らないのです。ただ、この人がいなくなって、末永様は、本当にせいせいした、と言っていました。それに安心したとも」
サヨコは申し訳なさそうな表情を浮かべ、何かを言い淀んでいるように見えた。サヨコの態度は自分を救ってくれた蒼井に対して好意的に見えた。彼女の言葉には嘘偽りはない前提で、蒼井たちは会話を続けていた。そしてサヨコは三人しかいないこの部屋で、内緒話をする様に「実はこの方がいなくなってから、妙な噂が亜人の間で流れるようになったのです」
「噂?」蒼井はサヨコに聞き返した。
「この四国に楽園ができた、と」
蒼井は腕を組んで難しい顔を浮かべながら、噂について吟味し始めた。こわばった蒼井の顔を怖がるように、サヨコは顔を伏せて、気まずそうな雰囲気を湛えた。
「もしかして、君はその楽園に行こうとして、この屋敷から抜け出したの?」
「はい」
「場所もわからないのに?」
「ここから抜け出せるなら、なんでもいいので。それに肱川の周辺にあるのではないかと考えています」と答えた。
「そうか。その噂については末永は知っているの?」
「多分、知っているとは思います。眉唾程度に思っているのでしょうが。末永様からしたら、亜人や貧民街の人間が消えようとあまり関係がありませんから。それに、変に四国について政府の人間に調べられたくないでしょうし」
カナエから見ても末永は裏のありそうな人間に思えていた。多分調べられたくない事は、一つや二つではないだろう。蒼井は末永の裏事情までサヨコに訊いた。
「あいつの調べられたくないことについて何か心あたりが?」
「四国に、末永商事と、大手のアンドロイド製造メーカーのハドンの共同出資されてできた子会社にかなりの物と人の出入りがありまして。内密に、軍事実験を進めているのではないかと言われています」と一度、躊躇ってからサヨコは答えた。
「それで、防衛省の官僚がいたのか」と蒼井は何か腑に落ちた様子だった。
「話を戻すけど、加藤広大は、その楽園にいると思うかい?」
「わかりません」
「単純に消されたのでしょうか?それとも加藤広大はそこにいるのでしょうか?」カナエは蒼井に訊いた。
「どちらも可能性としてはあり得なくはないな。楽園にいるかどうかは謎だが。ただ、その楽園に手掛かりがあると踏んで、調査を進めてもいいのかもしれない。今日はありがとう」と蒼井は簡単にお辞儀をした。
「いえ、こちらこそありがとうございます」サヨコは座りながら、深く蒼井にお辞儀した。
カナエとサヨコは立ち上がり、蒼井の部屋を出ようとすると、サヨコがカナエを呼び止めた。
「あなた亜人なんですよね。余所者の亜人は、ここではあまりいい目で見られないので気をつけてください。特にあなたみたいに、それなりに普通の扱いを受けている亜人だと、危ない目に遭うかもしれません」
「そうですか。気をつけます」
ここもかなり特殊な事情を抱えているのだなと、カナエは悟った。蒼井も二人のやりとりを聞いて、軽率な行動をとったなと言った表情を浮かべている。
蒼井たちは末永邸の食卓に晩餐で招かれていた。長いテーブルで蒼井たちと古畑と後藤が向かい合うように座って夕食を摂っている。末永だけは、誕生席に座りパイプを吹かしながら、古畑と後藤と談笑している。屋敷に仕えている亜人たちは、メイド服やタキシードを着て、微動だにせず食卓の壁際に姿勢を正して立っている。こういう場に慣れていないカナエは、食事の味があまりよくわかっていなかった。ぎこちないながらも、出された食事を行儀よく口に運ぶことはなんとか出来ていた。今回の出張が決まった時に、真田にテーブルマナーは完璧にしておけと言われた理由がよくわかった。やはり人生の先輩のアドバイスには耳を傾けるべきだと痛感し、真田に感謝した。
末永がサヨコをパイプの吸い口で指して、「そういえば、あの女は気に入りましたか」と蒼井に質問した。
蒼井はナプキンで口を拭いて、
「礼儀正しく、知性もある素晴らしい子でしたよ。とても有益な時間を過ごさせていただきました」と答え、蒼井はサヨコと目を合わせると、二人とも軽く微笑んだ。
「なんならこの後も蒼井様のお世話を任せましょうか?」
「いいえ、仕事が残っていますので」と断った。
「お互い忙しい身で大変だ」
「先ほどは、失礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした」
「いいんですよ。それは、不愉快な映像を見せた私が悪い。今後とも仲良くしていきましょう」末永は必要以上に大きな声で、大袈裟な手振りで言った。
「失礼ついでにお願いしたいことがあるのですが、加藤広大の足取りを探るために、この四国の購買、物流、監視カメラなどのデータが欲しいのですが」
「構いませんよ」
「データの一部を警察庁の分析班に送りたいのですが、送っても構いませんか?」
「そのくらい構いませんよ。もしかして、私疑われています?」と末永が蒼井に訊いた。
「蒼井、失礼だろ。それにそんなデータ必要か?」と古畑が口を挟んだ。
「総務省には関係ないだろ。これは警察庁への依頼だ」と冷たくつけ放した。
古畑は、舌打ちをして、止めていた手を動かして、食事を再開した。
「明日から湯川さんと明石にはデータから加藤の足取りを探って欲しい。あとで、詳細について話す」
一連の会話に参加してこなかった後藤が何かに興味を示したのか、「すみません。その解析ついて、私も参加させていただいてもかまわないかな」と質問した。
「俺も頼む」と古畑も便乗した。古畑は口をモグモグさせている。
「すみません機密事項ですから」と湯川が丁寧に断った。
「そう言わずに」と後藤は引き下がらない。
「俺らじゃ、判断を下せないので、課長を通してください」と明石が程よく断った。
「ケチだなあ」と古畑が不満そうに言った。
蒼井が立ち上がり、「俺はこの辺で」と末永に言った。
「まだデザートが」と末永が呼び止めると、「今後の方針を固めたいので、お前らは」とカナエたちに訊いた。明石が、じゃあ俺も、と言って立ち上がると、それに続いて、湯川が立ち上がり、カナエも急いで立ちあがって、部屋を出る蒼井に続いていった。
「そこのお嬢さん、口に合わなかったのかな」と後藤がカナエを呼び止めた。
カナエは振り返って「いえ、とてもおいしかったです」と答えた。
「そうか、この料理は亜人にも味がわかるみたいだ」と後藤が言うと、部屋にいた召使いの亜人たちが一斉にカナエの方を向き、嫉妬や憎悪を帯びた眼差しをカナエに投げかけた。サヨコだけは、気まずそうにうつむいていた。カナエは召使いの亜人たちの執拗な目線にゾッとしていると「俺の客人だ。お前ら失礼な態度を取るな。」と末永が召使いを嗜めた。嫌な視線から解放され、カナエは胸を撫で下ろしたが、末永が「そうかそうか、彼女は亜人だったのか」とニヤニヤしながらカナエが部屋を出るまでカナエの後ろ姿を目で追っていた。
カナエたちは蒼井の部屋で、明日の主な方針について話し合っていた。
「それじゃあその川沿いのどこかにある楽園と呼ばれるところに加藤がいるかもしれないと言うことですか」明石がサヨコから得た情報をもとに捜査方針について一通り蒼井が説明した内容を確認するために内容を要約してみせた。
「確定ではないがある程度の方針は固めておかないとな。それに火のないところに煙はたたない。そこに加藤がいなくても、解決の糸口が見つかるかもしれない」
蒼井は続けて、
「湯川さんには、四国にある物や人の流れから、人が生活していそうな場所を絞ってほしい。仮に四国のどこかに、秘密の生活圏があるとしても、全て自給自足で生活するのは難しいだろう。必ず人や物の流れがあるはずだ。あと、課長に頼んで、国土交通省から四国の百年分の開発記録をよこしてもらうことを承諾した。四国にはいくつかの地下都市がある。開発途中で終わり放置されたままになっている空間があるかもしれない」
「任せて」
「どのくらいかかる?」
「早ければ明日の夕方には終わるんじゃないかしら」
カナエが一度話を止めるために口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。明日の夕方?そんな大量のデータを半日で分析して、場所を特定できるものなのですか?」
「技術班で雇っている亜人の男の子に、データ分析の神様がいるのよ。望月さんは会ったことないかしら?」
カナエは配属されてから技術班に行ったことが一度もない。技術班に関しては、場所だけでなく構成員の人数すら知らない。カナエが知っていることは、鮎川みたいなマッドサイエンティストの卵がいて、マリアが来月から本格的に技術班で働くことになっていることくらいだった。カナエが技術班に行ったことがない理由はただ一つ、蒼井が技術班のメンバーに苦手意識を持っているからだった。
「カナエちゃんは行ったことないもんね。誰のせいだか?」明石は蒼井の方を見た。
「業務に必要になれば、今度、連れて行ってやるよ」蒼井は前半部分を特に強調して言った。
「まあそのことは置いといて。ちょっと変わった子だからここには連れて来れなかったんだけど。その彼と私で場所を絞るわ」湯川は話を戻した。
「じゃあ、俺らは明日休みですか、観光してもいいですか?」明石は浮き足立っていた。
「明石、お前には別で頼みたいことがある。それに、畑と小さなビジネス街と山しかないのにどこ観光するんだよ」
「ですよねー」
「明日の方針を話す。湯川さんと望月でデータの分析。愛媛県警が持っている分析用の部屋を一部屋貸切にしてもらえるように依頼はしてある。明石は俺と行動をともにしてもらう」
「あと望月、今日、明日はゆっくり休んでおけ。夕方までに場所が特定できたら、明後日の夜に望月にはサヨコと一緒に楽園に向かってもらう」
「私一人でですか?」
「望月に行ってもらう理由はいくつかある。まず、能力が探索向きだ。周辺で望月の能力を使って、アドリブで場所を特定してくれ。そして、どうやら政府と末永商事は俺らに嗅ぎ回られたくない情報があるみたいだからな。俺らが四国に来るのを示し合わせたように、政府の連中が先に末永邸に入り込んでいるし、四国に入ってから、ずっと、俺らには後藤か古畑の監視がついている。俺に見張りを集中させる関係で俺は身動きが取れない。望月はしばらくは湯川さんと愛媛県警に篭もりきり、と言うことにしておく」
「わかりました」
捜査方針が決定したところで、それぞれ各々の部屋に戻って明日に備えた。カナエは部屋を暗くして、目を瞑るとあの召使いたちの嫌な執拗な視線を思い出しなかなか寝付けずにいた。状況を察したのか、女子会をしようと行って、湯川がカナエを自分の部屋に招いた。ベッドで横になりながら、薄暗い部屋で湯川とたわいない会話をしていると、徐々に緊張がほぐれたおかげで、カナエは安心して眠りについた。
湯川の宣言通りに、次の日の夕方に肱川のいくつかのスポットに人の生活圏があるのではないかと予測がついた。決行はその次の日の日暮れだった。明石に車で連れられて、水陸両用のボートが、肱川下流の高さ三メートルの小麦に囲まれて、ひっそりと停泊している。ボートの近くには、サヨコの姿があった。
「愛媛の漁師のおっちゃんに貸してもらったよ。蒼井さんも人使いが荒いなあ」と明石はこのボートを入手するために愛媛を奔走していたらしい。蒼井は今、屋敷の自分の部屋でサヨコに接待されていることになっているらしい。
「しかも、晩餐には帰って来いってさ。どんだけ、タイトなスケジュールなんだよ。なんでか知ってる?」とぼやき、カナエに質問して答えも訊かずに
「あの古畑って言う総務省の小男と、防衛省の後藤の目がカナエちゃんにいかないように、巧みな話術でなんとかしろってさ」そのまま話した。
「蒼井さんらしいですね」
「蒼井さんに、自分でどうにかしてくださいよ、って言ったらなんて返された思う?」
「ああ、俺じゃ、無理。それは俺の専門外だ」と蒼井の身振りを真似してカナエが言った。
明石は指をパチン、と鳴らして、正解、と言った。
「気をつけて。その腕輪は外しておくから。曰く付きの土地だろうから、あまり変なものを視ないように」と忠告した後に、「これは餞別だってさ」と鞄を手渡された。持ってみると想像以上に重たかった。
「わかりました」
「君も巻き込んで悪かったね」と明石はサヨコに言った。
「いえ、あなた方には助けていただいた恩がありますから」
明石は車に乗って屋敷に帰っていった。カナエと、サヨコはボートに乗って肱川の上流に向けて出発した。月明かりを頼りに、黄色く背の高い畑に挟まれながら、カナエたちは闇の奥へ進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます