惡霊(5-1)

 右下に表示された時刻を見て、そろそろ編集の山下が訪問してくる時間だなとニコライは考えていた。真っ暗闇の中、十個のモノリスが、席についてるニコライを中心に円を描くように、浮かんでいる。モノリスの中央には、中国、ロシア等の新共産連合国の国旗が中央に描かれている。会議に参加しているそれぞれの代表は、ニコライのテロ計画について審議していた。先週は新自由連合国の代表のアメリカの役員との会議だった。日本を転覆させるために必要な会談とはいえ、これらの会議はニコライにとって常に退屈で出席が億劫で仕方がなかった。


「それでこの前のテロ計画の成果はなんだね」中国の国旗の描かれたモノリスの縁が輝いた。

「前回のテロ計画での目的はすべて達成しましたよ」とりあえずニコライは答えた。

「具体的には?。こちらだって国内や新自由連合国の対処で忙しいんだ。君たちがどんな計画を立てていたかなんて、把握していられないんだよ」

 聞こえてくる声は荒々しい。なかなか計画を進めようとしないニコライに苛立ちを覚えているようだ。

「一から説明しろ、と?」ニコライは挑発するように言った。

「ああ、そうだ。そのための資金と武器は八頭龍会を通して支援しているだろう。それに見合った成果は得られたんだろうな」

 ニコライはクスリと笑い、

「ええ、テロ映像を拡散したおかげで、警察庁のサーバーの防壁が手薄になったところに、こちらからサイバー攻撃を行い、管理区の詳細な地図と監視カメラのアクセス権を得ました」亜人たちが起こしたテロ事件で得た成果について簡単に説明した。だが、各国の役人たちはそんなことはどうでもいいようだった。

「そうか、それでいつになったら特区に乗り込めるのかね?」本題を切り出した。

「残念ながら、管理区の地図データからは特区の位置を特定できなくてね。いつ?、と言われても、未定としか言いようがありませんね。皆様だって、特区については僕より先にお調べになっていたのでしょう。まさか、調べ始めて数年の僕より、君たち各国の諜報員たちが数十年調べた内容の方が少ないなんてことはないだろうね。僕からも君たちに聞くが、その特区に何があるんだい」と相手が逸るのを逆手に取り、会話の主導権を握ろうとした。

「生意気な口を聞くなよ」と声を荒げた。

「いいやめろ。悪いがまだ特区に何があるのかわからない程度ではならこれ以上の援助は考えさせてもらうよ」ロシアの代表は答えた。

「そうですか」と思案するふりをしていると、誰かが自分の部屋をノックする音が聞こえてきた、

「すみません、表の顔に戻らなくてはいけない時間になったので。報告はまた今度」と言って、VRゴーグルを取った。部屋の扉を開けると、仲間の鈴木ケンスケが扉の前に立っていた。

「ニコライさん、そろそろ編集の山下がくるそうですよ。どうでしたか?、新共産連合国との会議は?」鈴木ケンスケは慇懃に会議の様子を窺った。

「相変わらず退屈だったよ。特区の情報は聞けずじまいさ。この前のテロ計画の成果を聞いて、支援を出し渋っていたよ。まあ、茶番だろうけど。僕らがなかなか特区に辿り着けないから、嫌味の一つでも言いたいみたいな感じだったね。彼らの援助がなくなったところで、多少の軌道修正は必要になるが、問題はないんだけど。それより、君、蒼井慶喜と望月カナエを殺すように、画策し、石田に仄めかしたね」

 ニコライは肩まで伸びた、綺麗な金色の髪の毛を靡かせながら、丁寧に階段を降りている。ニコライの青い瞳は鈴木ケンスケの企みを見透かしていた。

「望月に蒼井が接触して収容区のニコライが別人だってことがバレたら、まずいでしょう。あなたが欠けては、管理区の解放は成し得ないのですから」とニコライの質問に答え、ニコライのために行ったことだと強調した。鈴木は大袈裟なくらい恭しい態度で、悪意を持って仄めかしたわけではないと主張した。

「君が僕のために働いているのはわかるけど、あまり勝手なことをされちゃ困るよ」とニコライは優しく言う。

「望月の方は生かしておくとして、蒼井の方を生かしておく理由があるのでしょうか。僕にはただの少し優秀な人間にしか見えませんけど」

 鈴木には蒼井を生かしておくニコライの真意が読めていない。鈴木は亜人だと認定された時に、実の父親から殺されそうになったことがある。そして、管理区時代に受けた人間からの屈辱のせいで人間への恨みはかなり強く、ニコライの計画を成功させるためなら、手段を選ばないところがあった。そんな、鈴木にとってたまにゲームのように管理区の解放計画を進めようとするニコライの性質が疎ましく、彼の頭脳とカリスマ性なしでは、計画は成就しないとわかっていても、彼を認めることができないでいる。そんなニコライも鈴木の考えを読んでいるのか、情報の全てを教えようとはしなかった。

「そうかな。僕は彼にも重要な役割を与えようと思っているのだが。そうだ、ミヅキと草壁は今、部屋にいるのかい?」

「ええ」

「そう、下のリビングはしばらく使わせてもらうから、誤って降りてこないように言っておいてくれないか」ニコライは鈴木に念を押すように言った。

「わかりました」

 インターホンが鳴った。約束の時間より五分早い。画面を見ると山下の顔がアップになっている。ニコライは受話器を取ると、「ニコライさん、山下です。打ち合わせに参りました」マイク越しに、山下の快活な声がした。ニコライは、玄関まで出向き山下を出迎えた。

「どうも、どうも。お世話になっております」

「予定より五分も早くくるなんて、君は相変わらずだね」ニコライは、胸ポケットから銀縁フレームの薄いレンズの眼鏡をかけて遠回しに毒づいた。

「先生なら多少早く来ても問題ないでしょう」

「僕にだって予定がないわけじゃないんだけど。まあいいや、入って」

 日当たりのいいリビングは、無彩色の家具が効果的に配置され、落ち着いたシックな雰囲気で、自然の香りが漂ってくるような爽やかな部屋だった。窓から見える手入れされた芝は葉っぱの表面に付着したスプリンクラーの水滴が初夏の日差しを反射し、みずみずしく輝いている。吹きざらしに揺蕩う清潔なカーテンは暖かい風にまどろんでいるようにゆったりと風で膨らんでいる。

「コーヒーでいいかな?」

 ニコライは、自分のマグカップにコーヒーサーバーでコーヒを淹れながら、カバンから取り出した資料をテーブルの上でまとめている山下に訊いた。山下はカバンから、ミネラルウォーターをニコライに見えるように出して、

「いえ、お構いなく」と断った。

 コーヒーを啜りながら、向かい合って座ると「そうだこの前言っていたメディア露出の件、断らせてもらうよ」と言った。

「何でですか。先生くらいのイケメンが顔を出せば、もっと作品が売れますよ。リヴァーフェニックスと若い頃のレオナルドディカプリオみたいな顔をしているのに、勿体無い。正直、男の僕ですら先生に見つめられたら、うっとりしてしまいますよ。もっと売れて、僕を未来の編集長にしてください」

「君のそう言う俗っぽいところ、嫌いじゃないけど。あまり知名度みたいなものに興味がなくてね。今の評価じゃ、出版社は納得しないのかい?」

 山下は斜め下を向くニコライの横顔に見惚れていた。長い金色に輝く睫毛の下の物憂げな青い瞳と、妖艶な陶器のような肌を見て、同性でありながら、変な気分になり、思わず、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「いえ、そうではないんですけどね。僕は先生の作品をより多くの人に知ってもらいたいんですよ。一人のファンとしてもね。それにいつまでここに住んでいるつもりですか?。四人で共同生活するには、狭くないですか?」

「意外と住み心地いいんだけどなあ」

 ニコライと山下が適当に雑談をしていると、痩せた長身の女性が階段から降りてきて、リビングに入ってきた。

「すまないミヅキ、客が来ているんだ。後にしてくれないかな」

 ミヅキは何も言わずに、山下とニコライのことを寝ぼけた眼でじっと見つめて、立ち尽くしている。山下は、急に現れた女性に目をパチクリさせていると、ニコライが「とりあえず服くらい着てきなよ。彼が目のやり場に困っている」と言うと、何も言わず二階の自室に戻っていった。

「すまないね。うちの同居人が」とニコライは謝った。

「ここを離れない理由ってそう言うことですか。超絶美人じゃないですか。僕はもう少し肉付きのいい女性が好きですけど。先生もすみに置けない」

 ニコライは次から打ち合わせは、オンラインか、外にしようと考え、

「そんなんじゃないよ。それより、次の作品について話にきたんだろ?」と話題を変えた。

「そうですね。次の作品についてですね。先ほどの女性についてはまた今度聞かせていただきます」と一言入れた。

 ニコライは阿諛追従しがちな山下の態度があまり好きではないが、たまに自分の思い付かない発想や、本質を見抜く洗練された思考回路が気に入っている。俗物であることを包み隠そうとしない正直な人間性も気に入り、管理区を出てから、今までずっと二人三脚で、仕事をしてきた。今日は特に打ち合わせが白熱し、あっという間に二時間が経過していた。

「それでは打ち合わせの通りに」

 と荷物を片付けている山下にニコライが「プロットと設定をまとめたものを、後で、君宛にメールするから」と言った。

「楽しみにしております、では次の打ち合わせですが、どうします?」

「来週の火曜日、今日と同じ時間でもいいかい?」

「かしこまりました」

 山下は空中に投影されたカレンダーをいじりながら、

「場所は?ここにしますか」と地面を指差して訊いた。

「神保町のいつものカフェで」と間髪入れずに言った。投影されたカレンダーを閉じようとする山下をニコライは呼び止めて、「その予定表、僕にも送ってくれないかな」とお願いすると、かしこまりました、と言って、ニコライのスマートウォッチ目がけてホログラムで出来たカレンダーを指で飛ばすと、カレンダーはニコライのスマートウォッチに吸い込まれて、予定の共有、山下、と表示された。

「ありがとう、ではまた来週」と玄関で山下を見送り眼鏡を外し胸ポケットの眼鏡ケースにしまった。

 玄関が閉じ外向きの顔をやめてリビングに戻ると、如月ミヅキと、草壁守人、鈴木ケンスケの三人がスーツを着てニコライの打ち合わせが終わるのを待っていた。これから香港マフィアの八頭龍会と会合がある。

「待たせたね」と言うと、髭面の大男が手に持っている黒いジャケットの袖にニコライが腕を通し、ジャケットの襟を正して、「行こうか」と三人に呼びかけた。



 八頭龍会の本拠地は川崎の港にあり、東京湾が一望できる建物の中にある。この建物と土地は表向きは、新宿にある貿易会社の貿易拠点として登録されている。八頭龍会は表向きの貿易会社の仕事もこなしながら、裏で麻薬やテロリスト向けの武器を海外から輸入している。公安はこの貿易会社と八頭龍会の繋がりを把握はしているが、決定的な尻尾を出さないため、大掛かりな捜査に踏み込めず、手をこまねいている。

ここからの景色はいつも寂寞としているな、とニコライは感じていた。潮風で錆びた緋色のコンテナ、コンクリートの瑕瑾、空を濁す工場の廃煙、光を反射しない暗い海面。草壁はここに来るといつもノスタルジックな気分になると言っていた。ニコライにはその気持ちがわからなかった。誰とも共感することのないニコライの気質は、他人の意志を一切介入させない。ニコライにとって他者の意思は、葉の生い茂る木だと心得ていた。他者の意思は、半生という土壌により育まれる。そして、人間の行動は感情という風が木を揺らしたときに起こる音のようなものだと考えている。激しい感情は、仰々しく葉脈の擦れる轟音を奏で、心地よい感情は優しく爽やかな音を奏でる。ニコライは木の育て方を知らないが、揺らし方は知っていた。共感性という栄養が欠乏しているが、俯瞰的に木を観察し続ける洞察により、何をすれば人がどういった行動に移るか理解していた。そして、ニコライにとって、自分が他人の意思という一本の木を動かした時、自分の想像を超えた葉のさざめきを聞き、燦然と煌めく葉の色めきを見ることが、共感することのできない自分の唯一の娯楽だった。

「君はここの風景が本当に好きだね。また何かを懐かしんでいるのかい」

 ニコライは潮風を正面で受ける草壁の隣に立ち、感傷に浸っている彼の気持ちを代弁してみた。

「ここの景色を見て、懐かしい気分に浸って気を落ち着かせていたんですよ。ニコライさんは、何かを見て昔の自分を懐かしんだりしないのですか」

「もちろん、昔の自分を懐かしんだりすることくらいはあるよ。君は僕のことなんだと思っているのかな?」

「いえ、あなたから昔の話を聞いたりしたことがありませんから。いつも浮世離れしたような雰囲気漂わせていますし」

「管理区を出てからはずっと君と行動を共にしてきたし、管理区にいた頃の思い出なんて、わざわざ話すほどのことでもないよ。気分はそろそろ落ち着いたかい。ケンスケとミヅキが僕らのことを待っているよ」と建物の入り口で待っている二人の方を指差した。

 草壁は乾いた口をスーツのポケットから取り出したお茶で潤して、「龍と会うときは少し気が立ってしまいましてね」と言って、空になったペットボトルを握りつぶし、パンツのポケットにしまってニコライを追いかけた。



 受付嬢のアンドロイドに生体認証させ、待ち合わせ場所の一階のエントランスで、シートに座って八頭龍会の若頭の龍を待っていると、サングラスを掛けた二人のスキンヘッドの大男を引き連れ、エレベーターから現れた。龍はいつも通り、黒のスカジャンに、黒のワイドパンツを履いて、三つ編みを左右に揺らしながら、悠然とした態度でこちらにやってきた。表向きは貿易会社の役員なのだから、いかつい格好をやめてくれ、と鈴木ケンスケは何度も忠告したことがあるが、一度も聞き入れられたことはない。他の奴らは何も言わないのだろうか?と鈴木ケンスケはよく思う。

 龍とニコライは、親しげに談笑をしながら四階の会議室へ向かい、廊下で何人かの組員とすれ違うと、強烈な殺気を放って、ナイフを両手で握りながらニコライに男が突進してきた。草壁は男の不自然な雰囲気を察知し、ニコライに刃が刺さる前に男をとり抑えた。ニコライは、後ろで大きな物音が鳴っていても振り向くことなく、指定された会議室に着実に向かっている。

「くそ、放せ。ニコライ、こっちを向け」

 ニコライは歩みを止め、取り押さえられている男の方を向いた。

「お前のせいで、弟が死んだんだ。知っているぞ、自爆に見せかけてテロ事件を終わらせようとしていたことを」

 男はモールを占拠したテロ事件のテロリストの一員の兄だった。男は今にでも噛み殺そうとする勢いでニコライを睨みつけている。ニコライは男を見下しながら、歩み寄り、男の目と鼻の先でしゃがみ、草壁に取り押さえられている男の顔を覗き込んだ。

「彼は殉死することに誇りを持っているようだったけど。僕の見間違いだったのかな?」

「弟は出ていく前に必ず帰ってくる、と言っていたぞ。俺だからわかる。あれは死を覚悟した時の表情じゃなかった。お前が殺した」

「君の妄言に付き合うのは面倒そうだ。手っ取り早く済ませよう」とニコライは微笑みながら言った。男の髪の毛を掴み目を合わせて「君に弟なんかいない」と冷淡に言い放った。

 男は目を開き、何かを悟ったように一度沈黙し「そうだ俺に弟なんかいない」と譫言を言うように言い、

「俺はなんで取り押さえられているんだ。はなしてくれと」と急に喚き出した。

「離してやりなよ」とニコライが指示を出し、草壁は取り押さえていた男を解放すると、男は怯えながらエレベーターの方へ逃げて行った。

 会議室に着き「便利な能力だな」と龍は言った。「俺には何もしていないだろうな」とニコライに訊いた。

「君にはかけたりしないよ。と言ったところで、誰もそれを証明できないけど。僕の能力はね、そんなに便利な代物ではないんだ。特に複雑な命令になるときは僕と知能の近い人物じゃないと上手くいかないしね」と説明した。

 その言葉を聞いた龍は声のトーンを落として、冷たく、

「つまりなんだ。お前は俺を馬鹿にしているのか?」と言った。これを合図にサングラスの男二人が殺気立ち、後ろで組んでいた手を解き、室内に緊張を走らせた。龍の護衛が体勢を変えたことをキッカケに、ニコライが連れている三人も懐に手を忍ばして、拳銃を抜こうとした。ニコライと龍は片手を挙げて、護衛が争い始めようとしたのを静止させた。

 ニコライは気にも止めず話を続けた。「すみません。僕の連れが」

 龍は高笑いをして、「揶揄っただけだ。続けて」と言った。

「君も人を動かす立場ならわかるだろうけど、他人が自分の指示を勝手に解釈することがあるだろう?今みたいに」

「ああわかる。すごいわかる」と軽く龍は頷いた。

「それと同じで、複雑な命令を出すと、当人の解釈がかなり介入する。僕の経験則上、僕の思惑と外れた行動をするのは、決まって僕より知能の高い者か低い者なんだ。正直、僕は君については能力を推し量れていないんだ。一介のマフィアにしては、かなりの度胸と知能の持ち主だ。向いていないとは言わないが、それだけの知能と大胆さを兼ね備えていれば、普通の仕事をしていても、それなりの地位を獲得するだろう。なんなら、安全が保障され今以上の社会的影響力すら得るかもしれない。それ故に、そんな男があえて危険な仕事を選ぶなんて、僕には理解できない。僕が君なら、もっと安定した仕事を選ぶね」

「そういうお前も、ただの売れっ子小説家をやっていれば良いものを、犯罪コンサルタントみたいなことに手を染めて。俺にはお前の方がわからないよ。警察庁の職員に、自分の身代わりを逮捕させて、それでも裏社会で生きようとするんだから。その辺はどうなんだ」とニコライの現状を皮肉った。

 ニコライは手のひらを合わせて、祈るような手の形をさせて、

「そうだな。僕はね、シナリオを書くのがただ好きなだけなんだよ。小説家をやっているのもそのためだ。同じシナリオを作り上げる仕事でも、犯罪と小説の違いがわかるかい?」と質問した。

「さあ」と龍は肩を竦めている。

「小説は所詮、現実の模倣でしかない。酷いことに現代では人間を模倣した作品が蔓延っているだけでなく、どこぞのIT企業のA Iが分析した作品を人間が模倣している。それでもそれなりには楽しめるんだが。ある時僕は、誰にも模倣されない本物の作品が見たいと思ったんだ。創作は無から生じ得ない。混沌により生み出さられる。この社会はいい題材だ。この人間と亜人の憎悪が入り混じった社会を崩壊させたとき、人々はどのように振る舞い、どのように絶望し、どのように歓喜するか?僕はどうしてもそれが見たい」

「そのためだけに、自爆テロやら、宗教団体を創ったりするんだから、俺にはお前の方が計り知れないな」

「エンターテイメントは誰だって好きだろ」

 二人が自分のことについて語り合っているなか、護衛の五人はまだお互いを警戒していた。

「お前らいつまで、警戒しているんだ」と龍が言うと、サングラスの護衛二人が手を後ろに組んで元の体勢に戻った。

「うちのものが済まない」と龍は謝った。

「構いませんよ。君たちこそいつまで警戒しているんだ、彼に失礼だろ」とニコライは言った。

「本題に移ろうか、それで例の物は?」と龍が訊いた。

 ニコライはスーツのポケットから手のひらサイズの端末を取り出してテーブルに置いた。

「これが管理区の詳細な立体図だよ」と言って、室内に管理区の立体図の詳細を投影した。

「そして、これが、監視カメラのアクセス権の入ったデータと網膜情報」と言って、マイクロチップと保存液に目玉が浸されたサンプル瓶を机の上においた。

「SNSを炎上させて、日本のサイバー班を火消しに回してセキュリティが手薄になったおかげで手に入ったよ。データはここに全て入っている」

 ニコライはチップと端末を龍が懐にしまったのを見て、

「ちなみに予想通りだったけど、特区は見つからなかったよ」と言った。

「そうか」

「興味本意で教えて欲しいんだけど。君たちはこれから、それを使って何をしでかすつもりなんだい」

「いいか、お前らは俺の事業のために亜人の能力を提供する。その代わり、俺らは武器と資金をお前らに渡す。それ以上のことは聞くなと言っただろう」龍は無用な詮索に苛ついた。

「そう邪険にするなよ。何かのネタになるかな、と思って。職業病みたいなものさ。管理区でテロを起こす前からの付き合いなのに、君から信用を得るのはなかなか難しいみたいだ。僕たち結構似たもの同士で、気が合うと思っているんだけどね」ニコライは相変わらず神経質な男だなあ、と考えていた。

「似たもの同士なら、余計に信用できないな」

「それもそうか」

 会話がとぎれたところで、ミヅキがニコライと草壁に耳打ちをした。何かに気がついたようだ。

「どうやら相変わらず信用されていないみたいだし、手土産をもう一個用意しようか。ネズミが一匹潜り込んでいるらしい」と言うと、草壁とミヅキが部屋を飛び出して、五分ほどして男を一人捕まえてきた。

「こいつは?」

「おそらく公安か何かの潜入捜査官だろう」

 如月ミヅキは壁や床を伝って、自分の視覚や聴覚を拡張することができる。この建物中は、全て彼女に監視され盗聴されている。この捕らえた男がずっと龍の様子を別の部屋で監視しているのを彼女は見つけ出した。ミヅキは捕らえられた潜入捜査官に、この部屋の盗聴器を無言で見せつけて、「あなたは何者?」と質問した。男は何も答えようとせず、怯えた様子もなく、ただ項垂れていた。龍はサングラスの護衛に「最近入ってきた、できる新人って言うのはこいつか?」と訊いた。護衛が、ええ、と答えると、龍は、そうか、と呟いた。

「お前ならこいつから情報を聞き出せるだろう」

「ああ」

 ニコライは、捕らえられた男の顎をそっと持ち上げて、目を合わせて「君は一体何者なのかな?」と質問した。

「俺は明智宗一郎。公安の潜入捜査官」とだけ言った。

「それだけか?」

「さっきも言っただろう、複雑な命令は難しいと」

 ニコライはこの男に興味を持ったのか、龍に「この男をどうするつもりなの」と訊いた。

 龍は恬淡に「情報だけ聞き出して、始末するだけだ」と言った。龍にとっては潜入してきた公安警察や日本のヤクザを殺すことは、雨の日に傘をさすのと大差がなかった。

「一週間だけ僕に彼を預けてくれないか。悪いようにはしないよ」

 龍は考え込んで「良いだろう」と言った。ニコライの優しい眼差しに捕らえられた男は一縷の希望を感じ、全てを諦めていた男は何か救われたような顔をした。



 どうやら俺はヘマをしたみたいだ、なんでバレた。潜入は完璧だったはずだ。あの金髪の連れたちは何者なんだ。混濁した意識の中俺は目を覚ますと、塩素臭い、薄暗いやけにコンクリートが無機質に見える部屋の椅子に座らされていた。体に思うように力が入らない、何か薬を飲まされたのか?あの金髪の美しい男に質問されてから、意識を失った。裸足の裏から伝わる床の感触が気持ち悪い。

 扉が開けられた。髭面の大男が入ってきた。室内は、扉の開閉音だけが響き渡る。

「俺に何をするんだ」俺は威圧するように言った。俺はなぜだか以前この男に会ったことがあるような気がしていた。いつどこであったかは覚えていないが、この男の世の中がつまらなくてしょうがないと言った目つきだけは鮮明に記憶に残っていた。ただのデジャブだろうか?。

「威勢がいいな」と言って、俺の腹を思い切り殴った。胃を吐きそうになるくらい、強い衝撃だった。

「お前に命令を出した男の名を言え」

「言うかよ」と言うと、男は座っている俺の顔面を思い切り蹴飛ばした。

「もう一度聞く、誰に命令された。公安はどこまで情報を掴んでいる?」

 男は血を吐いて倒れている俺の顔を見下しながら言った。男の目は相変わらずつまらなそうだった。俺は男に何度殴られ蹴られても仲間の情報を話さなかった。男の理不尽な暴力はひたすら続いた。血反吐を吐いている俺を見てもただつまらなそうにしていた。屈辱的だった。男は情報を吐かせることも、俺を痛めつけることも目的としていなかった。男はだた言われた通りに俺を扱っているだけだった。俺はとうとう気を失いそうになるところで、部屋の扉が開けられた。あの金髪の美しい男が、大男の肩を叩き少しだけ話した後二人で部屋を出て行った。

 俺はいつの間にか、気を失って、起きた時には、手足を拘束され、鉄製の巨大な椅子に座らされていた。起きると、今度は八頭龍会にいた、ケンスケと呼ばれていた小男がペンチを持ってやってきた。

小男は椅子に座って、俺の体をジロジロ見た。昨日の男とは違って、こいつは何やら楽しげだった。

小男と目があった。

目があった小男は俺にひたすら微笑んだ。

俺にはこの男が要求していることがわからなかった。

俺は、とりあえず、微笑み返してみると、小男はペンチをとり、親指の爪を一思いに剥がした。

俺は涙目でうめいた。俺は震えながら小男の方をみると、俺のことを凝視しながら、ポケットから柿の種の袋を取り出し、思い切りあけた。思い切りあけたせいで、ピーナッツがこぼれ落ちた。男はニヤリと笑って、勿体ぶった動きでピーナッツを口に運び、俺の方を見て、何も言わずに口を動かしながら、また、凝視し始めた。

男の鼻がやけにデカく、まつ毛が異様に長いせいで余計に気色が悪い。

小男は俺に素数を数えろ、と命令を出した。

俺がもう一度聞き返すと、男はもう一度、素数を若い数から順番にあげていていけ、と命令した。

俺は言われたとおりに素数を数え上げた。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97,…

 最初の方はいい。だが、数が大きくなっていくにつれて、思い出せなくなる。俺が三桁の素数で一度十秒以上詰まった。

すると、男は問答無用で俺の爪をもう一枚剥ぎ取った。

俺は叫んだ。悲鳴をあげた。痛みに悶えた。そんな様子を小男は、柿の種を一粒一粒噛み締めながら、俺が苦しむ様子を観察して、鼻で笑い、もう一度最初から、と言った。

俺は数えた、2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97,…101, 103, 107, 109, 113, 127, 131, 137, 139, 149, 153,…

俺は冷や汗をかいた。153は三の倍数だ。男はまた一枚、俺の爪を剥がした。

俺は必要以上に痛がるふりをしながら、素数の続きを考えていた。269, 271, 277, 281, 283, 293, 307, 311, 313, 317, 331, 337, 347, 349, 353, 359, 367, 373, 379, 383, 389, 397, 401, 409, 419, 421, 431, 433, 439, 443, 449, 457, 461, 463, 467, 479, 487, 491, 499, 503, 509, 521, 523, 541, 547…俺は素数に取り憑かれていた。

 右手の爪を全て剥がし終えると、また金髪の美しい男が現れて、小男を連れて行った。俺は安堵で気を失いそうになったが、次の拷問に備え、頭の中でひたすら素数を思い浮かべていた。

601, 607, 613, 617, 619, 631, 641, 643, 647, 653, 659, 661, 673, 677, 683, 691, 701, 709, 719, 727, 733, 739, 743, 751, 757, 761, 769, 773, 787, 797, 809, 811, 821, 823, 827, 829, 839, 853, 857, 859, 863, 877, 881, 883, 887, 907, 911, 919…

 目が覚めると、また拷問は始まる。左手。そして、右足、次は左足の爪。俺の爪がなくなると、今度は電気ショックを浴びせた。俺が小男の要求を満たせなくなると、奴は全身の神経を錆びたカッターで乱雑に切り裂くような痛みを与えた。

俺は取り憑かれるように素数について考えた。拷問中も、拷問されていない時でも、少しでも痛い目に合わないように、ひたすら素数を頭の中で数えあげ、反芻した。

それを何度も繰り返していた。拷問は、いつも金髪の美しい男がやってくると終わる。

俺は四桁の素数まで暗記した。ここまで頭を使ったのは久々かもしれない。

扉が開かれ小男が今日もやってきた。男はモニターのようなものを抱えている。

小男は持ってきたイヤホンを俺の耳にヘッドホンを装着して、不快な音を流した。実に不快で俺は苛立ち、みるみると怒りが膨れ上がってきた。あれだけ素数を完璧に準備したのに、今日の楽な仕打ちはなんだ?

小男はモニターを俺の目の前に置き、目を背けるなよ、と俺に言い、映像を流し始めた。

映像は俺をまた不快にした。残酷な映像だった。俺はその映像を見て目を疑った。人間は何んで同じ種族にここまで酷い仕打ちができるのかと。画面の中で痛めつけられている奴らは、俺が受けた仕打ちよりも、もっと残酷な扱いを受けていた。ヘッドホンから流れてくる音楽のせいで俺の怒りは際限なく増幅し続ける。俺の怒りの矛先は痛めつけている人間に向いていた。俺は今までの扱いなどどうでも良くなり始めていた。憎悪が膨れ上がると美しい男がまた現れ、俺を怒りから解放してくれた。

俺を痛みや苦しみから解放してくれる美しい男。神が自分に似せて人間を創ったのなら、きっと神は彼のような見た目をしているのだろう。



拷問の合間合間、俺は餓えないように最低限の食事を与えられていた。食事は決まって、歯の抜けた、腰が曲がり、小太りの胡麻塩肌で土色の肌をした汚い老婆が与えにくる。

老婆は、俺に食事を与え、下の世話をする。ある時老婆は何を思ったのか、下の世話をするために俺の服を脱がすと、爪が剥がされ、血が滲んでいる俺の指や、打擲され、傷とあざだらけの俺の体を舐めまわし始めた。

老婆の舌が俺の切り傷に触れるたびに、俺の体に激痛が走り、この汚い老婆の行動に俺は思考が追いつかず、俺は老婆の様子を見てはひたすら戦慄した。

そして、あろうことか、立たない俺のアソコを咥え、ひたすら丁寧に舐め始めた。

そんなことをされても俺のアソコはもちろん勃たない。

老婆は飴を無心で舐めている子供のように夢中で俺のアソコを舐めている。俺は老婆が恐ろしかった。

そして、そんな時でも次の拷問に備えて、ひたすら素数を数えていた。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97,…101, 103, 107, 109, 113, 127, 131, 137, 139, 149, 153,…269, 271, 277, 281, 283, 293, 307, 311, 313, 317, 331, 337, 347, 349, 353, 359, 367, 373, 379, 383, 389, 397, 401, 409, 419, 421, 431, 433, 439, 443, 449, 457, 461, 463, 467, 479, 487, 491, 499, 503, 509, 521, 523, 541, 547…601, 607, 613, 617, 619, 631, 641, 643, 647, 653, 659, 661, 673, 677, 683, 691, 701, 709, 719, 727, 733, 739, 743, 751, 757, 761, 769, 773, 787, 797, 809, 811, 821, 823, 827, 829, 839, 853, 857, 859, 863, 877, 881, 883, 887, 907, 911, 919…

老婆は満足したのかアソコから口を放し、俺の股から俺の顔を見上げ、歯のない口で思い切りニヤリと笑った。口の中は真っ暗で、ブラックホールのようだった。

俺はその老婆の口の中の闇を見た時、去勢される恐怖を身に覚え、萎えたまま射精し、ぐったりと気を失った。



 運ばれてくる揺れるステンレスのワゴンの音で目を覚ました俺は、服を着させられた状態だった。

髭の男がワゴンの上に上質な絹のように光沢のある紫色の大きな布を被せて何かを運んできた。

布を被されているせいで、中身の正確な形はわからないが、立方体のような形をしているように見える。

男は俺の目の前に立ち、口と目を閉じられないように金具で固定し始めた。

そして目にはゴーグルを掛けさせた。男と目が合うと、そのつまらなそうな眼差しで誰だか完全に思い出した。

俺が新人だった頃、警察庁の亜人管理課の職員だったやつだ。確か、同期の蒼井の上司で、七年前、管理区で殉職したはずだった。

髭を生やしているせいでわからなかった。男は一通り準備が終わると、ワゴンの上の布をとり、中身をあらわにした。

俺は中身を見て幼少期の強烈なトラウマを思い出してた。

俺の家族は貧乏だった。議員秘書だった父は地元の政治家に利用され莫大な借金を抱え自殺した。

母は毎日やせぎすの肋骨が浮き上がった体を売っては帰ってきた。

都内の貧民街。誰にも見向きもされなくなった家で母は灼熱の中で、大量の薬を飲ん泡を吹いて死んでいた。

俺は腐っていく母の死体を眺めていた。徐々に母の死体に大量の昆虫が群がり母の体を分解していくのを幾日も眺めた。

何とか俺は廃人同様の状態になりながらも、地元の警察に保護されて、一命を取り留めた。

立方体のアクリルの箱の中には、大量の虫が蠢いていた。ゴキブリに、ハエ、アブやムカデや蜘蛛など。

人間がその姿だけを見ただけで、反射的に嫌悪感を覚える虫たちだ。俺は虫だけは見るのも嫌だった。

立方体の下には、頭のサイズくらいのゴムパッキンが取り付けられている。俺はこれから何をされるのか、想像に難くなかった。あれを俺の頭に被せるのだ。

俺は動かない口で、嫌だ、それだけは嫌だ、それだけはやめてくれ、と男に言葉にならない声で、懇願し、首を左右に振った。

男はつまらなそうな目で俺を見て、すまんな、とだけ言って、俺の想像通り、男はその箱を持ち上げ俺の頭に被せた。

ゴムパッキンが俺の首に隙間なく張り付いているせいで虫はこの箱の中から逃げ出すことはない。ムカデとクモが俺の顔中を噛み。口や喉は、絶えず節足動物が動き回る感覚が伝わる。耳にムカデが侵入し、ゴキブリが俺の髪を掻き分け頭皮を探索する。

目を瞑りたくても瞑れない、舌を噛み切ろうにも、口すら閉じられない。

俺はひたすら呻き全身から冷や汗をかき、ガタガタと体を震わせ続けた。

ここは俺にとっての101号室だった。

こんなはずじゃなかった。そして、俺はこうなるきっかけを作った奴をひたすら恨んだ。

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