三文芝居(3-2)

 雲行きが怪しくなってきたな、と外を眺めていた真田は窓ガラスについた滴を見て「雨が降ってきたなあ」と呟いた。真田のつぶやきで天気が変わったことに気がついた蒼井は「影響は?」とヘリのパイロットに声をかけた。

「問題はありません。このまま、あと五メートルくらい屋上に近づいたら、ロープを下ろすのでそれをつたって降りてください」と応答した。真田は外の様子を伺って、ヘリの窓を勝手に開けた。

「ちょっと、何やってるんですか」と隊員が呼びかける頃にはもう遅く、ヘリから飛び降りて、器用に着地をして、屋上のプレハブからモールに潜入した。

 舌打ちをして、「あいつ、俺がそのままついていくと思ったんだな」と独り言を吐いて、「できるだけ早く屋上に近づけられますか」とパイロットに訊いた。

 真田がモール内に侵入してから三分位経ったところで、蒼井は屋上に着陸した。プレハブにゆっくりと近づき、半開きのドアから中の様子を覗くと、階段を上がってくる誰かの影が見えた。蒼井は銃を構え、息を潜めながら男が上がってくるのを待った。登ってる男の後頭部が思っていたよりも早く見えた。見慣れた後頭部だったが、いつもと違い返り血を浴びて、白髪混じりの黒い髪がまだら模様に赤く濡れていた。真田の姿を確認した蒼井は足音を抑えながら、登ってくる真田に向かった。真田は血に濡れたアーミーナイフを片手に携えていた。休み明けの小学生みたいな軽やかな足取りで登ってきたが、音が床に張り付くみたいに静かな足音だった。階段の折り返し地点で振り向いた真田は、蒼井に気がつくと合図を送って、踵を返し階段を降りていった。



 非常階段から三階に侵入する扉を開けると、靴底から床が濡れている緩い感触が伝わった。建物内はかなり暗いが、床に首筋の血管を切られた亜人の死体が四体転がっているのがわかった。爆弾が本物かどうかは別だが、起爆方法はハッタリだったらしい。死に損ないでも、死ぬのは怖いのかもしれない。死体の顔は恐怖で青ざめたままだった。

 二人は声量を抑えながら「SATを捕まえたのは、こいつらの能力らしい。擬態の能力だ。カメレオンみたいなもんだな。この暗さじゃ、ネズミの肉眼じゃわからない」真田は彼らの解説をした。

「どうやってわかった」

 静まったモール内で敵に気づかれぬよう二人は最小限の会話を心がけている。真田は天井を指差し、彼らを見つけた方法を蒼井に伝えた。天井には数匹の小さな蝙蝠が天井の取っ掛かりに捕まってぶら下がっている。目で見つけられないなら、暗闇を好む動物に見つけさせたわけだ、と蒼井は納得した。

 「この階にあと二人いる、二階に二人、一階に三人。残りは駐車場だ。三階で、まず吹き抜けの周りを巡回している奴を誘き寄せて。そいつに電波妨害をしている亜人について吐かせる。もう一人は、家具コーナーでのんびり椅子に座っている。そいつは基本的に無視でいい。おそらくその場から動かない。こっちこい」

 モールの三階は、真ん中に吹き抜けがあり、その周りを囲むように、いくつかの服屋が並び、その後ろに、廊下を挟んで、家具や、玩具屋、家電コーナーなどがある。三階はおそらくファミリー層にターゲットを絞っているのだろう。二人はターゲットの亜人にバレないルートで近よった。巡回中の亜人はかなり律儀な男なのか、常に何かに警戒し足を止めず、周囲に気を張り巡らせている。彼が与えられた役割を遂行する気質の男なのか、この特殊な状況が彼をそうさせているのかわからなかったが、真田と蒼井にとっては彼は好都合だった。彼の巡回している付近の服屋の後ろから、彼に聞こえる程度の音量になるように銃を落として彼に気づかせた。真田は床に耳を当てて、男が近寄ってきていることを確かめた。物音を不審に思った巡回中の亜人は物音の方に歩いて行った。ライフルを強く握っている。服屋の後ろ、ちょうど廊下が十字路になっているところに、差し掛かると、二人は飛び出し、真田は叫び声をあげないように、まず、喉仏に殴打を一発入れ、怯んだところにすかさず、腹に膝蹴りをかまし、お腹を抑えて悶え倒れそうになった亜人の背後に回り、ガスマスクを外し、片手で口を抑え、もう片方の手で男の手の動きを封じた。蒼井は装備しているナイフを取り出し、刃を首筋に当て、人差し指を唇に当てて、騒ぐな、と脅している。真田と蒼井は、婦人服店に亜人を連れ込み、「片手を解放する、抵抗はするなよ、今から俺がいくつか質問をする。聞かれたら質問に対して、数字で返せ」と恬淡な抑揚のない口調で声を潜めながら捕らえた亜人に命令した。相手から一瞬も目を離さない蒼井の目は、冷酷にも、抵抗したら殺す、と本気で訴えている。口を塞がれうまく身動きを取れないためか、不器用に首を縦に何度も振った。

 まず、蒼井は「テロリストは何人だ」と訊いた。蒼井の問いに対して、手で五を三回、一を一回見せて、十六人いると答えた。真田が殺した四人と、侵入前に見つけていた十二人で数は合っていた。

「電波を妨害する能力を持った亜人はいるか?。いたら、一、いなければ、零で返せ」

 亜人は人差し指を立てて、いる、と答えた。手はずっと震えている。

「何階だ。人数は?」

 手の形をピースの形に変えて、間を置いて、人差し指を立てた。二階に一人と言いたいのだろう。

「爆弾は本物か?本物なら、一、そうでなければ、零だ」

 亜人は眉を顰め、何か考えたような不自然な間をおいて、拳を握った。

「今の間はなんだ?」と、ナイフを押しつける力を強めると、亜人はナイフに視線を移して、誤って自分の首を切らないようにしながら首を横に振ろうとした。

「もしかして、何も知らないのか?」と訊くと、眉をつり上げて、数字の一を必死になって返した。どうやら爆弾については何も知らされていないようだ。蒼井と真田はアイコンタクトで、これ以上聞きたいことはないな、と意志を統一すると、真田は、自分の腕で思いっきり亜人の首を絞めて気絶させた。亜人が真田の体から、滑り落ちるように倒れたのを見て、真田に「殺したのか?」と訊くと、「気の毒だからな、気絶させただけだ」と答えた。二人は気絶した亜人を、婦人服売り場にあった適当な布で、口に猿轡、手と足の両方を縛って拘束して試着室に置いて、二階に向かった。



「見張りって言っても暇だなあ」二階の見張りを任されている亜人二人は、吹き抜けの手すりから身をのめり出すよう上体を預け、下の様子を眺めている。二人は装着しているように命令されているガスマスクを外して会話をしている。片方はパーマの黒人のハーフで、もう片方はオールバックで腰まで髪を伸ばしている青い目をした男だ。

「あのSATはいつ殺すんだろ、待てよ、SATが入ってきたってことは、やばいんじゃないか俺ら」黒人の亜人が言った。

「何が?」とあくびをしながらもう一人の亜人が聞き返した。

「何がって、爆弾のハッタリがバレたってことだよ。俺らの脈拍が途絶えると、爆発するって言うアレだよ」黒人の亜人は眉を潜めているもう一人の男に説明した。

 長髪の亜人は驚いて「あれハッタリだったのか」と目を丸くしている。

「気がつかないのか?。お前、自分で電波妨害していたらわかるだろ。電波が通じない状態で、どうやってあいつの起爆装置と通信するんだよ。自分の能力だろ」と声を潜めながら、長く大きな手を上下させ、聞かしつけるように必死に解説をしていた。

 解説を聞き、眉間に皺を寄せて、三階の方を向いて、考え込み、何か重要なことを思い出したみたいに目を見開き、黒人の亜人の方を向いて「お前頭いいな。」と感心して、「あれ、嘘だったのか、クソ」と静かにキレた。

「命の保証をしないと計画に乗らないやつを説得するための方便だな」

  唇を巻いて、したり顔で頷いている。黒人の亜人を見上げながら長髪の亜人が、

「方便ってなんだ?」と訊いた。

「嘘ってことだよ」眉を顰めて、あしで小突いた。

「それじゃあ、いつかは俺たちSATに殺されちまうのか?俺そんなんいやだぜ」

「俺は大丈夫な気がする」

「なんでだ」

「俺の能力は知っているだろ」

「ラッキーだろ?。亜人に生まれた時点で、幸運ってことはないだろう」と笑い声を立てずに、歯を見せて笑った。黒人の亜人はとにかく運がいいらしい。

「本当だよ」自信満々に黒人の亜人は言った。

「亜人認定されてから、最高の人生を送っている気がするんだよ。勉強いやだし、いじめられて学校行きたくねえなと思ったら。管理区に行くことになったし。管理区も飽きたなあ、と思ったら、今度は管理区の壁が壊されてよ。俺らの管理区でのデータは誰かが、抹消してくれた上に、新しい身分まで与えてくれてよお。しかも、今付き合っている彼女」と自慢した。

「ああ、あの巨乳のベジタリアンの女だろ」

「そう、俺が亜人でまともな教育受けてねえから、仕事始めたらいつかバレちまうって言ったら、養ってくれてよお」

「お前バカだもんな」

「お前には言われたくねえよ。あいつは最高の女だぜ。早く帰りてえなあ。」

「とにかく、俺は亜人認定されてから、毎日、ハッピーなんだぜ。今回のテロも俺がいるから何とかなるぜ」

 自信満々の黒人の亜人を見て、長髪の亜人は安心したのか、

「じゃあ、SATが突入して来ても大丈夫だな」と楽観し始めた。

「ああ、きっとラビットのやつがもっとすげえ作戦考えてるんだぜ。それに俺らにはタイガーとドラゴンがいる。完璧だ」

 二人の男が亜人の背後から肩を叩いている。振り向かず放置してもひたすら肩を叩き続けるので、「何だよ、しつこいなあ」と振り向くと、防弾チョッキを着た、二人の男が立っていた。一人は身長190cmくらいの大男で、もう一人は顔の骨格が綺麗な一重瞼の眼光の鋭い男だった。こいつらは誰だろうと考える暇もなく、二人の亜人の顎を目掛けて、二人の拳が飛んできた。長髪の亜人はその場で気絶し、もう片方は、真田があまりに強く殴ったため、手すりを超えて、そのまま、下の噴水に落っこちた。

 二階まで昇ってきた飛沫を見て、二人は二階から顔を出して一階を覗き、テロリストがこちらを向いているのがわかると、向かい合って目を合わせた後、もう一度、下を覗き込んだ。

 蒼井は真田の方を向いて

「おい何やってんだよ」と言った。

「すまん、思いっきり殴りすぎた」真田は額に手を当てて、手すりに寄り掛かりながら謝った。予想以上に力が出て、拳が痛んだのか、手をその場で振って痛みを発散させている。

「おっどうやら電波が回復したみたいだぞ」と真田は話題をすり替えた。

「蒼井だ。起爆方法はどうやらハッタリだった。駐車場の亜人を頼む」と無線で村田に連絡した。

「おい、上にいるやつ出てこい」とラビットが下で叫んでいるのを聞いて、二人同時に下の様子を伺った。止まっているエスカレーターを使って二人の亜人が登ってくるのが見えた。

「これで一階のあの二人をどうやって処理するか考える時間が省けたな」

 蒼井は真田をジト目で睨んで、

「おかげ様で」と真田と逆方向に進んで、登ってくる亜人二人を迎撃しに行った。



 二人は吹き抜けを挟んで、それぞれの亜人と対峙した。結局、こうなるのか、と蒼井は心の中で思いながら、サイレンサー付きの銃を構えて、気休めに「投降しろ、もう、お前たちの計画は終わったも同然だ」と説得した。蒼井の説得は虚しく、対峙した亜人は、自分の能力で、半獣の虎の姿に変身した。着ていたシャツは張り裂け、体は虎柄の毛皮で覆われており、爪と牙は、蒼井の体を貫きそうなほど鋭い。向こう側の真田はトカゲ人間と対峙している。半獣に姿を変える亜人の身体能力は、人間をはるかに超えている。人間の頭脳と野生の虎の腕力を持っている。虎型の亜人は、蒼井に襲いかかってきた。すかさず、蒼井は横に飛んで攻撃を躱すと、亜人の爪はアイスクリームを掬うようにいとも簡単に床を抉っていた。蒼井も銃で応戦するが、銃弾は亜人の分厚い筋肉の途中で留まり、致命傷にはならない。半獣化する亜人にとって、銃弾なんて痛い程度で、致命傷に至るまでは相当数打ち込まないといけないことを知っていた。銃はほとんど時間稼ぎで、この状況を切り抜ける方法を模索するための気休めみたいなものだった。

 周りには、若者向けの紳士服売り場、ショッピングモールには不似合いな酒屋、雑貨屋。フードコート。腕力で挑めば分の悪い勝負になることは蒼井にはわかっていた。まず、相手の死角になるところで息を潜めて、呼吸を整える。相手はフードコートを探索している、一番見つかりやすいところな上に、遮蔽物が少なく広く視界を保つことができる。すぐにフードコートを探し終わり、大きな足音を立てながらこちらに向かってきた。今は雑貨屋が死角になっていて、こちらには気づいていないが、五メートルも相手がこちらに歩いてくれば自分が隠れている場所に到達する。蒼井の目的の場所は酒屋だった。酒屋は目の前にあるが、入り口が反対側にある。相手の視界に入らずに酒屋に入ることは構造的に不可能だった。右手には、エレベーター乗り場で行き止まり。すぐ左手は廊下で、廊下を挟んで紳士服売り場が雑貨屋から酒屋の端まで伸びている。蒼井は雑貨屋と酒場と紳士服売り場に囲まれたT字の廊下の曲がり角で待機している。雑貨屋と紳士服売り場の間の廊下を通って虎型の亜人がこちらに向かってくる。



 向こう側で大きな音が鳴った。真田とトカゲ男がやり合っていた。亜人が音に気を取られそっぽを向いた隙に蒼井は角を抜け出し、酒屋の方に走って行った。蒼井の足音に気がつき、相手は蒼井を追いかける。引き裂かれそうになる手前で、間一髪、酒屋に入ることができた。

 酒屋で対峙した二人は睨み合い、銃を構えている蒼井に向かって亜人が「自分から追い込まれるとは」と虎が相手を威嚇するような重低音で言った。後退りしながら、飾ってある酒をいくつかを銃で破壊した。床には飛び散ったガラスの破片が散らばり、中身の酒が亜人の足元を濡らしている。

「なんだ酒に火をつけて俺の体を燃やそうってか?。流石にそれは無理あるだろ、そりゃ漫画の読みすぎだろ」と亜人は嘲った。

 蒼井は亜人に銃口を向け「確かに普通の酒じゃ、度数が低すぎるからな。ワインで体が燃えるなんて漫画の読みすぎだよ。ただ、これはどうかな」レジの裏に隠して置いた小瓶を相手の頭上に向かって投げ、頭上で瓶を撃ち抜いた。酒を頭から被った亜人に、ポケットからジッポライターの火をつけて相手に投げて亜人に着火させた。

「九十六度のスピリタスなら話は別だ。立派な体毛が仇になったな」

 呻き声をあげ火を消すために、変身を解いた亜人に、店にあったワゴンをぶつけた。ワゴンに轢かれて、勢いで乗り上がった亜人をワゴンの上に乗せ、吹き抜けのガラスを銃で割ったところから、そのままワゴンごと一階に突き落とした。ガシャン、と大きな音をあげて壊れたワゴンのそばで、亜人は気絶していた。

 向こう側を見ると、真田の方も相手の亜人を片づけていた。廊下でトカゲの姿のままのびている。二階から蒼井が「ここまでだ、投降しろ」と叫んだ。蒼井の叫び声は、静かな店内でこだまするように響き渡った。

 ラビットは両手を上げてゆっくりと膝を地面につけて抵抗の意思がないことを示した。しかし、ラビットの視線は蒼井たちを飛び越えて三階の方に向けられている。へへ、とラビットが笑うと、視線の先に真田が振り向いて三階にいた亜人を撃ち抜いた。

「観念しな。爆弾もハッタリなんだろ」

「確かに起爆方法に関してはハッタリだよ、ただ、爆弾は本物だよ」とガスマスクを取って目を三白眼にして笑いながら、「銃を捨てろ」と叫んで、右手を上げて、「これが本物の起爆スイッチだ」と言った。押すぞ、と人質に向かって叫ぶと、人質は一斉に悲鳴を上げた。そして、何かに気がついたように、ラビットは二階の方に顔を向け、「お前知っているぞ。真田だろ。俺も十区出身なんだ。地下闘技場の二十年連続チャンピオン。知っているよ。今、人間の犬をやっているんだな」と声を震わせながら、見下すように言った。

 十区は戦闘向きの亜人たちを、リングに閉じ込めて闘わせる、現代のコロッセオだ。十区の地下闘技場は人々が亜人同士の戦闘を楽しみながら、どちらが勝つか賭けるギャンブル性を持った娯楽になっている。表は昔のボクシングや、総合格闘技の延長線上のようなものだが、裏では一部の富裕層を集めて亜人どうしの殺し合いを観戦させている。十区の裏と呼ばれているところは、人々の醜悪な熱狂と金が飛び交う、殺戮場となっている。真田は十歳で十区に入区し、生き延びるために五年かけて独自の格闘技術を磨き上げ、十五の時にチャンピオンになってから、表の試合でも裏の試合でも負けなしの亜人最強の戦士だった。賭け事において真田のような絶対的な王者は邪魔だが、毎回あの試合で魅せる真田の華麗な技の数々に魅了され、興行的になかなか切り捨てることができなかった。二十年連続で、トップが変わらないことに、十区の管理人や、一部の富裕層たちが業を煮やし、真田を秘密裏に抹殺しようとしたところを、戦闘能力の高さに目をつけた課長が救い出し、真田は今ここにいる。真田がこの課に忠誠を誓っているのは、課長への恩が大きく、唯一課長の目的を知っている真田は、その恩を返すまでは死ぬわけにはいかなかった。

「そこの男を殺してここに連れて来い。さもなければ、このスイッチを押す」と叫んでいる。真田はとりあえずラビットを落ち着かせるために「わかった、わかった」と二階からラビットに声をかけた。

「どうする」と蒼井に聞くと、「お前まで失うわけにはいかないと言ったが、あれは撤回だ。悪いが俺はここで死ぬわけにはいかない」とラビットに見えるように銃口を蒼井に向けた。

「それは俺も同じだ」と蒼井が言うと、発砲した真田の銃弾を躱し、フードコートの方に逃げ込んだ。ラビットは戦闘が始まったのを見て、満足そうな顔で人質にスイッチが見えるようにゆっくりと人質の周りを歩き始めた。

 フードコートの机に隠れた蒼井に向かって真田は一階にも聞こえるくらい大きな声で「早く出てこい、抵抗しなければ楽に殺してやる。わかってるだろ。お前じゃ、俺に勝てない」

「確かに、訓練じゃ、あんたに一度も勝てなかったが、実戦ではどうかな。今日、俺があんたから一本取る番かもしれないぞ」と真田に反抗して、テーブルから体を出して、真田に向かって三発、発砲した。狙いを十分に定めず撃ったので、真田には当たらない。蒼井の位置がわかった真田は、その方向に発砲した。銃弾が机の鉄パイプに当たって火花を散らしている。

「アオ、もう何年、一緒にいると思っている。お前の考えていることは手に取るようにわかる。観念するんだな」

「俺の考えはわからないんじゃなかったのか。あと、相手の考えがわかるのがあんただけだと思うなよ」と蒼井は応じた。



 銃撃戦の音が消え数分経つと、傷だらけの蒼井を肩に乗せて真田がエスカレーターで一階に降りてきた。ラビットの目の前に蒼井を投げ捨てて「とりあえずスイッチから手を離せ」と何事もなかったかのように言った。

「ハハ、本当にやりやがった。おい、あんた俺らの仲間になれよ。お前だって人間への恨みは深いだろ」

「ああ。そうだな。人間の犬みたいな生活には嫌気がさしていたんだ」と言って、蒼井の頭に一発だけ銃弾を撃ち込んだ。

「これで満足だろ」

「ああ、最高だ」ラビットはスイッチをポケットに入れた。

「SATがどうやって侵入してくるか説明する。脱出手段を教えるから、配信を切れ」

「いいだろう」とパソコンを操作し始めた。

 真田はパソコンを操作しているラビットの背後に忍び寄り、首筋に課長から届けられていた麻酔針を刺して、ラビットを気絶させた。

「悪いな。あんたの気持ちはよくわかるよ」慈愛に満ちた眼差しで、倒れるラビットを見て呟いた。

 ラビットは混濁した意識の中、なんで、と言って、殺された蒼井を見ると、蒼井は絵の具に変わっていた。

 二階から気を失っているラビットの姿を確認して、蒼井は村田に「テロリストを無力化した。人質の救出を」と連絡した。

 SATと一緒に入ってきたのは、人質にとっては意外な人物だった。画面越しでは週に一回以上は見る顔、この国の現総理大臣、近衛雪蔵の顔だった。周りをSPと執事で護衛し、SAT隊員たちとモールの一階にやってきた。真田は自分の孫の安否を確認しにきたとはいえ、肝の据わった総理だな、と総理を見ていた。おじいちゃん、と指をさして一人の少年が総理の元へ駆け寄った。この日常的で何気ない光景の影響力は絶大で、テロリストに怯え、精神的に不安定だった人質たちをたちまち安堵させた。抱えられた総理の孫は、蒼井と真田が並んでいる方を向いて、あの人たちが助けてくれたのかっこよかった、と嬉しそうにはしゃいだ。総理は孫を抱きかかえ、SPにその場に留まるように指示をして悠然とした態度で蒼井たちの元に歩いた。

「素晴らしい活躍だった、君たちはSATの隊員かい?二人で制圧したらしいじゃないか。すばらしい」右手を差し出して握手を求めた。

「ありがたいお言葉です、総理。私は警察庁公安部亜人捜査課の蒼井と申します」蒼井は右手を差し出して総理の厚意を受け取った。

「こちらは真田。亜人ですが、危害は加えません」と紹介すると、真田の方に差し出そうとした右手を止め、「そうか。ありがとう」とだけ言って人質の方を向いて、「皆さんもよく耐えました。もう安心してください。今、警察のものが皆さんを安全に誘導します。さあ」と言って人質を外に避難させる合図を出した。総理の孫は、真田の元に駆けより、真田の足元に抱きつき、ありがとうおじちゃん、と屈託なく言った。真田は困惑した表情で、蒼井と顔を見合わせ、優しく、おじいちゃんの元へ帰りな、と促すと、執事が孫を持ち上げて、さあ帰りましょう坊っちゃま、総理も心配しております、と言って、SAT隊員と帰っていった。蒼井たちも人質と一緒にモールの外へ出て、外で待機していたカナエたちと合流した。カナエは真田と蒼井が無事な姿を見て、感極まったのか、泣きじゃくり始めた。

「何泣いてんだよ。帰るぞ」と頭を二回だけ叩いて、真田と蒼井は先に車に乗って、大した報告もせずに二人きりで警察庁へ車を発進させた。


 群衆の中にいた深くフードを被った男がポケットに入れた何かのスイッチを弄っていた。

 事件は人質を救出をして終わりを迎える、と誰もが思っていた。人質を全て外に避難させた後、途轍もない轟音をあげて、ショッピングモールは爆発した。幸い、人質らは全員外に避難していたが、中にいたSAT隊員が数名、爆発に巻き込まれて殉職した。

 男は恐怖に陥った人間たちの表情を見て、ニヤリと笑い、集団から離れ、どこかへ歩いて行った。



「死して語らず、か。死にたがりの奴の考えていることはわからないな」助手席でタバコをふかしている真田はしみじみとしていた。

「そうだな」

「管理区では、常に死ととなり合わせで生き抜くのに必死だった俺にはわからないな。お前のこと言ってるんだぞ」

「どういうことだ」

 真田は思い切り煙を吐いて、車内に紫煙を充満させて、「死に場所を求めているように見えるんだよ、お前は。もういい加減この課から抜けて、もっと警察庁内部のマシな課に行けよ。引き抜きの話が来ていることくらい俺は知っているんだよ」

「別にそんなんじゃないよ」

「じゃあ、三条の仇か?。犯人を追っているんだろ」

「違う」

「約束しただろ頼みを聞くって。この課にしがみついている理由を話せ」

「何もねえよ」不貞腐れている。蒼井の横顔は夕日に照らされ、物憂げだった。

「復讐なんていいもんじゃねえよ。今日のテロリスト見てればわかるだろ。確かに楽なんだ。油断していると楽な方へいっちまうんだよ。それでもいいってこともあるけどよ。復讐は違う。自分の気持ちに区切りが付けられたように錯覚するだけだ。いつかわかる、これが答えじゃなかったって」

「だから、三条のことはもう俺の中で区切りはついてるよ」

 吐き捨てるように言って蒼井は真田の方を見ると、真田の真剣な視線が、蒼井のつけ放すような視線と交錯した。蒼井は気まずくなって、話題を変えようと、

「なんで、アンタはああいう風になろうと思わなかったんだ」と訊いてみた。

 真田はタバコの箱を人差し指と中指で叩いて器用にタバコを取り出しながら、「さあな、俺だって、課長に拾われてなければ、ああなっていたかもなあ。ただ、不幸ってもんは、雨みたいに、前触れもなく誰の頭の上にも平等に降り掛かってくるんだ。そんな雨の中、気分が落ち込むのに抗って楽しく必死にやり過ごすのか、雨を憎んで楽に自分の気持ちに蹴りをつけるのか選べって言われたら、俺は必ず何かに抗う方を選んできた。俺の人生は誰から見てもクソに見えるが、抗う価値くらいはあると思っている。楽をすれば良いってもんじゃないんだ人生は」と言い終わると、叩くのをやめてタバコを人差し指でスッとケースにしまった。

「婉曲な物言いだな。要約してくれよ」

「俺はあいつらみたいにはならないし。そして、お前が仮に似たような境遇にいたとしても、俺と同じ選択肢をとって欲しい。まあただのエゴだがな」

「ああ、わかったよ、あんたは人生の先輩だからアドバイスとして、一応、受けとっておくよ」と言って、蒼井はシートを倒して真田に背を向けて背中を向けながら目を瞑って、寝たふりをした。

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