三文芝居(3-1)

「あれ、蒼井くんは?」昼休憩から帰ってきた柳がカナエに気軽に話しかけてきた。そして柳の横には、べったりくっつくように久利生アカネがいる。今日もそうだ。カナエはこの二人が別行動しているところをあまり見たことがない。配属されて三週間目に突入して、この職場内でカナエは人間関係が完成されつつあり、同時に、職場内での各々の役割が朧げながらわかってきた。まずは、蒼井班、明石とは適当に雑談するくらいには仲良くなった。逆に、蒼井とは、業務連絡以外あまり話さない。班編成の関係で、一緒に行動する時間が一番長いのがこの二人だが、蒼井の方は私生活に関しては全く想像がつかない。趣味は?、と聞けば。特にない、と答え、休日何してました?、と聞けば、いろいろ、と淡白な回答しか返ってこない。百年くらい前のチャットボットの方が、雑談に関してはうまいんじゃないか、と思えてくる。蒼井は、あまり人と積極的に関わる方ではないが、下村、課長、真田の三人には、たまに自分から話しかけることがある。明石と蒼井が業務外で話しているところを見たことがない。明石に、蒼井さんって普段何してると思います?、と聞いたことがある。その時の返答は、仲良いんだけどあまりよくわからない、と言っていた。本当に仲が良いのだろうか?、と疑問に思ったが、二人の関係性を見ているとその答えで妙に納得してしまう。下村班の下村はよく話しかけてくれる。多分この職場内では一番面倒見が良く、人格者で通っている。ただ、娘の話をし始めると、たいてい、話が長くなる。家では愛妻家らしい。真田は、警察庁内での亜人としての立ち回りについてかなり面倒を見てもらっている。この面倒見の良い二人とは対照的に、対馬とはほとんど話したことはない。他人に興味のない人間で、蒼井より年上だと思っていたが、明石の一歳上ということに驚いた。柳班の二人は、柳は姉御肌のムードメーカーで、カナエに気さくに話しかけてくる。久利生アカネとは、まだ、話したことがない。こちらは、基本的に無口で凛としていて、同性なのに話しかけようと思うとなぜかドキドキしてしまう。アカネはインド系の褐色の肌をしたエキゾチックな美人だ。二人が廊下を歩いていると、他の課の男性職員がよくうっとりして色めいているのがわかる。カナエは、柳と明石とは気の合う人間、下村と真田はマメに気にかけてくれる話やすい先輩、後三人はよくわからない人と位置付けている。そんな蒼井が、昼休憩に入ると、真田に声をかけ二人で出て行ったのが気になって目で追いかけていた。蒼井は一人で外で食べてくるか、三人でデスクで食事を済ますか、二択なのに、今日は珍しいな、とカナエは思っていた。

「蒼井さんなら、昼休憩入ったらすぐに真田さんと二人で出かけましたよ」

「じゃあ、道場の方にいるのかしら。この資料、蒼井くんに渡したいんだけど、私これから急ぎの用事があって、頼んでも良いかな?」柳は申し訳なさそうにしている。

「わかりました」

「道場の場所わかる?」

「はい、七階ですよね」

「そう、ごめんね。多分、あそこにいると思うから、これ渡してきてくれないかなあ。できれば早めに目を通してほしいの」

「任せてください」と柳から資料を受けとって、パソコンをスリープ画面に変えて道場に向かった。

 カナエは一人でエレベーターに乗るときはいつも緊張する。亜人は手首についている腕輪が見えないように、長袖の服を着ている。他の課の職員から亜人だとバレないようにするためだ。他の課の職員にエレベーターみたいな密室でバレたらどうなるのだろうか、とよく考える。移動するたびに、二人に同行してもらうわけにはいかない以上いい加減慣れなければ、とエレベーターを出るたびによく思う。

 資料を抱えながら道場の扉を開くと、胴着を着た蒼井が宙に浮き、こちらに向かって飛んできた。蒼井はカナエの足元の手前付近で、背中から不時着して、すぐに起き上がった。真田が、蒼井に向かって足を上げている。足の裏がこっちに見えることから、真田に蹴飛ばされたのだろうと推測した。カナエは蒼井に声をかけようしたが、すぐに、真田に向かって行ったせいで声をかけ損ねた。二人は戦闘訓練をしているらしかった。アナザーゲートの信者に対しての大立ち回り、二階から自分のことを投げ飛ばし空中でキャッチするなど、超人的な身体能力を見せた蒼井だが、真田にいいように遊ばれているようにしか見えなかった。あの手この手で、真田に攻撃しているが、簡単にいなされて、しまいには投げ飛ばされてしまった。

「久々に稽古つけてくれなんて言うから、どうした?、アオ、デスクワークばかりしているせいで、随分鈍っているみたいだな」真田は、地面で仰向けで寝転んでいる蒼井に向かって得意げだった。真田は、年長で最古参ということもあり、亜人に限らずみんな、呼び捨てで名前を呼ぶ。亜人は基本的に人間のことを呼び捨てで呼ばないことが、暗黙の了解とされているが、そんなことは気にせず、それどころか、蒼井のことをあだ名で呼んでいる。

 二人とも額が汗ばんでいるが、息が上がっている蒼井とは対照的に、真田の息は落ち着いて、涼しい顔をしている。捜査課のメンバーで一番身長の高い真田は蒼井より十五センチ近く大きい。大きな鼻梁と、日本人離れした彫りの深さに、何かを慈しむような優しい目つきをいつもしている。落ち着いた声と優しい目つきのおかげで、オールバックの大柄な男なのに優しそうに見える。

 クソッ、と呟いて、もう一度挑みにいってはまた返り討ちにあっている蒼井は、悔しそうだがどこか楽しげにも見えた。下村から聞いたのだが、落ち着いているように見えるが、実はかなり好戦的な性格だと教えられたことがあり、戦闘中の蒼井が本性なのではないかと頭をよぎった。

 カナエが来たことに二人が気が付き、戦闘を中断して蒼井が何か用か?、とカナエに話しかけた。

「これ柳さんから」とカナエは蒼井に資料を手渡した。蒼井は、資料を簡単に確認して「ああこれか」と呟いて、「ありがとう」とお礼を言って、資料をベンチに置いた。立ち去らずにこちらを見ているカナエを見て蒼井が「まだ何か用が?」と聞いた。カナエは何かを思い出したように「あと、課長が四時の会議には必ず出席するように」と伝えた。

「わかった」

「アオ、そろそろ休憩にするか?」と真田は蒼井に呼びかけた。「まだまだ」と、ベンチに置いてあったペットボトルの水を飲み、口を拭って、また真田に立ち向かって行った。「懲りないねえ」と言って、真田も構えをとった。

 要件を済ませたカナエは、もう少し、二人の様子を見ていたかったが、失礼します、とだけ言ってオフィスに戻った。真田は挨拶がわりに軽くカナエに手を振ったが蒼井の方はそんな余裕はないらしく、カナエの方を一瞥もしなかった。




「今日はここまでにしようや」

 カナエが去ってから一時間位して、稽古は終わった。

「久々に誘ってくるもんだから、いつも以上に力が入っちまったよ。何かあったか?」

「別に」

「さしずめ、もう少し自分に力があれば、石田を取り逃すことはなかったし、望月らを危険に晒すこともなかっただろうってところだろう」

「そんなんじゃねえよ」

「素直じゃないな。この負けず嫌いめ」とベンチで二人で座って、休憩していた。蒼井は真田の話を聴きながら、資料を読み込んでいた。

「そういえば、約束のあれ」

「ほら」と、タバコを真田に渡した。真田は、ポケットからライターを取り出してタバコに火をつけて、タバコを吸い始めた。

「わざわざ、資料を届けてくれるなんて良い子だな彼女。お前も随分気に入っているみたいだな」

「何が言いたい」

「いや、もう三十手前のエリート職員に女っけが、全くないもんだから、良い加減心配になってきてだなあ」

「俺はあんたの健康の方が心配だよ」と蒼井は負けじと毒づいた。

「良い加減、禁煙したらどうなんだ。もういい歳なんだし」

「そう言うな、これでも本数減った方なんだ。管理区にいた頃は、裏ルートからかなり仕入れて吸っていたが。まあ、亜人の人生なんて、そう長く続けたいもんでもねえしなあ。亜人の社会的地位が上がるか、お前が俺から一本とれるようになれば、考えるさ」と言って、煙を吸い込んだ。

「そんなことよりどうだ、お前も」真田はケースを蒼井の視界に入るように差し出した。

「俺は吸わねえよ。それに今時、紙タバコなんて時代錯誤だな」

「冗談だよ。元相棒と違って冗談が通じないな」

 蒼井と真田はしみじみとした雰囲気を醸し出し、

「もう三年になるんだな」と蒼井が呟いた。

「ああ」真田の口から煙が漏れ出ている。タバコの先についた灰を灰皿に落として、

「いいやつだったな。俺から一本取っちまうんだもんな。お前と違って戦闘面はバケモンじみていたなあ。俺からほとんど技術奪っていきやがって、油断も隙もなかったな」と言って、腕輪を外すためのIDカードをポケットから取り出した。

「おい」と言って、焦って蒼井はIDカードを取り返した。

「ツメが甘いな。本当に、手のかかる。出世は当分先だな、こりゃ。いい加減、少しはいいところ見せてくれよ」とため息混じりに、真田はタバコの煙を吐き、たゆたいながらゆっくり昇っていく煙をただ見つめていた。一本目のタバコを吸い終り、二本目のタバコを取り出して、箱をベンチに置くと、煙の向こう側に焦点を合わせていた蒼井が「そんなに見たいなら、なおさら禁煙するべきだな」と言って、ベンチに置いてあるタバコの箱をとってポケットにしまって、扉まで歩いて振り返った。「おい、そりゃないだろう」と蒼井を呼び止めると、蒼井がIDカードを真田に向かって投げた。旋回するカードを受け取ると、蒼井は「そんなに隙だらけだと思うなら、腕輪にかざしてみろよ」と言い残して道場を出て行った。

 蒼井に言われた通り、真田は腕輪にIDカードを翳してみると、解錠するはずの腕輪が何も反応しない。「偽物かよ。いっぱい食わされたわけだ」と頭をかきながら呟いて、二本目のタバコを咥えてみたが、少しばかり思案して吸うのをやめた。



 必ず出席するようにと言われたからなのか、蒼井はいつもより早く会議室に到着していた。道場から戻って作業をしている蒼井はカナエの目には機嫌が良さそうに見えた。機嫌が良さそうに見えたと言っても、表情が柔らかいというわけでなく、普段より愛想がマシなだけで、一般人の少し機嫌が悪い時とあまり遜色はない。ゾロゾロと他の班員も会議室に入ってきて、最後に課長が入室し、定刻通りに会議が始まった。

「先週の事件で保護した亜人の一人だが来週からウチの技術班に配属されることになった、当面は監視も兼ねて、柳班に世話を任せる」

「もう一人は?」

「彼女は未来視という稀有な能力を鑑みて、企業の戦略立案に携わってもらうことになっている。ちなみに住居は一区だ」

 胸を撫で下ろす明石をみて、何人かはクスクスと笑っている。「これで女の敵が一人減ると思ったのに」と柳は明石を茶化していた。明石は頬を赤らめ「何であのこと他のみんなが知っているんですか、内密にって言ったじゃないですか」と周りに聞こえないように蒼井に言った。「さあな、鮎川あたりが漏らしたんだろ」と適当に流していたが、課長に報告するときに、下村が立ち会っていたのをカナエは知っていた。おそらく、皆にリークしたのは下村で、笑いを堪えきれていないのか、下村の肩が上下に小刻みに揺れている。

 緩くなった室内のムードを、課長が視線と沈黙で空気を緊張させると、皆が静まり返り、姿勢を正すのを見て「下村班、報告を」と言った。

 下村は席から立ち上がり、「えー、以前から亜人の組織と関わりがあるとされる、八頭龍会に不審な資金の動きがあった、と他の課から報告があり•••」と業務の進捗について話始めた。下村班はかなり前から追っている組織があり、他の課の公安警察と連携しながら、調査を進めているらしい。下村班は組織的な犯罪を担当している場合が多い。柳班は市民の目撃情報を元にした亜人の捜査。蒼井班は警視庁や、地方警察が手に負えなくなった不可解な事件を担当することが多い。地方に行くことも多く、三週間後は四国に出張があるとカナエは伝えられている。飛行機には乗ったことがないので、カナエは出張のことを考えると心が浮き足立ってしまう。会議は一時間くらいで終了し、会議が終わると明石が課長の元に行き、一生ついて行きます、と女神にお祈りでもするかのように感謝していた。事件が起きたのは翌日の昼だった。



 出張先の事件の整理をしていると、対馬が、皆さんこのURLを開いてください、とチャットを送ってきた。送られてきたURLを開くと、ガスマスクを被り武装した集団と、目隠しをして正座させられた一般人の集団が一緒に映っているライブ中継動画が上げられていた。

「何だこれは」と蒼井は手を止めてパソコンの画面の音量を上げた。「蒼井さんSNS見てくださいよ」とスマートフォンを蒼井に手渡した。手渡されたスマートフォンの画面をスクロールしていると送られてきたURLの写真と動画が大量に拡散されていた。

「これはまずいな」と呟き、家から持ってきたサンドイッチを咥えている下村はパソコン画面に釘付けになっている。

オフィスの自動ドアが開き課長から「都内のショッピングモールで武装した亜人の集団によるテロ事件が発生した」と告げられた。

「これSNS大変なことになってますよ」と明石が言うと「そっちは警察庁のサイバー班が火消しに当たっている。大元のウェブサイトの出どころも調査中よ。人手不足で難航しているみたいだけど」

「その上、厄介なことに、人質の中に総理の孫がいるらしい。亜人捜査課にも出動要請が出た、直ちに現場に向かって」と指令を出した。



 警視庁が立ち入り封鎖をするために何人もの警備用のアンドロイドを配置しそこを境に、現場のショッピングモールの周辺には、事件を一目みようと、観衆がゴッタ返しており、いくつものマスコミがショッピングモールを背景に事件を中継している。リポーターは皆一様に美人で、立ち入り禁止区内で中継しているところを見ると、マスコミの形態もここ数十年で様変わりしたがテレビ局の社会的地位は健在なのだとカナエは思った。このテロ事件の捜査拠点は、近くの建物の屋上に建てたテントで、屋上から数人のSATのスナイパーがショッピングモールをライフルのスコープと電子双眼鏡を使って絶えず状況を伺っている。カナエたちはテント内部で今回この事件の大まかな現場指揮を任されている村田という男に状況を聞いていた。

「状況は?」と下村が亜人捜査課を代表して、村田に状況を尋ねた。

 ショッピングモール内部へのこちらからのコンタクトは現状不可能で、犯行声明が配信されてすぐにモールから出てきた女が持っていたトランシーバーからテロリストが定期的に連絡してくる時のみ交渉が可能になる。テロリストは亜人収監所に収監されているニコライとその他の亜人の解放を要求している。人質への暴力的な危害はないが、交渉が難航し始めればどうなるかわからない、と仄めかしている。監視カメラはすべて破壊されており、小型の観察用ドローンを潜入させたが、モール付近で通信が途絶え、テロリストがウェブサイトに上げている以上の建物内部の情報を得ることができていない。本来であれば、一斉に突入して一気に制圧したいところだが、総理の親族が人質に取られている。上の人間が誰も責任を取りたがらないせいで、強硬手段を取ることもできない。テロリストがそのことに気がついていないことが唯一の救いで、村田は収監所の亜人の解放の決定にそれなりに時間がかかることを材料にして時間を稼ごうとしている。

 村田から現状について話を聞いていると、トランシーバーがノイズ混じりの低い男性の声を発した。

「おい、責任者を出せ」とトランシーバー越しにテロリストから命令された。

「村田だ」

 ラグがあるのか、しばらく間を置いて「収監所の亜人の解放はどうなった?」と訊いた。

「さっきから言っているだろう。解放にはそれなりに時間がかかる。管理区から逃げ出した亜人に関しては解放するかどうか、まず、評議している」おそらく村田の言っていることは、全くの嘘だろう、おそらくテロリストもそれはわかっている。テロリストは、村田の応答からどちらが優位な立場なのかはっきりさせたいのだろう。水面下で作戦を進めるために村田もそれを承知の上で下手に出ているのだろう。このテント内にいる者は皆そう思っていた。

「もしかして、俺がただお前らの現状を知るために連絡したと思っているんじゃないだろうな」

「どういうことだ」

 村田が訊いてからまた少し時間が経ってから「動画を見ろ」と言って、ブツリ、と電波が途絶えた音がトランシーバーから鳴った。

 動画を見ると、腕を拘束され目隠しと猿轡をされた状態の十人の老若男女の人質が壁に背をくっつけた状態で立っている。

「クソ人間ども、ごきげんよう。俺は亜人のみで組織されたテロリストグループ、ゾディアックのリーダーのラビットだ。可愛い名前だろ。俺らの要求は、一つ。収監されている亜人の解放。おい人間、聞いているか。なんで亜人に生まれただけで、俺らは捕まらなくちゃいけない?。なぜ管理区で虐げられながら生活をしなければならない?。十歳までは皆、同じ人間なのに。まあそんなことはどうでもいいが。政治家様の話し合いが長いみたいだから、俺は、眠くて、眠くて、手元が狂ってしまうよ」と言うと、人質の一人を射殺した。銃声が人質の耳をつんざくと、人質らは猿轡がされているせいで満足に発せられない悲鳴を呻き声として口から漏らし、体を戦慄かせながら縋るように壁に寄りかかった。ラビットを名乗る男は、天井に向かって発砲し、動くんじゃねえ、と人質を脅した。

「そうだよなあ。いつだって上の連中の長い会議のせいで苦しむのは国民だよなあ。どうやら、俺らがどれくらい本気か伝わらなかったみたいだから、タイムリミットを設けよう。今から、一時間ごとに人質を射殺していく。人質の解放条件はこのショッピングモールの周りを、収監されている亜人で埋め尽くすこと。もちろん、俺らの能力を制御している拘束具は外せよ。その状況が確認できない間は、人質は解放しない。一斉に突入してきてもいいぞ。管理区にいて飼い殺されるか、今日殺されるかの違いしかない死に損ないだからなあ」

 そして、ラビットは着ているジャケットを広げて、声を荒げ、

「俺の体には爆弾が巻き付けられている。俺らの仲間の脈拍が一人でも途絶えれば起爆するように設定されている。もう一度言うぞ、俺らは死に損ない、死を恐れない。ここを占拠できた時点で、俺らの計画の半分は成功していると言ってもいい」と叫んだ。

「それじゃあ、スタートの合図だ」と言って、もう一人射殺して、ウェブサイトの動画の下にタイマーが表示された。

「クソッたれ、亜人の分際で調子に乗りやがって」村田は眉間を指で押さえながら、もう片方の手で机を思いっきり叩いた。

「タイムリミットが余計に短くなった」蒼井は村田の余計にと言う言葉に引っかかり、「どう言う意味だ」と訊いた。

「壁の前に並べられた人質の中に総理の孫がいる。左から五番目」

「政治家も気がついているのか」

「ああ」

「どうするんだ」

「中の状況がわからないんじゃあ、どうしようもないだろ。突入作戦も立てられない」

「中の状況がわかればいいのか?」

「わかればな。爆弾の方は問題ない。こんな状況を想定して、殺さなくても制圧できるような隊員を揃えている」

 下村が「中の状況がある程度わかれば、突入できると?」と訊いた。

「そうだが、さっきも言ったが、アンドロイドは使えない。おそらく奴らの一人に電子機器の電波をジャミングする亜人がいる」

「なら俺らの出番だな、真田」

「やれやれ」と言いながらショルダーバックから、真田の私物とは思えないものを取り出した。

「スケッチブック?」と首を傾げて、カナエはつぶやいた。

 スケッチブックを捲りながら、「これでいい」と大量にネズミが描かれているページを開いた。スケッチブックを地面に立てておくと、スケッチブックから生きたネズミが出てきた。スケッチブックからネズミが消えた代わりに、本物と同じネズミがその辺をうろちょろと動き回っている。

「望月は真田の能力を見るのは初めてだったな。真田は自分で書いた絵を、現実世界に出現させることができるんだ」と下村が説明した。

「すごい、本物みたい」とカナエは感激していた。

「こんなのでどうやって、中の状況を把握するんだよ」村田は投げやりな態度で、床を走り回るネズミたちを眺めている。村田は自分の足元で絶えずうろちょろしていたネズミを蹴飛ばすと、ネズミは絵の具になって床を汚した。

「ただ実体化できるだけじゃあない。生き物なら視覚や嗅覚を共有することができる。時間制限付きだがな。こいつで建物を探索させるのか?」

「ああ、モールの見取り図はあるか?」と真田が村田に訊くと、村田はモールの見取り図を立体ホログラムで投影した。

「さあ、いけ」と真田が命令すると、と自由に動きまわっていたネズミたちは訓練された軍隊みたいに統率された動きで一斉に、テントから出ていった。

 村田にとってはモール内の状況が分かったくらいで、状況が好転するわけではない。中の状況が判明し作戦を立てられたところで、上の連中が爆弾まで用意したテロリスト相手に突入作戦を了承するのかどうかの方が厄介だった。真田の能力が気休めにもならないと考えているのか、村田は無心でライフルのスコープをテントから覗かせて、モールの様子を眺めているか、何も言わず腕を組んで貧乏ゆすりをしているだけだった。村田の状況を察してか、誰も何も言葉を発しなかった。現場の空気感が緊張から気まずさへ変化し始めると思われたが、ネズミはモール内部に侵入に成功し、真田が沈黙を突き破った。

「モール内の様子が分かった」

「説明しろ」

「まず一階の建物中央に人質とテロリストが三人」

「中央ってどの辺だ」

「その二階と三階が吹き抜けになっている部分の真ん中にある大きな柱のところだ、そこに人質が集められていて、テロリスト二人が見張っている。ラビットと名乗った男は、配信画面に映し出された人質を見張っている。まあ映像を見て想像してもらった方が早い。二階と三階に巡回が二人ずつ。隣接された駐車場の二階から四階までに巡回が一人ずつ。そして、二階の駐車場入り口に二人」

「駐車場の二人は外から確認できるな。屋上にはいないのか」と村田は真田に質問した。

「ああ屋上にはいない、全部で十二人、干支と同じだな」と真田は答え、

「聞いていいいか?」と真田は続けて村田に訊いた。

「なんだ」突っかかるように村田に言った。

「潜入用の小型アンドロイドからの通信は途絶えたんだよな。ドローンは自立思考型か?」

「ああ、そうだ」

「こちらから操作しているわけじゃないんだな、中を見たらまだ探索を続けていた。ドローンが潜り込んでいることはおそらくまだバレていない」

「それがどうした?」村田は椅子から立ち上がり、真田に顔を近づけて顔を睨みつけている。

「いやいやなんとなく気になったから訊いたんですよ、てっきりテロリストにバレて破壊されたのかと思って」真田は両手を軽く上げて、後退りしている。相手が亜人だからなのか、自分より大きな体の真田に対して、村田は全く真田に物怖じしない。

「確かに気になるな」と蒼井はあごに手を当て考え込み始めた。また何か考え込んでいるな、とカナエは確信した。それくらいのクセはわかっていた。カナエは、何が気になるのか、訊いてみようとしたが、蒼井が考え込んでいる時に話しかけてはいけないことを思い出し口をつぐんだ。皆、蒼井が答えを導き出そうとしている時のクセを知っているからなのか、誰も蒼井に質問しないように思えたが、意外にも蒼井と同じ考えに辿り着いた対馬が蒼井に話しかけた。

「脈拍のことですよね」

「そうだ」

「脈拍?」と明石が反応した。

「仮にテロリストの中に一定の区域内でこちらからの通信や電波を妨害できる亜人がいたとしよう。ドローンからの通信が途絶えたのはそのせいなのだろう。では、どうやって、建物内部の仲間の脈拍状況を受信する」

「さあな。都合のいい能力なのだろう」

「亜人の能力はそんなに都合のいいもんじゃない。村田さん、本当にテロリストと本当に会話が成立していたのか?アンタとテロリストの会話には変な間があるように思えたが」

 村田には何か思い当たる節があったのか、何か腑に落ちたような表情をしたようにカナエには見えた。

「まあ確かに、不自然なところがあったかと、言われると、そんなような気もするが。じゃあ、なんで、奴らはこのトランシーバーに連絡ができる、しかも、ライブ中継までしているんだぞ。発信に関してはOKってことか。それこそ都合がいいだろ」村田はヤケになっているように見えた。

「パソコンから通信用のコードが伸びているんじゃないのか、能力の範囲外まで。どうだ真田?」

「ああ、言った通りだ、パソコンから四階の駐車場までコードが伸びていて、そこから電波の発信器のようなものが見える。というより、なんだ、テロリストは通信機を一つも持ってねえぞ」

「恐らく、このトランシーバーには自分の会話パターンを学習させたA Iでも搭載されているのだろう」

「そんな馬鹿なことがあるか」村田は額に手を当てて首を振っていた。蒼井の推測は妄言だとでも言いたいのだろう。

「望月、トランシーバーを調べろ」

「はい」カナエはトランシーバーに触れて、意識を集中させた。

「これ、トランシーバーじゃないです。ただの録音機みたいなものですよ」

「となると、爆弾はハッタリだな。自爆用かもしれないが、少なくとも、制圧はできるな。その上、ありがたいことに相手は建物内で連絡を取り合う手段がないんじゃないか」

「状況証拠があるのはわかった。さすがエリートだよ。たいした自信だよ。ただ、相手を一人でも殺して、爆弾が起爆したらどうする。起爆しない根拠がないだろ。俺が欲しいのは自信じゃないんだよ。確信が欲しいんだよ。確信ってのはなんだ?根拠があるかだよ、根拠。いいかお前らが、自信満々に推理を披露するのは構わない。俺もお前の推理を聞いたら、もしかしたらと思ったよ。もう一度言うぞ、必要なのは確信だ。俺は上の連中の首を縦に振らなくちゃいけないんだ。俺が欲しいのは、推理じゃない、最悪の事態を回避する方法だ。そんなに推理がしたいなら、探偵にでも転職しろ、クソが」

 村田がこうなるのも無理はない蒼井の言ったことは全て憶測の域を出ない、それに何か起きた時に真っ先に責任を取らされるのは彼自身だ。失敗した時に、蒼井のせいだなんて言い訳ができるわけがない。手をこまねいていると、約束の一時間に差し掛かろうとしていた。

「約束の時間だ。一人犠牲になってもらう」

 ラビットは人質の一人の頭を撃ち抜いた。

「どうした?早く決断しないと、どんどん人質が死ぬぞ。ただ管理区から逃げ出しただけの亜人を解放するだけでいいんだ。極悪犯罪者を解放しろって言うんじゃないんだ。亜人でなければ、ここにいる普通の生活を送っていた奴らと同じ善良な市民とそう変わらないだろう。善良な市民を社会に戻すだけと考えればそんなに難しいことじゃないだろう。また一時間後に会おう」

 明石がカナエにスマートフォンの画面を見せてきた、SNSはこの事件の動画が拡散され、国内だけでなく国外からも大量の書き込みがあり大きく荒れていた。政府や警察への批判、動画を転載する無神経さ等、専門家でもない人間たちが無責任に千変万化の投稿を送り続けている。SNSの中には、サーバーがダウンしてしまったサイトまであった。

 村田は誰かと電話をしている。電話を切ると、「一時間以内に突入作戦を実行しろと命令があった。現場に総理が直々に来るらしい。総理の命令だろう」と言った。村田は覚悟を決め、切腹前の武士のような顔をして、作戦を組み始めた。他のSAT隊員を集めて、三十分以上シュミレーションを行いながら、徐々に議論が活発になっていった。出来上がった作戦は、ヘリから屋上に着地し、屋上から順番に上から制圧する。駐車場にいる亜人が裏口の監視を兼任しているので、監視している亜人を無力化したのち、裏口から一階に侵入し、無色無臭の催眠ガスを散布し、一階のテロリストのガスマスクを外し、眠らせる。テロリストの脈拍と爆弾の起爆装置がリンクしていないという確信が取れない以上、基本的に相手を殺さず無力化する方向で動くようだ。

「真田とか言ったな、内部の状況は今どうなっている?」

「特にうごきはないが、亜人の数と気配や足音の数が一致しない。テロリストはまだ潜んでいるかもしれない」

「そういうことはもっと前もって言え。もういい、強行する」

 村田の作戦でSATは実行に移った。ヘリから屋上にロープが垂らされ、隊員は屋上の建物入り口から侵入した。建物内部に入ると、隊員との通信が途絶えた。隊員のヘルメットにつけられていたカメラからの映像が途絶えると、村田は机の上で両手を組んで目を瞑って、作戦の成功を祈り始めた。裏口を駐車場から監視している亜人を無力化したら発煙等で地上で待機しているメンバーに合図を送る手筈になっている。突入から十分経ったが合図を送られることはなかった。突入から十分後、中継画面に、痛めつけられた隊員が映し出されている。どうやら作戦は失敗したらしい。

「交渉は決裂した。一人三十分、今まで一時間だったが、インターバルを三十分短くすることにした」

 SNSには大量の、無能、という投稿で溢れかえっていた。村田は放心状態になっていた。言動に責任を持たない者の議論はいつだって活発だ。テントの外で下村とタバコを吸っていた真田がテントの中に入ってくると、村田は机からライフルを取って、真田の額に銃口を突きつけた。

「お前、亜人に肩入れしただろ。だから、情報を小出しにしたんだ。ふざけるなよ」

 村田は興奮しているせいで呼吸をするたびに肩が上下する。村田を取り押さえようと、明石と蒼井が椅子から立ち上がったが、真田が手でその場に座っているように合図をした。

「言いがかりはよしてくれよ。俺は忠告したんだぜ」真田の言う通り、村田の言っていることは言いがかりに近いが、言いがかりでも言いたくなる気分なのはカナエにも理解ができる。途轍もない重圧で抑えられていたストレスに折り合いをつけたいのだろう。

「おい、あんた」と蒼井はいつでも取り押さえられるように準備をした状態で説得を試みている。

「こいつは亜人だろ。こいつを殺したら俺は罪になるのか。気に食わない管理区の亜人を殺すのと変わりないだろう」

「いや、違う」

「何が違う?こいつは殺しちゃダメで、テロリストは赦される。罪の重さで命の価値が決まるなんて、人間みたいな扱いだな」

「そうじゃない。アンタは忘れているかもしれないが、特定の個人または団体が所有している亜人の生殺与奪、および暴行並び拉致監禁は法律で禁止されている」

「政府は随分、亜人に優しくなったらしいな」

「そうか、人に所有されているかどうかで、法律の及ぶ範囲が変わるなんて、家畜や物と似たような扱われ方だと思うがな」

 蒼井は説得を終えると、椅子に深く座り込んだ。椅子に勢いよく座ったせいで着席時にパイプ椅子と床が擦れる大きな音が鳴り、村田は蒼井の方に気を取られた。村田が気を取られたのを見逃さなかった真田は、一瞬で村田からライフルを奪い取り、村田に見せつけるようにボルトを操作して装填された弾を全て取り出した。弾が床におち、弾の冷たい落下音が鳴り響くのが終わるまで誰も動こうとはしなかった。テント内が静かになると、ライフルを捨て、真田が「俺が出る。アオ、課長に許可を」と言った。

「お前が出てどうなる」

「なんかこいつが可哀想に思えてきてな。まあ、餅は餅屋ってやつだよ。こういったケースは俺に任せな」

「いいわよ。私が許可するわ」と柳と久利生を連れて課長が入ってきた。

「望月、下の護送車に武器一式が揃っている。準備をするから手伝ってくれ」

「はい」

 真田はカナエを連れてテントを出て行った。

 

 真田は種々様々な銃やナイフを迷うことなく自分の体に身につけていく。慣れた手つきというより、乾いた食器を食器棚の所定の位置に戻すように、生活感すら感じられるほど自然で、体に染み付いた動作といった感じだった。真田の準備を手伝っていると、車に蒼井も入ってきて、「俺のも頼む」とカナエに言った。

「おい」

「なんだ足手まといか?」

「そうじゃねえけど、相手の人数もわからなければ、爆弾が起爆するかどうかもわからないんだぞ」

「それがどうした」恬淡とした物言いで静かに蒼井は準備を始めた。

「そんなところにお前を連れていけねえよ」

「一人より二人の方が成功する確率が高い」

「確かにそうだが」

 真田は嘆くような声で、

「俺はお前が何を考えているのかわからなくなる時がある。どうしてか死に急いでいるように見えるんだよ、悪いが俺はお前まで死なせたくはない」と言った。

「そうか?じゃあ俺と人質を全力で守れ。これは命令だ。守れないなら、アンタの突入はなしにしてもらう」

「やめると言ったら」真田は諦めて言った。

「俺が一人で行くよ」

「強情だなあ。わかった、その代わり、俺がモールに侵入してから三分間は、ヘリで待機だわかったか?」落ち着いた話し方をする真田だが珍しく声を荒げている。指で蒼井の額を指しながら、蒼井に叱りつけるように話す真田と自分の意思を曲げずに真田をじっと見据える蒼井の姿は、聞き分けのない子供とそれを叱りつけている父親のようにカナエには見えた。

「わかったよ。あとこれをお前に渡しておく」蒼井は注射器が一つだけ入っているケースを真田に手渡した。

「なんだこれは」

「技術班とマリアに急ぎで作らせた。筋弛緩剤入りの麻酔薬だ。急ぎだったから一つしか作れなかったらしい。アンタに渡しておく。SATの使っている麻酔銃とは比べ物にならない性能らしい」

「今回の事件が無事に終わったら。俺の頼みを聞いてくれるか」真田はケースを受け取って、防弾チョッキの下に着ているシャツの胸ポケットにしまった。

「ああ、タバコか?それとも酒か?俺の権限の範囲内ならなんでもかまわわないぞ」

「いや、それはいい。終わったら話すよ」

「今、言えよ」

「こういうのは、前もって言うと、どっちか死ぬって相場が決まってるんだよ。ここは戦場じゃないけど、未来の話をする奴は決まって殺されるんだよ」

「なんだよそれ」と蒼井は緊迫した車内で珍しく笑っていた。

 柳が車内に入ってきて「ヘリの準備ができたわよ」と出立の準備が整ったことを伝えにきた。

「蒼井くん、こんな緊迫した状況でよく笑えるわね」柳は呆れていた。

「別にいいだろ今生の別れってわけじゃあないんだ」



 カナエは屋上からモールの屋上に向かうヘリを見守っていた。見守るしかできないカナエは、明石に「大丈夫でしょうか?」と話しかけた。カナエにはヘリを眺めている捜査課のメンバーが何か思い詰めているように見えた。現場には不穏な雰囲気が漂っている。

 こっちを向いた明石は、屈託のない笑顔で「大丈夫でしょ。あの二人が揃って。解決できなかった事件を俺は知らないよ。まあ今回も無事に帰ってくるさ」と気軽だった。

 カナエは頬に滴が落ちてくるのを感じた。雨が降り始めたみたいだ。

「雨が降ってきたな。さあ、カナエちゃん、テントに入ろう」

 カナエはテントに入る前に、モールの方を一度だけ見て、明石と一緒にテントの中に入っていった。



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