交渉人と二人の巫女(2-1)
「報告書は読んだよ。私が不在だった間、よくやってくれたわ。ありがとう」
一週間の出張から帰ってきた課長に呼び出された蒼井は課長室で石田の事件の報告をしていた。課長室は扉を開くと、部屋がシンメトリーに見えるように家具や置物が全て左右対称に置かれている。これは課が新設されたときに警察庁に用意させた部屋で、出勤し課長室に入った瞬間に、現実ではありえない風景を網膜に刻み込むことで、仕事のスイッチを入れるための課長の儀式らしい。もちろん家具を運び込むのに蒼井も手伝ったことを今でも覚えている。課長のこだわりのために、重たい本棚をわざわざ二個もこの部屋に運ばされたことをこの部屋に入るたびに思い出す。課長と出会ったのは、七年前だが、見た目はほとんど変わっていない。縛らず腰まで伸びきった黒い髪。前髪も左右対称。顔のパーツも左右対称。くすみを知らない白い肌が、スーツと髪の黒さと対照的でよく映える。表情を変えず淡々と話すので、美人と話しているというより、美形のアンドロイドと話しているような気分になる。課長も含め全てが対称なこの部屋は、職場というより映画のセットのような感じだった。
「これ、京都土産。みんなで食べて。軍が最近人体のサイボーグ化にご執心でね、実践前にウチの亜人たちで試したいのだが、と依頼されたんだけどね。断ってきたわ」
「当前でしょう」
会話が切れると、時計の秒針の音がよく聞こえる。課長が手を組んでいる時は、大抵、沈黙が続いてもまだ話が終わっていない証拠だと蒼井は長い付き合いから知っていた。課長の手は組まれたままだ。まだ話は終わっていないみたいだ。
「石田がまさか亜人だとまでは思わなかったよ」
「まではってことは、何かあいつについて知っていたんですか?」
「ええ、経歴に少し不審な点があったから泳がしていたの」
「泳がしていたって、どうして俺に話してくれなかったんですか?人が二人殺されているんですよ」
蒼井は課長への不信感から強めに主張した。
「そんながなり立てないで」
「別にそこまで大声出したつもりはないですよ」
「それに、殺された人は一人。亜人と、女が一人。亜人を信用するなって教えは忘れていないでしょ。七年前の事件であなたもよく学んだでしょ」
「表現を省いただけです。言葉のあやです」
「そう、ならいいわ」
「石田が所属していた組織については警察庁の他の課に処理してもらうわ。ここからが本題なんだけどいいかしら?」
「ええ」
「掛けて」
組んでいる手を解いて、座るように課長は蒼井に指示を出した。天井から降りてくるワイヤーに吊るされた椅子に蒼井は座った。課長は、また、手を組み直し、淡々と話し始めた。
「望月が襲われた一件で、操られた人たちの素性を調べてみたんだけど。ああ、そうだ、あなたの目から見て彼女はどう?」課長は望月について気になっているらしく、蒼井にここ一週間の彼女の様子を訊いてきた。
「望月ですか?そうですね。能力の方に関してはピンキリと言った感じですが、それ以外は非常に優秀ですよ。まだ、配属されて一週間くらいしか経っていませんが、課長の期待に添える活躍はすると思いますよ」
「そう、彼女は私のお気に入りだから」
蒼井は話が一向に進まないのに、イラついたのか、強引に話題を引き戻すために、
「それで本題は?」と言った。
「ああごめん。操られていた男女の素性を調べてみたら、ほとんどがある宗教団体に所属していることがわかったの。偶然だと思う?」
「普通に考えれば怪しいですね」
課長はモニターにその宗教団体の資料を映し出し、同じ情報を載せたタブレット端末を蒼井に手渡した。
「最近、急激に信者を増やしている宗教団体でね。アナザーゲート、名前くらいは聞いたことない?」
蒼井は手渡された資料に目を通しながら
「知らないですね。今どきそういうの流行っているんですね」
「興味ないのね。原始的な人間の生活をすることで、人間本来の姿に立ち戻ろうって言う教えらしいわよ。どうやら極めると、未来や過去と意識を接続することが出来て、教祖はどうやら他人の未来が見えたり、ノスタルジックな過去に信者の意識を連れていくことができるらしいの」
「オカルトですね。馬鹿らしい」
「信者の中には、大物政治家や、やり手の経営者もいてご執心らしいの」
「ただのオカルト集団じゃないってことですね。それで、本題ってのは、俺らにその宗教団体に潜入して、石田がどうしてその宗教団体と関わりがあったか調べてくれってことですか?」
資料に目を通した蒼井は、課長のデスクにタブレットを置いて質問した。課長は物分かりが良くて助かるといった表情をして、今回の仕事内容に話を移した。
「人員はこちらで選んであるから、蒼井班の三人と、技術班から鮎川をつける」
「あいつですか?」
「新人がいるから、念の為」
「足手まといですよ。真田とかにしてください」
「今回の潜入に関しては、あなたが一番心配よ」
「どう言う意味ですか?」
「冷静に見えて、うちの課で一番激情家で人間臭いから。普段の潜入捜査ならいいけど、今回はあなたの目標に一歩近づくかもしれないから、深入りしようとしてしくじらないといいのだけれど」
「はいはい」
「詳細については、後で送るわ。みんなで目を通しておいて。潜入するのは、来週から。それじゃ、仕事に戻って」と言って、組んでいた手を解いた。
蒼井は聞こえるようにため息をして、大袈裟な素振りで立ち上がって、「失礼します」と言って、デスクに置いた端末を取り、最後に一礼だけして課長室を出て行った。
蒼井は、デスクに戻り、珍しく耳にイヤホンをして仕事に戻った。顰めっ面で何も言わずに、仕事に戻った蒼井を見て、カナエが「蒼井さん、課長室で何かあったんですかね」と明石に聞いた。
「ああ、またなんか言われてきたんだろう。蒼井さんは課長のお気に入りだからね。よく揶揄われるんだよ」
「課長ってあのすごい美人な人ですよね。私、管理区で会ったときびっくりしましたよ」
パソコンのスピーカーからメールの着信音が鳴った。メールの内容は潜入捜査についてだった。メールに気づかず話している二人の方を見て、蒼井は自分のパソコン画面を指差して、こちら側を向いている明石にメールを見るように指示をした。蒼井が楽しげに話している二人を睨みつけると、二人は焦ってパソコン画面に顔を向け作業を始めた。
アナザーゲートは都内の山奥にあり、電車で行くと2時間はかかる。人の生活圏では珍しく、木々の生い茂る山に囲まれ、初冬の紅葉の風景はよく広告等に使われている。こんな辺鄙なところでも、一般人だけでなく、大物政治家に、芸能人、経営者などが足繁く通っているらしい。そして、コネを作るために入信してきた若者などは格好の布教相手らしい。三人は宗教施設の最寄駅の定食屋で約束の時間まで鮎川を待っていた。今どきの飲食店にしては珍しく、アンドロイドを一体も置いていない。料理も配膳も人の手で行っている。お客もほとんどいないことから、アンドロイドすら買う余裕がないのかもしれないが、潜入捜査の打ち合わせをしながら食事をするには最適な場所だった。
一時間経っても、ほとんどお客の出入りのなかった定食屋の扉が勢いよく開けられた。髪の毛がボサボサで目の下に薄い隈が縁取られた無精髭を薄く生やした男が入ってきた。カナエは鮎川とは今日が初対面だが、話で聞いていた通りの風貌で、あの汚らしい男が鮎川なのだとすぐに理解した。鮎川は蒼井たちを見つけると、猫背のまま早足にこちらにやってきた。
後頭部を撫で申し訳なさそうに「どうもどうも、遅れてすみません。仕事が立て込んでましてね」と謝った。
蒼井は鮎川の足元から顔へ視線を動かし、「普段着で来いって言っただろ、なんだその汚い格好は?」と呆れていた。
「普段着?普段はこの格好に白衣を着て仕事をしていますが?」
「鮎川さん普段着ってそう言う事じゃないと思いますけど」と言う、明石の顔も引き攣っていた。
「課長からは何も聞いていないのか」
「何って潜入捜査でしょ?」
「じゃあなんでそんなボロボロの格好で来たんだ、明らかに一人だけそんな格好をしていたら明らかに浮くだろう」
「皆さんが綺麗すぎるだけじゃないですかね」
鮎川の天然さ加減に、三人とも茫然とし、黙りこくってしまった。鮎川はグラスをとり、テーブルの氷水の入ったピッチャーから、空のグラスに水を注ぎ一気に飲み干した。静まりかえった定食屋には氷と氷がぶつかる衝突音が響き渡った。乾いた鮎川のグラスとは対照的に、三人のグラスには水滴が滴り、グラスの底を濡らしている。
「そういえば、あなたが、望月カナエさんですね。初めまして」と、鮎川は右手を差し出して、握手を求めると、カナエは釣られて膝の上に置いていた右手を鮎川に差し出した。カナエの手を見て何かを思い出した鮎川は「おっと、失礼」と差し出した右手を戻した。
「課長に彼女には触るなと言われているんだった」
「俺も課長から望月には指一本触れさせるなって言われている」
蒼井は握手しそうになったら、どちらかの手首を掴んで止めるつもりだったらしい。
「あんたも自分の能力をきちんと把握しろ、今日は人間のふりをして潜入する都合、腕輪で能力を制御していないんだから」
「すみません」
「待ち合わせに遅れる、もう出るぞ」
「明石、会計よろしく」
「俺かよ、ちゃんと経費で落ちるんですよね」と、ゴネる明石を残して三人は先に店を出た。
待ち合わせ場所は、定食屋から徒歩20分くらいの距離で、橋を渡った先にある鳥居の前でアナザーゲートの教祖代行と会うことになっている。組織内での地位は教祖の次に高く、運営は彼が執り行っていることから、実質的にはトップの立ち位置にいる。蒼井たちは、課長の知り合いのアナザーゲートの立ち上げに関わった政治家の紹介ということになっている。蒼井は課長と知り合って七年近く経つが、いまだに彼女の人脈の広さの限界を把握できていない。
「望月サンの能力、サイコメトリーって言うんですよね。どんな能力なんですか」
鮎川に能力について聞かれて、カナエは簡単に能力について話した。
「へえ、なるほど。僕はね、ここの職場に採用されるまで亜人の生態について研究する仕事をしていましてね。あなたみたいな能力ははじめてだ」と、鮎川が自分のことについて話し始めると、蒼井と明石は二人を置いてけぼりにするように、歩行するスピードを上げ始めた。なぜか足早になった二人をカナエは不審に思ったが、鮎川の話を聞いてすぐに理解ができた。鮎川と話し始めてものの三分で彼が亜人オタクだと言うことに気がついたからだ。亜人のことを話し始めた彼は、息継ぎするタイミングを見失うほど矢継ぎ早に、亜人のついて語り始めた。カナエの反応などはお構いなしのマシンガントーク。序盤は亜人の神秘について語っていたが、雲行きが怪しくなってきたのは、話し始めて十分が過ぎたあたりで、昔所属していた亜人の研究チームで行ってきた人体実験の数々について話し始めていた。鮎川の態度は、別にカナエに嫌がらせをしてやろうというわけではなく、自分が話したいことをただ話すといった感じで、好きなことを話している無邪気な子供と同じだった。内容はかなり酷いものもあり、嬉々として話す鮎川は、良く言えば自分の好奇心を満たすことに忠実な研究者だが、悪く言えば、純粋すぎるが故に道徳、倫理観のかけている人間にカナエには見えた。
橋を渡り切ると鳥居の前で長髪を後ろでまとめた袈裟姿の男が四人を待っていた。鳥居の先に見える三十メートル越えの石段を登ると目的の施設があるらしい。
「蒼井様ですね、初めまして」と深々とお辞儀をする男を見て、蒼井は笑顔で「教祖代行に案内していただけるなんて光栄です」と答えた。仕事中ではほとんど笑わないが、蒼井の笑顔には不自然さがなかった。カナエはこの人も外向けの笑顔みたいなものを用意するのか、と思った。
「自己紹介が遅れましたね、教祖代行の松野と申します」カナエの松野の印象は、狐みたいな見た目の食えなさそうな人で、正直苦手なタイプだな、と思った。
「樽金様の紹介でしたよね、樽金様には宗教団体の設立に大いに尽力していただきましてね。失礼のないようにしないと、さあ、こちらへ、この石段を登り切ったところに教祖様はいらっしゃいます」
「本日は入信体験ということで、三日間の短期の集中プログラムを受けていただきます」
一段一段丁寧に石段を登る松野に連れられ、石段を登り切ると、境内の中には本殿だけでなく、五重塔が一棟と、広大な畑があり、信者らしき人たちが畑を耕していた。
「ただ一点お願いしたいことがあるのですが」
「電子機器類の持ち込み禁止ですよね」
「はい、私たちは現代の利便性をあえて捨て、原子的な生活に立ち戻ることで、人間が本能的に持っている幸福と神秘を見つけ出すという教えでして。今、それらを回収させていただいても構いませんか?」と松野は、袖の下から巾着袋を取り出して、入口を広げて電子機器類を入れるように四人に促した。松野の指示通り、カナエたちは持っている電子機器を松野の持っている袋の中に入れた。
「では本殿の地下に参りましょう。まずはプログラムを受けていただくにあたり、体を浄めていただき私たちが独自で用意しております行衣に着替えていただきます。蒼井様ご一行には一人一人、世話係をつけておりますので、彼らの案内に従ってください」
事前の情報で知らされていたが、本殿の地下は宿泊も備えた施設になっている。そこの浄め所という場所に案内されて、四人バラバラに浄めを受けた。行衣はかなり風合いがよく、かなり上質な生地で縫製されているらしかった。着替え終わった四人はまず教祖に挨拶に行くらしく、浄め所を出たところで松野は待っていた。松野はカナエらと従者四人ずつを引き連れて、教祖の元まで案内した。
松野は教祖が使用している部屋の扉を開けて、「体験プログラムでは基本的に受けていただくことはできないのですが、今回は特別に樽金さまのご紹介ということで、教祖様の未来視を体験してただきます」と言った。教祖の部屋には座布団の上で瞑想している教祖と巫女が両脇に正座で鎮座していた。二人の巫女は、腿の上に掌を置いて人形のように動かず、来客者がきても眉ひとつ動かさなかった。
「あの二人は?」
「あの二人は教祖のお言葉を受けることができる巫女でございます。預言者のようなものでして現人神であります教祖様が見た未来を私たちが理解できる言葉に変換することができるのでございます」
本当なのかどうかわからないがB級映画の世界にでも迷いこんできたのだろうか、とカナエは思った。ここまでオカルトか、胡散臭い設定のようなものを盲信している信者が大量にいて、なんなら、信者が増え続けているという事実に、実は本当なのではなかろうか、とカナエの思考があり得ない方向に横滑りし始めていた。蒼井と鮎川の様子は、適当に教祖代行の話にうまく相槌をして熱心に聞いているそぶりをしている。明石は松野の話など聞かず巫女二人を見つめている。自分だけ深刻な顔をしていることに気が付き二人の動きに合わせ始めたカナエの不自然な動きに教祖代行が気が付き、営業マンのような笑顔から一瞬真顔でこちらを一瞥した。そして「まあ、実際に教祖様に視ていただきしょう、誰からになさいます?」眉を吊り上げながら言った。
「では僕から」蒼井は手をあげて、教祖の元へ歩いて行った。
「教祖様の前にある座布団にあぐらで座ってもらって、手を自分の膝の上に置いてください。用意ができたら目を瞑って」
失礼します、と蒼井がお辞儀をしながら小声で言って、座布団の上に座った。膝の上に置いた蒼井の両手を二人の巫女が握り、もう片方の手で、教祖の両手を二人が握った。四人が手を繋いで輪を作ると、教祖が呪文なのか、お経なのか良くわからない言葉を二分間、発し続け、瞑っていた目をカッと見開いた。
「どうやら見えたようですね。教祖様から言葉は受けっとたかい」
「はい、いただきました」
「未来視の情報は、彼女が文にして後ほど、蒼井様にお渡しします。では次の方」
蒼井は教祖にお辞儀をして、その場から離れ、明石の肩を叩いて交代の合図をした。明石が終わると次に、鮎川が未来視の儀式を受ける。最後のカナエに番がやってきた。手を握ると、もしかしたら能力が作動してしまうことを懸念して躊躇していると、教祖代行に気づかれぬように、蒼井がカナエの背中を押した。蒼井の方を振り返ると、蒼井はおそらく事情を察した上で、目で、行け、と合図をしていた。
カナエが躊躇していることが気になったのか「望月様、どうぞ」と松野は言った。
三人に習い、カナエもぎこちない足取りで、教祖の元に歩み寄り、お辞儀をして膝に手を置いて座布団の上に座って、目を瞑った。二人の巫女がカナエの両手を握ると、巫女の思念がカナエの脳内に流れ込んできた。
自分を含めた四人が教祖代行と信者らに捕まり、鞭打ちや爪を剥がすといった、ありとあらゆる拷問を受けて、最終的に四人が山の中に埋葬されている光景を視た。自分の左手を握った時に、思念が流れ込んできたことに気が付いていたカナエは、二分間の教祖の言葉が終わり、目を開け左側にいる巫女を見ると、無表情ですましていたが片側の口角が、一瞬、吊り上がったのを見てとれた。蒼井と松野のやりとりを見る限り二人に面識が無いのは明らかだった。だとすると、自分が見た思念は、彼女の目から見た未来の自分らの姿なのかもしれない。自分の能力を全て把握しているわけではないが、未来まで視えたのは初めてだった。そして、この潜入が教祖代行らにバレているのは明白だった。動揺を隠すために、しばらく俯き、蒼井にこのことを伝えなくてはと思案していると、「長旅で疲れたので休憩したいのですが」と鮎川が言った。続けて、「いやー、昨日は夜中まで、今日も朝イチで仕事をしていたので流石に疲れてしまいましてね。さっきも目を瞑ったらなんだが寝てしまいそうで」鮎川は自分の頭を撫でながら、教祖代行に言った。
「そうですね、特別瞑想まで時間があるので少し休憩しましょうか」
「話し合いたいことがあるので、四人だけにしてもらえますか」と蒼井は言った。
「もちろん、客間がございますのでそちらをご案内致しますね」
「ありがとうございます」
「最後に教祖様に一礼を」松野は教祖の方を向いて胸の前で手と手を合わせて、教祖に一礼した。四人が松野と同じように礼をし終わると、「客間を案内してやりなさい」と信者の一人に指示を出して、四人を客間へ連れて行かせた。
客間は十二畳ほどの和室で、壁一面に豪奢な絵が描かれており、掛け軸の前には、生花が添えられている。大きめのテーブルと椅子が六脚だけで、シンプルな部屋の作りだが、地下にあるため外の景色が見えず、派手な壁のせいで閉塞感を感じカナエは落ち着かなかった。
「いやー、いかにもって感じの嘘くさい宗教団体ですね」と明石が口を開いた。蒼井は盗聴器やカメラを探しているのか、部屋中を歩き隅々まで確認しながら、「あんまり大きな声で話すな、何が仕込まれているかわからないからな」と明石に忠告した。
「はーい」明石は後頭部で手を組んで、椅子ブランコを始めた。
「そういえば、望月。巫女の手を握ったときにサイコメトリーできたか?。何か視たんじゃないか?」とカナエに質問した。どうやら、蒼井はカナエに敢えて能力を使わせていたらしい。
「それなんですか」と巫女の手を握った時に見た思念について三人に話した。
「なるほど、どうやら未来が見えた。と」カナエの話を最後まで聞き終わると、最初に口を開いたのは蒼井だった。
「君の能力については、管理区からの報告書の内容で把握している限りなのだが、未来も視えるのか?」
「いえ、未来が視えたのは初めてでした」
「鮎川、能力が新しく開花するなんてのはありうるのか?」
「さあ、聞いたことはないですねえ。まあ、亜人についてはわかっていないことの方が多いので、一概にはいえませんが、私が関わった検体にはいませんでしたよ」
「能力について提出する際に彼女が嘘をついてれば、別ですが」鮎川はカナエの方を見た。怪訝な視線にカナエがドキッとしたが、
「理由もなく嘘をつくタイプじゃないよ。何より、彼女に虚偽の報告をするメリットがない」と蒼井が庇った。カナエは胸を撫で下ろした。
「随分と信頼されているようで」鮎川はカナエに対して執拗に突っかかった。鮎川のキャラ的に自分の発言など適当に聞き流しそうなものだが、と思ったが。
「ああ、すみません。前職の都合で過酷な実験から少しでも逃れようと、嘘をつく亜人が多かったものですから。それに、研究者も刑事も疑うことは本分のうちでしょう。失礼しました」
「そんなことより、カナエちゃんの言ったことが正しいなら。俺らやばいですよ。潜入もバレているんじゃないですか」明石は机に手を置いて、身を乗り出して蒼井に言った。
「そうだな」蒼井は腕を組んで、軽くため息をついた。
「腕組んで、『そうだな』、じゃないですよ。どうするんですか」
「仮に望月の能力が今まで通りだとすると、もしかして、未来を見たのは左の巫女なんじゃないか?」と蒼井は言った。
「巫女が未来視の能力を持った亜人ってことですか?」
「なるほど」と鮎川は納得した。「未来視の能力を使って、捜査課の人間が潜入しに来ることを知っていて。対策していたと」
「最後に埋葬されている姿は、巫女が未来視で見た俺らの姿で、俺ら三人に触れた時にその未来の映像を見た。そして、その映像を望月が見たってことだ」
「望月を最後にして良かったな」と蒼井が続けて言った。
「その未来が確定的なら俺ら詰んでるじゃないですか」と明石が言うと、
「確定した未来じゃないことを祈るまでさ。オカルト宗教団体の施設内で言うのもなんだが、皮肉にも神様におねがいしているよ。どちらにせよ警戒を怠るなよ」蒼井は自嘲気味だった。
蒼井たちが去った教祖の部屋で松野と巫女二人が話し合っていた。
「で、俺たちの未来はどうだった」
「彼らを捕縛し、公安の情報を全て聞き出し山中に埋めている姿が視えました。あの蒼井という男に触れた時に視えました」一人の巫女が言う。
「君から俺が捕まる未来が視えたと言われた時は、正直、ここから逃れるための嘘だと思ったよ」松野は慇懃ぶった態度を豹変させて、巫女の首を片手で締め、「まさか嘘をついたりしていないだろうな」と脅した。
「嘘なんかつきません。人間様に」
「そうだよな、亜人の分際でここまでの生活ができているのは俺が拾ってやったおかげだもんなあ」松野の目は少し血走っている。
「はい」呼吸が困難になっていくに連れて、巫女の息は徐々に荒くなっていく。松野は呼吸がこれ以上困難になるのを見極めて、巫女を投げ飛ばした。投げ飛ばされた巫女にもう一人の巫女が駆け寄り、軽く介抱してやったのちに松野のことを睨みつけた。
「なんだその目は」と怒鳴り、巫女の腹に蹴りを入れ、「今こうして生きていられるのは、誰のおかげだ」と言って、胸ぐらを掴み揺すった。
巫女はそっぽを向き、「松野さまのおかげです」と悔しそうな口ぶりでつぶやくように言った。
「自白剤の用意はできているんだろうなあ」松野は舌打ちをして巫女を解放した。
「ええ」
「あと一時間したら、特別瞑想の時間だ、ジジイを連れて行け」と命令して、衣装を正し部屋を出ていった。
松野は客室の扉をノックし、中から声が聞こえてきたのを確認して外向きの表情に戻して部屋に入った。
「蒼井様、特別瞑想のお時間です。会場は本殿の二階でございます。案内してもよろしいでしょうか?」
「楽しみにしておりました。ほら、行くぞ」
カナエは潜入がバレていると気がつき慎重になっているせいなのか足取りがいつもより重く感じていた。潜入がバレていることを自分たちが知っていることを悟られてはいけない。カナエは、自分と松野の一挙手一投足に絶えず注意を払っていた。こんな時でも、演技に違和感のない三人に感心していた。自然体に振る舞っている三人を見て、自分が新人であることを再認識し、今回、鮎川がこの潜入に参加したのは、自分の未熟さゆえなのだと納得した。
緊張しているのがバレたのか、「そちらのお嬢さん、どうかされましたか?」松野が聞いた。
「えっ」カナエが弁解しようとすると、横から「いやーうちの妹がすみません」鮎川が言った。
「妹なのですか?似ていないし、苗字も違う」と松野が聞くと、「両親が再婚していましてね。親が違くてね。僕は父の連れ子。彼女は継母の子でしてね。僕と違って美人でしょう」
「ええ確かに。鮎川様の見た目を貶している訳ではありませんよ」とフォローした。
「こいつは器量がいいもんですから、昔から男に苦しめられましてね。父からも結構酷い目に遭わされましてね。あまり詳しく言えませんが。そんな事情で、初めて会う男の人の前では緊張してしまうんですよ」
「なるほど。それは失礼しました」
「すみません」とカナエは謝った。
「過去に嫌な経験をされている方には、今回の特別瞑想が最適でございます」
「なんでも、最高の自分に会えるとか」と蒼井は聞き返した。
「人生で一番良かった頃や、夢見ていた自分の姿、きっと今回の瞑想をすれば嫌な過去ともおさらばできるでしょう。会場に着きましたね。こちらです」
「これはすごい」
信者たちの一部は、用意された座布団の上に胡座で目を瞑っており、囲碁の基盤の模様のように綺麗に並んでいる。本堂の天井と内陣は金箔と紅色の漆で煌びやかに装飾されている。
「瞑想の前に口を清めなければなりません、こちらの水の入ったグラスをお取りください」
信者の一人が、瞑想に参加する信者たちに水を配っていた。他の信者に習い蒼井たちはグラスを受け取った。蒼井らはこの水が普通の水なのか怪訝な目で見ている。鮎川が何かに気づいたらしく、バレないように、この水を口にしてはいけないと合図をした。
「どうした」
「これは普通の水じゃないですよ。おそらく何か薬物が入っている」
「なんでわかる?」
「舐めてみたら、昔、人体実験で使っていた水と同じく舌先がひりつきしてねえ。皆さんは気がつかないかもしれませんが」
カナエはこの人は実験で使う薬を自分にも試す人なのか、と思った。どれだけ、好奇心に忠実なのだよと。
「バレないように捨てた方がいい」と鮎川は提案した。
「わかった」
蒼井は松野に「すごいいい眺めですね。まだ時間がありそうなので、向こうに行って景色を堪能してきてもいいですか?」と訊いた。
「構いませんよ」
蒼井らは松野の元を離れて、バレないように水を捨てた。空になったグラスを回収場所に戻して、本堂内部に戻り、用意されていた座布団の上で座禅を組んだ。
時間になると教祖が二人の巫女を引き連れてやってきた。また呪文なのかお経なのかよくわからない言葉を唱え始め、巫女の一人がお香を焚いた。お香の香りが部屋中に充満すると、瞑想している信者の様子に異変が訪れた。恍惚とした表情を浮かべる者、夢遊病のように立ち上がりあたりをうろつく者、ひとりでに楽しそうに会話を始める者など、明らかに異常な光景がカナエの目の前に広がっていた。
「どうなってるんですか」
「明らかに異常だよこいつら」と明石はつぶやいた。
「あの薬のせいでしょう。あのお香は薬の効果を高める働きがあるらしい」
締め切られていた会場の襖が開かれて室内が換気された。松野がどうやら襖を開けたらしい。巫女は松野の姿を見ると、お香を消した。
「どうやら、ここには、教祖様をたぶらかしにきた悪魔が紛れ込んだらしい」と松野は蒼井を指差して大声で信者らに呼びかけた。松野の呼びかけに、一斉に信者らが蒼井らのいる方を向いた。信者は全員、大きく目を見開き、凝然と瞬きせずに蒼井たちを見つめている。
「そこのものらを捕らえろ」と松野が合図をすると、信者たちが一斉に蒼井たちに襲いかかった。
「やっぱりこうなるのかよ」と明石は呆れていた。
「望月と鮎川は、とにかく逃げろ。信者たちは俺らが食い止める」
蒼井に指示されて望月と鮎川は会場から逃げ出した。蒼井たちの方を振り向くと、蒼井と明石は昔の香港映画の主人公のように信者らを撃退していった。カナエは蒼井が戦闘している姿を初めて見たが、普段の姿からは想像を絶する強さで、毘沙門天でも取り憑いているのかと感じるほどだった。
会場から抜け出したはいいが、階段から信者の群れが登ってきて二人は逃げ場を失った。追い詰められて、行き場を失った二人を見て蒼井が駆け寄り、望月を肩に担いで回廊から屋根の端まで行き、そのまま、持ち上げて二階からカナエを天に向かって投げた。
「うえええーーーー」とカナエが間抜けな叫び声をあげると、すぐに蒼井も飛び降りて、カナエを空中でキャッチして、一階の畑に着地した。カナエは蒼井の腕の中で、いつかこの人に殺されるのではないか、と思いながら、蒼井の顔を見つめていた。石田の事件でもそうだったが、蒼井は目的のために手段を選ばないことが多々ある。
地下から登ってきた信者が一階にいる蒼井と望月らを追いかけてきた。二人は逃げようとしたが、大量の信者が二人を取り囲み逃げ場を塞いだ。信者の群れの間を縫って松野と信者が、捕らえた鮎川と、明石を連れてきた。松野と信者は、鮎川と明石の頭に拳銃を突きつけている。
「さあ抵抗はやめてもらいましょうか。公安のお二人がた」松野は得意げな表情で蒼井に声をかけた。明石がすみません、と蒼井に言った。
蒼井は両手をあげて抵抗の意志がないことを伝えた。松野は「捕らえろ」と信者に命令して、蒼井とカナエの両手を縄で縛らせた。
四人は後ろ手の状態で縄で腕を拘束され地下の独房に入れられた。松野は巫女二人と、見張りの信者を連れて「どのくらいウチについて知っているか、いろいろと話してもらいますよ」松野は独房に入れられた四人を死にそうな虫でも見るような目で見ていた。
「こんなものがあるなんて、まともな宗教団体じゃないな」
「そこの二人は亜人なんだろ」と蒼井が言った。
「それを知ってどうします」と松野が答えた。
「もう狐と狐の化かしあいは終わったんだ、そのくらい教えてくれてもいいだろ」
「生意気な口を聞くなよ、公安の犬が」と松野は言い、信者に合図をした。信者は床においたあるバケツの中の水を蒼井にかけて、その後、棒で蒼井を殴った。
「あなた方にはこれから公安が持っているウチの情報を洗いざらい話してもらいます。素直に話せば痛い目に遭わずに済むでしょう」と濡れた蒼井の髪を掴んで顔を柵に押し付けて提案した。「態度次第では、二重スパイになってもらいましょうか。最近、一人スパイが減ったものですから」と石田のことを仄めかした。
松野の甘言を聞くと、明石が柵に近寄って「わかった、俺が情報を全部話す。あなた方の都合の良いように働く。だから、頼む、命だけは」と命乞いを始めた。明石の情けない姿を見てカナエは心の中で、明石を思いっきり見下した。
松野は鍵を開けて明石を独房から出して。「物分かりのいいのがいるじゃないか。連れてけ。丁重に扱えよ」
明石は得意げに「そいじゃ」と言って松野たちの餌付けされたペットのごとくついて行った。蒼井は連れていかれる明石を無表情で眺めている。対照的に望月と鮎川の顔には絶望の色が浮き出ている。「あいつはただのアホなナンパ野郎だが。そんな簡単に俺らを裏切ったりしないよ」と絶望している二人を見かねて、気休め程度に声をかけた。
一時間くらいすると、明石と巫女の一人が戻ってきた。明石は縄を解かれ解放されている。巫女はスプレーで見張りの信者に何かを吹きかけて気絶させた。倒れた信者を見て蒼井は鼻で笑い「お前は役者でも食っていけるよ」と明石に言った。明石は倒れた信者から鍵を奪い、独房の鍵を開けて三人の縄を解いた。「騙して悪かったね。カナエちゃん」
「どういうことですか。蒼井さん明石さんが裏切ってないってわかっていたんですか」
「まあな」
「交渉はうまくいったのか?」
「ええ、もちろん。彼女が脱出の手引きをしてくれますよ」と巫女を味方につけた事を話した。
「こいつが何の能力を買われてうちに入ってきたか知っているか?」と蒼井はカナエに得意げに質問した。
「いいえ」カナエは明石がどう言った経緯で、亜人捜査課に配属されたか知らなかった。
「こう見えてこいつは一流の交渉人なんだよ。ナンパも才能のうちだな」
「さっこんな陰気なところから早く逃げましょう。あと、結構なもの賭けちゃったんで、課長によろしく頼みますよ」
「何を賭けたんだ?」と蒼井が聞くと、明石は蒼井に耳打ちをして伝えた。内容を聞くと、呆れた目で明石を見て、わかったよ、と言った。そして、「さてと反撃開始といくかな」と蒼井は言って、独房を出た。
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