最初の事件(1-2)


 車内で蒼井の話を聞いてみると、少ない情報量の中から犯人を絞るなら確かに彼しかいないような気がしてきた。

「でも、なんで蒼井さんだけならまだしも、カナエちゃんまで狙われてるんですかね」

「さあな。ただ言えることは、どうやら、山田ケイジが接触した組織は望月がうちの課に所属するのを知っていたみたいだな」

 カナエは自分の半生を思い返してみたが、思い当たる節はなかった。亜人であること以外には。

「まあ、あいつが餌に引っかかってくれれば、判明することさ」

 オフィスに戻ると、残りの二班も外回りから戻ってきていた。昨日は両班がデスクにいることがほとんどなかったので気が付かなかったが、石田班と、下村班のデスクは向かい合わせだった。カナエは目の前に人がいると気が散りそうだなと思い、両サイドを見ると、無口な蒼井と、音楽を聞いて自分の世界に浸りながら作業をしている明石に挟まれていた。そして目の前はコンクリートの無機質な灰色の壁がある。自分の席は恵まれているみたいだ。

 デスクワーク中パソコン画面と睨めっこしていると、後ろに気配を感じ、振り返ってみると、蒼井に用のある下村が真後ろに立っていた。

 下村は急に振り向いたカナエの方を一目見て、蒼井の肩を叩き、手に持っているジップロックに入った泥まみれのスマートフォンを蒼井のデスクに置いた。

「捜査一課から届けられたんだが、被害者の山田のスマートフォンだ。川の流れが急すぎて中身のデータが破損していてほとんどデータが見れなくなっているみたいだ」

「これからうちの技術班に持っていって、復旧してもらおうと思うんだが、お前、念の為確認しておくか。彼女、こう言ったものからも情報が読み取れるんだろ。昨日、課長に電話で聞いたよ」

「大丈夫です。先に復旧してください」と蒼井は下村の提案を丁寧に断り、

「それからでも遅くはない。そうだろ?」とカナエに言った。

「はい、大丈夫だと思います」

「そっか、じゃあ。まあ、遺留品の保管場所に置いておくから、気になることがあれば取りに行ってくれ」と証拠品を取って立ち去ろうとすると、

「復旧はどれくらいかかるかわかりますか」と蒼井は下村に呼びかけた。

「それは、専門家たちに聞いてくれ」と振り向いて答えた。

「ああ、いいやアイツらはめんどくさい」

「本当にお前は好き嫌いが多いなあ」

「別に嫌いじゃないですよ。ただ、話し出すと長いから、極力関わりたくないだけです」

「まあ良いや、そろそろ飯の時間だろ、お前はどうする?」

「まだやりたいことが残っているので」蒼井はパソコン画面から目を離さず断った。

 石田班の石田も、「俺たちも飯にするか」と声をかけると、柳が「そうね。休憩にしようかしら。アカネは?」

「キリのいいところまでは終わっています」と凛とした雰囲気で答えた。

「それじゃあ行きましょ」

 下村がオフィスを出て行ったのを合図に、ゾロゾロと、亜人捜査課の職員たちが、部屋を出ていった。部屋の中には蒼井班の三人だけが残った。二人とも、作業に集中していて話しかけられそうにない。カナエは我慢していたがかなり大きめのお腹の音が出てしまった。そして、蒼井がその音に気がついた。

「すまない。そうか、飯をどうすればいいのかわからないのか。まだ警察庁の案内もまだだもんな」

 蒼井はパソコンの画面をスリープモードにして、席から立ち上がり、明石の肩を叩いた。明石はヘッドホンを外し、時間を確かめ、伸びをした。飯にしよう、と蒼井に提案され、あーい、と返事をしてシャツの腕を捲り、白く細長い腕を顕にした。

「手伝おうか?」

「いーや、大丈夫っす」と断ると、鼻歌を歌いながら、冷蔵庫から、野菜と肉を取り出し、空いているデスクを使い、勝手に料理の準備を始めた。

「今日はアイツが作るから。望月もそれでいいか」

「料理できるんですか?」

 カナエの中では、明石は正直料理が出来そうなイメージがなかったので、思わず、蒼井に聞いてしまった。

「ああ、意外と、できるぞ」

「ちょっと、意外と、は余計でしょ。こう見えても一流ホテルの料理長の息子なんだから」左右に人差し指を三回振った。あまり舐めてもらっちゃ困るよ、と言いたいのだろう。あの身長は食生活の賜物なのだろうか。

「料理だけはできるからな」

「カナエちゃん、ちょっと待ってなよ、三十分で作れるとは思えないものを作ってあげるから」




 三人だけ残った室内に、明石が手際よく軽快に野菜を切っていく音と、フライパンで野菜を炒め油が水分を弾く音が響き出した。蒼井も休憩を始めて、料理が出来上がるのを待っている。椅子に浅く座り、のんびりしている蒼井は、仏頂面の時と違って、絵になる男性なのだなと思った。明石はまだ会って一日半くらいだが、料理をしている時が一番楽しそうな表情をしていた。徐々に部屋全体に調味料と肉の油が混じった匂いが立ち込め始めた。蒼井は、匂いに気がついて、窓を開けて部屋を換気した。明石の宣言通り、三十分くらいで、料理は出来上がった。ただの野菜炒めにしては、あまりに見た目の質が高く、絶妙な火加減で炒められた野菜炒めは、野菜本来の持つ鮮やかな色彩を崩すことなく、一皿の中でうまく調和していた。

「どうぞ」と、お盆でご飯と野菜炒めと、冷蔵庫に作り置きしてあった和物と味噌汁を運んでカナエのデスクに置いた。

 一口試しに口に運んでみる。咀嚼し飲み込んだ、野菜炒めはすぐにでも細胞に染みわたりそうだ。

「すごい美味しい。こんなに美味しいの食べたの、管理区に入る前ですよ」

 管理区での食事は大抵栄養補給が目的の味のしない支給品を食べるだけだった。飢えることはないが、楽しむための食事を経験することはほとんどない。食事というよりは、餌に近い。働かせるために飢えないように栄養を与えているといった感じだ。手料理を久々にたべたカナエは、泣きそうにすらなった。

「もっと食べてもいいですか」

「もちろん」

 普通に味がついてる食事が当たり前に食べられる、本来であれば亜人もこのことが当たり前になるはずなのだ。このことを噛み締めながら、明石の手料理を頬張った。

「いい食いっぷり。料理した甲斐があったよ。蒼井さんなんて、作ってもらって当たり前みたいな顔して、なんも感想言わずに黙々と食って、片付けだけしたら、すぐに仕事に取りかかるんだぜ。作りがいがないんだよな」

「悪かったな」

 蒼井が渋い顔をしながら、ご飯を食べているのを見て、カナエは思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」

「いや、すみません。ただ、人間も亜人も関係なくこうやって普通に談笑しながら食事ができる世の中になればいいなって思って」

「私はそのために働いているので」

「やっと、打ち解けて話してくれたね。俺は応援しているよ」

「そうなんですか」

 蒼井は亜人に対してどう考えているのだろうか。カナエは純粋にこの人がどういった思想の持ち主なのか知っておきたいと思い、勇気を振り絞り蒼井にも聞いてみた。

「蒼井さんはどうお考えですか?」

「俺か、不毛すぎて考えたことがないな。あんたらみたいな、少数派はいつだって都合のいいような役目を与えられるだけさ」

 なんとなくそんな答えが返ってくるような気はしていたが、カナエはなぜか気を落とし箸を止めた。

「そうですか」

「ただ、都合の良いように扱われた側が、社会に新しい秩序と安寧を与えてきた歴史もあるからな。亜人の頑張り次第だな」

「ご馳走様。食べ終わったなら、俺が食器を片付けておくから。そこに置いといてくれ」と言って、デスクワークに戻った。

「私がやりますよ」と言うと、

「いいから、今日は長くなりそうなんだ。それに休める時は休んだ方がいい」




 夕方の五時に告げられた蒼井の言葉は、昼休憩の時に言われた内容と真逆だった。

「今日は定時で上がってくれ」と意外な言葉を蒼井から伝えられた。

「えっ、でも」

「どうやら狙われているみたいだからな。明石と話し合って早めに帰らせることにしたんだ。昨日と同じ車で帰ってくれ」

「ああ、はい」

「カナエちゃん、お疲れ」

「お疲れ様です。お先あがらせていただきます。お昼ご飯、ご馳走様でした」

 カナエは帰る支度をして、オフィスを出る前に一礼して出ていった。カナエが帰った後に、下村が何か深刻そうな顔をして電話を切った。

「どうかしましたか」と蒼井が声をかけると、

「どうやら亜人の目撃報告があったらしい」と言った。

「俺たちが出ましょうか?」と蒼井が訊くと、

「いや、いい。真田、対馬、出かけるぞ」と自分の班に声をかけた。

「ああ、はい」対馬は嫌そうな顔をしながら、「素直に他の人に頼めば良いのに」と呟いた。

「ご老体なんだ労ってくれよ」

 真田と対馬はイヤイヤ重い腰を上げたとでも言いたいのか、わざとらしく両手を机につけながらゆっくりと立ち上がった。

「お前らなあ。俺だって、今日は早く帰るって言っちまったんだぞ」

「既婚者は大変ですね」

「そんなことないぞ。家族のために、毎日頑張ろうって思えてくる。結婚はいいぞ、お前らも早く結婚しろ。特に柳」

「余計なお世話です。セクハラで訴えますよ」

「お前らなあ、俺だって今日は早く帰って娘と遊ぶ予定だったんだぞ」下村は涙を流して嘆いていた。

「下村さん、そんなことどうでもいいんで、早く行きましょう」と対馬が下村を急かして、三人で出て行った。




 暖房が効いた車内でカナエはウトウトしていた。そのまま瞼が落ちて来て楽になりたいくらいだった。慣れない人間関係に環境、二日連続の外回り。出勤二日目にして精神的に疲弊していた。これが後三日続くことを想像して、休める時に休め、と言っていた蒼井の言葉を思い出した。今のうちに体力を回復させておこうと思い、ゆっくりと目を瞑った。車は一定のスピードで東京の無機質なビルの間を走りづづけていた。リズミカルな車の振動が余計にカナエを心地よくさせていた。日が暮れているのに、東京の街には人が溢れかえっていた。管理区ではあまり見られない光景だ。交差点で車が急停車して、急に止まった。慣性の力で上体を前に軽くつんのめったせいで、カナエは覚醒した。あたりを見回すと、金属バットを持った男女が、車の周りを取り囲んでいた。急な出来事に目をパチクリさせていると、いきなり金属バットで車窓を叩き割り始めた。カナエは襲われていると気がついたが、バットが車に当たった衝撃を感じるたびに、身を屈めて戦慄き、悲鳴をあげることしかできなかった。何かの組織に蒼井と自分が狙われていることを認識していたが、死に歩みよっていく実感がないように、カナエは実際に襲われるとは思っていなかった。




「まさか捨てておいたスマホが実際に見つかるとはなあ」

 技術班の遺留品の保管場所に勝手に入り込み、遺留品の中から今日届けられたスマホを手に取った。技術班や、蒼井と明石が帰ることはすでに確認済みだった。下村班は外回りで、残り二人は外で食事をしている。暗闇の中、自分のスマホの明かりを頼りに遺留品室に入って証拠を隠滅しようとしていた。ホログラムを使っているので、監視カメラの映像では自分が入ったとバレることはない。蒼井は隙がなくて始末できなかったが、望月の方は今日にでも始末できるだろう。組織も急に雑な指示を送りやがって。そろそろ組織からも抜け出して海外の永世中立国に高跳びしようと考えていたのに、山田のやつヘマしやがって。この部屋に自分しかいないと思っていると、急に部屋の明かりがつけられた。

「やっぱり取りに来るよな。そのスマートフォンの中身に用があるんだろ、石田ぁ」

 声がする方を振り返ってみると、眉間に皺を寄せた蒼井と、ニヤニヤした明石が立っていた。

「まさか本当に引っかかるとはねえ」明石が、手に持っている機械を石田に向け、スイッチを押すとホログラムが解けて、石田の姿が明らかになった。

「自分をホログラムで包んでいるのが何よりの証拠だな。自分につながる情報がないか確認するために、被害者のスマホの中身が見れるなら見たいと思うのが犯人の心理だよな。特に被害者が失踪していた亜人で、犯人がうちの人間ならな。いや、お前の場合は、人間じゃなくて亜人か」

 石田は舌打ちをして、「おいおい、事件の証拠品を物色しているからって即座に犯人扱いかよ。それにこのホログラムだって、公安の知り合いに使い勝手を頼まれて使っているだけで」と無理な弁明を始めた。

「そんな言い逃れが通じる相手だと思っているのか?」と、蒼井は拳銃を石田の方に向けた。「お前が言っていたように、亜人を捕まえたくてしょうがなかったよ。特にアンタみたいに、組織に密接に関わりのある亜人は、なおさら」

 大量の亜人に架空の身分を作り出すことが個人では不可能とわかっている時点で、亜人は明らかに組織で行動していることは誰もがわかっていた。そうでなければ、脱出したところで、人間社会で生活することができない。逃れた亜人を大量に検挙するために、組織に密接に関わっている亜人を見つけ出し芋づる式に捕まえる方向で警察庁は捜査をしていたが、なかなか尻尾をつかめずにいた。その獲物が蒼井の目の前にいた。普段から冷静沈着な蒼井でも目の前にいる獲物の価値の大きさに興奮を隠せずにいたのか、濁った眼に光彩を取り戻し始めていた。

「まさか一番気に食わねえ、お前に追い詰められるとはなあ。どこで気がついた」と石田は、証拠品のスマホを床に投げつけて、やけになっているのか、蒼井たちに怒鳴り散らした。

「望月が、この事件に俺と望月が関わっていると言ったとき。どうやら亜人の組織の中には、今回の人事を知っていると推測できた」

「それだけかよ。そんだけで俺が犯人だって気がつくわけねえだろ。それに、亜人嫌いのお前が素直に望月みたいな、会って二日の亜人の言葉を信じるのかよ」蒼井の亜人を捕まえたいという欲求の原因を知っている石田は蒼井の思想とは異なる言動を取り上げて挑発した。

「話は最後まで聞け。別に望月の言葉を信用するしないの話じゃない。人事は秘匿されているはずなのに、お前はどうして望月の顔を知っていたんだ?」 

 石田は唇を噛み、自分の失態について思いを巡らせた。

「石田さん、今回の殺人事件やあんたの能力、裏で動いている組織がなぜ蒼井さんとカナエちゃんを付け狙うのか。いろいろ聞かせてもらいますよ」

「そういえば、あの亜人の女はどうしたよ」

「望月なら、もう帰らせたが。それがどうした」

「俺の能力について説明してやるよ。操血。血を飲んだ人間を一定時間操ることができる。今頃、俺が操っている人間たちが望月を襲っているころだろうな」

「そうか、それで川上幸絵の血液を採取したわけだ。操って飛び降りさせたってところか」

 蒼井は望月のサイコメトリーと石田の発言を照らし合わせて、自殺と断定されていた事件の謎を解いた。

「まさか、俺が望月の護衛をつけていないとでも思ったのか?昨日は、山田の殺害の方に気を取られて、望月どころじゃなかっただろう。それにしてもこんなに早く襲うとはな、節操ないな」呆れながらも、蒼井は決して銃口と視線を石田からそらさなかった。



 なんとか持ち堪えていた窓ガラスが金属バットで粉々に破壊された。飛び散ったガラスは、カナエの膝に降り掛かり、カナエは顔を上げてみた。目を虚にして、よだれを垂らし、薬物中毒者のような顔をした男と女の集団が窓から車に侵入しようとしている。

 もうダメだ、と思うと母がつけていた香水と同じ香りのする自分の腕の香りを嗅ぎ、脳内で母の笑顔が走馬灯として駆け巡った。

 もう本当にダメだ、そう思った時、カナエの乗っている車をライトが照らし、サイレンの音が町に鳴り響いた。

「こちら警察庁亜人捜査課だ、お前たちその車から離れろ」という下村の言葉を合図に、パトカーと、制圧用の自立思考型アンドロイドが石田に操られている男女を取り囲んだ。

「まさか本当に襲われるとはなあ。マーキングしといた甲斐があったな」

「あいつら、こっちの言葉を理解していないみたいですね。気絶させましょうか」と対馬が下村に訊く。

「たのむ」

 ロボットたちは手に持ったスタンガンを使って、車を襲っていた人間たちをみるみると気絶させていった。カナエは、外の状況を見て、自分が助かったのだと理解した。とりあえず、車から出ようと思いドアを開けて外に出たが、足に力がうまく入れられず、尻餅をついてしまった。

「蒼井の読みが当たったな。すまない、怖い思いをさせたな。立てるか?」と下村がカナエに手を差し伸べた。

「すみません。腰が抜けちゃって」と下村の手をとると、下村に思いっきり引き上げられた。

「真田、手伝ってくれ」

 真田がパトカーから駆け寄り、首にカナエの腕を絡ませて、カナエを支えた。

「蒼井も無茶させるよな。対馬、蒼井に電話してくれ、望月は無事だって」




 バイブしている自分のスマートフォンの画面には対馬の名前が出ていた。出ると、カナエが無事だった報告に、肩をなでおろしそうになったが、目の前の石田を前にして気を抜くわけにもいかず、平静を装って、簡単に受け答えだけして、すぐに電話を切った。

「どうやら望月は無事だったみたいだぞ。さて、大人しくしてもらおうか」

 蒼井に追い詰められているはずなのに、石田はまだ得意げな態度を崩していなかった。

「俺がこんな状況に陥ったとき、逃れる術がないとでも思ったのか?蒼井」

「俺ら二人相手に逃れられると思っているんですか」

「ああ知っているよ。別に操れるのは他人だけじゃないんだぜ」

 石田は胸ポケットから、手のひらサイズの赤い血の入った、水筒を取り出し、一気飲みをした。血液が勢い余って口の横から滴り落ちている。

「自分の血を飲めば、強制的に自分のことを操って、身体能力を向上させられるんだぜ。要はドーピングだな」と水筒をその辺に投げ捨てて、血で濡れた口を手の甲で拭うと、目が充血し、石田の体は筋肉が急激に増えたのか、体が膨張し始めた。蒼井は、拳銃で石田に発砲するも銃弾は体を貫かずシャツを血で滲ませる程度だった。銃が役に立たないと悟り、拳銃を捨てて徒手空拳に切り替えた。

「拳銃もほとんど効かないじゃないですか」

 蒼井は殴りかかってくる石田をいなして時間を稼いでいだ。しかし、石田は蒼井を投げ飛ばし遺留品管理室の扉を破壊して逃げ出すことに成功した。

「明石、制圧用アンドロイドを起動させろ」と指示を出した。

「もう配置しています」

 制圧用のアンドロイド数体が石田のもとに襲いかかるが、アンドロイドを自分の体から引き剥がし、一体一体破壊しながら警察庁の廊下を進んで行った。スタンガンや、麻酔弾を打ち込まれても、アドレナリンで強制的に興奮状態になっている石田にはほとんど効かない。

「くっそ、逃すか。都内に包囲網をはれ」

「ここからは時間の問題だ。あんな能力、どうせ肉体が持ちやしない。念の為、武器は携帯しておけよ」

 石田は警察庁から抜け出し、遠くに走って逃げた。ドーピング中の石田は、後先考えず、体に鞭を打ち続ければ、短距離走選手と同じスピードで、フルマラソンと同じ距離を走り切ることができる。霞ヶ関の裏路地になんとか逃げ込み、能力を解除すると、激しい目眩に襲われた。

「どうやら失敗したようですね」

 金髪に青眼の細身の美男子と、顎髭を蓄えた大男が石田の方に近づいてきた。

「ニコライ、なんの用だ」

 ニコライと呼ばれている美しい男は不適な笑みを浮かべながら、石田のポケットから警察手帳を抜き取った。

「亜人捜査課のスパイとして、せっかくあなたを潜入させたのに。随分と追い詰められまたね」

「十分な働きはしただろ。どうでも良いから俺を逃せ、捕まったら、収容所にいる奴が偽者で、お前は実は捕まってないってリークしてやっても良いんだぞ」

「調子に乗るな」と大男に石田は顔を蹴飛ばされた。

「あなたは、いずれ捕まり、望月カナエの能力で、今回の事件、そして僕たちの組織についてサイコメトリーで読み取られるでしょう」

「それに、僕は彼女を殺せなんて一言も言っていないのに。早とちりして。彼女は僕の計画のアリアドネの糸なんだ。君みたいな凡庸な能力と違って」

「俺は不要だってことか」

 ニコライは石田の手を握り、目を見つめ、

「かしこいじゃないか。僕は君のこと、過小評価していたのかもしれないね。まあ、こうなった以上、証拠を残さず死んでもらうしかないけどね。そうだなあ。じゃあ、爆発でもしてもらおうか」と石田に命令した。石田は半狂乱になりながらコンビニに入りライターを盗み、近くに停まっている車に侵入し、車の中にいた男女を外に投げ捨てて、自分の体に火をつけて、車ごと自分の体を爆発させた。

「彼は駄目だったね。彼の演技力の方は信用していたんだ」

「そうなんですか」

「人間の立場にいることに固執するとはねえ」

「一度得たものを失うのが怖かったのでしょう。愚かですね。蒼井はどうしますか」

「そんなに急ぐことないよ。それに彼はそんなに簡単に殺れないよ」

「さて、石田の後始末があるから」とニコライは言い残し、ニコライと大男の二人は都会の闇に消えていった。



 車の爆破現場に蒼井らと下村らが辿り着いた時には、石田の体は車の爆破のせいで飛散し跡形も無くなっていた。現場には、サイレンを鳴らしたパトカーに救急車、消防車等が集まっていた。アンドロイドや警察職員は一般人を現場から遠ざけている。爆破の衝撃と、鎮火のための放水で石田の身元がわかりそうなものは見つからなかった。捜査と鎮火が落ち着いた事故現場を見て蒼井は車を拳で思い切り叩いた。

「くそっ、まさか、自爆するとは」

「まあ振り出しに戻ったって訳じゃないんだ」と下村は蒼井を宥めて、現場の惨状を眺めた。

「そうですね」

「そんなことより、蒼井、望月に何か言うことがあるんじゃないか」と下村は蒼井の背中を叩いた。

 蒼井はカナエと目が合うと、「すまない。何も言わずに危ない目に合わせた」と謝った。

「いえ、むしろ守ってもらって、ありがとうございます」

「ただ、多少の危ない目には合う覚悟はできていたつもりなのですが」

「正直、襲われた時、何もできなくて」

「そんな、配属してすぐに対処できるわけないって」と明石がフォローすると、

「でも」とカナエは俯いた。

「うちの課に配属された以上、アンタのことはこいつらが守ってくれるよ。望月は自分の役目を果たせばいい」と蒼井が言った。自分の名前を呼ばれた時、蒼井の目元が少し緩んでいるようにカナエには見えた。

 冷たいこの町で捜査課のメンバーはカナエのことを優しく見つめていた。亜人になってから初めて、何かに歓迎された気分にカナエはなった。亜人と人間の思惑が混ざり合ったこの社会に大きな事件がこれから起こると警鐘するように、サイレンの音がけたたましく鳴り響いていた。車に乗り込んでいく捜査課のメンバーの頼りになる背中をカナエは眺めていると、蒼井が乗車する前にカナエの方を見て、眉間にシワを寄せ、目を細めながら「何、ぼさっとしてるんだ。後始末が残っているんだ。早く帰るぞ」と言って車に乗った。

 カナエは、蒼井の乗った車に乗って、車のドアを閉めた。車は警察庁に帰って行った。望月カナエの最初の事件は、犯人の不可解な自殺で幕を閉じた。

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