Evil Ape【第一部】

真船遥

最初の事件(1-1)


 出かける前はお気に入りの香水をつけることにしている。この香水は母がよく身に纏っていた匂いによく似ているからだ。母の顔を正確に思い出すことはカナエにはできない。覚えているのはこの匂いだけだった。十二年前、十歳のカナエは管理区に隔離され、母と離れ離れになった。母が人間の世界のどこで暮らしているか、カナエは知らない。人間の世界に行くのは、十二年ぶりだ。ゆっくりしていられる時間は終わろうとしている。もう出かける時間だ。護送車に乗り遅れてしまう。初出勤から遅刻なんてしていたら、酷い扱いが待っているに違いない。



 望月カナエは、急いで荷物をまとめて、家を出て、東京行きの護送車が集まるターミナルへ向かった。四月の朝8時の雨の日は、まだ、コートなしで出かけるには少し寒かった。体を温めるために、徒歩十五分のターミナルまで早足で歩くと、ヒールに水溜りの跳ね返り水が着きそうだった。


 護送車は時間通りに必ずくる。無人運転が当たり前になった世の中で、遅延なんてものは滅多に起こらない。


 息を切らして護送車に乗り込み、窓際の席に右肩を窓に預けるように座ると、くぐもった吐息で窓ガラスが白く濁った。護送車といっても、構造はほとんどバスと変わらない。バスとほとんど同じ形をしたこの車を人間は護送車と呼びたいみたいだ。カナエは十二年ぶりに、亜人が隔離されている管理区から出る。窓際の席を選んだのは、数年で人間の暮らしている街並みの変化を、自分の目で詳細に確かめたかったからなのかもしれない。カナエは警察庁の亜人捜査課に本日付けで配属される。亜人管理区を出て、目の前に広がったのは、昔となんら変わりない、普通の人間の街並みだった。

 歩道を行き交う人々は、十二年どころか何百年も変わらず、雨の日は傘を差して、間を縫う様にすれ違っている。管理区と景観もあまり変わらない。違うのは、手首に腕輪を装着していない亜人と同じ形をした生物が当たり前のように暮らしているだけだ。この腕時計くらいの大きさしかない機械は亜人と人間を区別するための印としても機能している。この街並みが数年前と同じに見えるのは、自分の中にある印象となんら変わりないからなのかわからなくなってきていた。窓のレールに肘を当て、頬杖をついて雨脚を見ていると、ガラスに自分の顔が写った。つまらなそうな顔をしているときは、少し不細工に見える。これからこの街で人と同じように暮らせる日々を夢見ていたのが、カナエにはアホらしくなっていた。


 そんな風に、のんびりと街を眺めていると、護送車は警察庁の前に着く。どうやらここで降りるのはカナエだけだった。どんな人間が私のお目付け役になるのだろうか?少しでも亜人に好意的か、過度に亜人を差別する人間じゃないといいのだが。上司にあたる人間とは、警察庁の入口の前で待ち合わせになっている。警察庁の入り口前で、人々を観察していると、後ろから肩を叩かれた

「あんたが、望月カナエか」落ち着いた声で男に呼びかけられた。いきなり呼び捨てだった。

 知らない街で急に声をかけられたカナエは、一瞬ビクッと身震いして、声の方向に顔を向けると、身長175cmくらいの色白で怜悧な顔の男が鋭い眼光でカナエを見下ろしている。艶のある肌と髪には似つかわしくない濁った瞳。背筋が凍りつきそうな冷たい視線にカナエは思わず一瞬目をそらしそうになったが、「はい」と、負けじと強い返事をした後に、敬礼して、「本日付で配属されました、望月カナエと申します」と言った。

「アンタのことは、全て課長から聞いている。配属初日で悪いが、俺たちと現場に向かってもらう。アンタを監視することになった、蒼井慶喜だ。今、もう一人のやつが、車に乗ってくるからここで待っててくれ」

 呼び方は、アンタで、よろしくの一言もない。あまり亜人に対していい印象を持っていなさそうだな、とカナエは蒼井の人物像を予想した。

「ああ来た、あの車だ」

 車の後部座席が自動で開き、カナエは後部座席に乗るように、蒼井に手で指示された。指示通りカナエは座席の奥まで入って行き座ると、斜め前の助手席で茶髪の男が鼻歌を歌いながら漫画雑誌を読んでいる。男からは香水の匂いが漂ってきた。そんなに嫌いな匂いではなかった。

 蒼井は助手席の背もたれを叩き、「おい、明石、勤務中に漫画を読むな」助手席の男に注意し、後部座席に座りシートベルトをした。

「へいへい」と不貞腐れ雑誌を畳みながらこっちを見ると、カナエは男と目が合った。見た目は色白の優男。捲り上げたシャツから見える腕は細く、なんとなく頼りなさそうな男だなといった印象だった。

「あれ、その可愛い娘、誰?」

「彼女は今日から配属された、亜人管理二区から来た、望月だ」

「えっ、今年度は増員するんですか?俺、なんも聞かされていないんですけど。しかも、女の子」

 優男は雑誌をグローブボックスにしまいこみ、車のミラーを見ながら髪をいじり始めた。

「機密情報にしているからな、彼女が今日配属されることは、俺と課長しか知らない」

「出たよ、機密情報。ねえねえ、望月さん?下の名前は?」

「カナエです」

「カナエちゃんかあ。カナエちゃんって呼んでもいい?。俺、明石隆之介。二十五歳、よろしくね」と、手を振りながら人懐っこい笑顔を振り撒いた。

 カナエは少し引き気味に「ど、どうぞ」と言い、前の返事に被せるように「よろしくお願いします」と言った。少し引いていることを悟れなければ良いのだが、人間は何が原因で癇癪を起こすかわからない。相手がどんな人間か見極めるまでは失礼な態度には気をつけなければ。

「明石もあんまり絡むな。さっさと出発しろ」

 会って五分で、眉間に皺を寄せ始めている蒼井を見て、カナエは「すいません」と念の為謝りシートベルトをした。

「へーい、じゃ出発しますね」と、明石は無人運転車の設定を画面でいじりながら適当に返事を返して、車を発進させた。

「ウチがどういった部署については、向こうで聞いているな」

「はい、七年前の事件で管理区から逃げ出した、亜人を捕まえるのが主な仕事ですよね」

「ああ。まあ、大まかにそんなところだ」

 亜人管理区は、神奈川県の横浜市全域を使って人間の世界から、高さ30メートル、厚さ10メートルのコンクリートの壁で亜人を隔離している。事件が起きたのは、七年前。亜人管理区で生活していた神屋敷ニコライが管理区の壁を破壊し、推定数千から一万人以上の亜人を逃亡させることに成功させた。ニコライ自身は、三年前に、クーデター計画が亜人捜査課に漏洩し、前総理の殺害に成功するものの、目的半ばで逮捕され収容所に廃人状態で収容されている。現状、収容されている亜人は約千人。クーデターでかなりの数が捕まったとはいえ、まだ、人間の世界に息を潜めている亜人が大量にいる。その亜人たちを捕らえるのが亜人捜査課の仕事だ。


 七年前の事件が原因で、人間から亜人への風当たりは強くなった。亜人の中にはニコライを英雄視するものは多く、第二のニコライになろうと裏で組織をつくりテロ計画を画策する者が多くいるが、大抵バレて、下位の管理区に送られている。下位区とは、主に十区から十二区のことを指し、そこから上位区に移動した亜人は口をそろえて「ゴキブリでも暮らせない世界」だと主張する。亜人管理区は十三の区で分けられ、基本的に区の数字が若くなるほど待遇が良くなる。

 一区から十二区までの数字が割り振られている区と、特区と呼ばれる区が存在する。特区自体は本当に存在するのかどうかも怪しいとされていて、特区送りになったと噂される亜人で帰ってきたものはいないというということだけは確からしい。

 正当に権利を勝ち取ろうとしているものたちはニコライの事件を疎ましく思っていて、カナエもその一人だった。管理区の排除、人権確保は、人間の世界でも度々議題に上がっており、政治家の中でも亜人に人権を与えることに肯定的なものもいる。正義感の強さから主張するもの。多くの税金が投じられていることを問題視するもの。また、亜人は企業に発展途上国の人間より安い賃金で働かせられている。家畜に世話以外の褒美を与えないのと同じだ。

 亜人は特殊能力を備えており、手から火や電気を放つ者や、特定の分野で今まで人類が発見することのできなかった発見や発明をする者がいる。能力自体に企業にとって価値のある亜人も多く存在することから、亜人は人間より安く、人間以上の価値を持つ労働力だった。亜人が働くことにより、今の日本では人間の失業者が年々増加している。失業率の増加に伴う人間たちの間での経済格差や、貧困による犯罪の増加から、亜人にある程度の人権と地位を与えるべきだと主張するものなど、様々である。今の亜人の現状を冷静に受け入れ、正当な方法で人権回復を狙うカナエにとっては、政治家の思惑などはどうでも良い。正当に人間社会に貢献し、自分らが社会になくてはならない存在だと証明する使命を帯びた一人だと考えている。人間社会に踏み入れば、間違いなく嫌な思いをする可能性が高い。人間の世界での仕事を選ばなくても、亜人管理区の中にある待遇の良い仕事を選べるくらいには、カナエは優秀な亜人だったが、しかし、彼女がこの仕事を選んだのは、偏に自分達の存在価値を人間に証明するためであった。



「俺らが今向かっているところって、先々週の女性の転落死の現場ですよね。そんなところに、今更、何を確認しに行くっていうんですか?先週散々、警視庁の人間が徹底的に現場検証したんでしょ?彼女は自殺だって」

 明石の問いかけに対して、蒼井はルームミラー越しに目を合わせて、「自殺だと判断されているんだが、どうやら、彼女の身辺調査で浮かび上がった交際相手に不審な点があった」と説明した。

 蒼井は手に持っているリモコンを操作して、車のフロントガラスに男の写真を表示した。

「この醜男がどうしたんですか?」そんなに醜男か?とカナエは思った。明石が男には厳しいタイプなのだろう。

「どうやらこの男が事件の当日から消息不明になったらしい」

「それこそ、警視庁の本職でしょ、うちらみたいな特殊な部署じゃなくて」

 蒼井の説明に間髪入れずに明石は、自分の意見を主張した。

「まあ、話は最後まで聞け。どうやらその男が今朝、コンビニの監視カメラに映った。そしてそのあとまた雲隠れ。その映像がこれだ」

 蒼井は、フロントガラスに監視カメラの映像を表示した。男が、コンビニでパンと飲み物を買っただけの映像だった。

「あら、間抜け」

「二週間、東京の監視カメラに一切映りもしなかったやつが、こんな簡単に姿を現すのかって話でな。この男が何か失踪に有利な能力を持った亜人なんじゃないかって、ウチに朝一番で依頼が来たわけさ」

「仮に、その男の足取りを追うとして、そんな透明人間みたいな男どうやって捕らえるんですか?」明石は質問した。

「そこで、彼女の能力を利用するわけさ」

 蒼井は腕を組みながら顔の動きでミラー越しの明石の視線をカナエの方に誘導した。

「アンタのことは課長から聞いている。モノに触れると触ったものから、人間の残した残留思念?みたいなのが読め取れるらしいな。サイコメトリーって能力名だったかな」

「はい」

「アカデミーでの成績も優秀だったらしいな。期待している」

 亜人を邪険に扱いそうなタイプである、蒼井の率直な言葉は意外で、カナエは目を輝かせながら、

「ありがとうございます」と元気よく答えた。

「ああ、そうだ」

蒼井は、コートのポケットから電子手錠や、警察手帳を取り出しカナエに渡し、「とりあえず、手渡しで済むもの一式は今のうちに渡しておく、制服とかはとりあえず外回りが終わってから」

 簡単に蒼井が仕事の内容について説明をしていると、暇を持て余した明石が、助手席から後ろを振り返りカナエの方を見て。「ねえねえ聞いていもいい?」

「はい?」

「カナエちゃんって彼氏いるの?」

「いないですけど」

 管理区での亜人の恋愛は自由だった。亜人同士の子供は高確率で亜人になるため、子供が生まれれば、安い労働力がまた増える。そう言ったカラクリだ。

「あのさ、サイコメトリーってモノに触れたらどこまで視えるの?、結構鮮明?たとえば、彼氏がいるとして、浮気したとするじゃん。その時にさ、彼氏んちにあるモノに触れたら、浮気がバレちゃったり、みたいなことってあるわけ?」

 カナエは、明石のよくわからない質問に困惑して、蒼井の方を見てみると、蒼井は腕を組みながら、明石のよくわからない質問に呆れながら軽く俯き顔を振った後、対応するのが面倒臭いのか、呆然と外の景色を眺め始めた。カナエは立場上というより、善意で明石の質問に対して、「そうですね、モノに触れると映像が頭の中にオートで流れ込んで来るんですけど、映画の映像みたいに鮮明に頭に流れ込んでくるわけではなくて、どちらかというと、テレビがザッピングするみたいに、思念の断片が統一性のない画像として頭の中に浮かび上がってくる感じです。こちらが情報を取捨選択することができるわけじゃないので、バレるかどうかは、その彼氏さんの運次第?ですかね」と丁寧に説明した。

「へえ」と明石は感心している。蒼井もカナエの能力について吟味するためにカナエの説明に耳を傾けている。

「ただ、この映像自体はそのものに込められている思いの強さみたいなもので選ばれるみたいで、浮気くらい隠したくなる気持ちが強くなるものだと勝手に視えちゃうかもしれませんね。あと、直接人に触れると、夢を見ているときと同じくらいには鮮明に視えます」

「ふーん、じゃあダメじゃん」

 何がダメなのかはよくわからないが、

「まあ、カナエちゃんみたいに可愛い子相手なら俺は浮気なんてしないけどね」と余計に意味のわからないことを言った。

 明石の発言に対して、カナエは尚更何が駄目なのかわからなかった。蒼井は明石の絡みに耐えかねて、咳払いをして、会話を中断させた。

「一通りウチの課についての説明と、配属初日に説明しなくてはいけないことがあるんだか、続けてもいいか?」

「はーい」

 明石は、前に向き直してカバンからタブレット端末を取り出して、資料を確認し始めた。カナエは、蒼井の説明を真剣に聞いていた。たいていの人間は、亜人に対してこういった細かい業務上定められているだけのどうでもいい説明は、適当に流す場合が多いのだが、蒼井はタブレット端末に映し出された契約書類や、職務規定を言葉を選んで丁寧に細かく説明していた。カナエは蒼井に対しては、公平で誠実な人間なのだろうといった印象を受けた。

「なんで、その男、急に現れたんですかね。えーと名前は」

「山田ケイジ」

「そうそう、山田」

「見つけて欲しかったんですかね?」カナエはなんとなく思い浮かんだ考えをつぶやいた。

 独り言のつもりで小さな声で言ったが、車内の人間にはしっかりと聞こえていたらしく、「見つけて欲しかったねえ。誰に?」と、明石が質問した。

「いえ、徹底的に見つからないようにしていたのに急に見つかったのは、あえて見つかるように行動したのかな?と思って」

「あと、彼女は何で自殺したのでしょう。そういえば、自殺の兆候とかはあったりしたんですか?」

「いいや、特になかったらしい」

「自殺の動機のない自殺者に、透明人間ですか」明石には腑に落ちたと言った感じだった。

「そういうわけさ。ウチの課らしい事件だろ。解決すれば警視庁にも恩を売れるってさ。あれが問題のマンションだ」

 車は自動で地下駐車場に向かい、空いている駐車スペースを見つけ、そこに停まった。車の扉が開き、降りて、

と蒼井に促されてカナエは降車した。


 先に車から降りていた明石の方をみると、車の中では座っているせいでわからなかったが、予想以上に身長が高かった。カナエは、内心、デカッと思ってしまった。実際、明石は蒼井より10cm近く大きく身長は180cmを裕に超えている。今思うと、車内での彼はなんだか窮屈そうに見えたような気がしてきた。

 三人は地下駐車場に設てあった管理人室を訪ね、蒼井が代表して警備員に声をかけた。

「あんたら、刑事さんかい?」警備員は一発でカナエたちを警察関係者だと見抜いた。

「よく分かりましたね。すいません問題のあった女性の部屋を見せてもらうために鍵を貸してもらってもいいですか」

 明石は、シャツにパンツだけのラフな恰好。蒼井はスーツにロングコートと、刑事だと一眼でわかるような恰好はしていなかった。

「最近、しょっちゅう来るからさ、何となく雰囲気で判別つくようになっちまったんだよ。802号室ね、今から案内するよ、そこのエレベーターの前で待っててくれるかい?」

 四人でエレベーターに乗り、被害者の川上幸絵の部屋に向かった。カナエが人間と一緒に、エレベーターに乗っても良いのかと躊躇していると、蒼井が軽く背中を押した。二人ともカナエに気を遣っているのか、自然な動きでカナエを管理人から見えにくいエレベータの隅に追いやった。



 目的の部屋の玄関の前で管理人は鍵を蒼井に渡し、管理人室へ戻って行った。すれ違う時にカナエは管理人にジロジロ見られたような気がしてならなかった。気を張りすぎだろうか?

  川上幸絵の部屋は、写真でみる普通の人間の女性の部屋と同じだった。かわいい絨毯や、おしゃれな家具。どこで買ってきたのかわからない小さくてかわいい置物や雑貨。亜人の女性の殺風景な部屋とは真逆で、カナエはいつかこんな部屋に住んでみたい、という思いが心の中に湧いた。

「さてこれからは、アンタの仕事だ。俺たちはどうすればいい」

 蒼井の問いかけのおかげでカナエは、現実に引き戻され、身を引き締めた。

「すいません、じゃあ、この腕輪を外してもらってもいいですか」

 亜人は能力を使う時以外は腕輪を片方の手首に装着している。これは亜人の常識はずれの能力を封じ、人間が彼らを管理しやすくする役割も持っている。この腕輪が装着されている時はサイコメトリーは使えない。蒼井はポケットからパスケースを取り出し、腕輪の磁器にかざして、カナエの腕輪をとった。操作用の手袋をバックから取り出して、蒼井はカナエの前に差し出して、

「できれば現場に指紋はつけたくない、手袋をしたままでも大丈夫なのか?」と質問した。

「はい、このくらいなら支障はありません」と答えて受け取った手袋をはめて部屋を見回した。

「何でもいいからとりあえず能力見せてみてよ、カナエちゃん」

 明石の提案に、「そうですね。じゃあ、あの置物でも」と言って、テレビ台に置いてある変な置物を指差して、テレビの前まで歩いて行き、置物の上に手を置いた。カナエは目を瞑って、意識を集中させた。

「この置物、軽井沢の道の駅で買ったものじゃないですか?」ふう、と軽く息を吐いたあと、この置物の残留思念を読み取って言った。

 明石がスマートフォンを取り出して、その置物を画像検索にかけてみた。

「あら、本当だ。軽井沢のお土産だ。何でわかったの?」

「その置物に触れたら、彼女が友達と旅行に行っている画像が視えてきて」

「すごいな」と明石が感心した。

「彼女、音楽か何かやっていましたか?」

「ああ、彼女は普通の仕事の片手間で、楽曲提供もしていたらしい。俺は知らなかったが、どうやらその界隈では有名だったらしく、このマンションもその稼ぎで貸りたみたいだな」

 部屋を見回しながら明石が「随分、いいマンション住んでますもんね。若いのに」と言った。

「軽井沢に行ったのは、学生時代の音楽コンクールの祝勝会だったみたいで、何か音楽をやっていたのかな?と」

「なるほどねえ」

「しばらくこの部屋を捜索していてもいいですか?」

「構わないよ、何かあったら声をかけてくれ」

「はい」

 特殊能力と言っても、便利なものではなく、特に思い入れのないものは何も反応はしない。部屋の物を試しにいくつか触れて注視してみると一つだけ、強烈に思念が残っているものがあった。

「これ」

「ああ、事件当日の状態を再現してもらったんだが、そのネックレスがどうかしたか」

 カナエはゴミ箱から取り出したネックレスに込められていた思念を注視してみた。


 幸せな二人の関係が崩れ、言い争いになっているのが見える。言い争いになった後、川上幸絵は首に着けていたネックレスをゴミ箱に捨てた。このネックレスからは、男への軽蔑と嫌悪が読み取れる。怒った山田は、女の顔面を叩き、首を絞めた。山田からは裏切りと絶望が感じ取れる。女は首を絞められ気を失ってしまう。絶望した山田は電話をかける。仲間だろうか?姿は靄がかかっているが男の声だ。その男を見て山田は安堵して映像は止まった。男の顔は見えない。


「うっ」

 首を絞められ、気を失った被害者の意識と自分の意識が混線して気分が悪くなった。

「どうした」蒼井がカナエの方に駆け寄った。

「容疑者の山田ケイジが、川上幸絵を襲っている映像が見えました。川上幸絵の検死結果には、男と争った形跡があったんじゃないんですか?」

 明石が、タブレットで検死結果を確認し、「蒼井さん、彼女が言っていることと一致していますよ」

「何が視えた?」

 カナエは現場の一部始終を話した。

「もう一人の男?。その男の顔は視えなかったわけか」

「はい。多分、川上幸恵の方の思念は強く残っていたのですが、山田の方がほとんどないので、多分はっきりと視えなかったんだと思います」

「いきなりチェックメイトとはいかない訳か」と蒼井は言った。

 そのまま、続けて、「まったく、課長もピンキリな能力の持ち主を採用したらしいな」とため息をついて言った。

「すみません」とカナエが謝ると、蒼井は、眉を顰めてカナエの方を見た。蒼井の深い眼窩からの突き刺すような鋭い視線は、一発でカナエを萎縮させた。

「問題ない。元より亜人の能力なんかに対して期待はしていない。謝ることはない。有用性が示せなければ、管理区での生活に戻ってもらうだけだ」ときつい言葉を発した。

 明石は蒼井の対応を見かねて、「まあまあ、そのもう一人の男ってやつは新情報なわけでしょ。それにベランダの手すりについた指紋の跡から、自分から飛び降りたって見解だったんでしょ。まあ、山田の手がかりになりそうなものがないのは残念ですけど。そんな新人を初日から追い詰めないで」と空気が重くなりそうになったのを察して、明石はすぐに仲介に入った。

「悪いが、君がどういう経緯、目的でここにいるかは知らないが、俺は使えない亜人には躊躇はしない」

「はい」

「どういった意味かわかるか?」

「警察が持っている権限の一部を私は亜人ながらに与えられています。この仕事を続けたければ、それに見合う成果を示せということですよね」

「物分かりがいいな」

「そうだ。アンタは亜人でありながら、警察行為の権限の一部を与えられている。つまるところ、一般人以上の権限を与えられていて、俺ら人間だってこんな仕事してなければ与えられないものだ。現在の社会の構造上、厳しいかもしれないが亜人でありながら人間を超えた権限を与えられている以上、有用性を示してもらわないと、アンタからこれらの権限を剥奪せざる得ないわけだ」

 蒼井は冷たい言葉を使っているが、態度に蔑みをカナエは感じなかった。むしろ、彼からは亜人や人間の垣根を超えて、一人の刑事として、これからは扱うと宣言されていると感じ、前向きすぎるかもしれないがカナエは彼の厳しい言葉の裏にはこれから対等な関係で接すると読み取った。

「蒼井さん、そこまで言わなくても・・・カネエちゃんも元気出して」

「とりあえず、事件を整理したい。警察庁に戻ろう」

 事件現場に向かう時と違って沈黙まみれの車内は気まずくてしょうがなかった。明石も、タブレットを使って残っている仕事を処理し、基本的に一言も話さなかった。蒼井は外を眺めながら、事件について物思いに耽っているようだった。配属初日となると、カナエはこういう時に何を考えれば良いのかについて考えていた。事件のことなのか、今日の夕飯なのか、それとも、今後この部署の人間たちとどうやって付き合っていくのかと。

 そうこうしているうちに警察庁に着いて、亜人捜査課の部屋に辿りつくと、自分のデスクに案内された。横並びに、蒼井、カナエ、明石の順でカナエは二人に挟まれている。カナエのデスクは、デスクトップパソコンとキーボードだけしかない。蒼井のデスクは、鉢に植えられた観葉植物が一つ置いてあるだけで、仕事に必要のないものは一切おいていない。対照的に明石のデスクは、公私混同と言った具合で、とっ散らかっており、マッサージグッズに、悪趣味な置物、極め付けは散乱した資料と読みかけの漫画たちが不規則に積まれている。二人の性格をよく表しているようなデスク環境だな、とカナエは思った。

「捜査一課から、当日の事件のあった時間の監視カメラの映像を入手した」

 パソコンのモニターには若い女が川上幸恵の死亡時刻付近で、女がマンションの八階でエレベーターから降りる映像が流れた。もちろんこの女はマンションの住人ではない。

「男?じゃないんですね」

「これをうちの鑑識に調べさせたところ、3Dホログラムを上から身に纏っていることがわかった」

「それ、最近、公安で潜入用に採用されたやつじゃないですか。光学迷彩にもなるんじゃないかってやつ。国家機密レベルのやつですよ。こんなの民間人の手に渡ったなんて、世も末じゃないですか」明石は鑑識からの結果に目を丸めて、管理の杜撰さに引いていた。

「警察庁から盗まれたものなのかはわからないが、一個人が持って良い技術の範疇を超えているな」 

「一応、この映像を解析させているが、ホログラムまでは取り除けそうにないみたいだ」

「じゃあ、今後はどうするんですか?」

「まあ、山田の足取りを追うために聞き込みだな」

 苦虫を噛み潰したような顔をした明石は「げえ、外回りかよ」と言った。

 三人しかいなかったこの部屋に、外回りから帰ってきた他の班が帰ってきた。男一人と、女二人。女のうち一人は、腕輪をしていることから、亜人だとわかる。亜人の女は褐色で短髪の溌剌とした雰囲気を醸し出しているのに対し、男は目の色が濁っていて、くたびれている低身長のガタイのいい男だ。

「おっこの娘が新しく配属された亜人ちゃんか、写真で見るより可愛い娘じゃないか」

 男は、カナエの肩をベタベタと触り始め胸元まで手が伸びそうなところで止めて、耳元に顔を近づけ「お前なら、可愛がってやるよ。よろしく」と囁いた。

 カナエは男から感じる体温と息遣いが気持ち悪くてしょうがないが、どう対処していいかわからず蒼井の方に視線で助けを求めた。見た目は人間と変わらない亜人に対して、人権がないことをいいことにやりたい放題する人間はそれなりに存在する。反抗的な態度をとり、職場を追い出され、下位の区へ飛ばされもっと酷い目に遭う亜人が絶えないことをカナエは知っており、この状況をどのように切り抜ければ良いのか困惑するしかなかった。その状況を見るに耐えかねた蒼井は、男に向かって、「いい加減にしろ、石田。不快だ」と、パソコン画面からは目を離さず、素早く指を動かしながら言った。

「亜人に何しようが構いやしねえだろ。お高く止まりやがって、内心ではこの亜人だって捕まえたくてうずうずしてるって感じだぜ」

 蒼井は石田の挑発が勘に触ったのか、手を止めて、にやけ顔の石田の方にゆっくりと顔を向けにらめつけた。蒼井の濁った黒い瞳は凝視している蒼井の威圧感に不気味さを加え、挑発していた石田も怯み「な、なんだよ」と、まごつかせた。

「もう、こいつは俺の部下だ。仕事の邪魔をするな。それに階級上は俺の方が上だ。身分が上なら好き放題してもいいって言うなら、俺のやり方に従ってもらうよ」

「ちぇ、ほらお前ら仕事の続き」と石田は自分の班を仕切ろうとすると、もう一人の人間の女が「他の班に邪魔してんじゃねーよ、そして、お前が仕切るな」と石田の尻に膝蹴りをかました。

「新しい子、入ったのね。私は柳春風、春風って書いてはるかって読むの、よろしく。この子は、久利生アカネ、アカネさんって呼んであげて」

「よろしくお願いします」

 明石は、カナエの肩を二回軽く叩くと、カナエに耳打ちして「あのオッサンに、あまり関わらない方が良いよ。うちじゃあ、珍しいくらいの亜人差別主義者だから。一人になると何されるかわからないから、慣れるまでは、俺か蒼井さんのそばを離れちゃダメだよ」

「仲悪いんですか、蒼井さんと」

「えーと、あの人」

「悪いのなんのって。正義感が強くて堅物の蒼井さんと、倫理観に欠ける石田さんだからねえ。仲の悪さは半端じゃないよ。課長に気に入られているおかげで自分より蒼井さんの方が階級が高いと思っているから、石田さんは蒼井さんのこと嫌いだし。大したことないくせに、威張っている石田さんの存在を蒼井さんは気に入らないってわけ」

 口を手で隠しながら、蒼井に聞こえないように二人で会話していると、

「聞こえてるぞ。さっさと仕事に戻れ」と注意された。

 続けて、もう三人帰ってきた。三人とも男で、三十代半ばの人の良さそうな男と、前髪を目元まで伸ばした陰気そうな男。そして、もう一人は亜人で他の二人より一回り老けている。

「見たことない子だなあ。増員でもしたのか、蒼井の班はずっと二人だったからな、よかったな」人の良さそうな男は、快活に蒼井に声をかけた。

「俺は下村鋼太郎。こっちは、対馬静治。そして、亜人の真田マサシゲだ。こいつはこの課が発足した時からいる、所謂、最古参ってやつだな。蒼井と同じだ。わからないことがあったら、こいつにいろいろと聞くといい」

 下村と名乗った男は、真田という中年の亜人の肩に手をおいて、先輩の亜人を紹介した。真田は表情を和らげて、カナエが頼りやすい雰囲気を湛えていた。対馬はカナエとは目を合わせようとせず、興味がないといった感じだった。

 もっと蔑まれた扱いをいろんな人間から受けることを覚悟していたカナエは、亜人捜査課の自分への対応の普通さに、拍子抜けしてしまい、うまく言葉が出ず、下村に何も言わずにペコリと頭だけ下げた。カナエは明石に話しかけるのをいったん躊躇した後、明石に話しかけてみた。

「あの明石さん」

 明石は基本的にカナエの態度など気にする素振りすら見せずに、椅子に浅く座って作業をしながらカナエの方を向いて、

「ん?何」と反応した。

「もっと酷い対応されると思ったんですけど、こんなもんなんですか?」

「あー、うちの課の人間がどういった経緯で配属されているか知らないけど。みんな、なんだかんだ刑事だからね。正義感とか倫理観がしっかりしている人が集まるのよ。外はこんなんじゃないけどね、だいたい石田さんみたいな感じ」

「聞き込みに行くぞ、アンタの紹介はいつか時間を使ってやってやるよ」

 山田と川上幸絵がよく顔を出していた飲み屋と、川上幸絵の職場に聞き込みに行った。しかしながら、山田と交際している以上の情報は聞き出せず、話を聞く限りだと修羅場に発展するような間柄ではなく、仲睦まじかったようだ。山田の情報すら得られないわけだから、謎の男の情報なんて出るはずもなく、何も進展も得られずに聞き込みが終わった。署に戻る頃には、日が暮れていて夜の七時を越していた。

 仕事をするにあたり、必要な書類に電子署名をしたり、目を通しておかなければいけない文書を読むために、二時間近くパソコンを眺め続けていると流石に目が乾き、カナエが十分おき位に、鼻梁をマッサージしているのに蒼井が気づき、

「初日はここまでだな」と声をかけた。

 明石がおにぎりと飲み物が入ったコンビニの袋をカナエのデスクに置き、「初日から残業お疲れ様」と労った。

 カナエは慣れない作業にどっぷり疲れたが、二人はまだ疲れているようには見えず、川上と山田の身辺情報を整理していた。カナエは最後に挨拶をしようとしたが、帰る支度をしながらすぐに仕事に戻った二人の方をみて、タイミングを見計らっていると、蒼井が「ああ、そうだ帰り方を説明していないな。明石、山田の足取りは任せてもいいか?」

「了解!」

 明石は屈託ない笑顔で敬礼をして、蒼井に連れられているカナエに向かって、手を振ってデスクから見送った。

 警察庁のエレベーターで地下駐車場の自動運転車のそばまで案内されて「これがこの車のキーだ。うちの班専用の無人運転車だ。明日の朝はこいつが迎えにくるから、明日はこの車に乗ってくるといい」蒼井は拳を握り、人差し指の第二関節で車を二回小突いて説明した。

「初日から大変だったな。お疲れ様」

「お疲れ様です」と言って、カナエは深くお辞儀をして車に乗り込んだ。スマートフォンで自分の管理区のマンションの住所を選択して車を発進させた。警察庁の駐車場を抜ける前に、蒼井の立っていたところを振り返ってみると、カナエの乗った車が見えなくなるまで蒼井が見送っているのが見えた。



 昨日、説明された通りに捜査課のオフィスに行き、部屋に入るとコートを着て出かける準備をしている蒼井の姿があった。時間は始業の三十分前で、八時半だった。

「おはようございます」

「おはよう。良いタイミングにきたな。容疑者の山田ケイジが遺体で発見された」

「えっ」

「今から現場へ向かう、荷物を置いて支度ができたら行くぞ」

 部屋には蒼井以外いないのに気がつき、

「明石さんはまだ出勤していないんですか?」と質問すると、

「明石は一足先に、現場に向かってもらっている」と蒼井は返した。

「先に駐車場に行っている。キーを」とカナエの方に手を差し出した。

 始業前だがゆっくりしていられそうにない雰囲気に、

「私も荷物だけ置いてすぐに向かいます」と、車のキーを渡して出かける支度を始めた。

 車内で山田ケイジが発見された経緯を蒼井から聞きながら二人で現場に向かった。山田は水死体として都内の河川敷に打ち上げられていたらしい。現場に着くと、トラテープのホログラムで仕切られた捜査区域内で、警視庁の捜査一課の人間と明石が話し合っていて、捜査用の小型アンドロイドが現場検証を進めていた。昨日の大雨のせいで水面はかなり迫り上がっていて、下流にしてはかなりの流れの速さで、濁った川の流速があまりに速く、川だけが同じ時間軸の中で加速して動いているようにすら見えた。明石は、蒼井とカナエがやってきたのに気がつき、話を中断して二人の方に駆け寄った。

「現状は?」と蒼井が聞くと、明石は現状を説明した。

 山田の後頭部には鈍器で強く殴られた跡があり、気絶させられた後、川に突き落とされたのではないかという見解で、身元の所持品はほとんど見つかっておらず、腕に装着されていた腕時計型の電子端末に登録されている個人IDを照合して山田ケイジだと判明したらしい。明石は、ビニールシートが掛けられている遺体のそばまで蒼井を連れて、「酷い状態ですよ。昨晩の大雨のせいで流れが急で、遺体は至る所に岩に打ち付けられていて、正直、本人なのかどうかも怪しく思えてくるくらい原型をとどめていなかったですよ」と説明した。

「カナエちゃんは見ない方がいいよ。俺らは慣れてるけど、新人には惨すぎるから」と車の方を指差して、振り向いているように指図した。

「山田はなんで殺されたんですかね?」

「さあ?それはこれからわかるんじゃないかな」

「あの、蒼井さん」

「なんだ?」

「山田に直接触れて、サイコメトリーしてみても良いですか?」

 明石が川辺の小石を拾って川に投げ入れている横で、蒼井はカナエの提案について自分の口元を手で隠しながら思案していた。蒼井は考え事をしている時は、探偵みたいに大体口を隠して地面を見つめていることが多い。

「今まで遺体をサイコメトリーしたことはあるのか?」と聞き返した。

「ありません」

「アンタが能力を使っている様子を観察していたが、あれは、単純に残留思念を視るだけのものじゃないだろう」

「どういうことですか?」と明石が質問した。

「あれはアンタの精神にまで影響を及ぼしているんじゃないか?川上幸絵の部屋で、殺されている様子を視ていたアンタの様子は俺には正直、異常に見えたが」

 蒼井の言っていることは、概ね正しく、あまりにも強い思念は、カナエの精神にまで影響を及ぼし、昨日、首を絞められて苦しんでいる川上幸恵の思念に影響されて、カナエは息が詰まり、呼吸困難になる一歩手前だった。鈍器で殴られ、溺死した死体など視たらカナエ自身もどうなるか想像もつかない。

「大丈夫です。私の能力は自分が一番把握できています。それに蒼井さん、昨日、私に言いましたよね。自分の価値を示せって」と嘘に蒼井の言葉を飾り付けて自分の意見を主張した。

「たしかに言ったが」

「本当に大丈夫です」

 蒼井を見上げるカナエの目は決意に満ちている。蒼井はカナエの意志を汲み取り、明石に目配せして遺体のシートをめくるように指示した。

「やばくなったらすぐに中止するんだよ」と明石がカナエに忠告すると、カナエは微笑んで、

「シートを捲ってもらってもいいですか?」と言って、厳粛な表情を湛えた。

 明石は遺体に覆われていたシートを捲った。確かに明石の言う通り遺体は酷い有様で、顔は傷だらけ。目玉にいたっては、少し、飛び出ていて、顔の至るところから繊維のようなものがはみ出ている。全体的に体は青白く、血が巡っていないのが一眼でわかる。カナエはこの遺体を見るや、吐きそうになったが、目を瞑って深呼吸をして、堪えて、遺体の手を握った。

 すると、急激に大量の情報がカナエの脳内になだれ込んできた。まず、何かに物凄く怯えていることがわかった。どこかの組織が二人の人物について話し合っている。注意深くみると蒼井とカナエの写真がホワイトボードに貼られていた。この情報を手に入れた山田は、川上幸絵の自宅に向かう。自分が亜人でやばい情報を得て、もしかしたら口封じに殺されるかもしれない、と川上幸絵に話すと、彼女の態度は急変し、付き合っていた男が亜人だとわかり、憤り、蔑み始め、警察に通報しようとした。それを見かねて、山田は川上幸恵の首を絞め気絶させる。気が動転しながらも、仲間の男に電話をかけると女のホログラムを纏った仲間が事件現場に駆けつける。聞き覚えがあるような野太い声も聞こえる。仲間は、川上幸恵の腕から血を注射器で採血し、注射器で採った血液を飲み、気絶した彼女にベランダから飛び降りろと命じていた。どうやら仲間の能力みたいだ。川上幸恵はムクッと立ち上がり命令通り、ベランダから飛び降りた。そして山田は自分の透明化の能力を使って逃亡を始めた。

 そして、映像は昨日の夜まで飛んだ。仲間に呼び出され、安堵した気持ちで山田は仲間に会うが、後頭部の強い衝撃のせいで、意識が朦朧として、その場に倒れてしまう。その場面を見た途端、カナエは激しい頭痛に襲われ始めた。野太い男の声に混じり、蒼井と明石の声が聞こえてくる。

「望月、望月カナエ」

 明石と蒼井は、みるみると顔色が青ざめ、大量の汗をかき動悸が激しくなっていくカナエを見て、焦ってサイコメトリーを中断させた。サイコメトリーを中断した後も、半ば放心状態で目は虚で視界が定まらなかったが、徐々に、目の前の蒼井の顔の輪郭が確かになっていった。心配そうにカナエを見つめ、肩を掴み絶えずカナエの体を揺すっている蒼井の姿がはっきりと見えると、急激に吐き気を催し、蒼井の腕を振り解いて、その場から離れて、その辺で吐いた。

「すびません」涙目になりながら蒼井と明石に謝った。

 明石はこうなることを予期していたのか、カナエの口にミネラルウォーターの入ったペットボトルを当て水を飲ませた。

「ごめんね。無理させたね」

「いやでも、色々視えました」

 カナエはサイコメトリーの情報を蒼井と明石に伝え、なぜか自分と蒼井が事件に関与していることも含めて伝えた。

「蒼井さん、また、どこかで恨みを買ったんですか」

「さあな、心当たりならいくらでもあるが。ちょっと待ってくれ。考えさせてくれ」

 蒼井は急に車に入り一人で事件について考え始めた。カナエは蒼井を追って車の方まで向かおうとすると、明石がカナエの肩を優しく掴んで、人差し指を口の前に当てて、カナエをその場に留めた。

「少し待っててもらってもいい?」

 しばらくすると、蒼井は車から出てきて、難しそうな顔をしながらコートに手をつっこみながら歩いて近寄ってきた。時計を確認すると五分くらい時間が経過していた。

「もしこの事件に俺と望月が関わっているのなら、山田と川上幸絵を殺した犯人の候補が絞れるな」

「もうわかったんですか?」

「ああ、何か怪しいとは思っていたんだが。問題があるとすれば、犯人と断定するための証拠がない」

 目を細めながら「私のサイコメトリーだけじゃ証拠にならないですよね」としょぼけた。

「そうだな」蒼井の態度は冷淡で辛辣だった。そして何かを思い出したのか、「明石、そういえば、被害者の財布以外、所持品は見つかっていないのか?」と訊いた。

「そうみたいなんですよ。それ以外は、どっか流れちゃったみたいで、今捜索中です。何か気になりますか?」

「身元がわかるものを残すなんて、犯人は随分と焦っていたみたいだな」蒼井はほくそ笑んでいた。

 一人で事件の展開を決め始めた蒼井についていけていない二人は顔を見合わせ、カナエが「明石さん、犯人わかりました?」と訊くと、明石は、肩をすくめて、首を左右に振った。お互いお手上げといったところだった。

「なら、一つ何か仕掛けてみるかな俺の予想が正しければ犯人は食いつくはずだ。とりあえず、警察庁に戻るか。詳細について車で簡単に説明する。うまく演じて口裏だけは合わせてくれればいい」

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