三年の対価

 急遽徳之間を閉店して隆治が搬送された病院に駆け込んだ湊、光輝、志穂は救急病棟の手術室を目指した。


 廊下の前にあるベンチには高津が座っていて、腕を組んで難しい表情をして何も描かれていない向かいの壁を見つめている。


 足音に気づいて高津は湊を見て口を開いた。



 「来たか。手術はまだ終わってない。出血が多くて危険な状態らしい」


 「一体何があったんですか?」


 「詳しいことはわからん。檜山に伝えた通り、隆治が撃たれて、ある女性が救急車を呼んだ。それしかわかってない。救急隊が到着したときは隆治だけが倒れてたみたいや」



 高津は湊に「その女性に心当たりは?」と訊ねたが、隆治と仲のいい女の人なんて聞いたことがない。そもそも隆治と湊の間には強い絆があるとはいえ、プライベートのことは何も知らないのだ。



 「さあ、徳さんのプライベートはほとんど知らんから」



 毎日顔を合わせて、ふたりで同じ目的を追っていた。宇海にも腐れ縁などと話したのに、蓋を開ければ何もない。こういうときになって初めて、それだけの関係だった事実を突きつけられた。


 湊は高津が座る隣のベンチに腰を下ろした。ここで湊にできることは生還を祈ることだけ。



 「檜山と鴻池は気になることはなかったか?」



 高津に訊ねられて思い出したのは、ふたりが徳之間に到着したときの隆治の慌てようだった。常に冷静沈着で堂々とする彼があれだけ焦る出来事があるとすれば、只事ではない。



 「店に着いたとき、徳間さんは慌てて出て行きました。いつもとは全然様子が違ったので、何かあったのかとは思いましたが」


 「ですよね、徳間さんらしくないというか。気にはなりました」


 「隆治に何かあったことは間違いないな。お、電話か」



 高津はスマホを右耳につけて警察関係者と話し始めた。彼は「引き続き頼む」とだけ言うと、スマホを操作した。



 「隆治が撃たれた現場に防犯カメラがあった。ちょうど撃たれたところも映ってたそうだ。映像の解析はまだ途中だが、一旦届いたから見てくれ」



 湊は光輝に手渡されたスマホの画面を覗いた。夜だったこともあり、映像は暗く細部は不鮮明で確認できそうにない。


 ぼやけていても隆治の姿は彼だと認識できた。その隣にいる謎の女と彼は何かを話しているようだった。突然何かに気づいた隆治は、女を庇おうとする。そして、彼は倒れた。


 高津は映像を見た後の湊に再び訊ねた。



 「この映像を見て何か気づいたことはないか?」


 「いや、画質が荒くて……」


 「そうか、解析班が画質を鮮明にできないか作業をしているから、また改めて見てもらうことになるかもしれない」


 「わかりました」



 気になることといえば、ひとつだけあった。隆治が店を飛び出して行ったときの様子は確かにいつもの彼とはかけ離れたものだったが、それよりも前に湊に対して彼がまず言わないであろうことを口にした。


 湊は天井を見上げてため息をついた。


 その姿に光輝は「なんかあったんか?」と訊く。店にいるとき湊は「嫌な予感」と言った。それに関係するものだろうか。



 「徳さん、急に串焼いてみろって言い出してさ」


 「あの徳間さんが? 串に命かけてたやろ」


 「そう、何よりも大切にしてたはずの串を任せるって。焼き台の掃除すら俺にはさせたことなかったのに。しかも、お客さんがいてる状態の店を放り出してまで出て行った。やっぱりおかしいよな」


 「そうまでして追いかける理由があいつにあったということやろ」



 高津はすべてを悟ったかのように腕を組んだ。彼は湊よりも遥かに長い期間を隆治と過ごしてきた。きっと、湊が知らない隆治の顔をいくつも知っているはずだ。


 静かな病院の廊下にしばらくの沈黙が流れた。治療はまだ終わる気配を見せず、四人はベンチに座って壁に背中を預けたまま時が流れるのを待つ。


 数分後、その静寂を破ったのは高津だった。



 「覚悟はしてた。いつかこんなことになるってな」



 光輝は高津の言葉の意味を問うた。



 「どういうことです?」


 「ここで話すべき話やないから、また改めて話す。ただし、それを聞いたらもう後戻りはできへん。その覚悟はあるか?」


 「それは、徳さんに関係のある話ってことですか?」


 「無論。あいつと、俺にも大きく関係する話や。まだ他の誰にも話したことはない。話すことを許されてない。でも、こうなった以上は知ってほしい。知ったらもう忘れることもできんやろうから、覚悟がある者だけに知ってもらうことになる」



 光輝と志穂は顔を見合わせて、高津の言葉の真意がどこにあるかを探った。高津が語る言葉は、ひとりの警察官としてのそれではないはずだ。大きな陰謀が関わっている可能性がある。


 しかし、湊には迷いがなかった。



 「俺は知りたい。徳さんがひとりで何かを背負って生きてきたんやったら、その半分、いや、ほんの少しでもいいから俺も背負う。香代さんを探すって決めたときから覚悟はしてたから」



 湊の強い意志に光輝と志穂は同調した。


 三年前にこの事件を担当してから、光輝は覚悟をしてきた。そして、彼の後輩である志穂もまた、同じ道を歩むと決めた。

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