折れた串

 「徳間さん戻ってこんな」



 徳之間のカウンターに座る光輝が串をつまみながら言った。隣の志穂も「どこ行ったんでしょうね」と食事八割集中に対する残りの意識で応える。


 カウンターでひとり料理を続ける湊は練習もほぼしないままに串を焼いているので他のことに意識を向ける余裕はなかった。隆治が湊にも串を任せたいと言ってから特訓する時間もなく本番を迎えたのだから、話が違うと思うのも無理はない。


 湊が宇海と会ってから出勤した直後、隆治はこの店を飛び出した。軒先にいた光輝と志穂も、普段冷静な隆治の焦りように驚いていた。


 それから三十分が経過したが、彼が戻る気配はない。客足はそこまで多くないものの、ひとりで対応するには厳しい時間帯に店主が不在なのは辛い。



 「すみませーん」



 テーブルにいる客が注文で湊を呼ぶが、途中で串から目を離すわけにはいかず彼はどうしようかとあたふたする。その姿を見ていた志穂が立ち上がって声を上げた客がいるテーブルに向かった。常連である彼女はメニューを熟知しており、注文をとるくらいならいつでもできる。


 現役の警察官が副業をしているのではないかと噂になりそうで怖いが、報酬を得るわけではないので問題ないだろう。


 光輝は素人の割に板についている志穂の姿を横目に何かが起こりそうな予感を気持ち悪く思った。



 「相波くん、串の注文入った」


 「ごめん、助かる」


 「この店のことならよくわかってるから大丈夫。困ったら声かけて」



 注文を伝えてカウンター席に戻った志穂は食べかけていた串を持って再び食事を始めた。隣にいる光輝は串を平らげて満足したのかお茶を啜っていた。



 「徳間さんがおらんとこんなに落ち着かんのやな」


 「なくなって初めて当たり前やったことが普通じゃないって気づくんですよね」


 「哲学みたいな話やな」


 「そんな高尚なもんやないですよ。でも、徳間さんのあの様子やと、なんかあったんでしょうね。大丈夫かな?」



 カウンターの奥で焼き台と向き合う湊も隆治のことは気にしているらしく、ときどき視線を逸らしては入り口の方向を見る。



 「アッシュディーラーか……」


 「ん? なんか言った?」



 光輝の無意識に言葉になった思考は湊の耳に届いたが、その中身までは伝わらなかったようだ。光輝はそのまま湊に質問を続けた。



 「徳間さんになんか変わった様子はなかったか?」


 「変わった様子かあ。急に串焼いてみるかって言われたくらいかな」



 軽く答えたものの、隆治にとって串の調理がどれだけ大切なことかを湊は知っている。光輝が刑事の勘を働かせるようなことが起ころうとしているのか。


 話を続けようとして口を開いたところで光輝のスマホに着信があった。



 「檜山です。はい、ええ」



 声のトーンから仕事関係の電話であることはすぐにわかった。



 「ええ⁉︎ それは間違いないんですか?」



 突然店内を駆け回る光輝の声に隣にいる志穂は口に入れた鶏肉を吐き出しそうになって慌てて両手でそれを押し込んだ。テーブルにいる客も驚いて彼を見る。


 通話を終えた光輝に「急に大声出さんでくださいよ」と志穂が苦言を呈する。しかし、彼はそんな小さなことを気にする余裕すらなさそうだ。


 通話を終えた光輝はカウンターに強く両手をついて、湊の背中を見つめる。



 「相波くん、落ち着いて聞いてくれ」


 「ん? なんかあったん?」


 「徳間さんが撃たれた」


 「は?」


 「今救急車で病院に向かってるらしい」


 「撃たれたって? どういうこと?」


 「詳しくはわからんけど、とにかくすぐに病院に行った方がええ」



 今起こっている出来事に現実味がないのか、湊はぎこちなく焼き台の火を消して焼いていた串を片付け始めた。居合わせた客は光輝の台詞を聴いたが、非現実的な状況に身体が硬直している。



 「すみません、緊急で店を閉めることになりました」



 光輝と志穂はテーブルの客に向かって警察手帳を示しながら閉店することを説明した。せっかくの時間を強制的に終わらせることを申し訳なく感じながらも、今回の飲食代は受け取らないことで納得してもらえた。


 食器類はそのままに火の元は消して暖簾を店内に入れ、湊は玄関の鍵を閉めると裏口から出た。光輝と志穂は徒歩で徳之間に来ていたので通りに出てタクシーを止めた。


 助手席に志穂、後部座席に湊と光輝が乗り込むと隆治が搬送される病院を伝えた。


 

 「徳さんに何があったんや」


 「救急車を要請したのは女性やったらしい。救命士が到着したときには徳間さんがひとりだけ倒れてた。その後警察も現場に行ったが、通報者の行方はわかってない」


 「女性……」



 ただの通りすがりの女性だろうか。通報したが、時間がなくてその場を去ったのか。それとも、隆治と関わりがあって、その人物が命を狙ったのか。今、何が起こっているのだ。


 窓の外に流れる景色を見ながら湊は言った。



 「嫌な予感は当たるもんやな」


 「予感?」



 あのこだわりの強い隆治が串を任せるとは、何かがあると思っていた。だが、撃たれるなんて想像すらしていなかった。


 一体誰が?


 隆治に何があった?


 世話になった人、どうか助かってくれ。

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